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扇動されるスンニとシーアの対立

2007年2月1日  田中 宇

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 ブッシュ政権は2003年、サダム・フセイン政権を倒すためにイラクに侵攻した。しかし、サダムが倒された後のイラクでは、隣国イランの影響力が強くなり、レバノンやパレスチナでもイランの影響力が強くなってしまった。そこでブッシュ政権は、こんどはサダムと組むことで、イランを倒そうとする策略を開始している。

 とはいえ、こんどのサダムは、サダム・フセインではない。フセインはすでに昨年末に処刑され、もうこの世にはいない。新しい「サダム」(SADDAM)は「スンニ派アラブを中心とする独裁諸国による反聖職者連合」(Sunni Arab-Dominated Dictatorships Against the Mullahs)の略称である。

 この「サダム」連合は、サウジアラビア、クウェートなどのペルシャ湾岸諸国6カ国(GCC)と、エジプト、ヨルダンで構成されており「GCC+2」とも呼ばれる。彼らが敵視する「聖職者」とは、イスラム聖職者が権力を持っているイランのことである。「サダム」は、ブッシュ政権が使っている正式な名称ではない。米英の新聞に記事を書いているエジプト在住のジャーナリスト(Issandr El Amrani)が、皮肉を込めて命名したものである。(関連記事

 皮肉は込められているものの、GCC+2の国々を、サダム・フセインと同一視する見方は、的を射ている。アメリカ流に言えば、GCC+2の国々の中には一つも民主国家がなく、エジプトが事実上の終身大統領制、その他の国はすべて王制で、いずれも独裁である。昨年末に処刑された旧サダム(フセイン)と、最近アメリカに取り立てられている新サダム(GCC+2)は、独裁体制という点で共通している。

▼新サダムはオサマでもある

 サウジアラビアなどGCC諸国とヨルダンは、第二次大戦後、一貫して親米であり続けた。エジプトも、1960年代のナセル大統領の左翼的なアラブ・ナショナリズムが失敗した後はずっと親米国だ。今回の新サダム構想は、その親米連合を、反イラン連合として再利用しようとするものだ。

 ブッシュ政権はイランとの戦争を準備している。米軍は「イラク駐留米軍に対する攻撃の中には、イランが仕掛けているものがある」と主張できる証拠を発表する準備を進めていると報じられている(うってつけの「証拠」が見つかっていないためなのか、発表は延期されたが)。(関連記事その1その2

 米軍はすでに空母2隻をイラン近海に結集させている最中だ。これとは別に、海からイランに上陸作戦を展開できる海兵隊の水陸両用部隊として2つめの部隊が、スエズ運河を通行中で、彼らもイラン近海に向かっている。ブッシュ大統領は、イランを攻撃する理由と兵器の両方を、着々と用意している。(関連記事

 イランとの戦争が始まったら、イスラム諸国の世論は「反米」に大きく振れる。「アメリカはイラクだけでなくイランでもイスラム教徒を殺している。イランを救え」という非難がイスラム世界に広がる。アメリカは、反米感情を少しでも抑止するために、親米アラブ諸国を「反イラン」で結束させようとしている。親米アラブ諸国のスンニ派の政府系の聖職者たちは「シーア派は異端である」といった説教を行うことで、信徒たちの心の中に「イスラム教徒としての結束」ではなく「スンニ派が、シーア派のイランを憎む構図」を作ろうとしている。

 これまで、スンニ派の諸勢力の中で、シーア派を異端として最も憎んできたのは、オサマ・ビンラディンのアルカイダである。アルカイダ系の勢力は、パキスタンやアフガニスタンなどで、シーア派の市民を、シーア派だというだけで、しばしば殺してきた。だが今や、親米アラブ諸国のアルカイダ系の聖職者たちは、シーア派を敵視する説教を声高にしてくれるということで、アメリカの宣伝戦略の仲間として重宝されている。「サダム」の新作戦は、実は「オサマ」でもある。

 もしオサマがまだアフガンかパキスタンの隠れ家で生きていたら、この事態の展開を見て、大喜びしているだろう。そのうちオサマ本人がビデオ映像で「イランをやっつけろ」と言ってくれるかもしれない。そうしたら、ブッシュも大喜びである(映像は、ハリウッドで作られたものになるかもしれないが)。

 アメリカが「新サダム」の諸国に望む要求としては「石油価格」もある。イランとの戦争が始まったら、石油価格は高騰する。それをいくらかでも抑えるために、ブッシュ政権はサウジアラビアなどのアラブ産油国に対し、増産などの高騰抑止策を働きかけている。

▼世界を巻き込むイスラエルの「穏健派対過激派」

 スンニ派アラブ諸国がシーア派のイランを敵視する構図を渇望しているもう一つの勢力は、イスラエルである。イランとの戦争は米軍を疲弊させ、アメリカが中東から撤退せざるを得なくなる日を早める。アメリカが中東からいなくなった後、後ろ盾を失うイスラエルは、周辺のアラブ諸国と何とかうまくやっていかざるを得ない。その時に、スンニ派のアラブ諸国が、シーア派のイランと敵対関係にあれば、イスラエルは漁夫の利を得られる。

 イスラエルがスンニ派諸国と結束し、イランと対峙するという構図を作り、スンニ派諸国の人々の怒りをパレスチナ問題ではなくイランとの敵対に向けられれば、アメリカ撤収後の中東で、イスラエルはアラブ諸国とうまくやっていける可能性が強まる。

 イスラエル政府は、スンニ派アラブ諸国とシーア派のイランという対立を「穏健なアラブ諸国と過激なイラン」という対立で表現することで「民主と自由を愛する世界中の穏健な人々が、イランなどのテロを好む過激な勢力の脅威に立ち向かう」という世界的な構図に拡大しようとしている。「穏健な人々」の中には、イスラエル、アメリカ、EU、そして日本や中国も含まれる。

 一方「過激な勢力」には、イランのほか、ヒズボラやハマス、アルカイダ、それから欧州のホロコースト否定論者まで、イスラエルを敵視するあらゆる勢力が含まれる。イスラエルは、スンニとシーアの対立を、いつの間にか、国際社会に反イスラエル勢力を潰させる話に変質させている。いつもながら、驚くべき詭弁の能力である。

 1月18日、イスラエルのリブニ外相が訪日したが、その時の記者会見でリブニは、日本は穏健派の側であるはずだと述べている。リブニの訪日の前には、オルメルト首相が中国を訪問し、イランと親しくしないよう、中国に要請した。

 東京の外国特派員記者クラブで行われたリブニの記者会見は、私も聞きに行ったが、リブニは「イスラエルは、パレスチナ国家の創設を支持する」と強調していた。イスラエルはユダヤ人国家として、パレスチナ国家はアラブ人国家として共存する、という体制を目指しているのだという。

 これを聞いて「イスラエルはまたウソを言っている。彼らがパレスチナ国家の創建を本気で支持するはずがない」と思う人もいるかもしれないが、私は違う分析をした。イランなどイスラム過激派の勃興と、予測されるアメリカの中東撤退を受け、イスラエルはすでに自国が非常に弱い立場になっているのを痛感している。そこで「イスラエルがパレスチナ国家の創建を認める代わりに、アラブ諸国は、ユダヤ人国家としてのイスラエルの存続を認めなさい」と言い出しているのである。

 イスラエルの国民の約2割は、イスラム教徒でアラビア語を話すアラブ人である。彼らは差別されているが、彼らの出生率は、ユダヤ人のイスラエル国民より高い。加えて今後、もしイスラエルがパレスチナ人を含むアラブ側と和解できた場合、アラブ側からイスラエルへの低賃金労働者としての人口流入もあるかもしれない。これらを放置すると、いずれイスラエル国民の過半数はアラブ人になってしまい、今とは逆にユダヤ人が差別されることになる。それを避けるため、イスラエルは、アラブ側との和解の前提として「イスラエルがユダヤ人のための国家であることを認めること」というのを掲げている。

▼ブッシュ政権は過激派の仲間

「あなたは穏健派か、過激派か」と問われれば、ほとんどの人は穏健派だと答える。過激派には見られたくない。イスラエルは、こうした人々の姿勢をうまく使って自国を維持拡大しようとしている。見事な詭弁力ではあるが、この作戦はたぶん成功しない。なぜなら、イスラエルが穏健派のトップとして最も頼りにしているアメリカのブッシュ政権が、実は穏健派ではなく過激派だからである。

 ブッシュ政権は「自由と民主主義」を標榜・推進している点では、イスラエルの区分で言う穏健派に入る。しかし、実際にやっていることから考えると、むしろブッシュ政権は、自由と民主主義の推進を、歪曲したかたちで過剰にやることで、自由と民主主義を標榜することで世界をまとめてきた「米英イスラエル中心主義」を破壊しようとしている。

 イスラエルがいうところの「穏健派」とは「米英イスラエル中心主義の世界体制に賛成する人」のことであるが、ブッシュ政権は、この穏健派的な世界体制を壊そうとしている。ブッシュの破壊行為の結果、世界はもっと多極的な体制に移行し始めている。多極的な世界では、イスラエルやイギリスはアメリカという後ろ盾を失って弱くなる。

 ブッシュ政権は、イラク侵攻の開戦事由となった大量破壊兵器問題がでっち上げだったことが侵攻後に分かったことに象徴されるような、歪曲が後から暴露されてしまうようなやり方をしている。これは、これまで「自由と民主主義」の名目のもとに行われてきた経済制裁や戦争の真の意味は何だったのかを暴露してしまう効果がある。その意味でも、ブッシュ政権は、自由と民主主義を標榜して世界を統括してきた米英イスラエル中心主義を破壊している。

 ブッシュ政権は、パレスチナを民主化すると言って反イスラエルのイスラム過激派であるハマスを選挙で勝たせてしまい、同様にエジプトではハマスの兄貴分であるイスラム同胞団を勝たせた。イランの過激派大統領アハマディネジャドが、一昨年の選挙で勝てたのも、ブッシュがイラン人の反米意識を扇動するような発言を選挙前に繰り返したおかげである。半面、エジプトでもイランでも、欧米との和解や、自由と民主主義を提唱する本物の穏健派は「アメリカのスパイ」というレッテルを貼られ、支持者が減って、ほとんど壊滅してしまった。(関連記事

 ブッシュ政権がやっていることの本質は、米英イスラエル中心主義を壊して世界を多極化することであり、そのためにブッシュ政権は、米英イスラエル中心主義に最も強く反対してくれるアルカイダやアハマディネジャド、ハマス、ヒズボラ、イスラム同胞団といった過激派を「支援」しているように見える。

▼スンニとシーアの対立を扇動して分断支配

 スンニ派とシーア派の対立は、古くから存在していたが、1979年にイランがイスラム革命を起こして過激なイスラム主義になり、サウジアラビアなどスンニ派諸国が、イランの影響力拡大をおそれてアメリカを頼った結果、スンニ対シーアの対立は、米英イスラエルによって中東を分断支配するための格好の道具として使われるようになった。米英イスラエルの中東専門家の間では、スンニ対シーアの対立をことさら煽って書く傾向が強まった。

(日本の中東専門家の多くも、スンニ対シーアの対立で中東情勢のすべてを見ようとする傾向が強く、中東情勢の最重要の点は米英イスラエルの側で決められていることに気づいていない)

 しかし今や、ブッシュ政権が、中東の反米感情を扇動した結果、スンニとシーアは、相互に対立するのではなく、むしろ反米・反イスラエルを一致点として結束する傾向を強めている。

 イスラエルは、ブッシュ政権が穏健派のふりをした過激派であることをすでに知っているだろうが、イスラエルはここ10年ほど、アメリカの覇権力だけを頼りに国家を存続させ、EUなどイスラエルに批判的な他の勢力に邪険な態度をとり続けてきたので、もはやアメリカ以外の勢力には頼れない。せいぜい、アメリカが強いうちに、親米アラブ諸国との関係を良くしておくぐらいしか手がない。それでイスラエルは、親米アラブ諸国との「新サダム」連合作りに励んでいる。だが、アメリカが中東から撤退した後は、もはやアラブ諸国も親米ではなくなるだろうから、イスラエルの未来は非常に暗い。

 イスラエルだけでなく、世界的に、これまで米英中心主義(国際協調主義)の体制にぶら下がってきた国々の指導者の多くは今、未来の見えない暗い状態に置かれている。イギリスのブレア首相はスキャンダル続出だし、日本の安倍首相も閣僚らのスキャンダルや支持率低下に悩んでいる。その一方で、多極主義の体制の中にいる中国やロシアなどは、どんどん強気になっている。いずれも、ブッシュ政権の「隠れ多極主義」の革命的な破壊行為の影響が出ている。

 前回の記事でも紹介したが、最近、イスラエルでは自国の安全保障を考える「ヘルツリヤ会議」が開かれ、スイスでは政財界人の集まりである「ダボス会議」が「多極化」をテーマに開かれた。この両方に出席したFT紙のコラムニストは、ヘルツリヤ会議は非常に暗い雰囲気だったのと対照的に、ダボス会議は非常に楽観的な雰囲気だったと書いている。ここにも、米英イスラエル中心主義の世界体制が崩れ、多極主義の世界体制が出現しつつあることが見て取れる。(関連記事

▼スキャンダルは政治暗闘

 ブッシュ政権の隠れ多極主義の戦略を遂行してきたのはチェイニー副大統領と、ネオコンという名で知られてきた側近群であるが、ネオコン的な勢力は1970年代後半から、アメリカとイスラエルの両方の政官界や軍内、言論界で活動している。イスラエルでは「リクード右派」などとして知られる彼らは、アメリカから移民としてイスラエルに入った後、パレスチナ人をわざと怒らせ、世界を敵に回すようなことを繰り返しており、隠れ多極主義者の疑いがある。イスラエルは、昨年夏のレバノンでのヒズボラとの戦争で、故意に世界を怒らせるような無差別攻撃を展開したが、これも軍内や政府内にネットワークを張っている彼らの仕業であろう。(関連記事

(彼らの秘密結社的なやり方は、かつての共産主義者の組織的隠密行動とよく似ている。ロシア革命の黒幕はユダヤ人だという指摘を思わせる)

 イスラエルでは今、もともとの主流派勢力と、新興の隠れ多極主義勢力との暗闘が展開している観がある。たとえば先日、イスラエルの法務大臣だったハイム・ラモン(Haim Ramon)が、性的スキャンダルで有罪になり、辞任に追い込まれたが、ラモンは昨夏のレバノン戦争の開始直後に、レバノン南部へのイスラエル地上軍による大々的な侵攻を主張するなど、戦線急拡大論の急先鋒だった。イスラエル軍は結局、地上軍の派遣に慎重だったが、ラモンの主張通りに大規模侵攻していたら、イスラエルはレバノン占領の泥沼にはまり、シリアとも戦争に入っていたかもしれない。泥沼化を誘発しようとしたラモ ンは、隠れ多極主義者の疑いがある。(関連記事

 ラモンの罪は、仕事上の以前の部下だった若い女性にキスを強要したというものだが、被害者となったこの部下に対しては、捜査当局が「被害届を出さない場合、あなた自身が罪に問われますよ」と脅し、無理矢理に被害者にしてしまったと指摘されている。ラモンは「彼女の方から誘ってきたんだ」と抗弁しており、キスは強要ではなく合意に基づくものだったのに、当局がラモンを辞任させるために犯罪として仕立てた疑いがある。

 ラモンの罪はでっち上げだったと指摘するエルサレム・ポストの記事によると、捜査当局は以前、ネタニヤフ元首相やリーバーマン戦略脅威担当大臣(Avigdor Lieberman)にも言いがかり的な容疑をかけている。ラモンもネタニヤフもリーバーマンも、イランやシリアとの戦争を扇動している右派の政治家であり、隠れ多極主義者の疑いがある。

 アメリカでも、ホワイトハウスにおける隠れ多極主義者の頭目であるチェイニー副大統領が、機密漏洩スキャンダルで追い込まれている。米英中心主義と多極主義の戦いは、犯罪捜査のかたちをとった暗闘として行われている。それらの展開いかんで、世界多極化を大幅に進展させることになるイラン攻撃や中東大戦争は避けられるかもしれないし、逆に早まるかもしれない。(関連記事



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