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アメリカ財政破綻への道

2008年2月6日   田中 宇

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 アメリカのブッシュ政権は2月4日、来年度(今年10月から来年9月まで)の米連邦政府の予算を発表した。その内容は、ブッシュ政権が「隠れ多極主義」の戦略を採っていると、改めて私に感じさせるものだった。

 私が感じているブッシュ政権の「隠れ多極主義」は、軍事・政治・経済というアメリカの覇権(世界支配)のすべての面に及んでいる。このうち経済面は、米政府の財政を浪費によって意図的に破綻させ、アメリカの経済覇権のシステムの中心であるドルの基軸通貨の地位を喪失させ、アメリカを世界経済の中心から外し、世界を通貨や消費地の多極状態へと誘導する戦略である。

 常識的に考えると、自国を破滅させたい政府が存在するはずがないので、米政権が多極主義を採るはずがない。「田中宇は頭がおかしい」と思っている人は多い。しかし歴史的に見ると、ベトナム戦争による財政浪費の後始末で金本位制を崩壊させ、ドルの覇権を壊した1970年代のニクソン政権や、軍事費急増で巨大な財政赤字を作って1985年にドル急落(円マルク急騰)のプラザ合意を演出したレーガン政権は、いずれも多極主義だった。(逆に、1990年代のクリントン政権のように、自国の経済覇権の強化を目指した米政権もある)(関連記事

 米政府が自国の覇権を壊したいのは、自国の覇権が第二次大戦前にイギリスから押しつけられ、アメリカはこの70年間、最初はイギリス、その後1970年代からは、イギリスからアメリカ操縦のノウハウを引き継いだイスラエルによって、覇権国を演じさせられ続けてきたからである。

 アメリカはもともと多極的な世界の覇権体制を好む国だった。自国は西半球(南北米州)の安定だけを担当し、その他の地域の安定は欧州、ロシア、中国などが担当すれば良いと考えていた。1945年にアメリカが作った国連安保理の体制がその象徴である。

▼実は大成功しているブッシュの戦略

 だが、イギリスやイスラエルは自国の世界覇権(中東覇権)を維持するため、米マスコミを動かして多極主義を孤立主義と言い換えて「悪」に仕立て、アメリカを単独覇権の方向にゆがめ続けた。イギリスは冷戦を誘発し、その後はイスラエルがアメリカを度重なる中東の戦争に引き込んだ。ニクソンはドルを崩壊させたが、その後はイギリスが日欧の先進国に呼びかけて、日欧がドルを支える「協調介入」などの新しい仕掛けを作り、G5やG7として定着させた。(関連記事

 アメリカは自殺を図ったのに、死なせてもらえなかった。日本の外交専門家たちは、これを勘違いして「アメリカの覇権は不死身だ」と分析し、ますます対米従属になった。(勘違いしたのでなければ、日本の専門家は、イギリスやイスラエルの対米食い込みについてもっと研究したはずだが、その手の研究は日本にはほとんどない。覇権分析は陰謀論扱いされている)

 米中枢の財界や政界には「アメリカが覇権国である世界体制の方が、ドルのおかげで米国民の生活が豊かになるし、民主主義などアメリカの価値観を世界に広められるので良いじゃないか」と考える人々も多く、戦後しばらくは多極主義は影を潜めていた。だが、先進諸国の経済が成熟して低成長が予測されるようになった1970年代から、世界経済の成長を高めるという新たな役割を背負って、再び多極主義が米中枢に出てきた。米政府は、中国の経済発展を誘発したり、冷戦を終わらせて東側諸国に成長をもたらす多極化の戦略を採るようになった。

 米国内やイギリス、イスラエルからの阻害圧力があるため、戦略はこっそりと「隠れ多極主義」として続けられてきた。イスラエルやイギリスの言いなりに動くふりをしつつ「やりすぎ」によっていつの間にかイスラエルとイギリスの立場をぶち壊しているブッシュ政権は、非常に巧妙な隠れ多極主義を実行し、その意味でブッシュ政権は「大成功」していると私には見える。

 ブッシュ大統領自身は、おそらく何もわかっていない頭の悪い人だが、その側近としてイラク侵攻を推進したチェイニー副大統領やネオコンは、イスラエルのスパイをやりつつ実は多極主義者のスパイという「二重スパイ」だったようだ。軍事諜報のプロであるネオコンならではの名演技である。(関連記事

 先日、スイスのダボスに世界の主要な政治家や財界人、学者、運動家などが集まって賢人会議的な「ダボス会議」が開かれたが、そこでの共通認識は「アメリカの覇権は崩れつつあるが、かといって多極状態(multipolar)でもない。世界は無極状態(nonpolar)だ」というものだった。私はこの状態を、アメリカの隠れ多極主義者たちの戦略が半分まで進んだものの、EUや中国や中東諸国がまだ覇権勢力になるのを尻込みしているので無極状態になっていると分析している。(関連記事

(私はこのような状況を「覇権のババ抜き」と呼んで2005年に記事を書いたが、早すぎたらしく、ネット掲示板で嘲笑されていた)。(関連記事その1その2

▼史上最大の財政赤字を隠す手法

 反常識的な「隠れ多極主義」を説明するため前置きが長くなってしまった。今回の記事の本題は、2月4日にブッシュが発表した米政府の予算が「隠れ多極主義」であるということだ。

 今回の米政府予算は、総額3兆ドルを初めて突破した史上最大の規模である。イラクの軍事費と、不況に陥りそうな米経済のテコ入れ減税策を盛り込んだため、大規模になった。財政赤字の額も、今年度予算(1630億ドル)の2倍以上にふくらんだが、史上最大だったイラク侵攻直後の2004年度予算の赤字額(4130億ドル)よりは若干少ない4100億ドルとなった、と発表されている。しかし、実はこの赤字額はインチキである。(関連記事

 米軍は昨年度、イラクとアフガニスタンで1890億ドルの戦費を使ったが、今回の来年度予算には、イラクとアフガンの戦費が700億ドルしか計上されていない。現在の米軍の毎月の派兵費用から考えて、この金額では半年分にもならない。今年イラクで比較的安定した状態が続いたとしても、アフガニスタンの情勢は悪化している。米軍がアフガン増派しそうなので、来年度はイラクとアフガンで1500億から2000億ドル以上の戦費がかかるのは確実である。(関連記事

 国防総省は「戦況が不確実なので、イラクとアフガンの戦費がどうなるかはわからない」といっているが、すでに派兵開始から4−6年も経ち、経験を積んでいるのだから、この説明はごまかしである。米議会は、開戦当初は戦費を一部だけ計上しておく国防総省のやり方を容認していたが、昨年はそれをやめて、当初予算で全額が計上されていた(それでもあとから増額したが)。米政府は、来年度の財政赤字が、過去最大にならないための帳尻合わせとして、戦費を一部しか計上しなかったに違いない。実際には来年度、アメリカの財政赤字は過去最大となる。(関連記事

 米政府の予算は、ブッシュ政権の8年間で、2兆ドル以下から3兆ドル以上にまで増大した。軍事費は8年間に70%増えた。国防総省の5150億ドルに、それ以外の省庁に埋め込まれている事実上の軍事費を加えると1兆ドルを超え、第二次大戦後の最大の水準だ。世界の他の国々のすべての軍事費の合計よりも多い。半面、来年度予算では、戦争とテロ対策以外の政府事業の多くが、予算削減もしくは増額凍結されている。(関連記事

 歴史を見ると、軍事費は80年代のレーガン政権下でも急増したが、来年度予算はそれと同じパターンだ。レーガンは「小さな政府」を作るといって当選したが、軍事費を聖域化して急増させ、財政赤字を急拡大させてドル安を招き、アメリカの経済覇権を崩した。(関連記事

 ブッシュも自分の任期後の2012年には年度の財政赤字がゼロになるように計画しているというが、これは全く口だけである。これから述べる景気悪化と、メディケア(高齢者など向けの政府健康保険)の赤字増を勘案すると、実際には正反対に、2012年の米財政は今よりひどい大赤字になると予測される。

▼非現実的に甘い経済見通し

 今回の来年度予算は、今年の米経済の成長を2・7%として税収を計算している。これは昨年11月時点での米政府発表の予測成長率なのたが、その後、米経済は急速に不況色を強めており、米議会の予算事務局(CBO)の最新の予測では、米経済の今年の成長率は1・7%に落ちている。(関連記事

 民間の投資銀行などは、米経済は不況(マイナス成長)に陥るとの予測を相次いで出しており、来年度の法人税収入は大幅に落ち込む可能性が増している。来年度の米財政は、成長率2・7%を前提にした予算より、さらに500億や1000億ドルの赤字増となってもおかしくない。戦費と税収をめぐる意図的な誤算を補正すると、来年度の米財政は史上ダントツの赤字となりそうだ。

 アメリカでは、メディケアとメディケイドという政府健康保険や、公務員年金が将来的に破綻しそうだと警告されている。最も危険なのがメディケアで、昨年からの処方箋薬への保険適用拡大で赤字が急増しており、2018年までにメディケアは破綻し、米政府に巨額の財政支出を強いると予測されている。(関連記事その1その2

 もともとメディケアは、病院経営者の団体や製薬会社などからの強い政治圧力を受け、薬品や診療報酬についての価格交渉が禁じられ、病院が取る事務手続き費用も異様に高く設定されて、赤字増に拍車をかけている。ブッシュ政権は、病院が取る事務手続き費用を切り詰め、メディケアの政府支出を来年度からの5年間で1780億ドル削減する前提で来年度予算を組んだ。(関連記事その1その2

 しかしこのメディケアの効率化は、米議会の予算審議を通りそうもない。議員たちは表向き「メディケアの切り詰めは貧しい老人を困らせる」と反対しているが、本当は、地元の病院団体から献金や選挙支援を裏づけとした大圧力をかけられているためである。病院の利益を圧縮して国家財政を救うことは、米議会には期待できない。ブッシュ政権は、そのあたりの事情を把握した上で、メディケアの効率化を来年度予算に盛り込んでいる。メディケアの効率化を潰したのは議会だと責任転嫁できるからだ。議会が否決した分だけ、財政赤字は増える。(関連記事

 米政府の財政赤字急増は、米国債に対する信用を潜在的に失墜させている。債券格付け機関のムーディーズは「米政府が(メディケアなど)健康保険や社会保障費への財政支出を削減する思い切った政策を採れなかった場合、米国債は10年以内に最優良格(AAA)を失うかもしれない」という前代未聞の警告を1月上旬に発表している。1917年の格付け開始以来ずっと最優良格だった米国債が格下げされたら、国債の売れ行きは一気に悪化し、利回りが急騰して米政府は巨額の利払いを強いられ、最悪の場合、国債の元利を払えなくなって、国家的な債務不履行に陥る。(関連記事

 世界最強のアメリカが債務不履行に陥るはずがない、と多くの人は考えるだろう。だが最近まで、ムーディーズが米国債の格下げに言及すること自体、あり得ない話だった。ブッシュ政権が隠れ多極主義の戦略を採っているのなら、米国債の債務不履行まで事態を悪化させていくことを狙っているはずだ。来年1月までのブッシュの任期中か、もしくは次の政権になってから最悪の事態が不可避的に訪れるような仕掛けが、来年度予算のまやかしの裏に設定されていると疑われる。

▼米連銀も隠れ多極主義?

 来年度予算には、1500億ドルの景気対策減税が盛り込まれている。分析者の間では、その効果を疑問視する声も強い。減税は、すでに支払った税額が多い人ほど戻しも多い仕掛けになっており、ローンの支払いに苦しんで消費を切り詰めているような低所得層には戻しが少ない。米経済の7割を占める消費の蘇生にはつながらず、比較的生活に余裕のある人々の貯蓄増につながって終わりそうだと指摘されている。(関連記事

 ブッシュ政権の景気対策の中では、予算だけでなく、連銀(FRB)による利下げも、隠れ多極主義的なくせ者である。連銀は最近、立て続けに2回、合計1・25%も利下げした。米経済が急に減速しているので、急な利下げが必要になったという理屈なのだが、利下げは効果が出るまでに数カ月かかる。政策金利は、様子を見ながら少しずつ上下させるべきで、急いで大幅利下げをするのは理屈に合わない。(関連記事

 また連銀は、金融機関の資金難からの破綻を防ぐ名目で、盛んにドルを増刷して金融市場に資金を流し込んでいる。連銀は、ドルの通貨供給量(M3)を発表しなくなって久しいが、分析者は、通貨供給量の伸びを年間15%前後と概算している(望ましいM3の伸びは5%以下)。こんなにドルが増刷されていると、ドルを基軸通貨としている世界経済がひどいインフレになるのは当然だし、ドルの価値が下がるのも当然である。(関連記事

 急速な利下げとドル増刷は、世界的なインフレ悪化につながり、為替をドルにペッグしている中国やアラブ産油諸国(GCC)の経済を混乱させている。中国は、人民元の対ドル為替の上昇率を引き上げた。GCCは昨年末以来、ドルペッグをやめて、ドルやユーロなどの主要通貨バスケットに対するペッグに切り替えるべきではないかという議論を続けている。(関連記事その1その2

 中東は戦争状態が続いているので、アメリカに国防を依存しているGCC諸国、特に大国であるサウジアラビアは、簡単に対ドルペッグをやめるわけにはいかないが、アメリカが財政難や利下げを続けるなら、今後どこかの時点でドルペッグをやめる必要がある。それが今年中なのか、2010年のGCC通貨統合後なのかは、通貨市場をめぐる今後の事態によって決まる。中国もGCCも、ドル建て資産に対する投資を控えており、すでにドルの信用不安の悪循環は定着している。

 ユーロや円などの先進国の諸通貨は、ドルに連動して弱くなるよう各国政府によって采配されてきたが、これもドルの信用不安が一定以上に拡大したら続かなくなる。2月5日には、オーストラリアの中央銀行が、インフレに耐えられず利上げし、アメリカとの金利差が拡大し、ドルへの不安が増した。円は、1ドル100円を越える円高になりそうだと指摘されている。(関連記事その1その2

 今後、世界の諸通貨がどのような展開をたどるのか、IMFやG7などの国際機関によって政治的な解決が模索されるのか、先行きは不透明だが、すでに国際通貨の状況は、ドル崩壊懸念をめぐる危険な状況に入っていると感じられる。

 アメリカでは、固定資産税を主な税収源としてきた各州や市の財政も、住宅バブルの崩壊によって税収が減り、地方政府は財政難に苦しみ出している。アメリカの経済難はひどくなる一方だ。不況の原因となった金融危機の方も、サブプライムに続く危機の二番底である「モノライン保険」(債券の破綻に対する保障制度)の業界の救済がうまくいかず、二番底が抜けそうになっている。(関連記事

 アメリカは大統領選挙で盛り上がっている。全体的に、来年からの次期政権も共和党になったら、ブッシュの財政金融政策が踏襲され、米経済の崩壊が早まりそうだ。民主党政権になったら建て直しが模索されるだろうが、間に合うかどうか。米政界では、建て直しを阻害しそうな勢力も強い。

 日米などでは、少し株価が上がるたびに「これで株価は反転する」と金融機関のアナリストが騒ぎ、マスコミもそれを大々的に「事実」であるかのように報じているが、これらは全くの茶番である。世界経済の中心である米経済が破綻に向かっているのに「裸の王様」の物語さながらに、みんなそれが見えなくなっている。



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