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中東大戦争とドル崩壊の同期

2008年3月4日   田中 宇

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 先週から、世界では3つの動きが同時進行している。その一つは、イスラエルがガザに侵攻し、泥沼の中東大戦争に突入しつつあることだ。

 二つ目はドルの急落など、アメリカの経済覇権の崩壊である。(1)ドルの信用不安、(2)アメリカの金融危機、(3)世界的インフレ(石油や金、穀物の史上最高値)、(4)米経済の不況突入(住宅価格の下落、消費減)という米経済の4重苦が合わさって、米経済覇権が崩壊感を強めている。

 そして三つ目は、ロシア・イラン・中国といった非米同盟諸国の台頭である。

 これを、私が以前から書いている世界多極化の流れとして見ると、アメリカ中枢の人々は、自国を牛耳ってきたイスラエル(とその背後にいるイギリス)を振り落とすため、イラク侵攻後、イスラエルを泥沼の戦争に陥れようと画策し、嫌がるイスラエルをようやく戦争に陥らせることができたので、それをきっかけに、これまで隠然と下準備してきた、アメリカ中心の経済体制の崩壊と、覇権構造の多極化に向けて、堰を切って事態を動かし始めた、と見ることができる。

 私は数年前から、この多極化の流れが世界の動きの中心になっていると感じてきた。なぜ米中枢が自滅的な世界多極化を望むのか、自分自身としても理解に苦しみつつ、その一方で現実の世界はどんどん多極化の方向を顕在化させているので、昨年あたりから、世界が多極化しつつあることは確実だと考えるに至っている。先週書いた記事は、多極化の流れに対する自分なりの分析結果の一つである。

 世の中では、今も大半の人々は「多極化なんかしてないよ」と思っているだろうが、それは人々が世界情勢の流れを詳細に見ていないからである。イラク侵攻後、米英イスラエルの覇権が崩壊し、その一方で中露などの非米同盟的な勢力による「もう一つの世界体制」(A World Without the West)が目立たないように準備されている。

 非米同盟は、米中枢の多極主義者(たとえばキッシンジャー元国務長官と、その親分たるロックフェラー財閥などの、大資本家)によって、こっそりと支援・入れ知恵されてきた。中国を大国化すべく入れ知恵するのは、1972年のニクソン訪中以来のキッシンジャーの任務だった。

 ロシアでプーチンらの一派に入れ知恵し、今のロシアの台頭を誘発したのも、おそらく彼らである。たぶん石油価格の高騰も、もともとアメリカの独占的な石油会社だったロックフェラーが、ロシア・アラブ・イラン・ベネズエラといった非米的産油国を強化する目的で、投機筋を動かして誘発している。この構図は70年代の石油危機の時からのものだ。

▼ワシントンを自己暗示にかけて油断させる

 米政界やマスコミの表舞台は、イスラエルやイギリスの息がかかった「テロ戦争派」(米英イスラエル中心主義)に支配されている。多極主義者は正面から戦うことを避けつつ、チェイニー副大統領やネオコンのような「テロ戦争派のふりをした多極主義者」を政権中枢に入れてホワイトハウスを乗っ取り、政権末期の今、数年かけてこっそり準備した多極化を、一気に進めようとしている。同じパターンは1980年代のレーガン政権でも起きた。

 テロ戦争派と多極派の戦いは、覇権中枢の暗闘(騙し合い、諜報戦)であり、第一次大戦以来、両派とも、自分たちの策略が、一般の人々からは「自然な歴史の流れ」に見えるように動いてきた(その方が人々を動員しやすい)。昨今のように、イスラエルが米政界を牛耳っていることが誰の目にも明らかになると、これはイスラエルの負けである。イスラエルと多極派の二重スパイだったネオコンは、イスラエルの策略を裏側まで人々に見せてしまうことで、イスラエルを敗北させた。

 世界多極化の動きは暗闘なので見えにくく、マスコミでもほとんど報じられない。米政府が「上海協力機構(中露同盟)なんか大したことない」と言い続けるので、マスコミは上海機構の動向を大きく報じない。

 多極派は、ブッシュ大統領ら偉い人から順番に騙し、アメリカの政財界やマスコミ全体を「イラク占領は成功しつつある」「米経済は堅調で、夏には景気が回復する」「ロシアや中国は結束していない。大した敵ではない」といった間違った自己暗示にかけている観がある。そうすることで多極派は、本来は強い力を持っているアメリカを油断させ、浪費させ、その間に非米勢力に周到な準備をさせている。今始まりつつある中東大戦争によって準備期間は終わり、堰を切って多極化が進みそうな段階に来ている。

 ワシントンは自己暗示につつまれているので、日本人の中でも、ワシントンで米上層部の人々に直接話を聞いている記者や学者や役人ほど「アメリカは大丈夫だ。底力がある。もうすぐ巻き返す」「有力者がそう言っているんだから間違いない。田中君の多極化論は大間違いだ」と言う。現場の臨場感あふれる話を聞けば、私の文書情報の行間分析は素人の思い込みに見えるだろう。しかし、現場の話より、遠くから見続けた分析の方が正しいときもある。

▼撤退して不利になるイスラエル

 前置きが長くなってしまった。今回の本題は、先週から世界で同時進行している、中東大戦争・米経済覇権の崩壊・非米諸国の台頭という、3つの動きの同期性についてである。

 中東大戦争については、一昨日に臨時配信した記事に書いたが、その後イスラエル軍はガザに対する空爆を続けるとともに、3月1日から地上軍を侵攻させ、3日にいったん撤退した。地上戦の泥沼に陥りたくないイスラエル政府は、短期間の電撃攻撃の後、軍を撤退させたのだろうが、その後もガザからイスラエルに向けてロケット砲が飛び続けている。ロケット砲攻撃を止めるという侵攻の目的は達成されておらず、戦争は続くと予測される。

 加えて、この侵攻で110人のパレスチナ人が殺され、そのうち半分以上は戦闘員ではなく非武装の一般市民だったため、イスラム世界を中心とする国際世論のイスラエルへの非難は強まった。イスラエルが地上軍を撤退したのでハマスは勝利したと発表し、ハマスとは敵同士のはずの西岸のファタハの中から、イスラエルを憎んでハマスを支持する声が強まるなど、状況は侵攻前よりイスラエルに不利になっている。(関連記事

▼危機のしきい値を越える米経済

 動きの2番目の米経済覇権の崩壊については「しきい値を越える事態」が先週、いくつかの分野で立て続けに起きた。その一つは、アメリカの高リスク債市場の安定に貢献してきたモノライン保険(債券保証)の仕掛けが業界ごと崩壊の危機に陥り、モノラインが保証していた、全米の州や公共機関による債券発行による資金調達が機能不全になったことだ。米金融界にとって地獄の入り口が見えた一週間だった。結局モノライン業界には先週、銀行界からのつなぎ融資という「蜘蛛の糸」が垂らされ、何とか延命しているが、これも時間の問題という感じである。(関連記事

 もう一つはドル・ユーロの為替相場が1ユーロ=1・5ドルの線を越え、ドル安ユーロ高が進んでいることだ。今週に入り、円高ドル安も進行している。ドル安の引き金を引いたのは先週2月27日、米議会の公聴会で連銀のバーナンキ議長が、住宅バブルの崩壊と金融危機によって米経済は状況が悪化していると述べたことだ。バーナンキの発言を受けて市場では、連銀が次回3月18日の定例会議で0・5%ないし0・75%の利下げを行うという観測が飛び交い、利下げで利回りが低くなるドル建て資産を敬遠する投資家がドルを売った。(関連記事

 アメリカでは、新築住宅の売れ行きは13年ぶりの低さ、製造業受注は5カ月ぶりの大きな縮小、雇用も悪く、景況感は6カ月連続で悪化し、米経済は過去40年間で最も急激な悪化をしている。1月末、連銀が緊急に0・75%の大幅利下げをしたことが、かえって企業や消費者に「連銀はパニックになっている」という不安感を抱かせる逆効果の自滅策となり、米経済はそれから崩壊がひどくなったと指摘されている。連銀が3月に再利下げしたら、それも逆効果になるおそれがある。(関連記事その1その2

▼グリーンスパンのドルペッグ叩き

 ドル安と反比例する形で先週、国際価格がドル建てで表記されている原油、金、穀物が史上最高値を更新した。国際的な商品作物の業界では、下落が続くドルを使うことをやめて、商品の価格をユーロ建てに変える動きが加速している。たとえばブラジルのコーヒー業者は、世界への輸出価格をユーロ建てに変えており、対米輸出でさえユーロでの決済を求めるようになった。国際決済通貨としてのドルを見限る動きが始まっている。(関連記事

 ドル安は、通貨をドルに連動(ペッグ)しているアラブ産油国(GCC6カ国)や香港などのインフレを激化させている。GCCでは昨年から「早くドルペッグをやめた方が良い」「いや、政治・安保の面でアメリカとの関係を悪化させるわけにはいかないのでドルペッグはやめられない。ドルペッグをやめたらドルは暴落し、GCCが持つドル建て資産も大幅減価する」といった議論が続いてきたが、ドル安とインフレ激化の悪循環により、GCCはしだいにドルペッグを続けにくくなっている。

 そんな中、米連銀のグリーンスパン前議長は先週2月25日、サウジアラビアの商業港湾都市ジェッダで開かれた投資会議での講演で「インフレを緩和するにはドルペッグを止めるのがよい」と発言した。国際通貨の最高権威者の一人と世界から目されるグリーンスパンのドルペッグ廃止勧告は、GCCの議論をドルペッグ廃止の方向に傾けた。(関連記事

 GCC内で最もインフレに悩まされているドバイなどアラブ首長国連邦(UAE)の金融関係者は、グリーンスパンの発言に面くらい「UAE当局にはまだ為替の自由相場を仕切る能力がない」「ペッグをやめたら大変なことになる」などと尻込みしている。(関連記事

 だが、その後のドル安加速の中で、サウジアラビアの財界人がUAEにドルペッグを破棄するよう求める発言をするなど、ドルペッグ廃止を求める声はしだいに強まっている。せっかくGCC諸国がアメリカのために何とかドルペッグを続けているのに、グリーンスパンはそれをぶち壊す発言をしたことになる。(関連記事その1その2

▼産油国のドル離れを煽る

 GCCのドルペッグと、原油国際価格のドル建ては、アメリカの覇権を支える大切な柱である。それだけに、この問題は政治的だ。アメリカの覇権を壊したいロシアとイランは、ドルが崩壊しかけている昨今の事態を捉えて、石油や天然ガスの輸出をドルではなくルーブルやユーロ、円などで行う戦略を強めている。(関連記事

 イランの石油輸出はすでにユーロ75%、円25%、ドルはゼロになっている。ロシアは今春、商都サンクトペテルブルグにルーブル建てで商品を取引する先物取引所を作る。メドベージェフ新大統領は、ルーブルを国際基軸通貨の一つにしていく戦略を進めると表明している。(関連記事

 米政府が2月にコソボを独立宣言させ、ロシアの怒りを誘発したことは、ドルの下落時にロシアがイランと組んでドルの足を引っ張る事態を生み、グリーンスパンのドルペッグ廃止勧告と相まって、アメリカをますます不利にしている。(関連記事

 同時に米政府は、イランのアハマディネジャド大統領の3月2日からの初のイラク訪問を黙認しており、イランがイラクを抱き込んでアメリカを追い出すことに手を貸している。イラクではすでに、親米だったクルド人がトルコの侵攻で圧迫されている(トルコ軍は撤退を発表したが、今回の侵攻でイラク領内に11カ所の基地を作っており、実は撤退していない)。スンニ派はシリアなどから抑制されている。イランによるシーア派取り込みと合わせ、周辺国がイラクに影響力を行使して安定化する体制が整いつつある。(関連記事

 これで今後、イスラエル周辺の戦争がレバノンやシリアに飛び火すれば、中東イスラム世界では反米世論がもっと強くなり、サウジが率いるGCCは世論に押されてドルペッグを止めざるを得なくなり、70年代のように多極派ロックフェラーがひそかに協力して石油ショックが再来し、ドルは下落し、石油価格高騰で非米同盟は強化され、米軍はイラクから追い出されていく可能性が大きくなる。

 すでに、イスラエルとハマスの戦争は、レバノン南部のヒズボラとの戦争に飛び火する兆候を見せている。3月1日、サウジアラビアやクウェート、バーレーンの政府は、レバノンにいる自国民に対し、ただちにレバノンから出国するよう勧告した。(関連記事

▼北朝鮮や台湾の動きも関係ある?

 米連銀のバーナンキやグリーンスパン、そしてその反対側にいるイランやロシアの動きを見ると、米英イスラエルの中東覇権を自滅させる中東大戦争と、米英の経済覇権を崩壊させるドル危機は同期して動いている。米の多極主義者は、米での過激な利下げ、イスラエルのガザ侵攻への誘導、GCCへのドルペッグ廃止勧告、コソボへの独立許可、トルコへの進軍許可、アハマディネジャドに対するイラク訪問容認などを通じて、中東大戦争とドル崩壊を同期させて動かしているような感じを受ける。

 同期しているのではないかと思われる動きは、中東以外の地域の出来事でも起きている。たとえば、3月2日に北朝鮮の金正日総書記が平壌の中国大使館を訪問し、6者協議について中国側に何かを伝えたことだ。この日、北京では米朝交渉が予定されていたが、そちらは北朝鮮代表が現れずに流会となった。だが、米朝中の3カ国間で、何か新たな動きが起きている感じはする。この分野で次に何か起きるとしたら、それはアメリカが北朝鮮を許し、北朝鮮の問題を中国に任せ、アメリカが東アジアから出ていく方向になる。(関連記事その1その2

 イギリスの新聞は3月3日、アメリカは以前から北朝鮮の核の脅威を誇張してきたと指摘する記事を出した。内容的には、私が以前に書いた記事などと比べてあまり新味はないが、イランやイラクの大量破壊兵器の脅威について新聞が「アメリカは誇張してきた」と指摘した後、米政府が誇張を認めるという展開が繰り返されてきただけに、北朝鮮でも同じパターンになる可能性がある。(関連記事

 中国の周辺では、北朝鮮が中国に任されると同時に、台湾の問題も中国に有利な方向で解決されかねない状況が強まっている。先日、中国を訪問したイギリスのミリバンド外相が、台湾の独立運動を非難する表明と、人権問題批判をオリンピックと絡ませてはならないとする中国支持の表明を、北京で発した。(関連記事

 従来、米英の覇権勢力にとって世界の敵は、ロシア・中国・イスラム世界の3つだった。今、米の多極化勢力の扇動の結果、3つの敵のうちロシアとイスラムが手を組み、米英の覇権を潰しにかかっている。米英の覇権勢力としては、残る一つの敵である中国がロシア・イスラム同盟に加担しないよう、中国に対して譲歩する必要がある。そして中国が米英に強く希望していることは、中国による台湾併合(最初は経済的、ゆくゆくは政治的な併合)の容認である。ミリバンド英外相の発言は、その意味で深い。

 1970年代、多極派のニクソン・キッシンジャーの中国訪問に対抗し、米英覇権派(冷戦推進派)は「台湾関係法」を米議会で通し、それ以来、多極派は親中国、米英覇権派は親台湾だった。今後、覇権派が台湾を見捨てて中国に譲歩すると、多極派にとっては戦略の大成功になる。



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