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米露の接近、英の孤立(2)

2008年3月25日  田中 宇

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 この記事は「米露の接近、英の孤立」の続きです。

 第2次世界大戦以来、イギリスの国家戦略の大黒柱は、欧米、特にアメリカをロシアと末永く対立させることだった。伝統的・地理的に、イギリスの世界戦略は「ユーラシア(ロシア、中国)包囲網」である。

 これに対し、ユーラシアとは別の北米大陸をほとんど占有しているアメリカの世界戦略は、もともと「各地域に代表勢力がいて、その勢力間で話し合って世界を安定させる」という「対ユーラシア不干渉主義(多極主義)」である。1890年代まで、世界はイギリスの覇権下にあったが、アメリカはこの時代、イギリスの覇権の外にとどまる姿勢をとっていた。

 その後、二度の大戦を経て、イギリスは覇権が弱体化した。だが同時にイギリスは、アメリカに覇権国としてのノウハウを提供し、1945年に第二次大戦が終わったときには、アメリカが覇権国になり、イギリスはアメリカとの「特別な同盟関係」を通じて、黒幕的にアメリカの覇権戦略を動かす存在になった。

 アメリカの政界や財界は、覇権国としての利権を享受できるようになったが、その見返りとして、アメリカの世界戦略はイギリス好みのユーラシア包囲網へと変質し、不干渉主義は孤立主義と呼ばれ、悪いこととされた。アメリカの国務省、諜報機関、ジャーナリズムやアカデミズムなどは、いずれも1945年までの50年ほどの間に、イギリスから考え方の基本を注入された上で発展し、学者や記者や官僚らの間では、イギリス的な世界戦略を語る人が「優秀」だという評価のされ方が定着していった。

 アメリカの伝統的な不干渉主義の世界戦略は、しつこく残っていた。第2次大戦後、アメリカは国連の創設を主導したが、そこでは世界の安定について談合する安保理事会の常任理事国として、米英仏のほか、ソ連と中国が選ばれ、アメリカの多極的な世界観が反映されていた。

 イギリスは、この体制を潰すため、50年かけて作った米国内の政財界やジャーナリズム、アカデミズムの親英派ネットワークを使って米国内の世論を「反共産主義」の方向に強く誘導し「赤狩り」キャンペーンなどで、ソ連や中国を容認する勢力を米主流から追放した。ソ連を封じ込めることが、アメリカの最重要戦略になったが、これはまさにイギリスにとって都合の良い戦略であり、アメリカの伝統的な不干渉主義とは正反対のものだった。

 アメリカのマスコミは「自由と民主主義を弾圧する共産主義をやっつけよう」という論調を喧伝し、米世論を反共の方向に持っていったが、この論調の「共産主義」の部分を「イスラム教」や「サダム・フセイン」に変えたのが、昨今のテロ戦争やイラク戦争の構図である。第2次大戦中は、この部分が「ナチス」や「軍国主義日本」だった。これらのすべての喧伝は、イギリスにとって都合の良い「米英による覇権主義」を実現し、アメリカ伝統の不干渉主義(対外寛容主義)を潰すものとなっている。

(テロ戦争やイラク戦争は、イギリスよりイスラエルにとって都合の良い戦略であるが、イスラエルは1970年代以来、アメリカを牛耳る技能をイギリスからもらってアメリカに食い込み、アメリカの戦略を「米英イスラエルによる覇権主義」の方向に引っ張るための、イギリスの代理勢力として機能してきた)

 冷戦が開始された後、欧米間の軍事同盟であるNATOが1948年に設立された、NATOは、米英同盟が西欧諸国を傘下に入れ、ソ連側と対峙するための同盟体であり「米英による覇権主義」を軍事面で具現化する組織として機能した。

 米英がNATOを作った直後、ソ連は支配下の東欧とともに、対抗組織として「ワルシャワ条約機構」を作ったが、これは米英に誘発された行為である。NATOとワルシャワ条約機構が永続的に対立し、アメリカは恒久的にイギリスの世界戦略を自国の戦略として採用し、西欧や日韓を傘下に入れ、ソ連や中国と対立し続けるという、イギリス好みの世界ができあがった。

▼ユーゴ紛争介入は冷戦復活を目指す戦略

 その後、1960年代にはケネディ大統領が米ソ冷戦を終わらせようとして暗殺され、1970年代にはニクソン大統領が中国訪問などで冷戦を終わらせようとしてウォーターゲート事件によって失脚させられた。

 60−70年代に、イギリスは国家としての衰退がひどくなり「政治活動家国家」ともいうべきイスラエルに、アメリカを牛耳って「米英イスラエル覇権主義」の戦略を維持させる役目を任せた。1980年代に、イスラエルに支援されてレーガン政権ができたが、レーガンは「英イスラエルの言いなりのふりをして、実はその逆」という、今のブッシュ政権がやっている策略の先鞭をつけ、ゴルバチョフと談合して冷戦を終わらせてしまった。

(またレーガン政権は最後の1年間で、本当は反イスラエルだが表向きイスラエルと和解するふりをしたPLOのアラファトを、亡命先のチュニジアからガザに帰還させ、パレスチナ国家を作る中東和平交渉をスタートさせた。当時から今まで、中東和平の隠された意味は、パレスチナ側に力を付けさせ、最終的にイスラエルを潰させることである。アメリカはイスラエルに「パレスチナ国家の首脳を傀儡化すれば怖くない」となだめたが、欧米に対する疑心暗鬼が消えないイスラエルは、いったん受け入れた和平構想を、90年代後半から拒否し続けている)

 冷戦終結とともに、アメリカでは「もうNATOは不要だ」という議論が強まった。EUは、経済統合を進めた後、政治・軍事統合への道を模索し始めた。90年代の米クリントン政権は、経済は金融の米英中心主義だったが、政治・軍事では米英中心主義を脱する方向をとり「欧州の防衛はEU統合軍を設立することで良いじゃないか」という隠然としたNATO不要論をとった。

 イギリスや、米軍事産業などアメリカの米英中心主義勢力は、90年代に起きた旧ユーゴスラビアの紛争を使って、欧米とロシアが対立する冷戦の構図を復活させようとした。旧ユーゴの中核をなすセルビアは、ロシアと同じスラブ民族の国であり、米英の扇動によって、ボスニアやコソボなど、セルビア人以外の旧ユーゴ内の諸民族が分離独立を希求するほど、セルビアを擁護するロシアと、周辺諸民族を擁護する欧米との対立が深まる構図だった。

 99年には、国連でのロシアの反対を無視し、NATOがセルビアを空爆した。米英中心主義勢力は、米軍の地上軍をコソボに派兵させようとしたが、クリントン政権は冷戦再発につながる泥沼化を恐れて拒否し、その後はコソボ問題をEUに任せる態度をとり、危機を棚上げして沈静化させた。

▼米英中心主義のためイラク参戦した英

 同時期に中東では、イラクのフセイン政権を許して制裁を緩和しようとするクリントン政権の動きを、イスラエル系の在米勢力が阻止しつつ「いずれアメリカでイスラム教徒のテロが起きる」という「テロ戦争」の構図を浮上させ、これらは2001年の911テロ事件で一気に現実化した。

 しかし、イスラエル系の勢力(ネオコン)の中には「イスラエルの代理人のふりをした、多極主義者の代理人」が混じっていたようで、03年からのイラク戦争は失敗続きで泥沼化し、開戦事由だったはずの大量破壊兵器は見つからず、テロ戦争はイスラム世界の反米感情を不必要に扇動し、イスラエルを不利にした。(開戦前から「イラクは大量破壊兵器を持っていない」と、イギリスの新聞などで報じられていた)

 米英イスラエル中心主義に基づく「新冷戦戦略」のはずだった「100年のテロ戦争」は、ブッシュ政権のやりすぎによって失敗していった。ブッシュ政権は02年に「単独覇権主義」の戦略を表明したが、これは「世界最強のアメリカには、あらゆる同盟が不要である」という宣言で、意味するところは「米英同盟や、NATOは要らない」という反英的な宣言だった。

 ブレア政権のイギリスは、アメリカを何とか米英中心主義の方向に引き戻そうとして、ブッシュの戦争にとことんつき合う戦略をとった。イラク戦争の直前、ブッシュはブレアに「米軍だけでやれるので、貴国は参戦しなくていい」と言ったが、ブレアは「ぜひ一緒に参戦させてくれ」と押し売りし、米英連合軍でのイラク侵攻となった。(関連記事

 ブレアは、一緒に参戦すれば、フセイン政権打倒後のイラクの統治は米英共同になり、アメリカの中東戦略を裏で牛耳る黒幕になれると考えたが、その見通しは甘かった。英軍はイラク南部だけを担当させられ、バグダッドでのイラク全体の政策決定はアメリカだけで進められ、イギリスは参加できなかった。

▼EU統合軍に取って代わられるNATO

 イギリスの米英中心主義戦略の破綻が色濃くなる中、アメリカはイギリスに「米軍はイラクに専念したいので、アフガニスタン占領をNATOでやらないか」と持ち掛けた。NATOの新たな役割を探しあぐねていたイギリスは、喜んでこの戦略に乗った。

 しかし、これは隠れ多極主義の米ブッシュ政権が仕掛けた、NATO潰しの罠だったようだ。「主な戦闘が終わっているので、NATOは復興支援だけやれば良い」という話だったのが、実際に2006年にNATO軍が駐留の主役になってみると、山岳地帯からタリバンが出てきて戦闘が激化し、NATOは窮地に陥った。ドイツなどはアフガンから撤退したがり、アメリカの新聞には「アフガンで失敗したら、NATOは解体を余儀なくされるだろう」といった、多極主義者のほくそ笑みのような解説記事が出るようになった。(関連記事その1その2その3

 そんな中で出てきたのが、今回の「ロシアがNATOのアフガニスタン占領に協力する」という、アメリカがロシアにこっそり提案し、ロシアが乗り、4月初めのブカレストでのNATOサミットで正式に協議される構想である。NATOは、ロシアの協力を得て窮地を脱するだろう。だが同時に、NATOがイギリスの「アメリカに欧米を主導させ、ロシアと対峙させる」という世界戦略のための組織だったことを考えると、ロシアに助けてもらった後のNATOは結束力を失い、解体に向かうことが予測される。

 イラク戦争後、EUは軍事・政治統合を加速している。05年には「EU憲法」の草案が加盟各国で国民投票や議会決議にかけられ、フランスとオランダの国民投票で否決され、一時は葬り去られたかに見えた。しかしその後、昨年になって、EU憲法とほとんど同じ内容のものが、今度は「リスボン条約」として検討され、昨年12月にポルトガルのリスボンで、EU加盟諸国の代表がこの条約に署名した。すでに多くの国の議会がリスボン条約を批准しており、05年に国民投票で否決されたフランスでも議会が批准決議を通した。(関連記事その1その2

 05年の「憲法」とは異なり、今回のは「条約」なので、国民投票は不要で、各国の議会での批准決議だけで発効できるのがポイントである。憲法と条約は、形式こそ違うが中身はほとんど同じで、EUに大統領と外務防衛大臣のポストを作り(すでにある名目的なポストを、実質的なものとして強化する)、これまでEU各国が個別に保有していた外交と軍事に関する国家主権を、EUに統合していこうとするものである。

 今の速度で進むと、EUは今後数年以内に、統合的な外交軍事戦略を持つようになる。EU軍の創設も進むだろう。すでに軍事統合の準備事務局のようなものが、ブリュッセルのEU中央にできている。実体的な兵力を持ったEU統合軍が立ち上がってきたら、もはや欧州にはNATOは必要なくなる。

 NATOがアフガニスタン占領を成功できていたら、今後EU軍が作られても、欧州の防衛はEU軍が担当し、欧州の周辺地域での安定維持はNATOが担当するという分担が成り立ち得た。しかしNATOのアフガン占領が失敗し、代わりにロシア中心のCSTOや、中露連携の上海協力機構が、アフガン・パキスタン・イランなどを取り込んで面倒見るという話になってくる今後は、アフガンなどの南アジアはNATOの管轄地域ではなく、露中やインドが面倒見る地域だという見方が強くなる。イランと、サウジアラビアなどアラブ諸国との結束も強まり、中東も今後は安全保障面で欧米から自立していくだろう。

 ユーラシア大陸の各地域は、地元の大国が中心になって安定維持や紛争解決をやっていくという多極的な覇権体制が浮上しつつある。ユーラシア全体を米英中心のNATOが面倒見て、米英を敵視するロシアなどを包囲するというイギリスの戦略は、存在する余地がなくなってきている。NATOがロシアの助けを受けてアフガンから撤退することは、NATOの「安楽死」を意味することになるだろう。同時に、イギリスが戦後60年間、アメリカを操って黒幕的に維持してきたユーラシア包囲網の戦略も終わり、アメリカはようやく昔の不干渉主義に戻れるようになる。

 戦後一貫して、ユーラシア包囲網の東の要衝だった日本も、その任を解かれ、世界の中での位置づけが変わっていかざるを得ない。日米同盟は解消の方向で、日本は中露を重視するようになるだろう。

▼EUもロシアと戦略対話

 最近、ブッシュ政権がロシアとの関係を改善していく方向をたどりだしたのと同期するかのように、EUとロシアは、06年から頓挫していた、欧露の新たな協調関係について話し合う戦略対話を、4月に再開することを決めた。欧露の戦略対話は、イラク戦争後、覇権主義を強めたアメリカを頼って、伝統的なロシア敵視の傾向を再燃させたポーランドとリトアニアがEU内の合意に拒否権を発動して潰し、EUとしてロシアに対して協調的な姿勢をとれなくなったため、頓挫していた。(関連記事

 しかし昨年、アメリカの覇権主義が破綻色を強め、ポーランドではアメリカを頼れないと考える世論が広がって、昨年末の選挙で政権交代が起こって反露・反独的な傾向が弱まった。東欧諸国では全体的に反露的な姿勢が沈静化し、EUはロシアと戦略対話の再開にこぎつけた。(ポーランドは、アメリカのイラク占領に全力で協力して派兵したが、アメリカはその見返りを何もくれなかった)

 ロシア近傍では、まだ反露的な姿勢を残すグルジアとウクライナがNATO加盟を強く希望しており、グルジアのサーカシビリ大統領は先週、訪米してブッシュ大統領に会い、NATO加盟への支持を取り付けた。しかし、ブッシュの約束は口だけだ。米政府の全体としては、ロシアの反対を押し切ってグルジア・ウクライナのNATO加盟を実現してやる気はない。EUの中核であるドイツとフランスは、ロシアの反対を重視し、両国のNATO加盟に反対している。(関連記事

▼イギリスのスパイだったオリガルヒ

 イギリスは、冷戦を起こして欧米にロシア敵視戦略をとらせただけでなく、冷戦後は、欧米中心の国際社会に入れてもらえるものと考えて、国有企業の民営化などの市場原理導入を進めたロシアを逆手にとって混乱させる戦略を続けた。

 冷戦後のロシアでは「オリガルヒ(オリガーキー)」と呼ばれる何十人かの新興財閥が登場した。彼らは、民営化される国有企業の株を巧みに買い漁り、石油や鉱物資源など、ロシアの主要な産業を買い占めた。彼らは、資金力を使って政界に入り込み、エリツィン政権の中枢に入ってロシア政府を牛耳ったが、その時期のロシアは国民が貧しくなり、治安は悪化し、ひどい状態だった。

 このロシアの窮状を救ったのが、2000年から大統領になったプーチンの政権で、主要なオリガルヒに相次いで脱税などの罪をかけて逮捕し、民営化のどさくさの中でオリガルヒが取得したエネルギーなど主要産業を没収し、再国有化した。オリガルヒの何人かは海外に亡命したが、その行き先はみんなイギリスだった(イスラエルに亡命した者も少数いる)。(関連記事

 オリガルヒの多くは、最初から企業の買収や経営の技能があったわけではなく、ソ連崩壊までは、技術者や教師など、企業の買収や経営とは全く関係ない仕事に就いていた。ノウハウのない彼らが、どうやって数年間で新興財閥にのし上がったのか。そして、プーチンに退治された後の亡命先が、なぜみんなイギリスなのか。

 おそらくオリガルヒたちは、イギリスが冷戦後のロシアを弱体化させておくために支援した勢力である。イギリスは冷戦時代から、イスラエルとつながりがあるユダヤ系ロシア人などを使って、ソ連国内にある程度のスパイ網を持ち、冷戦後はスパイ網を一挙に拡大させ、その過程で接点があった何人かのロシア人に企業買収の情報やノウハウ、資金などを供給し、オリガルヒとして台頭させたのだろう。オリガルヒの多くはユダヤ系だ。(関連記事

 エリツィンに評価され、2000年に大統領となったプーチンは、おそらく就任前から、オリガルヒを退治して、彼らが私物化していたエネルギーや鉱物資源の企業を没収して再国有化することを目標としていた。プーチンは諜報機関KGBの出身だから、イギリスがロシアでスパイをやったり、オリガルヒを使って混乱を助長していたことは、よく知っていたはずだ。強いロシアを取り戻すためには、イギリスによる破壊活動を止める必要があった。

▼イギリスとのスパイ戦争に勝つロシア

 米英がイラク占領に失敗し、世界的に外交力を失った2006年ごろまでには、プーチンはオリガルヒ退治を完了し、黒幕であるイギリスをロシアから追い出す戦略に着手した。イギリス系の石油会社が冷戦後にオリガルヒから買った石油開発権などを、次々と理由をつけて安く手放させ、再国有化した。

 昨年には、イギリスに亡命したオリガルヒであるベレゾフスキーの手下として動いていたロシア人リトビネンコが、放射性物質で謎の死を遂げる事件があったが、これも英露どちらが仕掛けたのかはわからないものの、英露のスパイ間の戦いであろう。ロシア政府は最近、モスクワなどにあるブリティッシュ・カウンシル(英政府の文化交流施設)が、スパイ行為を行っているとして閉鎖を命じた。これも英露のスパイ戦争であり、英マスコミが報じているような、ロシアによる無根拠な攻撃ではない。(関連記事

 3月19日には、イギリスの石油会社BPがロシア企業と合弁で作っているモスクワの石油ガス会社に、ロシア当局が強制捜査に入り、翌日にはロシア人従業員らがスパイ容疑で逮捕された。ロシア政府は、BPがロシア国内に持っている石油ガスの利権を没収(格安買い上げ)することを狙っている、と英側は考えている。この合弁企業の油田の産油量はロシア第3位で、BPは全社的な原油生産量の2割を、この合弁会社の油田から出している。(関連記事その1その2

 ロシア政府は、欧米全体を標的にしているように受け取られているが、必ずしもそうではない。BPの合弁会社がロシア当局に強制捜査され、対露投資を奪われる過程に入った翌日、フランスの石油ガス会社トタールの幹部は米AP通信社の取材に応えて「石油ガス部門におけるロシアの投資環境は安定している。ロシア政府のガス会社ガスプロムと、新たなガス田を開発したい」と述べている。(関連記事

 英露間のスパイ戦争は、2000年にプーチン大統領が就任するまではイギリスの優勢だったが、その後はロシアが巻き返し、今では完全にロシアの勝ちになっている。ロシアの次期大統領になるメドベージェフは、若いころからのプーチンの忠実な部下だから、イギリスを痛めつけるロシアの戦略は、今後も変わらないだろう。(関連記事

▼アメリカから距離を置き出したイギリス

 米ブッシュ政権は、表向きはイギリスに味方しているが、本質的にはロシアの味方である。米露が戦略対話を進展させ、NATOのアフガン占領の窮地をロシアに救ってもらうことでNATOの存在意義を消失させようとしていることが、ブッシュの「隠れ親露戦略」「ロシアを敵視しすぎることによって強化する戦略」を象徴している。

 イギリス政府は、昨年夏にブラウン政権になってから、アメリカとの関係を「特別な関係」と呼ぶことをやめている。イギリスにとってアメリカは「最も重要な諸国の一つ」に格下げされた。米英の外交官たちは、アメリカにとって欧州で最も重要な国は、イギリスからサルコジのフランスに交代したと指摘している。アメリカ国務省では「イギリスはすでに、わが国の外交的な視界からほとんど消えてしまった。ブラウンには失望した」と言われている。(関連記事

 この件を報じた英テレグラフ紙は、米英関係の悪化はブラウン新首相の個性に原因があると指摘しているが、そんなはずはない。イギリスにとって絶対的に重要な国家戦略は、アメリカと特別な関係を続け、アメリカを操ってイギリス好みの世界支配を続けさせることである。これができなくったら、イギリスは世界一の外交力を失い、単なるさえない中規模な国に転落する。英政府が「特別な関係」と言わなくなったのは、もうアメリカは二度とイギリス好みの戦略をとってくれないだろうと、英政府が考えていることを意味している。

 アメリカは来年から大統領が替わる。ヒラリーやオバマが当選したら、アメリカは以前のような、イギリス好みの「国際協調主義」を復活してくれるかもしれない。それなのになぜ、イギリスは緊密な対米関係を維持しないのか。これに対しては明確な答えはないが、ドイツのフィッシャー元外相は今年2月にすでに「誰が米次期大統領になろうと、アメリカが以前のような対欧協調路線に戻る可能性は非常に低い。アメリカは欧州(EU)が、アメリカに頼らず世界に責任を持つ(独自の覇権勢力になる)ことを望んでいる」と書いている。(関連記事

▼アメリカがダメならEUを牛耳る

 イギリスの黒幕的な世界戦略は急速に破綻している。だがイギリスはしぶとい。アメリカを牛耳れないなら、代わりにEUを牛耳ろうと動き出している。たとえば、今後EUが決める大統領のポストに、ブレア英前首相を推す話が出てきている。(関連記事

 また今後、米金融危機の中でドルが急速に価値を失い、代わりにユーロが国際基軸通貨になっていくかもしれないと予測されているが、それに呼応して「イギリスが通貨をユーロに切り替え、ロンドンがユーロ圏の金融の中心になる」という構想が出てきている。基軸通貨がドルからユーロに代わり、世界的な金融の中心をニューヨークからロンドンに戻す策略である。(関連記事

 しかしその一方で、ドイツは、ロシアとEUの関係を緊密にして、イギリスがEUを牛耳って反ロシア的な方向に持っていくことを阻止しようとしている。ロシアはすでに欧州が暖房用などに消費する天然ガスの3割を供給し、米英の新聞では「ロシアはEUをガスで縛り、反露的な姿勢をとれないようにしている」とロシア批判をしている。

 だが実は、ドイツはむしろロシアに縛られたがっている。ドイツは「ガスでロシアに縛られているので、イギリスが主張するような反露的な態度はとれない」と言えるからだ。フランスも、ドイツほどではないものの、親露的な態度をとっている。ロシアと欧米の関係がどうなるか、今年から2−3年間の暗闘の結果が、今後数十年の未来を決めることになるかもしれない。



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