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米とイランの急接近

2008年7月23日   田中 宇

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 7月19日、スイスのジュネーブ市庁舎で、イランの核開発疑惑をめぐるイランと国連側(米英仏露中の安保理5カ国+ドイツ。P5+1)との交渉が行われた。この交渉は、これまで「イランがウラン濃縮を止めない限り、交渉に参加しない」と言っていた参加を拒否していた米政府が、イランはウラン濃縮を止めていないにもかかわらず、バーンズ国務次官という国務省のナンバー3を出席させた点で画期的だった。

 アメリカは、1979年からのイラン・イスラム革命時、テヘランのアメリカ大使館をイラン人の革命派に占拠され、大使館員を1年近くも人質に取られた後、大使館を閉めてイランと国交断絶した。それ以来、米政府は、国務次官のような高官をイランとの交渉に出席させることを拒否してきた。

 それまで、イラン空爆も辞さずと言っていた米政府が、突然にバーンズの出席を発表したことは世界を驚かせた。だが、そんな鳴り物入りで行われた7月19日のイランと国連側の交渉で、イランのジャリリ代表は、以前の交渉時のような刺々しい表現は放たなかったものの、ウラン濃縮を止めると言わず、交渉で新たな前進はなかった。米政府は、今回のバーンズの出席は例外的な「傍聴」であり、イランがウラン濃縮を止めない限り、次回の出席はないと言っている。(関連記事

▼トルコ仲裁で米イラン交渉

 バーンズの出席は、意味のないことに終わりそうにも見える。分析者の間からは「ブッシュ政権は、自分たちが参加しても交渉はうまく行かないことを世界に示し、空爆への道筋をつけたいだけだ」という見方も出ている。だが、米とイランの交渉は別の場所でも行われており、そちらも含めて見ると、ブッシュ政権は本気でイランと和解するつもりではないかと思えてくる。

 ブッシュ大統領の外交顧問(安全保障担当大統領補佐官)であるスティーブン・ハドレイは7月17日−18日、緊急にトルコを訪問し、トルコのババジャン外相らと会談した。同時期にイランからはモッタキ外相がトルコを訪問し、ババジャン外相と会っている。ハドレイとモッタキが直接会談したかどうかは、報じられていない。その後、7月19日にジュネーブで国連側P5+1との交渉を終えたイランのジャリリ代表(イラン国家安全保障委員会事務局長)も翌20日、イランへの帰途にトルコに立ち寄り、ババジャン外相と会っている。(関連記事その1その2

 これらの出来事からは、アメリカとイランが、国連P5+1の交渉とは別に、トルコ政府の仲介によって2国間の交渉を始めたことがうかがえる。ババジャン外相は7月17日、トルコはイラン核開発疑惑の問題解決のための仲裁役を果たしたいと表明した。トルコ政府は以前から「イランはIAEAの査察も受けており、原子力開発の一環としてウラン濃縮を続行する権利を持っている」と、イランを支持する表明を発し続けてきた。米がイランとの仲裁をトルコに頼むことは、米にとって姿勢の大転換である。(関連記事

 トルコでの米イランの交渉内容については全く報じられていないが、ハドレイがトルコに向かう直前、米政府がテヘランに外交代表部(大使館より格下の施設)を30年ぶりに再開する検討をしているという記事が出た。イランのモッタキ外相は7月19日、トルコでの記者会見で、米側との協議によって、テヘランの米代表部の再開と、米イラン間の航空会社による直航便の再開が実現するかもしれないと述べている。(関連記事その1その2

 ジュネーブでのイランと国連側との交渉で、米はイランに対し、2週間以内にウラン濃縮を止めることを求めた。その一方で、米はイランに対し、トルコ仲介のルートで、イランの米外交代表部の再開と米イラン間の直航航空便の再開の可能性を伝えた。これらを総合すると、米はイランに対し「2週間以内にウラン濃縮を止めれば、外交代表部と直航便を実現してやる」と持ち掛けたと推測できる。

 イランがウラン濃縮を停止すれば、米がイランと国連側との交渉に参加するための条件が満たされ、バーンズ米国務次官は、次回の国連側とイランとの交渉に「傍聴」ではなく、正式な交渉メンバーの一人として参加できる。英ガーディアン紙の記事によると、米政府は8月に、イランでの外交代表部の再開を発表する予定だという。今後2週間でイランがウラン濃縮を止めれば、見返りとしての外交部再開の発表は、ちょうど8月に行われることになる。(関連記事

▼米政府の変節

 今回のイランと国連側の交渉は、もともとアメリカが主役ではない。国連側のまとめ役は、EUのソラナ外交代表(外相)がやっている。イランの核施設はIAEAによって監視されているが、ウラン濃縮が核兵器用の高濃度まで高められている兆候はない。だが米政府は「イラクの核兵器開発を止めさせるために空爆も辞さず」と言い、イランが濃縮停止を拒否すると知りながら「ウラン濃縮を止めない限り、アメリカは交渉の席にはつかない」と言い続けた。仕方がないのでEUが主導して、イランに何とかウラン濃縮を止めさせようとしてきた。

 EUは今年5月、イラン核問題に関する新しい交渉の道筋を提案した。最初の段階として、イランは新規の原子力開発を行わない見返りに、国連側は新規の対イラン制裁を行わない期間を設け、その間に予備交渉を行う。それが成功したら、本格交渉として、イランがウラン濃縮を停止する見返りに、国連側は制裁を段階的に解除し、対イラン支援を再開して、対立を解消していくシナリオである。イランがウラン濃縮を停止した後の本格交渉になってから、米を参加させる構想だった。(関連記事

 EUが新提案をしたのと同時期に、問題解決を阻止するために謀ったかのように、米イスラエルから「近くイランを空爆する」というメッセージが次々と発せられた。イランは態度を硬化し、交渉は頓挫した。(関連記事

 しかしその後、6月下旬から再び情勢は転換し「米政府がイランに対する態度を軟化しそうだ」「外交代表部の再開が米国務省で検討されている」と報じられ初め、6月30日には、イラン政府高官がイラン議会で「P5+1との交渉を始めるため、ウラン濃縮を6週間止めることに同意した」と表明した。(関連記事その1その2

 この時期、イスラエルとイランが相次いで軍事演習をやっており、まだ世界のマスコミは、今にも米イスラエルとイランが戦争になりそうな雰囲気を報じていた。だが、イランのアハマディネジャド大統領は、7月8日に「イランが(欧米から)虐められる時代は終わった」と宣言している。(関連記事その1その2

 7月19日のイランと国連側の交渉は、EUのシナリオに基づくところの予備交渉にあたる。もともと、米代表の参加は期待されていなかったが、そこにバーンズ国務次官が「傍聴者」として出席した。これによって、米の態度変更が明確に感じられ出した。

▼効かない金融制裁

 米政府はこの間、イランに対する経済制裁や、高官による空爆の可能性への言及といった好戦的な態度が目立ったが、その一方で、目立たない形で、イランに対する融和的な態度を少しずつ見せていた。たとえば5月から6月にかけて、米政府はEU主導のイランとの新交渉提案を潰すかのように、対イラン金融制裁を強化したが、その一方で米ライス国務長官は、EU主導の新交渉提案の文書に署名している。米高官が国連側の交渉提案文に署名したのはこれが始めてで、イラン側は提案文にライスの署名が載っているのを見て期待感を持ったと指摘されている。(関連記事

 つまりアメリカは、以前からイランと前向きな交渉をする姿勢をイラン側に対してほのかに見せており、ここにきて前向きな姿勢をにわかに前面に押し出したという展開になっている。米政府は今でも、融和策と強硬策を同時にやっている。米政府は、外交代表部や直航便の再開といった融和策を見せたのと同時期に、イランが2週間以内にウラン濃縮をやめない場合、金融制裁を強化すると発表した。米議会でも、対イラン追加制裁が審議されている。(関連記事その1その2

 米政府が融和策と強硬策を同時にやるのは、イランになめられないための戦略という見方もできるが、その見方は間違っている。米の対イラン強硬策の中心にある金融・経済制裁は、大した効果を挙げていないからである。米政府は対イラン制裁として、米企業がイランの銀行と取引することを禁止し、米の年金基金などに対し、イランと取引している世界の企業の株や債券を買うことを制限している。しかし実際には、米からイランへの輸出総額は、ブッシュが大統領に就任して以来の7年間で10倍に増えた。(関連記事

 米はイランの銀行を制裁しているが、欧州諸国は同様の制裁を行っていない。イランとの貿易関係が最も強いドイツを筆頭に、EUは金融制裁に賛成していない。「イランは核兵器を開発している」という米の非難は無根拠な濡れ衣なのだから、EUが制裁に賛成しないのは当然だ。米企業はEU経由で、簡単に自国の禁輸政策を迂回してイランに輸出できる。イラン経済は不調だが、1990年代前半に経済制裁されたイラクが飢餓状態になったのに比べると、今のイランは制裁の悪影響が格段に少ない。(関連記事その1その2

 米による金融制裁の効果が薄いので、米から「2週間以内にウラン濃縮を止めないと制裁を強化する」と言われても、イランはあえて2週間の期限を無視し、強気の姿勢を示すかもしれない。だが、米が制裁を強化しても大して意味はなく、米は結局のところ、イランとの交渉を持続せざるを得ない。イランは優位に立っている。

▼ライスやゲイツは国際協調派ではない

 米政府が対イラン融和策と強硬策を同時にやっているのは、イランになめられないようにするためではなく、おそらく、米政界とイスラエルの対イラン強硬派を煙に巻くためである。

 しかもこれは、よく指摘されているような「融和派のライス国務長官・ゲイツ国防長官と、強硬派のチェイニー副大統領の対立の結果」などというものでもない。ライスらは、イランと北朝鮮に対しては融和策を進めているが、対ロシアでは、ロシアを激怒させる好戦的な戦略を加速している。ライスは、チェコ政府と迎撃ミサイル設備の配備について協約を締結した。ゲイツは、ロシアと敵対するグルジアの軍隊を米軍が訓練する介入を開始している。

 ライスやゲイツが融和的な現実派(国際協調派)であるとしたら、米の世界覇権を維持するため、ロシアと仲良くしてメドベージェフ新大統領を取り込もうとするはずだ。しかし実際には逆に、米との協調を期待するメドベージェフを怒らせ、アメリカに失望させ、反米的にしている。米の東欧への迎撃ミサイル配備への報復として、ロシアがキューバに原爆搭載可能な戦闘機を配備するかもしれないと露紙が報じている。(関連記事

 チェイニーやネオコンは、失敗する強硬策を過剰にやって米英の覇権を衰退させ、中露などBRICを台頭させて、従来の米一極支配・欧米中心の国際政治体制を、欧米のほかにBRICなど、より多くの国々が立ち並ぶ多極的な状態へと拡大均衡させたい「多極主義者」である。ライスやゲイツも、その勢力の中にいて、上司であるチェイニーと演技の役割分担をしているだけだ。

(事態は冷戦と似ているが、今回は欧州が米の側につかず、米の孤立が強まるだけに終わる。欧州は、米の支援が不可欠だった大戦直後とまったく違い、自立した主権地域である。欧州は経済面でも、中露との取引が重要になっている)

▼対イラン強硬策はイスラエルのため

 1980年代以来、米政府の対イラン強硬策は、主にイスラエルのためにやってきた政策である。イスラエル右派は70年代後半に米政界での影響力を拡大し、1979年のイラン・イスラム革命と、その直後のテヘラン米大使館人質事件を誘発し、イスラエルに有利な中東戦略を米にとらせた。イランでは、親米反イスラエルのパーレビ国王(シャー)の政権が倒され、反米反イスラエルのイスラム主義ホメイニ政権ができた。米イラン間の敵対が強まったが、米は人質占拠事件でイランの大使館を失っており、イランについての諜報はイスラエルに頼らざるを得なくなった(イランには多くのユダヤ人が住んでいた)。

 イランは革命後、イラクとの8年間のイラン・イラク戦争に入り、中東でイスラエルにとって最も脅威だったイランとイラクは相互の戦争で自滅的に弱体化した。1990年代には、米クリントン政権がイランとの和解を模索したが、米政界では依然としてイスラエル右派の支配力が強く、対イラン制裁解除は許されなかった。2001年の911後、米は完全にイスラエルの支配下に置かれたかに見えたが、実際にはブッシュ政権は、イスラエル好みの好戦的な中東戦略を過激にやりすぎることで、イスラム主義の台頭、イランとヒズボラ・ハマス・シリアの結束など、イスラエルにとって致命的に不都合な事態を引き起こした。イスラエル右派の中に「隠れ反イスラエル」的な二重スパイ勢力が混じっているのだろう。

 世界のユダヤ人社会は、表向き「一枚岩のかたい結束」を演じているが、裏ではイスラエル建国前から、活動家的なイスラエル建国派=シオニストと、黒幕資本家的・親ディアスポラ的な建国反対派とが対立暗闘してきた。チェイニーはシオニストに人気だが、それは騙しの成果であり、実際には黒幕資本家側の人だろう。黒幕資本家は、ロスチャイルド系のヤコブ・シフがロシア革命に資金援助したころから、ロシアや中国を強化し、イギリス(のちに米英)中心の世界体制を壊して多極化する拡大均衡戦略を進めていたが、何度もイギリスに阻止された(冷戦など)。

 イラク侵攻後、チェイニーの過剰好戦戦略は、イスラエルにイランを攻撃させ、イラン・シリア・ハマス・ヒズボラがイスラエルに報復して中東大戦争を起こし、イスラエルを潰す試みになった。イスラエル政府は、いったんはチェイニーに騙されて06年にヒズボラと戦争し、一時は自滅の道に引っ張り込まれかけたが、ゴルダ・メイア以来の英雄的女性指導者と目されるツィピイ・リブニ外相らの活躍によって、自滅的戦争を何とか食い止めた。イスラエル政界では、右派の野党リクードは好戦的で、チェイニーやネオコンなど米の右派とつながっているが、今のイスラエル政府・オルメルト政権は、2005年にリクードを捨てて中道化したシャロン前首相の流れをくむ現実派である。

 イスラエル政府は最近、トルコの仲裁を得て今春から開始したシリアとの和解交渉の工作、ハマスとの相互停戦の実現、ヒズボラとの捕虜交換といった、周辺各勢力との緊張緩和・情勢安定化戦略を進めている。チェイニーらは、イスラエルのオルメルト首相が、米のユダヤ系財界人から賄賂的な資金を受け取っていたことをイスラエル捜査当局に流し、自滅の道から脱出しようとするイスラエル政府を汚職スキャンダルで潰し、リクードに政権を交代させ、戦争を再発させようとした。

▼イランを許してイスラエルを不利にする

 しかしオルメルトは辞任せず粘り、7月16日には、ヒズボラとの捕虜交換を実現し、着々とイスラエル周辺の緊張を緩和する作戦を進めている。ガザのハマスは、停戦協定を破ってロケット砲をイスラエルに撃ち込むガザ内の他のイスラム武装勢力を逮捕するなど、和平を維持する気運を強めている。イスラエルは、シリアとの和解工作も進め、最近ではシリアが、パレスチナ自治政府・ハマスとイスラエルの3者間の和解を仲裁する構想を出すまでに至っている。イスラエルの和平策は軌道に乗りそうに見える。(関連記事

 イスラエル政府は、米を無視して周辺勢力との和解を進め、チェイニーが画策する「イスラエルにイランを攻撃させる」という策略は失敗する可能性が高まっている。そこでチェイニーら米政府中枢は、軌道に乗りそうなイスラエルの和解策を壊すため、アメリカ自らがイランと仲直りしてしまう新戦略を採り始めたのではないかと考えられる。

 ヒズボラ・ハマス・シリアという、イスラエルと隣接する3つの敵対勢力は、いずれもイランからの支援を受けている。イスラエルは、この3勢力と和解することでイランから遠ざけ、同時に欧米には長期の対イラン経済制裁を実施させ、90年代のイラクのように経済難による弱体化に陥らせ、イランとの敵対に勝つことをめざしている。

 欧米がイランを悪者扱いしている限り、イスラエルが3勢力と和解することは、3勢力をイランから引き離す方向に誘導する。しかしそこで、欧米の中心にいるアメリカがイランを許してしまうと、3勢力はイランと関係を疎遠にする必要がなくなる。3勢力はイランとの親しい関係を保ったまま、イスラエルから譲歩を引き出せるようになり、優劣が逆転する。イスラエルが3勢力と和解しかけている最中に、アメリカがイランを許すことは、イスラエルの策略を失敗させる動きである。

▼米軍イラク撤退でイスラエルの孤立

 3勢力は、イランやロシアから武器を得て武力を強化している。イスラエルは、3勢力と有利な和解ができなくても、戦争による「武力的解決」に転じることが、しだいに難しくなっている。

 イスラエルは外交交渉に頼らざるを得ないが、外交の優劣関係も、しだいにイスラエルに不利になっている。イスラエルが唯一絶対の後ろ盾としてきたアメリカは、中東から撤退する傾向にある。米軍がイラクから勝利感を持って撤収できる可能性は、すでにほとんどゼロだ。米政府は最近、イランとの和解を標榜し始めたのと同時期に、イラク政府との間で米軍の撤退期限を定めることに初めて同意した。(関連記事その1その2

 米はイラクに大義なく侵攻し、人口の5%にあたる100万人の市民を殺した。米の暴挙の裏にはイスラエルがいる。イラク人は、米イスラエルを許さない。米軍撤退後のイラクは、反米反イスラエル・親イラン・イスラム主義的な国になる。(関連記事

 米政府と議会はイスラエルの圧力を受け、イラク撤兵を延期し続けるかもしれないが、延期するほど、米は財政的・軍事的・国際政治的に疲弊を強める。イラク撤退後、中東における米の影響力は劇的に低下するだろう。今はまだ親米のエジプトやサウジアラビアの政府も、親米を維持しにくくなる。イスラエルは取り残され、政治的に弱い立場に置かれる。

 今後イスラエルは、優勢になるイスラム諸国側が出している条件を飲むことによってしか、和平と安定を実現できない。イスラム側の条件は、2002年のサウジが出した和平案におおむね集約されている。その骨子は、イスラエルが1967年の中東戦争で占領したすべての地域(東エルサレム、西岸、ガザ、ゴラン高原)から完全に撤退する代わりに、イスラム側はイスラエルを国家承認して外交関係を結ぶ、というものだ。

▼右派を退治しない限り和平できない

 イスラエルは、すでにガザからは2005年に撤退したが、東エルサレムと西岸では、今も新たな住宅建設が続き「絶対に立ち退かない」と宣言する右派勢力の入植が拡大されている。イスラエル政府内には、入植地を縮小すべきだという意見も多いが、住宅省の権限を握り続ける右派は、勝手に入植地を拡大している。入植地を警備する軍の中にも右派が多い。イスラエルが今後、占領地からの撤退というイスラム側の条件を満たすためには、イスラエル政界の現実派が、右派を圧倒して弱め、入植地の住民を追い出して撤去していく必要がある。それは非常に難しい。

 困難を乗り越えてイスラエルが入植地を撤去し、占領地から撤退したら、旧占領地にパレスチナ国家が作られ、とりあえず和平は実現する。しかしその場合でも、和平は恒久的なものになりにくい。

 イスラエルの領土として恒久的に認められるはずの地域にも、1948年のイスラエル建国戦争までは、アラブ人(パレスチナ人)が住んでいた。彼らとその末裔の多くは、今もレバノンやシリア、ヨルダン、ガザの難民キャンプに住んでいる。難民になって60年たっても、彼らはレバノンとシリア(2カ国合計で90万人)では、国民として認められず、難民のままである(イスラエルとの戦いを先鋭化するためのアラブの戦略)。

 西岸やガザでなく、イスラエルが1948年の建国時にパレスチナ人から奪取した地域に家を持っていた人々の末裔は、イスラエルが67年に奪取した地域だけ返還して許されることに反対するだろう。イスラエルがアメリカの後ろ盾を失って弱い立場になるほど「48年に奪った地域もパレスチナ人に返せ」という要求が強まる。

▼「ユダヤ人国家」の廃止へ

 現実策として、パレスチナ人難民は、難民化する前に住んでいた場所に戻り、イスラエル国民になることが許されるかもしれないが、その場合、100万−200万人のパレスチナ人が、イスラエル国民になる。現在のイスラエルは550万人のユダヤ人と、150万人のパレスチナ人(アラブ人)などから成り立っているが、ユダヤ人よりパレスチナ人の方が出生率がはるかに高い。そこに帰還難民が加わる。

 難民の帰還によってイスラエルのアラブ人口は300万人程度になり、その後も出生によって増加し続けると、2050年ぐらいには、イスラエルの国民は、ユダヤ人よりアラブ人の方が多くなる。イスラエル政界ではアラブ人政党が強くなり、いずれ、パレスチナ国家との併合を決議するとか、イスラエルという国名をパレスチナに変えるとか、ダビデの星の国旗をやめてアラブ風にするとかいう動きが始まる。今のイスラエルは「ユダヤ人の国」という国是を持つが、それはいずれ廃止される。ユダヤ人は引き続きイスラエルに住むことができるだろうが、ユダヤ人国家を作るという「シオニズム」の運動は、失敗に至る。

 イスラエルでは以前から、シオニズムの破綻を指摘する主張がちらほら出ている。ユダヤ人とパレスチナ人は共存していくしかないという主張に加え、聖書と歴史が合致しているというウソの主張を裏づけるため、シオニストがイスラエルの古代遺跡の発掘物を捏造しているといった指摘もある。(関連記事その1その2

 シオニスト右派は、シオニズムの破綻を許さないだろう。中東での米の影響力が低下していく中、外交で問題解決していこうとする限り、ユダヤ人国家性が失われ、シオニズムが破綻する可能性はしだいに高くなる。外交ではダメだとすれば、米軍がイラクに駐留している間に、米軍を恒久的に中東に引き留めておくための方策を、シオニストの側でとらねばならない。最もありそうな方策は、イランと米軍との戦争を開始し、イスラエルの楯となってくれる米軍を、できるだけ長く中東に駐留させておくことである。

 そのように考えると、イスラエルがイランを空爆し、それによって米イラン間が開戦する可能性が、まだ残っている。米がイランと和解する見通しが急に強まった7月18日、イスラエル出身の歴史家ベニー・モリスは「米大統領選挙が行われる今年11月から、ブッシュの任期が終わる来年1月までの間に、ほぼ確実に、イスラエル軍がイランの核施設を空爆する」と予測する記事をニューヨークタイムスに出した。(関連記事

 イスラエル軍内では右派が強いので、軍は政府の許可を得ずに戦争を開始しうる。2006年のレバノンでの戦争で、イスラエル空軍は100万発のクラスター爆弾をばらまき、国際社会から非難されたが、ばらまきが開始されてから2週間、イスラエル政府はそのことを知らず、欧州諸国から非難されて初めて、政府は自国軍が勝手にクラスター爆弾をばらまいていることを知ったという事実が、最近報じられた。昨年9月のシリア空爆も、その後のイスラエル政府の奇妙な沈黙から推察すると、イスラエル軍が勝手にやったことかもしれない。(関連記事

 イスラエルがイランを空爆して中東大戦争になると、イスラエルの自滅が早まる。イスラエルの人々にとって、良いことは何もない。いくら好戦的な右派とはいえ、そんな馬鹿げたことをするはずがないとも思える。しかし、チェイニーら米の右派は、イランと戦争させてイスラエルを潰したいはずだ。イスラエルの右派がチェイニーらに扇動され、クーデター的に対イラン開戦を挙行する懸念は、まだ残っている。



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