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消えゆく中国包囲網

2010年6月27日   田中 宇

この記事は「米中は沖縄米軍グアム移転で話がついている?」(田中宇プラス)の続きです。

 6月24日、日本政府が日本の最西端にある沖縄県与那国島の周辺で、上空に設定されている「防空識別圏」を西側に14海里(約26キロ)移動した。防空識別圏とは、各国政府が、領空(海上では領土から12海里までの範囲)の少し外側(通常は領空から2海里)までを識別圏として設定し、外国の飛行機が許可なくそこに入ってきたら戦闘機がスクランブル発進するなど防衛策をとるために設定された空域だ。外国機は、ある国が設定した防空識別圏に入る前に、その国の当局に通知する必要がある。

 与那国島周辺の半径12海里の空域は日本の領空であり、その2海里外側の、島から半径14海里の楕円形の空域に日本が防空識別圏を設定することは、ずっと昔に行われていても不思議ではなかった。しかし戦後日本を占領した米国は、日本の防空識別圏の西端を、ちょうど与那国島の上空を南北に通る東経123度に設定し、その東側は台湾(中華民国)の防空識別圏と決めた。そのため、与那国島の西半分の上空は、日本の領空だが台湾の防空識別圏に入るという変則的な状態になった。与那国島から台湾まで110キロである。 (Japan extends ADIZ into Taiwan space) (与那国島周辺の防空識別圏の地図

 1970年代まで、台湾(中華民国)と日本は、ともに米国の軍事力の傘下にあり、中国(中華人民共和国)に対抗する同盟国だったから、日本の領土の西端が台湾の防空識別圏に入っていても特に問題なかった。72年に与那国島を含む沖縄県が日本に復帰するとともに、米国はニクソン訪中によって、台湾を捨てて中国と国交正常化していく道を歩み出し、日本は中国と国交を樹立して台湾と断交した。だが米国はその後、中国と台湾の関係についてどのような態度をとるか曖昧にしておく戦略をとり、日本もそれに従ったため、与那国島の防空識別圏の問題でも、日本政府は、終戦直後に米国が決めたとおりに放置して変更を加えない方針をとった。

 その後、台湾政府が、自発的に与那国島から半径12海里の半円形を自国の防空識別圏から外して運営していることがわかった。与那国空港はジェット機対応となり、台湾からの旅客機も飛来するようになって、地元の与那国町や沖縄県は、与那国島の西半分の周囲に日本の防空識別圏を拡大してほしいと要請し、日本政府も必要性は認めたものの動かなかった。 (与那国島、防空識別圏から外れる 日台間で認識にズレ

 それが、鳩山政権末期の5月後半になって日本政府は、与那国島西側の防空識別圏を拡大する方針を決め、台湾政府に伝えた。台湾側は、これまで与那国島周辺を自国の防空識別圏から自主的に除外していたにもかかわらず、もともと反日傾向のあった国民党議員らが日本を激しく非難し、馬英九政権は日本からの要請を拒否すると発表した。もともと防空識別圏の設定は、その国が他国の許可を得ずに宣言することができる。日本政府は、台湾と国交がないことも口実にしつつ、台湾政府の拒絶を無視し、6月24日に与那国島西側の防空識別圏の拡大を正式決定した。 (Taiwan has turned down Japan's ADIZ request

▼「第3次国共合作」との関係

 この話を日台関係だけでとらえると、馬英九政権になって国民党の反日勢力が強くなったとか、親中国の国民党政権が日本にいやがらせをしたという、ありきたりな論評にしかならない。だが、前回の記事に出てきた「第1列島連鎖」(第1列島線)の関連や、その背後にある米中関係の大枠を見ていくと、今回の日本政府の決定が、もっと大きな話であることがわかってくる。 (◆米中は沖縄米軍グアム移転で話がついている?

(前回の記事執筆後「第1列島連鎖」より「第1列島線」の方が一般的に使われている名称とわかったので、ここから先は「第1列島線」の方を使う) (第1、第2列島線の地図) Geographic Boundaries of the First and Second Island Chains

 もともと第1列島線、第2列島線は、米国とその同盟諸国が形成する中国包囲網に、中国軍が対峙・突破するために、中国側が作った概念である。第1列島線は、台湾の東側を南北に通っており、日本と台湾の防空識別圏の境界線として設定されている東経123度に沿っている。

 そして、前回の記事で説明したとおり、米国は、台湾が中国に取り込まれていくことや、中国が第1列島線の内側(西側)に米軍の軍艦や軍用機が入ってきて遊弋することを禁じる傾向を強めそうであることに対し、それを黙認する態度をとっている。米軍は、第1列島線にある恒久基地つまり日韓の基地を放棄し、第2列島線つまりグアムの基地まで撤退せざるを得ないと考えている。

 米国はまだ、台湾に武器を売る姿勢をとっているが、経済面では、すでに台湾は中国に取り込まれている。6月29日には、中国の重慶で、台湾と中国の政府が、自由貿易協定にあたる「経済協力枠組み協定」(ECFA)を締結する。協定は第一段階として、台湾から中国への539品目の輸出と、中国から台湾への267品目の輸出の関税を引き下げる。台湾の国民党政権は「これは経済の協定であって、政治的な影響は何もない」と強調するが、中国側は「台湾側には、ほしいものをすべて与えている。台湾が中国の2倍の関税引き下げ品目を得ることは中国側の譲歩の結果だ。中国が台湾と『一つの家族』であることを重視して譲歩した」と言っており、政治的な駆け引きであることを示唆している。 (China seeks political win with Taiwan

 そもそも、中台の自由貿易協定の調印が四川盆地の重慶で行われることに、非常に政治的な感じが込められている。重慶は第2次大戦中、日本と戦う国民党(中華民国)の臨時政府が置かれていた(重慶は日本軍が到達しにくい山奥の盆地にあり、米国は西の英領ビルマから軍事物資を送り込んで国民党を支援した)。国民党は、国民党と共産党の協調体制である「国共合作」で共産党の協力を得て日本軍と戦い、1945年10月の日本敗戦直後には、米国の仲裁によって、重慶で国民党(蒋介石)と共産党(毛沢東)が話し合い、日本の敗戦後、国民党と共産党が連立政権を作る国共合作の新生中国を作っていくと決めた「双十協定」も結ばれている。 (History in the making as Taiwan, China prepare to sign deal

 その後、国共両党の合作(協調)体制が崩れて国共は内戦に突入し、共産党が勝って49年に中華人民共和国ができた。国民党は台湾に逃げ、冷戦体制の中で国共は鋭く対立し続けた。今回、国民党と共産党が重慶に集まり、経済限定ではあるが「第3次国共合作」ともいうべき65年ぶりの協調体制に入ることは画期的なことであり、十分に政治的な話である。(国共合作は1924年にもソ連の仲裁で行われており、今回が3回目となる)

 現在、台湾の全輸出の4割近くが中国向けであるが、今後、中台の自由貿易体制が定着すると、この割合はもっと増える。台中間の人的交流もさらにさかんになる。近い将来、台湾の輸出の半分以上が中国向けになり、台湾は、たとえ反中国・台湾独立派が強い民進党が政権をとっても、中国と縁を切れなくなる。民進党は、反中国や台湾独立の旗印を下げていかざるを得ない。すでに中国側は今回の貿易協定で、民進党の支持者が多い台湾南部の農家が中国に輸出してくる農産物を重点的に非関税化して、南部農民を経済的に取り込む策略を採っている。

 今後もし中国と米国の対立がひどくなっても、台湾が積極的に親米・反中の立場をとる可能性は低い。台湾総統(大統領)の馬英九は、米国に対してF16新型戦闘機などの武器を売ってくれと依頼してはいるものの、同時に「台湾のために戦争してくれと、米国にお願いすることは決してない」と米テレビのインタビューで述べている。「米国が、中国の脅威から台湾を守る」という体制は、すでに消失している。 (The path to eventual unification with China

▼台湾が中国に取り込まれる準備としての防空識別圏拡大

 このような台湾・中国・米国の現状をふまえた上で、再び視点を与那国島の防空識別圏の話に戻すと、今回の日本政府の防空識別圏の拡大が「台湾が中国に取り込まれた後の、日本と中国の境界線、米国と中国の影響圏の境界の明確化」を意味していることが見えてくる。

 冷戦体制下では、日本と台湾の境界線は、軍事的に重要でなかったが、中国が台湾を取り込んだ後には、中国の事実上の国境線が与那国島のすぐ西側までやってくる。米国と中国の影響圏の境界線は、台湾海峡から、与那国島の西側(東経123度、第1列島線)に移る。今後の日本と中国、米国と中国の関係は、冷戦体制下よりも敵対が薄れ、協調関係や「米中G2」(多極型世界分割)の状態に近づくものの、日中や米中は、完全な同盟関係ではない。そのため、日中の境界線となる与那国島の西側の線は、かつての日台の境界線だったときよりも、厳格に規定しておく必要がある。領空だが防空識別圏ではないという変則的な空域が境界線に存在したままでは困る。

 だから日本政府は、台湾が中国に取り込まれていく流れを加速する6月29日の重慶での「第3次国共合作」的な中台の自由貿易協定の調印の5日前にあたる6月24日に、与那国島の西側を日本の防空識別圏に編入したのだと考えられる。

 その上で残る謎は、なぜ台湾の国民党政権が、これまで自発的に与那国島の西側を台湾の防空識別圏から除外していたにもかかわらず、日本政府が、そこに日本の防空識別圏を設定すると通告したら猛反対して拒絶したのかという点である。これも「国共合作」の歴史的故事をふまえて考え直すと、見えてくるものがある。

 第2次大戦中の第2次国共合作は、日本の中国進出(侵略)との戦いが目的だった。日本を共通の敵として、国民党と共産党が協力し合った。今回の第3次国共合作では、日本は関係ない。だが、戦時中からの流れで(あるいは日本帝国時代の台湾人とその末裔が支持者に多い親日傾向の民進党に対抗するかたちで)反日の傾向を持つ台湾の国民党政権としては、今のタイミングで思い切り反日を扇動し、台湾の世論を反日の方向に振っておいて、その間に重慶で中国と自由貿易協定を結んでしまえという、ナショナリズム的な戦略をやっていると考えられる。

(実は、台湾と中国の経済関係には、間接的に、日本が大きな役割を果たしている。台湾の工業は戦前から日本の影響下で発展し、戦後も日本の製造業の下請けが多かったが、台湾の製造業はそうして培った技術を中国進出時に活用した。中国側は、台湾企業から製造業の技術を吸収したが、その多くはもともと日本の技術だった。だから実は、日本は今回の「第3次国共合作」に間接的に関係している)

▼中国に台湾チベット取り込みを許した米国

 前回の記事で紹介したロバート・カプランの論文は「台湾が中国に取り込まれていき、米国がこれを傍観したら日本、韓国、東南アジア、豪州などアジア諸国が米国に頼れないと感じて中国に接近し、米国とアジア諸国の同盟関係が崩壊する」という趣旨が書いてある。同様のことを指摘した別の論文(Farewell to America's China Station)が、5月中旬のウォールストリート・ジャーナル(WSJ)にも出ていた。いずれも、台湾を使った米国の中国包囲網が解体しつつある方向を示している。 (Farewell to America's China Station

 米国側は、昨年11月にオバマ大統領がアジア歴訪時に北京の大学で講演して「一つの中国を完全に支持する(台湾独立を支持しない)。中国と台湾は、話し合いで問題を解決すべきだ」と述べている。その後、今年初め、中国政府は「主要な国益に関して、中国は、外国から主権を侵害されることをもう許さない」という態度を表明した。主要な国益とは、台湾、チベット、新疆(トルキスタン)という「3T」のことだ。欧米が「人権」「民主」などを理由に、これらの問題に関して中国を非難することに対し、中国は従来、欧米の経済軍事面の強さを考慮して、通りいっぺんの反論だけにとどめる傾向があったが、今後は容赦しないことにした、という宣言だった。 (Obama: US fully supports one-China policy) (Beijing seeks a shift in geopolitics

 中国のこの宣言を試すかのように、オバマは今年1月、台湾への武器売却を決めた。中国側は強く反発し、中国との軍事交流を凍結した。だがその後、米国のスタインバーグ国務副長官は、今年3月に訪中した際に「一つの中国の考え方を支持する。中国と台湾が協調関係を強めていることを評価する」と述べ、台湾問題で中国と対立しないことを、米国としてあらためて表明した。スタインバーグはチベットに関しても「チベットは中国の一部である。チベットの独立は認めない」と述べた。米政府が、チベットは中国の一部だと言ったのは、これが初めてだった。 (China sees US as hedge for Taiwan, Tibet

 米国は、台湾に武器を売ると発表した一方で、中国の「主要な国益で譲歩しない」という宣言を認める宥和策を採っていることが明らかになった。米国の中国包囲網は、この時(今年3月)に解かれていたことになる。中国は、台湾でもチベットでも、ほしいものをすべて得られる立場を米国から保障された。

 その後、4月に、オバマ政権が重視するシンクタンクCNASのロバート・カプランが「米国が中国包囲網(第1列島線)を解き、台湾が中国に取り込まれたら、米国と日韓など東アジア諸国との同盟関係は終わる」と書き、5月にWSJも似たような論文を出した。 (The Geography of Chinese Power

▼鳩山辞任や天安艦事件との関連も

 日本で鳩山前首相が「普天間基地の県外移転」から「米軍基地を沖縄に置き続けることはやむを得ない」という態度に転換した挙げ句、辞任に追い込まれたのは、ちょうどこの時期である。米国が事実上、台湾を中国に割譲し、対中包囲網を解き、米政府肝いりのシンクタンクが「日本や韓国もいずれ中国になびき、米国との同盟関係は終わるだろう」とうそぶく中で、日本では、そうした米国の流れと正反対の、沖縄米軍基地のグアム追い出しをやめる逆流が起きた。これは、日本がいよいよ対米従属を続けられなくなりそうな中で、官僚機構(とその傘下のマスコミ)が、鳩山潰しのプロパガンダのボリュームを正念場的に強めた結果と考えられる。

 しかし今後7月の参院選や9月の民主党党首選を経た後、民主党政権が再び対米従属離脱の試みを再開しそうなことは、たとえば朝日新聞の船橋洋一主筆を駐米大使にしようとする動きがあることからも感じ取れる。これは民主党政権が、駐中国大使だけでなく、駐米大使までも、外務官僚ではなく民間人を就任させ、対米従属派の牙城である外務省を日本の外交から外し、外務省の暗躍的な妨害を受けず、官邸が駐米大使を直接に指揮できる体制を作る政治主導の試みだろう。菅首相は表向き、官僚に譲歩し、小沢一郎と距離を置くような言動をとっているが、実際は、鳩山とさして変わらず、官僚支配と対米従属を潰そうとする小沢系の戦略を秘めていることが感じられる。 (駐米大使に船橋洋一氏?

 米国が中国包囲網を解いた今年3月、韓国では天安艦の沈没事件が起きた。これも、中国包囲網解体に対する、韓国の対米従属派や、米国の軍産複合体からの反撃と考えられる。天安艦が沈没した黄海は、中国が米軍の遊弋を禁じたいと思っている第一列島線の内側にある。 (韓国軍艦「天安」沈没の深層) (韓国軍艦沈没事件その後

 中国軍は、天安艦の沈没現場の対岸である山東半島に信号傍受の設備を持ち、黄海は中国の潜水艦がさかんに諜報活動をしている海域でもある。中国は、天安艦の沈没原因の真相を知っているはずだ。中国は、北朝鮮犯人説を支持していない。朝鮮半島の情勢については、あらためて書きたい。



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