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金正日の訪中と南北敵対の再開

2011年6月7日   田中 宇

 5月22日から27日まで北朝鮮の金正日が中国を訪問し、5月25日には北京で胡錦涛や温家宝と会談した。金正日は、2000年ごろまで、事実上の資本主義である改革開放政策を採った中国を「修正主義」と呼んで非難するなど嫌中的だったが、今では1年間に3回も訪中している。金正日は、中国経済の成功を見て、経済破綻している自国に、試行錯誤的に中国式の市場経済化しようとしている。 (Kim's China visit highlights crucial ties

 最近の目玉は、90年代に朝中露で共同開発を目指したが頓挫していた朝中露国境地帯の羅津・先鋒(羅鋒)の開発計画を、中国吉林省の外港として機能させることで再開する構想だ。北朝鮮の対中国国境の北東端に位置する羅鋒の計画は、南西端に位置する黄金坪(鴨緑江河口の島)の開発計画(金融特区構想)などと合わせ、帯状の中朝国境地帯を経済開発する構想となっている。今回、金正日が訪中した目的の一つは、この構想について中国側と詰めるためだろう。6月前半のうちに黄金坪の起工式が行われるとの報道もある。 (North Korea, China Likely To Break Ground On Joint Projects Next Week

 中国にとって、北朝鮮国境(吉林省、遼寧省)の開発は、ロシア国境(黒龍江省)、インドシナ国境(雲南省など)、中央アジア国境(新疆ウイグル自治区)など、この20年あまり手がけてきた国境貿易を軸とする辺境開発の一つとなる。かつて中国が、香港に隣接する開発拠点として深センを作り、欧米式の経済手法を学んだように、中国は今、北朝鮮に、中国に隣接して羅鋒や黄金坪といった新たな開発拠点を作らせ、中国式の経済手法を学ばせようとしている。羅鋒や黄金坪は「逆深セン」である。北朝鮮にとって深セン的な場所は、対中国だけでない。韓国国境に隣接した開城工業団地は、韓国の経済発展方式を取り込む意味で深セン的な場所だ(北は、敵である韓国に学ぶという姿勢を嫌うが)。 (Pyongyang, Beijing to build industrial belt in North

 金正日の今回の訪中に関し、息子の金正恩を後継者として中国側に認知させるため連れていったとの見方もあるが、金正恩は昨年9月の党代表者会議で指導者陣の一角にデビューし、その前の段階ですでに中国政府に対する根回しがすんでいる。最高指導者の世襲を嫌う中国共産党は、世襲をせざるを得ない北朝鮮の事情を消極的に容認している感じで、それが今秋の金正恩の地味なデビューのしかたに表れている。この時期に、わざわざ金正日が金正恩を中国の首脳陣に紹介するために親子で訪中するとは考えにくい。金正恩が同行したとしても、それが父の訪中の主目的ではないだろう。 (SKorean media says NKorean leader in China after first reporting his son was visiting

▼中国の了承を得て韓国敵視に戻った北朝鮮

 私が今回の金正日の訪中に関して、これらの要素に劣らず重要と考えるのは、北の核をめぐる6カ国協議との関連だ。金正日が訪中から戻った3日後の5月30日、北朝鮮は最高権力機関である国防委員会の名前で、韓国が北のすぐ近くの海域で挑発的な軍事演習を繰り返すのをやめない限り、日本海側(東海岸)を通る南北間の軍事ホットラインを停止すると宣言し、韓国を非難する声明を出した。南北間には3本のホットラインがあり、停止対象はそのうちの1本にすぎない。しかも東海岸のホットラインは、昨年12月に山火事で切断され、不通になったままだ。北の宣言は、具体的な措置でなく、象徴的に韓国を非難するものにすぎない。 (North Korea turning tough against South Korea

 しかしこの宣言は、タイミング的に重要だ。今年4月に中国が、米国の協力を得て、6カ国協議再開の前提として南北対話を進めることを提唱して以来、北朝鮮は南北対話に前向きな姿勢を見せていた。北朝鮮は、金正日が中国首脳と会った直後に、南北対話に対する前向きの姿勢をやめて、ホットライン停止宣言という敵対姿勢に転じた。 (米中協調で朝鮮半島和平の試み再び

 中国は、国家破綻に瀕する北朝鮮を無条件に援助しているほとんど唯一の国だ。北は中国の援助なしに立ちゆかない。欧米日が北朝鮮を経済制裁するほど、北朝鮮は経済的に中国への依存を強める。対中貿易が北朝鮮の貿易全体に占める割合は05年に53%だったが、今では83%にもなっている。中国は、北が無礼な態度をとった場合、対北貿易の実務的な条件を少し引き締めるだけで、国際社会にわからないように北を経済制裁できる。だから北は、中国政府の機嫌を損ねることをとても恐れている。金正日が中国要人たちに会った直後、北が急に韓国敵視に再転換したことは、金正日が中国側に対し、韓国との対話姿勢をやめたいと提案し、ある程度の了承を得たことを意味している。 (North Korean Dependence on China Trade Rises as Sanctions Worsen Isolation

 中国(米中)が6カ国協議再開の前提として南北対話の再開を提唱したのに対し、韓国政府は表向き北との対話に前向きな姿勢をとりつつ、北が了承できない天安艦沈没事件に対する謝罪要求を、北との対話再開の条件として付帯した。昨春の韓国軍の天安艦沈没について、韓国政府は「北の犯行に違いない」と断言している。だが、韓国側(米韓)がまとめた報告書には、決定的な根拠が載っていない。北は自国の犯行でないと言い続け、中露は、韓国(米韓)の言い分が曖昧すぎると考えている。「北が天安艦沈没について謝罪しない限り、北と対話しない」という韓国の条件には無理があると、北も中露も考えている。

 中国は(1)韓国と北朝鮮が南北対話を再開する(2)米国と北朝鮮が米朝対話を再開する(3)南北と米朝の対話が始まってから6カ国協議を再開する、という3段階方式で、朝鮮半島の対立を解消する構想を立てた。しかし、韓国が天安艦謝罪を条件とする限り、南北対話は進まず、6カ国協議も開けない。金正日は訪中時、中国の要人との対話でこの件を持ち出し、南北対話の再開は困難だと伝え、中国側のある程度の了解を得たのではないか。そうでなければ、北が金正日訪中の直後、急に韓国との敵対姿勢に戻ったことの説明がつかない。

 北朝鮮はその後、韓国軍が金正日親子の写真を軍事演習の標的として使った件で、6月3日に「報復してやる」と表明し、韓国側をさらに非難した。また北朝鮮の国防委員会は6月1日、南北の秘密対談が5月9日から複数回にわたって北京で開かれていたことも暴露している。この秘密対談は韓国の要請で行われ、韓国側は北に対し、曖昧な言い方で良いから天安艦沈没について謝罪してほしいと提案し、それを受けて南北高官対話を再開することを提起したという。 (North Korea vows military action against South

 これが事実なら、韓国側は、南北対話を再開したいものの自国が掲げた天安艦に関する謝罪要求は取り下げたくないという姿勢になる。南北秘密対話を暴露した北朝鮮側は、たとえ曖昧なかたちでも天安艦に関する謝罪など(犯人でないのだから)できないと考えているのだろう。韓国政府は、野党から批判され、秘密の南北対話が行われたこと自体を認めたが、韓国の要請で開かれたのではないと釈明している(北京で開かれたことから考えて、中国の提案だったのだろう)。北が、おそらく中国の了解のもと、韓国敵視の姿勢に戻ったことで、南北対話の再開はしばらくの間、不可能になった。中国が構想を練り直して次のシナリオを打ち出してくるまで、6カ国協議の再開もないだろう。 (Pyongyang lets the cat out the bag

▼韓国はいずれ対話路線に転換しそう

 韓国の李明博政権は従来、北朝鮮はまもなく国家崩壊するので南北対話の再開など必要ないという方針だった。韓国政府は6月6日、北朝鮮が国家崩壊した場合に備え、統一省内に危機管理チームを新設すると発表した。こうした政策からは、李明博政権内で、北の国家崩壊が近いという考え方がいまだに強いことを表している。 (Unification Ministry to Form N.Korea Crisis Team

 しかし、すでに述べたように、北朝鮮は韓国や欧米日から経済制裁されるほど、中国への依存を強め、国家崩壊を免れている。北がまもなく崩壊するという李明博政権の考え方は、現実と合致しない夢想的なものになっている。それだけに、韓国政府は、北に対する強硬姿勢(天安艦に関する謝罪要求)を取り下げず、その裏で秘密裏に北と交渉し、北に謝罪させて自国の面子を維持しつつ、南北対話を再開したかったのかもしれない。しかし、北が韓国敵視に戻ったことで、その道筋もたどれなくなった。

 韓国では来年、大統領選挙があり、李明博政権は終わる。北朝鮮は、次の政権になるまで、韓国と対話しないつもりかもしれない。韓国の与党ハンナラ党内では、李明博大統領のライバルである朴槿恵(朴正熙元大統領の娘)が、対北強硬策をとって失敗している李明博とは反対の対北対話路線を提唱して次期大統領選に臨もうと、昨年末からハンナラ党に籍を残しつつ、新党結成を模索している。 (朴槿恵のシンクタンクの安保部門に6.15反逆宣言支持者と対北無条件支援団体の代表が

 朴槿恵は02年の前々回選挙でも、一時ハンナラ党を脱党し、韓国未来連合という対北対話路線の新党を作り、02年5月に北朝鮮を訪問して金正日と会ったりしたが、韓国の民意を集められず失敗し、ハンナラ党に戻っている。朴槿恵は朴正熙の娘ということで、韓国の右派に対する求心力が強い。来年の韓国大統領選挙は、右派も左派も対北対話路線の候補が強くなる可能性がある。このような状況下、北は、急いで李明博と対話する必要を感じていないだろう。 (Park Geun-hye From Wikipedia

 朴槿恵は李明博のライバルだ。韓国では、元大統領がライバルから復讐され、スキャンダルなどで訴追されて政治生命を絶たれることが繰り返されている。朴槿恵が大統領になったら、李明博も消されるかもしれない。それを恐れる李明博は、自分の政治生命を守るため、残りの任期の間に、対北対話路線に大転換して南北サミットを開き、韓国内の人気を取り戻した上で、朴槿恵に対抗できる保守候補をハンナラ党で擁立してか勝たせようとするかもしれない。もしくは、その逆を行くシナリオとして、李明博は、朴槿恵に擦り寄って和解し、任期中に対北対話路線に転換することで、政治生命の温存をはかるかもしれない。6月3日、李明博は10ヶ月ぶりに朴槿恵と会い、協調してやっていくことを印象づけている。 (Lee-Park partnership

 いずれにしても北朝鮮側は、中国の経済支援で国家延命しつつ、韓国側が敵対路線から対話路線に転換してくるのを待っていればよいということになる。日本でもマスコミ報道は「北はまもなく崩壊する」という論調が強いが、実際は、まったくそうでない。北朝鮮嫌いの日本人にとって苦々しいことだろうが、北の立場はむしろ強くなっている。



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