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ストロスカーンの釈放

2011年7月2日   田中 宇

 5月14日にニューヨークのホテルの部屋で清掃係の女性を強姦したとして米当局に逮捕起訴されていたIMF前専務理事のドミニク・ストロスカーンが7月1日、釈放された。被害者とされていた女性の証言におかしな点が多く、一貫して犯行を否認しているストロスカーンの主張の方が正しい可能性が大きくなったと裁判所が判断した。ストロスカーンは旅券を米当局に没収されたままなので米国外に出られず、裁判自体は今後も続けられる。 (Strauss-Kahn free from house arrest

 米報道によると、捜査当局は事件直後、被害者とされた女性の証言に確実な感じを持ったが、女性に対する尋問を繰り返すうち、彼女自身の経歴に関する証言が二転三転したため不審を抱いた。彼女は西アフリカのギニア出身で、反政府的な思想を持ったためギニア当局から弾圧されたと言って米国に政治亡命を許され、NYのホテルで働いていた。だが、ギニアで反政府派として当局に弾圧された経歴は詐称であることがわかった。

 ストロスカーンの事件が起きた翌日、彼女はボーイフレンド(NYで麻薬取引で逮捕され収監中)に電話したが、それを米当局が盗聴録音していた。電話の会話はギニアのフラニ語(Fulani)の方言でおこなわれたが、その翻訳が1カ月半後の6月29日にようやく完成した。彼女は電話で彼氏に「心配しなくて大丈夫。あの男は大金持ちだから。私は自分がしたことの意味をちゃんとわかっている」と述べていたことがわかった。それを知って米検察当局は、彼女がストロスカーンにニセの強姦容疑を着せた上で、金を出せば訴えを取り下げると交渉して大金を得ようとしていたとの疑いを強め、2日後の7月1日にストロスカーンが釈放された。 (Strauss-Kahn Accuser's Call Alarmed Prosecutors

 ストロスカーンの裁判で米当局側は一気に不利になっている。彼は米当局に濡れ衣を着せられたのだと考える世論が当初から強かった母国のフランスでは、彼の冤罪は間もなく晴らされ、フランスの政界に返り咲くとの予測が広がっている。彼は逮捕直前、来年の仏大統領選挙に仏社会党から立候補し、現職のサルコジ大統領と選挙戦になることが確実視されていた。無罪が立証されれば、フランスに凱旋して来年の大統領選に出るだろう。彼の逮捕後、意気消沈していた仏社会党は大喜びしている。 (French revive DSK's presidential hopes

▼あまりにお粗末な米当局。意図的か?

 今回の新展開で目立つのは、米当局のあまりにお粗末な捜査のあり方だ。ストロスカーンの逮捕直後、米当局は「証拠は確定的であり、その確実さは日に日に高まっている」と発表し「証拠の確実さ」ゆえにストロスカーンの保釈を許さず、逮捕時には国際機関のトップという彼の尊敬されるべき地位を踏みにじる行為として、マスコミの前を引き回して写真を撮らせる極悪容疑者扱いをした。しかし米当局は、被害者がどのような人物であるか経歴もほとんど調べないまま証言をかたく信じ、否認するストロスカーンの方を最初から犯人扱いしていた。 (Rushed case falters in face of credibility

 米NYには国連本部があり、世界の要人が頻繁に出入りしている。金をせびり取る目的で、要人に強姦されたとウソを当局に通報するだけで、米当局は要人を冤罪で逮捕し、マスコミは強姦の犯人扱いして大報道し、要人は要職を奪われる。これでは危なくて要人がNYに来れなくなる。日本が国際機関のトップの訪日中に同様の逮捕起訴をしたら、冤罪とわかったときに国を挙げて謝罪せねばならないだろうが、米国は覇権国なので謝罪しなくてもよい。もし今後ストロスカーンが無罪となってもオバマが謝罪するか疑問だし、対米従属の日本のマスコミもあまり大きく報じないだろう。

 とはいえ今回の米当局のお粗末さは「未必の故意」的なにおいもする。今回の事件の被害者とされる女性が彼氏との電話でストロスカーンから金をせびり取ることを示唆していたことが「判明」したのは6月29日だが、それはIMFの次の専務理事に仏経済相のラガルドが選出された翌日だ。まるで米当局は、ストロスカーンが確実にIMFの専務理事を辞めさせられて次期専務理事が決まるのを待っていたかのように、彼の冤罪性を認め始めた。ふつうの捜査当局なら、ストロスカーンのような国際要人に手を出す前に、被害者の素性や証言の信憑性を徹底的に調べるはずだ。それもせず、いきなり犯人扱いだったのだから、何か裏があると仏世論は疑った。事件後、流れに乗ってストロスカーンを性犯罪で告発した仏女性もいたが、そちらがどうなるか、犯罪でなく恋愛の一形態にすぎないとみなされるのかどうかも注目される。

 ストロスカーンは今回の事件で、覇権国であるがゆえに冤罪事件を起こしても許される米国の現状について疑問を持ったのではないか。彼がサルコジに代わって仏次期大統領になったら、EUを米国から自立した存在にすることを、独などを誘ってやるようになるかもしれない。サルコジも以前、リーマンショック後にG20サミットの新世界秩序を作ったころには、米国覇権の解体を意識した発言を多発していたが、最近はおとなしくなっている。隠れ多極主義的な米中枢の傾向からすると、ストロスカーンを反米主義者に仕立て、仏独主導のEUを米覇権から離脱した別の地域覇権勢力にするために、意図的に濡れ衣をかけたとも考えられる。



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