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米財政赤字の何が問題か

2011年7月29日   田中 宇

 米政府の累積財政赤字上限引き上げ問題は、7月29日に下院のベーナー議長(共和党)が、上限引き上げに必要な財政緊縮法案を決議にかけようとしたが、茶会派を中心とする下院の共和党議員の反対が強く可決できないことがわかり、ベーナーは決議を延期した。すでに上院とオバマとの交渉も決裂しており、赤字上限を引き上げられないまま、米政府の国庫が底をつく8月が訪れる。 (Boehner, hitting another wall on debt limit plan, calls off vote

 米政府の累積財政赤字は約14兆3000億ドルで、米国のGDP(14兆1200億ドル)とほぼ同額だ。日本の累積赤字(1100兆円)がGDPの2倍以上であるのと比べると、大したことがない。だが、米国の各年度の赤字は、08年のリーマンショックより前の数年間が毎年5000億ドル台だったのが、09年以降の3年間、毎年1兆ドル以上となり、累積額が7年間で倍増した。経済難による税収減、公金による金融救済などが原因だ。日本国債の95%は、日本政府の言いなりになる金融機関を中心とする国内勢が買っており、国債が売れ残る事態が起こりにくい。米国債の買い手の半分は米国外の投資家で、米国債やドルが国際信用を失うと国債が売れ残る。 (United States public debt) (Moody's Says Time Shortens for U.S. Rating Outlook as S&P Downgrades Japan

 昨年度(2010年度)の米政府の各省ごとの赤字内訳を見ると、国防総省が8892億ドル、保険社会福祉省が8577億ドル、社会保障庁が7539億ドルとなっており、国防費が目立つ。しかし今後を長期的に見ると、団塊の世代の定年、寿命の伸び、少子化、医療費の高額化などを受け、メディケアなど官制健康保険や、社会保障費の増加が赤字増の圧倒的な要因になると予測されている。 (2010 Financial Report of the United States Government

 米国の長期的な財政赤字問題に火をつけたのは、09年末に米政府が発表した年次報告書「米政府決算報告書(Financial Statement of the U.S. Government)」の付帯文書だった。そこには、官制健康保険や社会保障の支出増により、75年後の2083年には米政府の累積財政赤字がGDPの7倍にも達するとか、2083年より後のことまで考えると、最終的に累積赤字が107兆ドルに達するといった、驚くべき数字が書かれていた。 (Fiscal Year 2009 Financial Report of the United States Government

(同様の指摘は2006年ごろから財政研究者の間から出ており、私もそれについて記事を書いた) (アメリカは破産する?

 75年後など遠い将来の予測値は、将来の経済成長率、出生率、平均寿命の変化、医療費高額化など、広範囲にわたる長期予測を重ね合わせたもので、不確定要素が非常に多い。だから「将来的に米国の財政赤字がGDPの7倍になる」といった予測は、金食い虫になっているメディケアなど社会福祉の費用削減をしたい米政府が、政治的な意図を持って発表したとも考えられる。しかし、米国のメディケアや社会保障費が急増する傾向にあることは間違いない。福祉関係の重圧によって、米政府はいずれ財政破綻に陥ると、以前からあちこちで指摘されてきた。米国の財政赤字の最大の問題点は、軍事費や金融救済の費用でなく、メディケアや社会保障費である。 (Paul Kennedy: American Power Is on the Wane) (Walker on the Deficit: "No one is going to bail out America"

 メディケアに関しては、ブッシュ前政権が、保険適用範囲を処方箋薬に拡大するなど、赤字がひどくなる構造を作り、後になるほど米政府の財政を圧迫する仕掛けを作って去っていった経緯がある。大規模な減税と軍事費の急拡大、メディケアの支出拡大といった、米政府の財政を長期的に自滅させる仕掛けを作ったブッシュ政権は隠れ多極主義的であり、オバマはその尻拭いとしてメディケア改革をやる必要があった。 (アメリカ財政破綻への道

 オバマのメディケア改革は、昨年3月に新しい医療保険法(Affordable Care Act)として成立した。この新法によって、75年後の累積財政赤字がGDPの7倍から3・5倍へと半減したと、米政府は昨年末に発表した10年度の米政府決算報告書に書いた。しかし、米議会の予算事務局(CBO)はオバマの医療保険法について、赤字削減の効果が少ないとする分析を発表している。メディケア改革は90年代のクリントン政権時代から何度も審議されているが、医者や製薬会社のロビー団体が政治力を発揮して法案を骨抜きにしてしまう。米民主党は福祉切り捨てだと反対する。その結果、メディケア改革はなかなか成功していない。 (Patient Protection and Affordable Care Act From Wikipedia

 米政府は75年後の累積赤字を半減できたと表明するが、毎年政府決算報告書を分析している人によると、75年後の累積赤字の実質的な予想額は、09年度の70・5兆ドルから、10年度は76・3兆ドルに増えたという。 (No. 340: 2010 Financial Statements of the U.S. Government

 このような前提があって、今回の財政赤字上限引き上げ問題が米議会で起こり、議員らがいくつもの財政緊縮案を出し、急いで審議する状況になった。しかし米議会では、これまで何年も赤字削減についていろいろな新法案が出されてきたのに、実質的に財政赤字を減らすことができていない。 (CBO's 2011 Long-Term Budget Outlook

 今回も、イラクとアフガンの戦費が撤退によって自動的になくなるのを「削減」と称したり、インフレ率の計算方法を変更してインフレと連動している社会福祉の支出を削ろうとしたり、何度もやってうまくいかないメディケア改革を再度取り上げるなど、小手先の策略が目立つ。債券格付け機関のS&Pが「根本的な赤字削減策が成立しない限り、米国債を格下げする」と言わざるを得ない状況になっている。 (米国でインフレと赤字総額を少なめに見積もる計算変更) (S&P says 50-50 chance of U.S. downgrade



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