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米中のアジア覇権シーソーゲーム

2012年6月6日   田中 宇

この記事は「中国包囲網の虚実(3)」の続きです。

 パネッタ米国防長官は、シャングリラ会議に出席し、ベトナムを訪問してカムラン湾への米軍艦の寄港を提案した後、6月5日にインドを訪問した。訪印は、米インド間の軍事安保関係を強化するのが目的で、米国の中国包囲網作りの一環と報じられた。中国がインド洋で海軍力を強めていることを受け、米印の海軍協調で中国に対抗する構想もある。パネッタはインドに対し、アフガン国家再建や、イラン経済制裁への協力も要請した。パキスタンと交互に核実験を実施しているインドは、米国から経済制裁されていたが、ここ数年、米国がインドに原子力や軍事の技術を供与するなど関係が強化され、米印で中国包囲網を形成するまであと一歩だと報じられている。 (Leon Panetta in India amid US focus on Asia

 このような状況を見ると、やはり米国は日韓や東南アジア、豪州インドを率いて中国を包囲するつもりだという感じを受けるが、もっと視野を拡大すると、全く逆の情景も見えてくる。それはインドの西隣のパキスタンやアフガニスタンについてだ。

 6月4日、NATOのラスムッセン事務総長は、アフガニスタンに駐留するNATO軍を来年末までに撤退させるため、カザフスタン、キルギスタン、ウズベキスタンの中央アジア3カ国と、撤退路としての利用について合意を結んだと発表した。さらに北方のロシアとは、すでに撤退路利用について合意しており、これでNATOは中央アジア経由で欧州や米国に装備や物資を撤退できる。 (NATO strikes supply route deal through Central Asia

 アフガン駐留NATO軍は、もともと中央アジア経由よりずっと短いパキスタン(カイバル峠)経由で物資を出し入れしていた。だが昨年11月、米軍が無人戦闘機でパキスタン軍の基地をアフガンから越境空爆し、就寝中の兵士24人を殺害する事件を起こし、パキスタン政府が謝罪を求めたが米国が応じないため、それ以来パキスタン政府はカイバル峠の国道をNATOの物資を積んだトラックが通行することを禁じている。NATOは、高めの通行料を払ってパキスタンを金で釣ることを画策し、5月中旬の米国シカゴでのサミットにパキスタンのザルダリ大統領を招き、カイバル峠道の再開をめざしたが、謝罪を求めるザルダリと拒否するオバマの対立が解けず、破談した。 (US-Pakistan tensions deepen as Obama snubs Zardari at Nato summit

 その後NATOは、表向きパキスタンとの交渉を続ける姿勢を残しつつも、中央アジア諸国との交渉を本格化し、中央アジア経由の撤退路を確保した。5月のNATOサミットでは、就任直後のフランスのオランド大統領ら各国首脳が、相次いで自国軍のアフガン撤退の前倒しを宣言し、NATOは全体として一刻も早くアフガン撤退したい様相だ。 (Ahead of NATO's Chicago summit, members eye the Afghan exits

 パキスタン政府は謝罪にこだわり続け、プライドが高い米国は謝罪を拒否し続けているので、カイバル峠道が再開しないまま、NATOが中央アジア経由で撤退する可能性が高まっている。ロシアのモスクワタイムスは、NATOが中央アジア経由の撤退を決めたことは、米国がパキスタンとの関係悪化を放置し、見捨てることを意味すると分析している。パネッタ米国防長官がパキスタンの敵であるインドを訪問したことも、米国がパキスタンを見捨てたことの象徴だと見ている。米国がパキスタンを見捨てるのと対照的に、EUはアシュトン外相(EU外交安保上級代表)がパキスタンを訪問し「米国が貴国を見捨てても、EUは見捨てませんよ」という態度を示した。 (NATO hurrying to get out of Afghanistan - any way

▼派兵せずアフガンの利権を得る中国

 アフガンはNATOの占領が敗色を強めるほど、地方の農村を中心にタリバンが跋扈し、NATOが育てたアフガン国軍は、内部に入り込んだ親タリバン勢力が反乱して瓦解する傾向にある。タリバンはパキスタン軍の諜報機関ISI(統合情報局)が育てたイスラム原理主義の武装組織で、タリバンに手綱をつけられるのはパキスタンだけだ。米国がパキスタンと対立したままNATOが撤退すると、その後のアフガンは国軍が解散状態になり、タリバンの支配が強まる。アフガンがそのまま放置されると、ソ連軍が撤退した後の90年代のように、何年も内戦が続く事態になりかねない。 (パキスタンの裏側

 しかし現在は、状況が90年代と大きく異なる。アフガンの周辺諸国は、中国とロシア、中央アジア諸国が結束して01年から集団安保組織として「上海協力機構」を作っている。上海機構にはインド、パキスタン、イランもオブザーバー参加している。6月6-7日には、北京で上海機構の年次総会が開かれ、今年の主題がアフガンの安定化だった。上海機構は、米国がライバル視する中露主導の組織なので、これまで米国が占領するアフガンを参加させていなかった。だが、いよいよ米軍が撤退するため、上海機構は今年の総会でアフガンをオブザーバーとして迎えることを決めた。 (China, Russia woo Afghanistan as US prepares to pull out

 日米のマスコミなどは上海機構を軽視してきたが、今回の年次総会には、G8を欠席したロシアのプーチン大統領が参加したほか、オブザーバーでしかないイラン、パキスタン、モンゴルから大統領が出席した。事態を変えられる影響力の強さからみても、上海機構は、共同声明を発するだけのG8よりも重要な組織になっている。 (SCO: the smooth expansion) (多極化の進展と中国

 上海機構は今回、ロシアの提案で、有事の際に加盟諸国が共通の基本姿勢をとる原則について議論している。有事の際の政策の縛りが強いNATOと対照的に、従来の上海機構は、政策的な縛りの弱い組織だった。しかし今後は姿勢を転換し、上海機構はNATOに対抗しうる組織になっていくかもしれない。 (SCO as a counter to NATO?

 中国やロシアは、米国やNATOを押しのけてアフガンを支配したがっているのでない。米欧による占領が成功し、アフガンが安定した国になっていたら、中露や上海機構が出る幕はなかった。米国が稚拙なアフガン占領策を展開し、アフガン人から敵視され、自滅的に占領が失敗して撤退を余儀なくされ、その後のアフガンがもっと不安定になりそうなので、地域の安全保障のための組織である上海機構が動かざるを得なくなった。 (Afghanistan likely to dominate summit

 上海機構、特に中国は、アフガンを軍事占領する気がないものの、アフガンで経済面の儲けを得ることは強く希望している。中国は、世界最大の未開発銅鉱山といわれるアフガンのアイナク銅鉱山の開発権を取得している。中国はアフガンとの間で、銅や希土類などの鉱物資源を輸入、安価な工業製品を輸出し、交通や電力などインフラ整備を受注して、アフガンで儲けようとしている。これは、中国がアンゴラやスーダン、ミャンマーなどでやってきた経済戦略と同じだ。 (Xinjiang eyes direct land trade with India, Afghanistan

 アフガニスタンの国土は、東側が象の鼻のように細長く伸びており、象の鼻の穴の部分で中国と70キロの短い国境を接している。この細長い地域(渓谷)は「ワハン回廊」と呼ばれる。19世紀に、北方からロシア帝国が中央アジア諸国を支配して南下し、南方から大英帝国がインドを植民地にして北上し、この地域で支配を争った「グレートゲーム」の時、アフガンを中露の間の緩衝地帯として置き、中露の影響圏が接しないよう、ワハン回廊をアフガン領にした。 (台頭する中国の内と外(2)

 当時の中国(清朝)は弱く、ワハン回廊の設置は中国とあまり関係なかった。しかし今、中国は、ワハン回廊を、中国とアフガンをつなぐ主要な貿易路として活用しようとしている。現在、ワハン回廊には未舗装の細い道路しかなく、国境にはヒンズークシ山脈の山々が連なり、中国からアフガンに入るルートとして、ほとんど使いものにならない。中国は山脈の下に長いトンネルを掘り、中国とアフガンを結ぶ高速道路を建設する計画だ。(もともとワハン回廊の道路は、米国が中国に作ってくれと依頼したものだ) (VK scents a Chinese tunnel

 米国は、12年も占領したアフガンから経済利得をほとんど得なかった(国民の税金が軍事産業に入っただけだ)が、中国は全く派兵せず、米軍撤退後を狙い、経済利得だけを得ようとしている。中国は、アフガンを上海機構にオブザーバー参加させるとともに、アフガンとの2国間で戦略パートナーの条約を結んだ。中国は、NATOの撤退が決定的になった現在のタイミングで動き出している。外交技能が高い。 (立ち上がる上海協力機構

 中国はアフガンに出兵しない代わりに、タリバンとカルザイ政権との和解を仲裁しようとしている。中国は今年2月、パキスタン、アフガン(カルザイ政権)とともに3カ国で合議体(フォーラム)を作り、NATOが撤兵しタリバンが再台頭する時に備え始めた。中国がアフガンの政治に明示的に関与したのは、2月の合議体結成が初めてだった。カルザイは米国の傀儡指導者であるが、頼る先を米国から中国に乗り換えて政治生命をつなごうとしている。 (India won't travel sans New Silk Road) (カルザイとオバマ

▼中国包囲網に乗り切れないインド

 上海機構にはインドもオブザーバー加盟している。同じくオブサーバーのパキスタンやイランが総会に大統領を派遣するのと対照的に、中国と並ぶ大国を自負するインドは、オブザーバーなので外相しか派遣しない。ロシアは、インドを早く正式加盟させたいと表明し続けているが、中国は、インドがパキスタンと対立したまま正式加盟すると、印パ対立が上海機構内部に持ち込まれるとして慎重姿勢だ。中露の折衷案として、上海機構が印パの和解を促進し、和解が成立したら印パを同時加盟させる計画が進んでいる。インド政府は、2014年までに上海機構に加盟できると予測している。 (India pitches for SCO's membership, Afghanistan role

 私は、印パの上海機構の加盟について、中露が意図的に役割分担していると推測している。もともと中国とインドは交戦歴のあるライバルだが、ロシアとインドは冷戦時代に盟友だった。しかも中国は、パキスタンにとって最大の支援国だ。米国から邪険にされる近年のパキスタンは、中国以外に頼る国がない。これら前歴と状況を活かし、上海機構(中露)と米国の両方から引っ張られて迷うインドを、ロシアが上海機構の方に引っ張り続け、同時に中国が「加盟する前にパキスタンと和解してくれ」と求め、印パ和解を仲裁するシナリオだろう。印パ対立は、もともとインド植民地の独立後の弱体化をもくろむ英国が残していった「負の置きみやげ」であり、米英覇権衰退後の世界運営の一端を担う中露にとって邪魔な体制だ。 (インドとパキスタンを仲裁する中国

 米国がアフガンやパキスタンへの影響力を失っていき、反比例して中国や上海機構がアフガンや印パを仲裁しつつ儲けを増やそうとしている。この全体像を踏まえ、パネッタ米国防長官がインドを訪問し、アフガンの国家再建に協力してほしいとか、中国包囲網を強化しようと提案したことを再び見てみると、パネッタが頓珍漢な人に思えてくる。早期撤退をめざす米国や欧州が、現時点でアフガンの国家再建をやろうとしているとは思えない。実質的なアフガン再建策を持っているのは中国や上海機構であり、インドがアフガンの再建に協力する気なら、米主導の中国包囲網には乗れない。 (アフガン撤退に向かうNATO

 インドは、中国包囲網に本格参加するなら、アフガンや中央アジア方面の利権をあきらめるしかない。インドが実利を重んじるなら、米国の中国包囲網への誘いには形式的に乗るだけにして、実質的には中国や上海機構のシナリオに乗ってパキスタンと和解したり、NATO撤退後のアフガン再建に参加するのが得策だ。 (国家崩壊に瀕するパキスタン

 米国はイランを経済制裁し、インドにも制裁参加を求めているが、イランは米欧から制裁されるほど、中露や他の途上諸国との経済関係に頼って乗り切ろうとする。今はまだ米イスラエルがイランを軍事攻撃する意志を見せているが、今後、イランが核兵器開発していないことが「事実」として確定する傾向が強まり、イランが軍事攻撃される可能性が減ると、上海機構がイランをオブザーバーから正式加盟国に格上げし、イランは中露や途上諸国との経済関係を公式に強められる。この動きは、世界経済が欧米主導からBRICS主導に切り替わる一つの象徴になるだろう。このような流れが予測されているのに、インドが米国の要請に黙って従ってイランとの経済関係を切るのは馬鹿げている(日本は、その馬鹿げたことをやっているが)。 (ユーラシアの逆転

 米国はタジキスタンの軍事基地を使い続けたいと考えているが、タジキスタンの大統領は、ロシアとの同盟関係を考慮し、米軍の基地利用を断っている。米国やNATOは、アフガン撤退後、この地域における軍事的・政治的な影響力を失いそうだ。その空白を埋めるのは中国やロシア、イランである。インドがこの流れを無視して米国だけと親しくするのは、国益に反する状況になりつつある。 (Tajikistan: President Denies Requests for Foreign Bases

 米国は、東アジア(東南アジア)で南沙問題に介入し、中国包囲網を構築している。だが西アジア(アフガン、パキスタン)では、中国や上海機構によって影響力を駆逐されていく方向だ。中国は、東方で米国からの圧力を受けているが、西方では米国の覇権に風穴を開けている。米国と中国は、アジアの覇権をめぐってシーソーゲームをしている。米国は、中国を覇権争いのゲームに引っ張り込み、東で中国の覇権を圧しているつもりが、西で中国に覇権を奪われつつある。 (アメリカが中国を覇権国に仕立てる

 しかも、東南アジアの状況は、軍事政治面で米国が東南アジア諸国をけしかけて中国包囲網を作っているが、経済面で東南アジアは中国との関係を強化していく一方だ。実利重視のアジア人は経済面を静かに優先し、中国との関係を一定以上に悪化させず、ASEAN+3などで中国との経済関係を重視し、包囲網の機能は限定されたままだろう。昨今の中国包囲網を「冷戦の再発」と見る向きがあるが、中国との経済関係を断絶できない以上、今の包囲網を冷戦と同一視するのは誤りだ。東南アジアでの米国の中国包囲網的な言動を、犬が電柱に小便をかけて自己顕示する行為にたとえる記事を読んだが、言い得て妙だ。 (Marking territory in South China Sea

 包囲網が脆弱な東アジアと対照的に、西アジアのアフガンやパキスタン、中央アジアの状況は、米国が下手な戦略で自滅して撤退していき、中国がその穴を埋める流れであり、米国が影響力を盛り返すのが非常に難しい。米国がパキスタンを見捨てた後のEUアシュトンのパキスタン訪問など、欧州は米国と一線を画し、中国や上海機構との協調を模索する方向だ。シーソーゲームは、最終的に中国の勝ちになりそうだ。



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