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イスラム革命の進行

2012年9月24日   田中 宇

 イスラエルの右派ユダヤ人は「イスラム教の聖典クルアーン(コーラン)は、ユダヤとキリスト教の聖典である聖書を適当にコピーしたものだ」といったようなイスラム教に対する当てこすりを言う。実際のところ、イエスやアブラハムなどの聖書の登場人物がクルアーンにも出てくる。聖書もクルアーンも同じ神様が人類に託した言葉なのだから、登場人物が同じで当然というのがイスラム側の説明だ。 (パレスチナ見聞録・聖地争奪戦

 9月9日、エジプトのイスラム主義(サラフィ)系の「アルナーステレビ」が、イスラム教と預言者ムハンマドを中傷する内容の物語の映画「イスラム教徒の潔白」の概要を、批判する意味で放映した。この映画は、在米ユダヤ人らが資金を出し、在米のエジプト系キリスト(コプト)教徒が制作したとされ、7月にユーチューブにアップロードされ、9月にアラビア語への吹き替え版が作られたとされるものだ。この映画には、ムハンマドの妻ハディージャが、聖書の中から文章をとってきて並べ替えてクルアーンにすれば良いと言う場面がある。映画は、エジプトでイスラム教徒が、警官が傍観する中でキリスト教徒を殺害する場面から始まる。 (Innocence of Muslims - Muhammad Movie

 この映画は予告編で、本編はハリウッドの映画館で一度だけ公開された。この映画は、2千年前のエジプトを舞台にした、イスラムと関係ない作品をもとに、せりふの吹き替えと、コンピューターグラフィックによる画像の作り替えによって再編集し、全く別の作品に仕立てたものだ。編集の作り込みはかなり雑だ。「ユダヤ人が金を出して、キリスト教徒のエジプト人に作らせた」と報じられているこの映画は、多くの観客を集めて興業を成功させるのが目的でなく、在米の右派勢力が、エジプトを中心とする中東のイスラム教徒を激怒させる目的で作ったと感じられる。以前にクルアーンを焼いて話題になった米国のキリスト教右派の説教者テリー・ジョーンズも、さっそくこの映画を支持した。 (CIA, Mossad team up to insult Islam

 アルナステレビがこの映画を批判的に紹介した2日後の9月11日、エジプトとリビアで、この映画と米国に対する怒りのデモが起こり、米国大使館が襲撃された。エジプト政府は、米政府に、映画の制作者を罰することを求めた(米政府は、言論の自由を理由に断った)。リビアのベンガジでは同日、米国大使が暴徒(テロリスト集団?)に殺害された。その後、米国や英仏独などの大使館に対する暴徒化した市民の攻撃が、北アフリカから中東までの全域で発生し、いくつかの大使館が一時的に閉鎖された。 (Innocence of Muslims From Wikipedia

 この事件を政治的に見ると、ムスリム同胞団を有利にするものだ。同胞団は、モルシー大統領を擁するエジプトの与党であり、リビアでも議会が9月12日、同胞団とつながりがあるムスタファ・アブシャグル(これまでの暫定政権の副首相)を首相に選出した。リビアではカダフィ政権の崩壊後、同胞団の影響力が急拡大しており、米国が好むリベラル世俗派は弱くなっている(アブシャグル首相自身、30年以上も米国で大学教員として亡命生活を送ってきたが、世俗派でなく同胞団と近い)。 (Perfect storm over Libya

 9月11日の駐リビア米国大使の殺害は、ムハンマド中傷映画に激怒したデモ隊が米大使館に乱入して大使を殺害したと報じられている。だが実際はそうでないようだ。リビア政府は数日前から米大使館に襲撃の危険を知らせていた。しかも9月11日、ベンガジの米大使館前では、デモがほとんど起きなかった。襲撃者たちは、大使館内で大使が隠れている場所を的確に知っていた。犯人像は「イスラム過激派」「アルカイダ」「カダフィ派の残党」など諸説あるが、誰の犯行にせよ、これで米国はリビアの政治に介入する活動しにくくなり、エジプトの影響を受けた同胞団の政治力が増すだろう。 (No demonstration before attack on US Consulate, source says) (Was Benghazi Attack Planned? Libya Says Yes, US Says No

▼イランとサウジを和解させたいエジプト

 中東などイスラム世界の全域で、911以来イスラムを敵視してきた米国や、この200年間イスラム世界を植民地化してきた米欧全体に対する怒りが渦巻いている。時期的に「911」に同期するかのように、米国の右派がムハンマド中傷映画を出してきたことにより、この怒りがさらに扇動された。米国(米イスラエル)の右派は、911やイラク戦争以来、イスラム世界を敵に仕立てる戦略を過剰にやり、逆に米国の覇権を揺るがし、イスラエルを危険にさらしている。彼らは親イスラエルのふりをした反イスラエルであり「隠れ多極主義者」である。 (Israeli Foreign Ministry officials say U.S. ignored Arab radicalization

 エジプト革命が起きるまで、米国の右派に扇動されてイスラム教徒が怒っても、それは怒りの発露だけに終わっていた。だが今、エジプトが米国の傀儡から脱してムスリム同胞団のモルシー政権ができ、シリア、リビア、チュニジア、アルジェリア、ヨルダン、パレスチナなどでも、同胞団が政治力を拡大し、いずれ与党になるかもしれない。エジプトの同胞団は、イランやサウジアラビアなどと交渉しつつ、中東を対米従属から離脱させ、中東を自立した政治力を持つ地域に変えようとしている。ムハンマド中傷映画の事件は、米国に、その傾向を扇動する動きがあることを示している(そもそもエジプト革命は、米政府がムバラク前大統領を見捨てて辞任させたので起きた)。 (やがてイスラム主義の国になるエジプト

 エジプトが画策する中東の自立策の次の動きになりそうなのが、シリア内戦の解決だ。モルシー大統領は、イラン、サウジアラビア、トルコ、エジプトの4カ国でシリア内戦を調停し、アサド政権を退陣させ、代わりに民主的な政権を作ろうとしている。歴史的に、シリアの最大野党はムスリム同胞団だ。今は弱い勢力になっている同胞団を立て直し、シリア内戦和解後の選挙までに、同胞団を最大政党に育てるのがエジプトの策略だろう。 (Egypt's president trying to persuade Iran to drop Assad with promises of easing isolation

 エジプトはシリア和解を仲裁して漁夫の利を得ようとしているが、エジプト案は同時に、イランとサウジにも利益がある。イランが従来のアサド政権支持をやめてアサドを下野に導くことを条件に、エジプトは、全力で国際社会で米欧イスラエルに核武装の濡れ衣をかけられてきたイランの名誉回復を支援する。イランは先日の非同盟諸国会議を主催し、発展途上諸国の間で尊敬される度合いを強めており、エジプトに支援されれば、イランの力はさらに増す。エジプトは手始めに、米欧に制裁されて売れなくなっているイランの原油を買う話を進めている。エジプトとイランは外交関係が絶たれたままだが、エジプトとイランの談合が成立したら、国交が回復するだろう。 (Egypt may step in to buy Iranian oil

 エジプトは、イランとの関係修復をテコに、サウジを引っ張り込む提案をしている。サウジ東部と隣接するバーレーンは、イランとの関係が深いシーア派イスラム教徒が多い地域で、昨年からの中東革命の影響を受け、サウジ東部やバーレーンで民主化要求運動(多数派のシーア派が、少数派のスンニ派から政治権力を奪おうとする運動)が根強く続いている。イランは、この運動を隠然と支援している。サウジが産出する石油の大半は東部の油田で出している。東部の政情不安はサウジ王政にとって致命的だ。エジプトはこの点を突き、シリアでサウジが反政府派への支援をやめ、イランがアサドへの支援をやめてエジプト主導の仲裁に応じ、サウジがイランを自国と同格の中東の大国として認めて協調する代わりに、イランはサウジやバーレーンでの民主化運動支援をやめてサウジ王政の安定を容認するという、サウジとイランの和解案を提案している。 (The mystery of the Syria contact group

 エジプトの提案は、シリア内戦の調停を軸に、スンニ派の盟主サウジと、シーア派の盟主イランとの長い対立を和解させることを目指している。1979年に米国が扇動して起こしたイラン革命以来、米イスラエルは、スンニとシーアの対立を扇動し、イスラム世界の分裂状態を恒久化して支配してきた。モルシーのエジプトは、シリア内戦の調停によってサウジとイラン、スンニとシーアの対立を和解させ、同胞団の影響力を拡大しつつ、中東を欧米支配から自立させようとしている。 (自立的な新秩序に向かう中東

 対米従属を国是としてきたサウジは、エジプトの提案に乗るかどうか迷っている。サウジの外相は、エジプトが提案した4カ国会議にも、イランが主催した非同盟諸国会議にも、出ると言ったのに現れなかった。イランと和解することは、米国との同盟関係の終わりになりかねない。サウジに巨額の武器を買ってもらっていた米国の軍産複合体からは、強い抑止が入っているだろう。だが半面、イランと和解しなければ、大油田地帯であるサウジ東部の不安定化がひどくなる。中東での民主革命の影響で、サウジでは東部のシーア派だけでなく、首都リヤドでも政治と言論の自由化を求める声が強くなっている。最近、政治活動家に有罪判決を出すことにうんざりした50人以上の裁判官が、抗議の辞任をしている。サウジが対米従属をやめると、中東は大転換する。 (Dozens of Saudi judges resign in protest at regime pressure) (◆サウジアラビアの脆弱化

▼なし崩しになるイラン核問題

 シリア問題と並び、イラン核問題も、中東政治、ひいては国際政治の大転換につながりそうだ。いまや米欧(G7)以外の、新興諸国(BRICS)と途上諸国の多くが、米国がイランに核兵器開発の濡れ衣をかけていることを批判している。国連のIAEAで米国が新たなイラン制裁案を提案したが、南アフリカが文言修正を提案し、他の途上諸国が賛同して、内容を骨抜きにした。 (South Africa throws U.N. nuclear meeting on Iran into disarray

 国際的な力関係の転換で、米国がイラン制裁を持続する困難さが増している。米国は、日韓などアジア諸国にイラン原油の輸入を認め、アジアばかりずるいと突き上げてきたEUの11カ国も、制裁を遵守すべき諸国から外した。「他の諸国と同様、イランにも核(原子力)の平和利用権がある。イランのウラン濃縮は合法だ」とする途上諸国の主張を、米欧も受け入れざるを得なくなり、米欧も「イランは20%までのウラン濃縮をしても良い」と認めることを検討している。 (11 states get Iran sanctions exemptions

 イスラエルも先日、イランに20%までのウラン濃縮を許すことにしたと報じられている。イランは医療用アイソトープ製造の原子炉で20%濃度のウランを作っており、これがイランのウランの最大濃度だから、米欧イスラエルが20%濃縮を認めたことは、イラン核問題の解決を意味している。 (Israel accepts Iran 20% enrichment

 米オバマ政権は、核問題でイランに濡れ衣をかけるのを、なし崩し的にやめていこうとしているようだ。米国などNATO軍は来年末までにアフガニスタンから撤退する予定で、撤退に際してアフガンの西隣のイランに協力を得る必要がある。NATOは表向き、自分らが育てた新生アフガン軍が十分に強いと言っているが、実際のところアフガン軍は士気が低く、タリバンのスパイに入り込まれており弱い。 (Audacious Raid on NATO Base Shows Taliban's Reach

 だからNATOは本音のところ、アフガン撤退には、イランやロシア(中央アジア)、パキスタン(とその背後の中国)の協力が不可欠と考えている。米国には、アフガンからの撤退に反対する声もあるが、英国やドイツなど他のNATO諸国は、できるだけ早くアフガン占領の泥沼から撤退したい。NATO諸国の本音は、イランを核問題で許す代わりに、アフガン撤退に協力してもらいたい。すでに国連は先日、イランがアフガンの難民問題で良く協力していると、イランを賞賛するコメントを発している。 (British DM: Troops Could Withdraw From Afghanistan Sooner) (UN lauds Iran's help to Afghan refugees

▼エジプトはイランとイスラエルも和解させたい

 米欧がなし崩し的にイランを許すことに最も恐怖を感じているのはイスラエルだ。エジプトとサウジが対米従属をやめてイランと組み、対照的に中東で米欧の影響力が減退したら、イスラエルは孤立を深め、核ミサイルを世界に向かって発射しつつ滅亡することになりかねない。米国の右派はイスラエルに「早くイランと戦争(して自滅)せよ」とけしかけている。イスラエルがイランを空爆するのは米大統領選挙前だとか、いやいや9月25-26日のヨムキプル(贖罪の日)の休日に開戦だとかいった、まことしやかな予測が流布している。 (Bolton to Israel: Attack, It's Your Right) (Former State Dept. Veteran Drops Bombshell: WWIII Starts Sept. 25, 2012

 だが私は、イスラエルはイランを空爆しないだろうと思っている。イスラエルのネタニヤフ首相は、米オバマ大統領に、イランを許さず何らかの明確な歯止めをかけてくれと強く頼んだが断られ、9月末の国連総会時の面会まで断られた。オバマは、ネタニヤフの戦争につき合う気がないことを表明した。これを受け、イスラエルでは11月の米大統領選挙でロムニー候補を推す動きが広がったが、ロムニーが負けてオバマの続投になった場合、米国とイスラエルの関係がますます疎遠になる。 (After Dempsey Warning, Israel May Curb War Threat) (In unusual snub, Obama to avoid meeting with Netanyahu

 イスラエル軍は、燃料のすべてを米国に頼っている。米国の同意を得ないままイランを空爆して戦争が1カ月以上に長引いた場合、燃料切れで勝利を得られず、不利な条件で停戦せざるを得ない。これは事実上の敗北であり、その後のイスラエルは今よりさらに弱い立場になる。停戦しない場合、追い込まれて核兵器を使うかもしれないが、これは放射能をばらまきつつイスラエル自身も国家滅亡する道だ。 (ANY FIRST STRIKE ON IRAN BY ISRAEL IS IMPOSSIBLE WITHOUT THE U.S.

 米国は、イランが台頭して米国が中東から影響力を減じた後、どうやってイスラエルが国家存続していけば良いかについて、何の助け船も出していない。イスラエルの最大の擁護者だったはずの米国は、最も助けてほしい今の時期に非常に冷淡だ(日本の対米従属論者は、これを肝に銘じておいた方が良い)。最近、カナダが親イスラエル的な行動としてイランと国交を断絶したが、これも実は全くイスラエルのためにならない。カナダの現政権が、米イスラエル右派の傀儡であることを示しただけだ。アングロサクソンの本質が表れている。ケベック州の人々は、偽善的なカナダに愛想を尽かし、分離独立を目指すケベック党を選挙で勝たせた。 (Canada being steadily Zionized

 イスラエルの今後を考えてくれる国は、米国や欧州でなく、エジプトや中国やロシアである。エジプトのモルシー政権は、シリア内戦の調停を通じてエジプト・サウジ・イラン・トルコの4大国が中東の問題を解決する枠組みを作った後、その枠組みを活用してイスラエルと交渉してパレスチナ問題を解決し、イランとイスラエルを和解させて、イスラエルを国家存続させようとしている。 (Can Egypt Defuse the Iranian Nuclear Crisis?

 米国は、この交渉に形式的にしか参加しないだろうが、ロシアや中国、それから政治統合によって対米従属を脱していくEUが、交渉に参加するだろう。EUは、英国の反対を無視する新たな多数決の原理を導入し、ドイツ主導で外務省と外交政策の統合を進めている。中国も最近、イスラエルに接近している。 (EU heavyweights call for radical foreign and defence policy overhaul) (◆多極化に呼応するイスラエルのガス外交

 国連のIAEAでは、イランの核問題が解決の方向になるとともに、イスラエルの核兵器を廃棄させようとする動きが、アラブ諸国の主導で加速している。パレスチナ自治政府は、国連総会での国家承認を提案する予定で、国家承認されると国際刑事裁判所でイスラエルの人権侵害を提訴できるようになる。 (Kuwait urges inspection of Israeli nuclear facilities

 イスラエルは、イランを空爆しなくても、少し前までの北朝鮮や、アパルトヘイト時代の南アフリカ並みの「悪」に突き落とされつつある。最近、南アがイスラエルへの批判を強めているのは歴史の皮肉だ。イスラエルは、モルシーが提案する和解案に乗らざるを得ない。ヨルダン川西岸からの撤退が必要だ。政界に巣くう、撤退を拒む右派勢力(指導者の多くが米国出身)を弱体化させることが必要だ。200発以上あるとされる核兵器の破棄も必要になる。 (Nuclear-free Middle East might be the answer) (25 years after slapping sanctions on South Africa, tables have turned on Israel

 中東は、日本周辺の東アジアに比べ、歴史的な大転換が先行している。敵対を扇動する米国の策がやりすぎによって失敗し、米国の影響力が減退するとともに、対米従属の諸国が困窮して国是の転換を迫られ、米欧の支配が減少し、外交的に自立した地域になっていく。中東でイスラエルやサウジアラビアの位置にいる国が、東アジアでは日韓、特に日本だ(韓国は対米従属から中国重視に転換しつつある)。

 日本は今、対米従属を維持するために尖閣諸島の土地国有化問題で中国の怒りを煽った。中国側では、中道派(穏健派。胡錦涛や習近平、外交部など)に対する急進派(左派。人民解放軍や、薄熙来を担いでいた勢力)の巻き返しが、反日デモのかたちをとって盛り上がっている。中道派は親米親日だが、急進派は反米反日の傾向が強い。日本は尖閣問題で、おそらく意図的にでなく結果的に、中国の急進派の台頭を煽っているが、これは今後いずれ米国が財政難などを経て覇権の失墜を加速させたとき、日本を不利な立場に追い込む。 (These Anti-Japan Protests Are Different) (In protests, Mao holds subtle messages for Beijing

 読者の中には、こんなご時世だから中東情勢でなく尖閣など日本関連の記事だけ書けと言う人がいるが、視野が狭い。日本の将来を考えるためには米国の覇権動向分析が不可欠で、それには中東などの国際政治や米金融界、米政界に関する分析が不可欠だ。中国情勢については改めて書く。



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