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揺らぐ経済指標の信頼性

2013年3月21日   田中 宇

 米国経済が、08年のリーマン倒産後の不況を脱し、好調さを取り戻しつつあると報じられている。2月分の米国の雇用統計は、非農業就業者数が前月比23・6万人増と、事前予想の16万人増を大きく上回った。失業保険の申請数は下がり続け、失業率は7・7%まで下がってきた。リーマン危機から低迷していた住宅市況が改善して新築住宅着工数が増え、連動して建設業界の新規雇用が増えているという。 (US jobs data show economic renewal) (Goldman Sachs Upgrades Economic Forecast

 米国の住宅販売はリーマン危機以来の最多になっている。地価も下げ止まっている。米国民はもともと引っ越し好きで、より高給な雇用機会を求めて、東海岸や中西部から、南部や西海岸への移住が多かったが、リーマン危機後、この動きが止まっていた。だが最近、経済の再活性化とともに、人々の移動が再び増えているという。 (Americans on the Move Again) (US home sales reach post-2008 high

 リーマン危機後に減少した米国の家計の総資産も再び増加に転じている。株高などに支えられ、米家計の総資産はリーマン危機前の92%まで回復したという。 (American Households Regain 92% of Wealth Lost Since 2007

 加えて、米国の小売業の売上高は2月分が前月比1・1%の増加で、こちらも事前予想の0・5%増を上回り、昨年9月以来の大きな増加幅となった。米経済の大半は、生産でなく消費で占められている。消費増を受けて2月時点のGDPは0・4%の伸びとなった。 (US retail sales record healthy growth

 米国経済の好調さと対照的に、欧州や日本の経済は危機的な状態が続いている。欧州は、EUがキプロス政府に銀行預金への課税を新設させたことを機に起きた取り付け騒ぎが、イタリアやスペインに波及してユーロ危機が再燃するかもしれないと報じられる状況だ(ドイツは、ロシアにキプロスを救済させたいので危機を看過しているようだ)。2月下旬のイタリアの議会選挙で、EUが財政統合の一環としてイタリアにやらせている緊縮財政政策に反対する候補者たちに票が集まった。このイタリアの選挙はEU統合に対する拒否であり、最終的にEU統合は失敗に向かうと、米英の分析者たちが言っている。 (Why today's Cyprus bailout could be the start of the next financial crisis) (Nouriel Roubini: Italy a `Tsunami' Risk

 ユーロも円も状況が悪い。日本は、日銀総裁が黒田になった後、円安を加速すべく、さらなる緩和策が行われるだろう。黒田はリスクの大きなデリバティブを買い支えることも検討している。危ない資産を買い漁って日銀に対する信用を意図的に落とし、円安傾向を増加させようとしている。中国で住宅バブルが拡大しているという説もある。 (China's real estate bubble) (Kuroda Says Bank of Japan Will Consider Buying Derivatives

 世界の主要国の経済と通貨が悪い中で、米国だけ経済が好転し、ドルは消去法で世界で唯一の基軸通貨であり続けている。昨年来の米連銀の量的緩和策(QE。ドル過剰発行)によってドルの弱体化が進んでドル崩壊が起きる、などと言っていたやつらは大間違いだ、と米英マスコミが書いている。ダウ平均株価は史上最高値だ。米連銀を真似て量的緩和策を急拡大する日本の株価も上がっている。 (Dollar is the only serious reserve player

 私はこれまで、連銀の緩和策でドルが弱体化し、いずれドル崩壊が起きると、何度も書いてきた。まさに私は、大間違いで頓珍漢なやつらの一人になるわけだ。ちょうど10年前の米軍イラク侵攻直前、イラクに大量破壊兵器がないとか、米国がイラクを占領しても失敗するとか、人々の失笑をかうような「ヨタ話」を書いていたころから、「田中宇の空想のインチキさ」は、ネット上でよく知られた話だった。 (米イラク攻撃の謎を解く) (ドル過剰発行の加速

 ・・・自嘲的な逆説話は、事情に詳しくない読者、文書を言葉通りにしか読めない人々を混乱させるので、このぐらいにしておく。イラク戦争の失敗にせよ、リーマンショックに象徴される米国の債券バブルの崩壊にせよ、多くの情報に目を通していくと、失敗や崩壊を事前に予測させる兆候がいくつもあった。そして、日本や世界の人々の多くは、そうした兆候をもとに失敗や崩壊を予測する指摘を本気にしなかったか、指摘自体に接する機会がなかった。事前の警告が無視・軽視されたり嘲笑されたりするものだということも知られないので、警告を軽視しない方が良いということにならず、事前警告を発する人は嘲笑され続ける。

 米経済の好調さは、粉飾されたものだ。たとえば雇用について、失業者が減っているのなら、総人口に占める就労者数が増えるはずだが、その比率は、リーマンショック前の07年初めの63・3%から、10年初めに58・5%まで落ち、その後横ばい状態が続き、今も58・5%だ。失業者が減っているのは、雇用者が増えたからでなく、職探しをあきらめて失業者の範疇から外れた人が多いからだ。米国の失業者の中で、1年間以上失業している人の割合は、07年末に17・4%だったが、今では40%を超えている。米政府の財政難の中、公立学校の教師を中心に、09年以来、74万人の公務員が削減された。今後の財政一律削減策で、公務員の解雇がさらに進められる。 (DOW CLOSES AT BRAND NEW ALL-TIME RECORD HIGH: Here's What You Need To Know

 米国では07年末以来、フルタイムの職が580万人減った半面、パートタイムの職が280万人増えた。労働人口に占めるパートの割合はこの間に、16・9%から19・2%に上がった。就業者数が増えている大きな要因は、企業がフルタイムの従業員を解雇し、給料がより安いパートを雇ったことだ。米国では、仕事が減っても失業率が上がって見える「工夫」が行われている。人々の収入が減る傾向にあるのだから、家計の改善とか消費の復活が起きるとは考えにくい。それらを描いた記事は、何らかの仕掛けを持った粉飾であると疑った方がいい。 (February employment report masks depth of US jobs crisis

 米国では、粉飾的な住宅相場のテコ入れ策も行われている。米金融界の債券バブル崩壊の元凶は、住宅相場の下落によって、住宅ローン債権を債券化した不動産担保債券が元本割れして破綻したことだ。その後、連銀がドルを過剰発行する量的緩和策で意図的に金あまり状態を作り、いったん崩壊した債券の相場を立て直して延命させているが、住宅相場が回復しないと、いずれまた債券システムが壊れる。

 米政府は、ローン返済ができなくなった人の自宅を競売にかけず、ローンの返済を継続させ、銀行に生じた損失を政府補助金で埋める政策を展開したが、返済不能になったローン債務者の多くはもともと低所得(サブプライム格の人々)で、リーマン危機後の不況で収入がさらに減り、返済を再開できる状況にない。 (Wholesale Foreclosure Sales Planned

 米政府は、債務者に返済を再開させる策をあきらめ、代わりに連銀の金あまり策を活かし、金融機関が債務者から没収した滞納物件を買い取る住宅投資基金を金融界が作り、物件を賃貸化、塩漬け、償却(家を壊す)することで、金融界の不良債権の拡大を防ごうとしている。表面的な住宅価格の下落を止めておけば、金融機関が持っている不動産担保債券は破綻しない。連銀は、その債券を量的緩和策の一環として金融界から買い取って銀行を救済している。連銀は、金融界のすべての腐った紙切れを吸い込んでいる。 (全ての不良債権を背負って倒れゆく米政府

 米国の「景気回復」は、雇用と住宅市況が改善している見かけ上の感じを作り出し、連銀の金あまりで株式市場に資金を流して株価を引き上げて演出されている。こうした粉飾を取り払って考えると、米国は昨年後半から再び不況に入っていると指摘されている。 (ECRI's Achuthan: US recession began in mid-2012

 連銀が量的緩和策(QE)を使って米経済の回復を演出していることは、投資家たちも知っている。QEを続けるほど、連銀は金融界の腐った紙切れを貯め込んで潜在的に弱くなり、いずれ弱さが顕在化する。連銀内では、QEを早くやめるべきだという主張が強まっている。QEをやめると、米経済の化粧がはがれ落ちる。株式市場は、連銀がQEをやめそうだという話に敏感に反応している。 (The Dow Hits An All-Time High! Translation: A Bubble Is Always Biggest Right Before It Bursts) (Fed sets up risk of future disappointment

 緩和策をある程度やって、実体経済が好転し始めたら、引き締めに転じるのが健全な中央銀行だ。だが今回、米経済の好転は見せかけで、実のところ悪いままだ。経済が好転しているように見えるからといって連銀が引き締めに転じたら、リーマンショックよりもっとひどい金融危機が再燃する。米国債からジャンク債までの債券金利が上昇しそうだという予測が、最近あちこちから出ている。 (Fed Mulls Putting a 'Not For Sale' Sign on Its Assets) (Investors ready for high-yield sell-off) (Volcker Says Weakening the Fed's Stimulus `Liquor' a Challenge

 世界のデリバティブの9割を、米国の4大銀行が保有しているが、その中でも特に多くのデリバティブを持っているのが、デリバティブ商品の発明者といわれるJPモルガンチェースだ。一行で世界のGDP総額に匹敵するデリバティブ残高を保有している。米財務省の元幹部ポール・クレイグ・ロバーツは最近、JPモルガンが世界の金融システムを不安定にしていると指摘している。前回の危機はリーマンブラザーズの破綻ではじけた。次回の危機はJPモルガンの破綻ではじけるかもしれない。その悪影響は、リーマン破綻時よりもはるかに大きくなる。 (Former US Treasury Official - US Financial System To Collapse

 ドルを守るための相場粉飾の疑いとして以前から指摘されているものに「金融界が金相場を操作している」というのがあるが、この件について、在ロンドンの主要銀行が毎日会合を開いて金の価格を決める際、価格を操作するための談合が行われているとの疑いを英当局が持ち、捜査することになった。ロンドンの銀行間金利LIBORを粉飾する談合が発覚し、ロンドンの他の相場でも談合による粉飾が行われていないか捜査することになり、金も調査されることになった。LIBORにしても金にしても、粉飾は何十年も前から当局の黙認下で続けられてきたのだから、いまさら捜査とは茶番だが、何か政治的な事情があるのだろう。 (How London's Gold and silver prices are "fixed"

 米連銀は何年間も量的緩和を続けてきたが、日本は昨年後半から政府が日銀に圧力をかけて量的緩和を開始し、安倍政権が、連銀より早く行き詰まりに到達したいかのような性急さで緩和策(円の増刷)を「アベノミスク」として急拡大している。これは円と日本国債に対する信用を揺るがす行為で、2%を大きく超える有害なインフレを引き起こしかねない。 (日本経済を自滅にみちびく対米従属) (円をドルと無理心中させる

 年初来、そのような指摘をする私は「頓珍漢な経済素人」のレッテルを貼られ嘲笑されているが、FT紙は今日「超インフレに向かう日本」と題する記事を出した。今後目標値を超えてインフレがひどくなると、日銀は日本国債の買い支えを含む量的緩和をやめていくが、そうすると国債金利が上がり、インフレ傾向が止まらなくなる。現在、日本政府の支出の4割が国債の利払いにあてられているが、インフレが目標値の2%に達した時点で国債利回りが3%になり、政府支出の8割が国債利払いで消える計算となる。日本が世界のインフレスパイラルに火をつけるかもしれないとFT紙は警告している。 (Markets Insight: Japan sets course for hyperinflation

 日本国内でもアベノミクスへの批判が増えているが「安倍政権の量的緩和がやりすぎだから危ない」という主張と、正反対の「安倍政権の量的緩和は不十分だから足りないので危ない」という主張が出ているところが重要だ。結局、喧嘩両成敗で何の方向転換も行われない。これは、イラク戦争でネオコンが採った手法だ。実のところ米政府は十分に過激で、だからこそイラク占領は失敗したのだが、ネオコンは「米政府がもっとやっていたら成功したはずだ」と言い続け、争点をずらし、過激策が生き残るように仕向けている。アベノミクスは失敗するだろうが、信奉者は「反対派のせいでやり方が不十分になったから失敗したんだ」と言い逃れるだろう。

 日本をはじめとする世界の多くの人々が「経済指標が意図的に操作されることはない」と思っている。「ソ連や中国は経済指標をごまかしたが、市場重視の米欧日でそのようなことはない」「政治はごまかしに満ちているが、経済は厳然たる数字であり、ごまかしがない」という信仰(迷信)も根強い。だが、市場重視を掲げる米英の覇権体制が弱体化して揺らぎがひどくなる中で、米国などの政府系機関が出す経済指標の中に、状況の悪化を隠すためのごまかしが増える傾向となっている。 (The Huge Statistical Fog makes it necessary to change from instruments to visual navigation - Traps, benchmarks and templates

 インフレの指標で測定対象の商品を入れ替えるなど、統計の前提条件を変えることで都合の良い数字を出している例もある。米国のマスコミは、イラク侵攻前に米当局に乗せられて「イラクは危険な大量破壊兵器を持っている。今すぐ侵攻すべきだ」と間違った喧伝をして以来、政治面で信頼性が落ちた。そして今、米当局の金融延命策の一環としての経済指標のごまかしに積極的に乗ることで、経済面での信頼性も失おうとしている。



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