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トルコ反政府運動の意図と今後

2013年7月1日   田中 宇

 5月末から続いているイスタンブールを中心とするトルコの反政府運動は、まだ継続している。しかし、イスタンブールの街頭デモの規模は数十万人から数千人へと縮小している。運動が沈静化する半面、運動の最大の標的にされたエルドアン首相は、反政府運動による混乱の拡大に乗じて政治に再び介入してくる恐れがある軍部を抑制する法制の改定に乗り出すなど、政権転覆を防ぐための反撃を拡大している。 (Erdogan's Government Moves to Further Curb Turkish Army's Powers) (Quo vadis AKP?

 エルドアン政権(公正発展党。AKP)は2002年以来、3回にわたって総選挙で圧勝している。AKPは来年の選挙でも優勢が変わりそうもなく、十分に「民主的」な政権であり、報道がイメージ喚起する「独裁」でない。欧州とアジアにまたがるトルコのうち、今回の反政府運動の中心になった欧州側のイスタンブールには、欧米風のリベラル政治を好む世俗的(非イスラム的)な人々多く、彼らはイスラム主義を広めるエルドアンを憎悪している。だが、彼らはトルコ全体の人口比で見ると少数派だ。 (Is secular Turkey dying?

 トルコ国内でも、アジア側(アナトリア)には、エルドアンが進めるイスラム化に賛成の人が多い。イスタンブールでなく、アナトリアの人々が、トルコの多数派であり、エルドアンは彼らの得票によって3選されている。イスタンブールでエルドアンに下野を求める人々は、選挙でエルドアンを下野させることができないので、都市開発反対、都会の緑を守れ的な脇筋の運動にまぶしてエルドアンを批判している。選挙で勝てないのでデモで騒いで政権交代を試みるイスタンブールの人々や、世俗政治を好みイスラム主義を嫌うのでエルドアンの「独裁的なやり方」(「的」を入れて曖昧化して逃げ道を作っておくのがマスコミの手口)を非難する欧米マスコミの方が「非民主的」といえる。AKPはデモ隊に「選挙で戦うべきだ」と言っている。 (Erdogan in Trouble

 エルドアンは、トルコの政治体制を従来の世俗主義(政教分離)から、イスラム主義に転換させようとしている。エルドアンが首相になる直前の04年にも、イスタンブールを中心に、エルドアンの就任に反対する数十万人規模の政治集会が、世俗派主導で開かれている。今回の反政府デモは04年からの流れをくむものだ。

 今の時期に反政府デモが再発した一つの理由は、憲法改定によって、来年の大統領選挙後、トルコの最高権力が首相から大統領に移ることになっているからだ。反政府派は、来年エルドアン政権の長期化が確定する前にデモで下野させたいのだろう。AKPは党規約で党首の再選が3期までとなっており、エルドアンは来年、任期切れで党首と首相をやめねばならない。権力喪失を防ぐため、エルドアンは大統領の権限を首相以下から首相以上に引き上げる憲法改定を実現し、来年の選挙で自ら大統領に横滑りし、2期10年大統領をやるつもりだ。ロシアのプーチン大統領が、再選禁止条項を回避するため、大統領から首相になってまた大統領に戻る策を行ったが、エルドアンはプーチンの真似をしているようだ。 (Turkey: Erdogan-Gul ambitions behind the curtains

 トルコは、国家のあり方として、最近まで、イスラム色を排除した「世俗政治」に対して非常に強いこだわりを持っていた。トルコの近現代化は、13世紀からトルコを中心に存在していたイスラム政治体制(スルタン・カリフ制)のオスマントルコ帝国が、第一次大戦で英仏軍に破れて解体され、1920年代に国家を失って大混乱に陥ったところから始まっている。

 オスマントルコ帝国の領土のうち、英仏の影響下に入ったアラブやバルカンの地域を外し、トルコ民族が多く住むアナトリアを中心に、将軍ケマル・アタチュルクらによって近代トルコ国家(トルコ共和国)が作られた。トルコを強い国として再生するには、欧米の技術や制度を採り入れるため、オスマントルコの伝統を破壊し、政治を欧米化(非イスラム化、世俗化)するしかなかった。トルコにとって近代化(現代化)とは、政治の中からイスラム色を排除して欧米風の世俗政治の体制を作ることを意味するようになった。 (Turkey's Unrest: A Fight for Secularism

 現代トルコの初代大統領になったアタチュルクは、オスマン帝国の体制を壊すため、近代トルコの国是(基本方針)として、共和主義(オスマン帝国のスルタン制を否定)、世俗主義(反イスラム主義、政教分離)、トルコ・ナショナリズム(オスマン帝国はトルコ人主導だが汎イスラム主義で、言語もトルコ語のほかアラビア語やペルシャ語が使われる国際主義だった)など「ケマル主義」と総称される6項目を掲げた。ケマル主義から逸脱するイスラム主義者や共産主義者(親ソ連)は排除され、政府上層部が混乱や失策の傾向を見せると、軍部がケマル主義復活の名目でクーデターを起こして政権を転覆させたり、軍事政権化して政治介入した。97年には、イスラム主義のエルバカン政権が、軍のクーデターで潰されている。 (Kemalism From Wikipedia

 世俗主義が国是のトルコだが、イスラム主義を信奉する勢力はずっと存在し、エルドアン首相も1960年代からイスラム主義政党や政治運動に参加していた。89年の冷戦終結でソ連が消え、トルコにおいてイスラム主義と並ぶ野党系勢力だった左翼が弱くなった後、90年代後半にイスラム主義の政治運動が拡大した。80年代から政治家をしていたエルドアンは、その急先鋒だった。98年にイスラム主義運動を鼓舞した罪で投獄されたが、02年の選挙でイスラム主義政党AKPを勝たせて政権に就いた。エルドアンは03年から10年間、首相をしている。 (Justice and Development Party (Turkey)

 エルドアンは、軍部やマスコミ、法曹界などのケマル主義者たちが秘密組織を作って政権転覆の謀略を行っているとする「エルゲネコン事件」を暴いて(もしくはでっち上げて)主要な将軍たちを逮捕や退役に追い込み、軍部から権力を剥奪した。同事件では、世俗主義を信奉してイスラム主義を非難してきたトルコのマスコミ上層部も逮捕され、エルドアンはマスコミを黙らせた。 (Ergenekon From Wikipedia) (Mossad role in Turkey coup plot revealed

 今回の反政府運動を受けて軍部が再台頭しかねないため、エルドアンは軍部が持つ憲章の中の「治安が乱れたら軍が政治に介入してかまわない」という条項を議会に削除させる動きを開始した。この条項は、軍が初めてクーデターを起こした1960年に加筆されたものだ。 (Turkey's Erdogan seeks to further curb army power

 エルドアンの与党AKPは、自党について「イスラム主義政党ではない」と主張し、トルコの国是である世俗主義を変えるつもりはないと言っている。しかし、エルドアンやAKPを敵視するリベラル派(ケマル主義者)や左派は、その言葉を信じず、エルドアンが隠然とトルコをイスラム主義の方向に転換させようとしていると考えている。この疑念はおそらく正しい。急に厳しいイスラム主義の政治を導入しようとすると、イスラム主義化による社会的自由の抑制を嫌がる人々が増えて失敗するので、エルドアンやAKPは、表向きリベラル(世俗的)政治体制を重視する姿勢を保持しつつ、何年もかけて、禁酒や妊娠中絶禁止、ヘジャブ義務化などの規制を強化している。

 エルドアンは首相になった後、トルコのEU加盟を熱心に推進してきた。しかしこれも、自らを世俗的な指導者と見せかけるための策略かもしれない。エルドアンは若いころからイスラム主義を信奉しており、世俗主義の維持が前提のEU加盟を心底支持しているとは考えられない。トルコが世俗主義を離れてイスラム主義になる可能性がある以上、EUの方も本気でトルコを受け入れる気がない。だからトルコとEUの加盟交渉は、双方にとって、やっているふりだけだ。最初から実現する可能性が低いとわかっているので、エルドアンは熱心にEU加盟交渉を進めてみせ、国内のリベラル派からの反感を消そうとしたと考えられる。

 エルドアンは90年代前半にイスタンブール市長をした当初、政界のリベラル派から「エルドアンはイスラム主義化を推進するので危険だ」と批判されていたが、市長就任後、公共施設の改善など市民生活の向上に力を入れ、自らに対する人々の印象を転換させている。本当にやりたいことと別の、反対派が望むことをまずやり、人気や権力を掌握して何年も経ってから、本当にやりたいことを隠然とやり出すのがエルドアンの政治戦略のようだ。首相になった後も、エルドアンは政治のイスラム主義化より先に自由市場経済の改革を進め、それまでのトルコに欠けていた高度成長を実現し、再選を果たした後にイスラム主義化を顕在化している。 (Erdogan Tightens Grip on Turkey, Putting Nation at Crossroads

 こうした裏のある戦略はAKPの全体に言えそうだ。たとえば今回の反政府運動で「エルドアンを下野させ、代わりにギュル大統領を権力の座に就けよう」というかけ声があった。アブドラ・ギュルはAKPのナンバー2で、エルドアンの盟友だが、エルドアンよりも穏健な姿勢と言われている。急進派のエルドアンを外して穏健派のギュルに替えれば、イスラム主義化の動きが減速するというのが世俗派の読みだろう。しかし、ギュルは以前、エルドアンに劣らない強硬な急進派のイスラム主義者だった。AKPが政権をとるに当たり、エルドアンが急進派でギュルが穏健派という役回りを演じることにしたとも考えられる。エルドアンをギュルに差し替えたところで、AKPによるイスラム主義化の策略が続くことに変わりなさそうだ。謀略が多いのはイスラム政治の特色だ。イランやエジプトの政界も謀略が深い。 (Turkish Protests Highlight AKP's Power Struggle between Gul and Erdoan

 エルドアンやAKPは、なぜトルコを世俗政治から離脱させ、イスラム主義化したいのか。宗教的にイスラム教を強く信仰しているからと考えることもできる。しかし、国家戦略の面を重視すると、別の見方もできる。第一次大戦で勝った英国などは、オスマントルコを解体して支配したアラブ諸国をいくつもの国民国家に分割し、それぞれの国が個別のナショナリズムと非イスラム的な世俗政治体制を持つように仕向けた。近代トルコのケマル主義も、こうした英国の思惑に沿っている。

 こうすることで、当時の覇権国だった英国は、中東の人々がイスラムのもとに再団結することを防ぎ、シリアやレバノンやイラクやイランやトルコやクウェートやヨルダンやエジプトやスーダンやサウジアラビアといった、細分化されたナショナリズムに固執して、イスラム教どうし、アラブ人どうしが相互に対立し合う状況を作り出し、英国(欧米)が恒久的に中東を支配できるようにした。18世紀に欧州が産業革命で急発展するまで、中東は欧州より進んだ強い勢力だった。英国が、中東の恒久的な弱体化と分割支配を試みるのは自然だった。

 現代人は「民主的な国民国家こそ最良の国家体制だ」と刷り込まれているので、英国が中東に敷いた体制を「善」と思い込む人が多い。だが中東においては、細分化された国民国家よりも、汎イスラム、汎アラブ的なイスラム主義政治の方が、結束や安定、繁栄を生むことができる。このような考え方に基づくと、エルドアンやAKPがトルコの政治をイスラム主義化しようとしていることは、信仰上の問題でなく、自国とイスラム世界を強化し、第一次大戦以来の100年間の欧米支配からの脱却をめざす策略と考えられる。 (Is Erdogan's Turkey the Next Putin's Russia?

 01年の911事件以来、米国のイスラム敵視の単独覇権主義の反動として、中東全域でイスラム主義運動が勃興している。パキスタンからモロッコまでのイスラム諸国のほとんどすべてで、イスラム主義運動の政治勢力(王室を含む)が、与党もしくは最大野党になっている。世俗政権が維持されているのは、シリアとヨルダンぐらいだ。トルコの動きは、イスラム世界の全体の動きに合致している。

 トルコは、中露と中央アジア諸国で構成する「上海協力機構」に加盟していく方針を持っている。イランやパキスタン、アフガニスタンも、上海機構への加盟を希望している。トルコ、イラン、アフガニスタン、パキスタンといった中東の北辺の国々は、上海機構の版図(中露の影響圏)と接しており、上海機構の拡大は、中露と中東との協調を強化する。これは、今後の世界の多極型の覇権体制を象徴する動きだ。 (Turkey Sees Future in Asia With Joining SCO) (Turkey considers Shanghai organization an alternative to EU

 エルドアン政権は、クルド人との和解も進めている。クルド人をトルコ人の中に同化させようと試み、クルド人がそれに反対して分離独立運動で対抗する従来の構図は、トルコがケマル主義に基づく「トルコ・ナショナリズム」を追求していたことに基づいている。トルコがイスラム主義に転換するなら、クルド人もトルコ人もイスラム教徒であり、トルコの中に2つの民族がいて何の問題もない。エルドアンがクルド人と和解するのは当然の動きだ。

 エルドアンやAKPは、トルコがアラブ諸国やイランを支配していたオスマントルコ時代の国際影響力を復活しようとする「新オスマン主義」の戦略を隠し持っているとリベラル派が疑っている。トルコが新オスマン主義に向かっているなら、いずれイランやアラブ諸国との対立が激しくなる。これは、スンニ対シーアの宗派対立や、取り残されるイスラエルとの関係と合わせ、今後の中東の不安定要素になる。

 しかし、トルコ・アラブ・イランという中東の3大勢力間の抗争や、スンニとシーアの対立、イスラエルとイスラム世界の対立(パレスチナ問題)は、いずれも欧米が中東を分割支配する戦略の一環として、欧米によって煽られてきた経緯がある。米国の中東覇権が減退し、中東諸国がイスラム主義で統合協調を強めることができれば、中東内部の対立は、外部から煽られなくなる分、現在よりも弱くなり、乗り越えやすくなる。イスラエルも、米国の後ろ盾が完全になくなると、イスラム世界に対して譲歩せざるを得なくなる(イスラエル右派は、その前に米国を巻き込んで戦争を起こそうとしているようだが)。

 トルコに続き、エジプトで、ムスリム同胞団のモルシー政権を潰そうとする反政府運動が盛り上がっている。反政府運動でモルシー政権が潰れたり、エジプトが混乱して弱体化すると、イスラエルにとって好都合だ。反政府運動の背後関係が気になるところだ。中東のイスラム主義化は一本線で進まず、行きつ戻りつの煮え切らない動きになっている。サウジなど湾岸産油諸国とイランとの対立も強いままだ。しかし、10年ぐらいの長期で見ると、中東は、イスラム化と脱傀儡化が進んでいることがわかる。

 トルコやアラブ諸国がイスラム主義化していくのをしり目に、欧州はEU統合を推進している。EU統合は、欧州(欧米)が世界を支配する覇権勢力でなくなりつつあることと同期した動きだ。欧米が世界を支配し続けるなら、欧州だけでEUとしてまとまる必要はなく、世界規模の自由貿易体制のみが重要になるはずだ。トルコはイスラム世界と統合していき、それと別の動きとして、EUが政治統合している。これはトルコ(やイスラム世界)とEUとの対立激化を示すのでなく、むしろ逆に、いずれ米国覇権が失われた後の多極型の世界において、イスラム世界とEUが別々の極として存在しつつ、相互に協調することを意味している。問題は、その「いずれ」がいつ来るのか、その前に何が起きるのかだ。イスラエルの核戦争や中東のさらなる混乱、もしくは米国発の金融大崩壊が起きるのか、などが気になる。

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