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中国敵視を変えたくない日本

2014年11月12日   田中 宇

 11月10日、北京で開かれたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)に出席した安倍首相が、中国の習近平国家主席と会い、今の安倍政権として初めての日中首脳会談がようやく実現した。会談は日本側の希望で行われ、中国側は会談に応じる条件として、安倍が首相として靖国神社を参拝しないことや、日本が尖閣諸島問題で「領土紛争は存在しない」とする従来姿勢を改め、中国と領土紛争が存在していると認めることを求めていた。 (Hopes rise of meeting between China's President Xi and Japan's Abe

 日中は11月7日、安倍政権の谷内正太郎・内閣官房国家安全保障局長が訪中して副首相級の楊潔チ・国務委員と会談し、歴史認識や尖閣の問題に関して「日中関係の改善に向けた話合い」と題する4項目の声明文をまとめた。声明は「両国関係に影響する政治的困難を克服する」「尖閣諸島等東シナ海の海域において近年緊張状態が生じていることについて異なる見解を有していると認識し、対話と協議を通じて、情勢の悪化を防ぐ」などと表明している。 (日中関係の改善に向けた話合い

 4項目の声明文を前提に安倍と習が会い、安倍は中国側に首相である限り靖国参拝しないことを約束したのでないかと推測されている。習は、安倍と握手する際に笑顔を見せず、言葉も交わさず、安倍が靖国や尖閣で中国との対立を煽ることを不満に思っている態度を見せた。しかし、中国国営の新華社通信は、これで日中関係が改善しそうだと報じ、中国共産党の機関紙である人民日報は「日本は民主主義国であり、日本の政治家は、中産階級の意志や経済状況を無視できない。日本の軍国主義が再台頭する可能性はそれほど高くない」という論調の記事を載せた。中国政府は、日本との関係改善に期待している感じだ。 (Tensions ease as China, Japan resume talks) (Is China Trying to Mend Fences With Japan?) (Commentary: Thawing China-Japan ties require strategic perspective

 しかし、4項目の声明文が定められて日中英3カ国語で発表された過程を見ると、必ずしも歴史認識や尖閣の問題で日本が中国に譲歩したわけでないと、ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)が分析している。WSJによると、安倍訪中に先立って谷内と楊が会って声明文の内容について議論したとき、2人は中国語版の声明文をたたき台として話し合い、中国語版が2人の間の正式な合意文書になった。日本政府はその後、正式版である中国語版を訳して日本語版を作り、そこからさらに英語版も作って発表した。中国政府は、日本と別個に、中国語版を翻訳して英語版を発表した。声明文は2種類の英語版が存在することになり、それらの間で論調が微妙に食い違っているとWSJが指摘している。 (Who Gave Ground? China, Japan Tweak Translations to Claim Victory

 食い違いは、尖閣問題と歴史認識問題の2分野にある。中国政府による英訳だと「日中は尖閣問題で異なる立場(positions)をとっていることを認識し、対話によって状況悪化を防ぐことで合意した(agreed)」となっている。日本政府による日本語版からの英訳では「日中が尖閣問題で異なる見解(views)をとっていることを認識し、対話によって状況悪化を防ぐことで見解が一致した(shared the view)」となっている。 (中国語版からの翻訳 Yang Jiechi Meets National Security Advisor of Japan Shotaro Yachi) (日本語版からの翻訳 Regarding Discussions toward Improving Japan-China Relations

 4項目合意の正式な原文である中国語版は「日中は、尖閣問題で異なる『主張』を持っていることを認識し、対話によって状況悪化を防ぐことで『同意』した」となっている。中国語のオンライン辞典「百度」によると、「主張」という漢字の中国語としての意味の一つは「対某種行動提出見解」で、英語の意味の一つは「view」だ。原文にある「存在不同主張」を、日本外務省が「異なる見解を有している」と訳し、そこから英訳して「they had different views」としたのは「間違い」といえない。しかし、微妙な「ニュアンスのずらし」ではある。 (国務委員楊潔チ会見日本国家安全保障局長谷内正太郎) (百度中国語辞典「主張」

 前出のWSJによると、中国政府は「尖閣の領有権をめぐって日中間に主張の対立があることを日本側も認め、日中で対策をとることにした」と意味づけたいのに対し、日本政府は「尖閣の領有権をめぐる紛争は存在しない。中国が尖閣周辺の日本の領海や領空を侵犯してくる問題をめぐって、日中間で見解の相違があり、それを解決した方がいいという点で同意したのが4項目声明だ。尖閣の領有権のことは、今回の声明に含まれていない」と意味づけている。

 中国政府は、日中間に尖閣の領土紛争が存在しており、紛争解決の話し合いをせねばならないことを日本政府が認めることを、習が安倍に会う条件としており、4項目声明でこの条件が満たされたのでAPECで習が安倍に会ったと報じられている。しかし日本政府は、尖閣の領土問題は4項目声明に含まれていないという認識だ。日本は、自国の方から日中首脳会談をやりたいと中国に申し入れながら、中国の裏をかいて条件を満たさず、従来からの日本の主張を巧妙に保持したまま、安倍が習に会ったことになる。 (China and Japan, in Sign of a Thaw, Agree to Disagree on a Disputed Island Group

 英訳文が日中で異なるもう一つの点は歴史認識だ。中国語版とその英訳では「双方は、歴史を直視し、両国関係に影響する政治的『障碍』(political obstacles)を克服することについて『一些』(いくらかの)『共識』(共通認識)を達成した(reached some agreement)」となっている。日本語版とその英訳では「双方は歴史を直視し、両国関係に影響する政治的困難(political difficulties)を克服することで若干の認識の一致をみた(shared some recognition)」となっている。

 中国政府は、安倍首相の靖国参拝が象徴する歴史認識問題を日中間の「障害」と言いたいのに対し、日本政府は、内政問題である首相の靖国参拝に対して中国が勝手に文句を言ってくる「困難」な問題だと言いたいという違いだとWSJは指摘している。谷内と楊の会談での合意についても、中国は「協約」とも訳せる「agreement」という強い表現を使ったのに対し、日本は「会話の中で意見が一致した」という感じの弱い表現の「shared some recognition」を使っている。どの程度の合意があったのかを示す「一些」も、中国は「ある程度の」と言いたいが、日本は「少し」を意味したくて「若干」を使っている。中国語辞典は「一些」の意味の一つを「若干」と書いている。日本政府は間違っていない。翻訳が巧妙なだけだ。 (百度中国語辞典「一些」

 日本政府は今回、靖国や尖閣について主張を曲げていない。「やった、日本の勝利だ」と叫びたい人が多いかもしれない。しかし考えてみると、なぜ安倍首相は、中国の裏をかいてまで、習近平に会わねばならなかったのだろうか。安倍はこそくな手を使わず、正々堂々と「靖国参拝して何が悪い」「尖閣は日本のものだ。紛争なんかない」と胸を張り、えらそうな習近平になど会わなければいいのだ。その方が安倍は、きたるべき解散総選挙でも人気を取れたはずだ。それができない安倍には、どうしても習近平に会わねばならない理由があったはずだ。

 そうした安倍の対中外交姿勢について、NYタイムスはすでに10月中旬の時点で「日本政府は、安倍と習が会って挨拶を交わし、短い会談を行って、日中関係の改善が始まったことを示すことをやりたい(それ以上の本格的な日中関係の改善を急いでやりたくない)」「日本人は、微妙なしぐさの中に重要な意味を込めたがる人々だ」と、皮肉っぽく書いている。しかし、なぜ安倍が習と握手だけしてそれ以上のことをしたくないのかという理由については、そろそろ仲良くしないと両国の政治経済にとって良くないから、という分析しかしていない。 (For Japan, Small Gesture Holds Great Importance

 中国と関係改善すると日本の不況が緩和できるという「経済」が理由なら、今回の安倍政権のやり方は良くないだろう。日本は今回、中国との対立をなくしたいと考えているふりをして対立維持を望んでいることが、4項目声明のニュアンスの問題から見てとれる以上、中国政府は日本を信用できないと考え続け、中国で活動する日本企業への意地悪をやめないだろう。 (◆中国の人気取り策としての経済取り締まり

「政治」の面でも、多くの国民がマスコミの嫌中プロパガンダで洗脳されている以上、安倍が習と会談することが自民党の人気にプラスになるとは考えにくい。むしろ安倍は、やむを得ず習に会わねばならないが、中国が要求してきた尖閣や靖国に関する日本の姿勢の転換は巧妙に回避しましたと国民に言えるようにしたことで、国民の人気を保持しようとしているように見える。安倍が習に会わねばならなかった理由は、おそらく日本の国内問題でない。

 安倍が習と会わねばならなかった理由について私が疑っているのは、オバマ政権が安倍に、日中関係を改善しろと圧力をかけたのでないかということだ。オバマ政権は、安倍の靖国参拝に反対で、国務長官と国防長官を昨秋わざわざ千鳥ヶ淵に参拝させ、安倍に「靖国でなく(中国が文句を言わない)千鳥ヶ淵に行け」とけしかけたが無視され、安倍は昨年末に靖国参拝した。 (安倍靖国参拝の背景

 もともと日本の中国敵視策は、中国が日米共通の敵として存在することで日米関係を強化しようとする日本の対米従属策の一部である。日米は今、中国の軍事台頭を理由に、日米の防衛ガイドラインを約20年ぶりに改定しようとしている。日本が米国との軍事的結びつきを強めさせてもらう見返りに、日本の軍事負担を増やす構想だ。日本にとって中国との敵対は、ほぼ唯一の国際戦略である対米従属を維持するために必要なものだ。安倍は、できれば中国に行きたくないはずだ。 (Japan, US Revising Defense Plans With Eye on China

 しかし、対米従属の日本が頼っているのは、米国の中でも軍産複合体の方だ。今の米国の上層部は、オバマ政権と軍産(イスラエル)複合体の猛烈な暗闘になっている。軍産複合体は、ISISやイラン、ロシア、中国などと米国との恒久対立や戦争状態を維持したい一方、オバマは残っている2年の任期で、それらの対立状態を壊し、米国と世界を戦争の泥沼から引っ張り出したい。軍産は露中を敵視しているが、オバマは露中をけしかけてイランを国際社会に復帰させたりISISを潰したりする動きにつなげたい。 (◆中間選挙後の米国の戦略変化

 議会多数派を共和党に奪われ、軍産に対して劣勢になったオバマにとって、露中は敵でなく、世界戦略を達成するために頼れる数少ない大国になっている。オバマにとってはイランも敵でなく、ISISとの戦争で共闘できる貴重な存在になっている。 (◆イランと和解しそうなオバマ

 北京のAPECで中国が示した最大の象徴は、全体写真の撮影で、習近平がプーチンを自分の隣の最重要な場所に立たせ、そのあとの花火の見学でもプーチンを習近平夫妻の隣に座らされ、中国がロシアを最も重視していることを世界に示したことだった。オバマは、全体写真撮影の際、前列ではあるが右端の方(インドネシア大統領夫妻より外側、朴槿恵韓国大統領の隣)に立たされ、中国は米国を重視していないことを示した(花火見学では、オバマがプーチンと反対側の習近平夫妻の隣の席だった)。中国は、米国よりロシアをずっと重視していることを世界に示した。これは画期的なことだ。 (Beam me up! World leaders dress to impress their hosts at Beijing trade gathering, but look more like something out of Star Trek

(朴槿恵は写真撮影と花火見学でオバマの外側の隣の場所を指定された。まるで中国が韓国に「まだ貴国は対米従属が強く、中国の属国になってくれないね。せいぜい米国の隣にいなよ」と言っているかのようだ。逆に日本の安倍夫妻は、写真撮影で後列のオバマの反対側の外側に立たされ、中国から「対米従属のために中国敵視している貴国は、オバマから最も遠い後ろの方に立っていたまえ」と言われているかのようだった) (Is China Sending America A Message?

 中露はAPECの傍らで、ロシアが中国に天然ガスを輸出する長期契約の第2弾(西ルートでの輸出分)を締結した。米欧から経済制裁されるロシアを中国が天然ガスの長期安定購買で助ける傾向が増している。中露同盟は、ロシアは経済面で中国に頼り、政治面で中国がロシアより優位に立つかたちで中露の結束が進んでいる。 (Putin snubs Europe with Siberian gas deal that bolsters China ties) (◆プーチンに押しかけられて多極化に動く中国) (習近平の覇権戦略

 中国とロシアは結束して米国に対抗し、EUを対米従属から引き剥がそうとしている。米国はしだいに中露をしのぐことができなくなり、中露に協力してもらって世界運営する形に移行せざるを得なくなる。オバマが進めそうなのはこのシナリオだ。世界運営への協力を中国に頼むオバマに対し、習近平が「対米従属を維持するために日本がやっている中国敵視をやめさせてほしい」と頼み、米国が日本に圧力をかけてAPECでの日中首脳会談の開催を日本に約束させたとしても不思議でない。中露結束と米国覇権の関係については改めて書くつもりだ。



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