他の記事を読む

EU統合加速の発火点になるギリシャ

2015年2月25日   田中 宇

 2月20日、ギリシャのツィプラス新政権が、EUから救済支援を受ける交渉を4カ月延長することをEUと合意した。この合意は、ギリシャ側の敗北的な譲歩として報じられている。ツィプラスは、EUから押しつけられて前政権が決めた、ギリシャ国民を窮乏させる厳しい緊縮財政策の実施を拒否すると公約して1月末の選挙で左翼政党シリザを勝たせ、首相になった。 (How Greece Folded To Germany: The Complete Breakdown

 それなのに彼は首相就任後、交渉相手のドイツ主導のEUが意外に強硬だとわかり、政府の国庫が尽き、金融界の資金不足もひどくなる中で、交渉の4カ月の延長と見返りに、EUが押しつけてきた緊縮策を受け入れる大譲歩を行い、ギリシャ国民を失望させている。4カ月延長しても過酷な緊縮策が変わりそうもないと国民は怒っている・・・というのがマスコミと在野分析者(特に左翼)に共通した論調だ。 ("How Will 4-Month Extension Improve Our Negotiating Position?") (Tsipras: Scared by His Own Courage

 ドイツの財務相は「ツィプラスは、今回の合意を自国民に説明するのに苦労するだろう」という趣旨を(冷ややかに)述べた。ツィプラスは就任早々の1月末、ナチスのギリシャ占領を非難し、ドイツがギリシャに払うべき賠償金と、近年に貸した融資を相殺すべきだとドイツに喧嘩を売った。ネクタイもしない左翼の青二才が、最初は偉そうにドイツを非難したが、結局のところドイツが持っている資金に頼らざるを得ず、有権者に説明できない譲歩をしたぞ、ざまあみろ、というのが独財務相の含みだと報じられている。左翼が惨敗し、銀行屋(の代理人)が笑う。おなじみの構図だ。 (Who Won the Greek Showdown in Europe?

 ツィプラスは与党シリザ内の「現実派」だ。党内の極左勢力は、ツィプラスはEUが強要する緊縮策を最後まで拒否すべきだったと怒り、シリザ内の極左の92歳のご意見番(Manolis Glezos。元ゲリラ)が記者会見し、ツィプラスの譲歩について、党を(勝手に)代表して国民に謝罪した。 (Greece scrambles to finalise fiscal reform list

 ツィプラスの「敗北的な譲歩」が報じられたとき、私は奇異に感じた。直前までの交渉においてギリシャ側は終始優勢で、2月末の交渉期限にこだわる必要すらなかった。本当に、合意はギリシャにとって大譲歩なのか? (Greek Gambit Succeeds As Germany Said To Ease Bailout Terms

 合意内容を良く読むと、ギリシャ側は、EUが求める緊縮策を「交渉の出発点」として認めただけで、EU緊縮策の「実施」を認めたわけでない。ツィプラス政権は、EUに強要された年金削減、雇用者の権利剥奪などの政策を拒否する代わりに、徴税効率化(金持ちに税金を払わせること)など、自主的に決めた緊縮・財政再建策をやることを公約にしてきた。強要を自主に替える交渉を4カ月延長してほしいとのギリシャの要請に対し、EU(ドイツ)は、既存のEU緊縮策を交渉の出発点にすることを認めるなら延長しても良いと答え、ギリシャ側がそれを飲んだ。EU案を交渉の出発点にすると認めたことが、EU案の実施を了承したこととして誇張して報じられている。 (Greece bailout deal: Backtracking on promises?) (Merkel pours cold water on Greece's push to end bailout

 米英のマスコミは、プロパガンダまみれだが行間や奥が深い。どこまでも浅薄な日本のマスゴミと異なる。米英の長い記事をよく読むと、後ろの方に意外なことが書いてあったりする。WSJの記事は、最初の方でツィプラス政権が選挙公約に掲げた政策をどんどん縮小していると書いている。最低賃金を危機前の水準に戻す策は「即時実現」を「2年後までに実現」に変えた。未納税者から200億ユーロを徴税する徴税効率向上の目標額は、半分に減らした。前政権が解雇した1万人の公務員を復職させる政策は、裁判で勝った人だけの復職に縮小し、しかも元の職場に復帰できるとは限らないと条件をつけた。ここまでは「失望」編だ。 (Greek Leader Seeks to Temper Expectations

 しかしWSJの記事は、うしろの方で「希望」編を書いている。(ユーロを潰したい)外国人や(理想主義的な)極左は、公約目標の「半減」を非難するが、ギリシャ国民は、半減して現実的な目標になった政策が実際に実現しそうな点を評価している。危機後、政府に期待も信用もできなくなっていたギリシャ人が、ツィプラスが公約の半分でも実現できるかもしれないのを見て、政府に期待を持ち始めている。

 失望的大譲歩と揶揄された合意発表の後の2つの世論調査で、ツィプラスは80%前後の支持率を維持している。合意は失態でない。成功だった。ギリシャではマスコミも、ツィプラスの対EU交渉のやり方について、賛成もしくは慎重に支持、中立などで、反対や批判がほとんどない。ツィプラスは、EUとの合意や公約目標の半減が国民の失望を引き起こすものの、政権崩壊につながる反政府運動にまで至らないと判断し、時間をかけた現実策に転換したとWSJは分析している。

 英ガーディアン紙の記事は、冒頭で「ギリシャとアイルランドとポルトガルの金融界は、EUの救済がないと崩壊する(だから言うことを聞け)」とEU資本家を代弁して始まり、選挙公約を守れなくなったギリシャの青二才首相の苦境をわらう独財務相を紹介している。しかし、私が今回の記事の冒頭で書いたようなことをひとしきり書いた後「実際に起きていることはもっと微妙で、しかも希望が持てる」と、本音の分析に転じている。 (The Observer view on Greece, bailouts and the euro

 前政権は、ギリシャ国民を窮乏させるEUの緊縮策に対し、文句も言わず、交渉延期も求めなかった。対照的に新政権は、EUに文句を言い、交渉延期を引き出した。ギリシャ国民から見て、これは大きな前進だ。新政権は、強要された改革でなくギリシャ人が決めた改革を実施することもEUに認めさせた。これは、人間のくずと北欧から揶揄され続けたギリシャ人の尊厳を回復させている。

 ドイツのメルケル首相は、ギリシャ危機が始まった後の2012年までに、ギリシャをユーロから離脱させない方針を決めている。ギリシャはEUで最も強い空軍を持っており、EUととロシアの影響圏の接点でもある。EUは、ギリシャを切り離してロシアの側につかせたくない。ギリシャがユーロから離脱することはないとガーディアンは示唆している。 (◆ギリシャはユーロを離脱しない

 英国ではFTも、ギリシャ問題は経済の事件として騒がれているが、実は地政学や国際政治の問題であり、欧露関係や、欧州と中東の関係という政治の問題として見ると、欧州にとってギリシャは巨額の金をかけてもEUやユーロ圏の内部にとどめておくべき存在だと主張する記事を載せている。 (Keeping Greece in the euro is about far more than money

 支援交渉の延長合意の意味は、EUがギリシャ新政権をねじ伏せたのか、それともギリシャがEUに勝ったのか。調べていくと、そもそもこの勝敗二択の考え方自体が間違っているかもしれないことが見えてきた。EUの上層部は、民意を背景に楯突いてくるギリシャ新政権の政治破壊力を、ねじ伏せるのでなく逆に活用し、これまで紛糾して進められなかったEU(ユーロ圏)の統合加速をやろうとしている。私が以前から注目してきた欧州のシンクタンクGEAPが最近「シリザは欧州の政治機構改革の起爆剤」と題する記事を出している。 (Syriza: Catalyst for Europe's politico-institutional reform

 EUは、昨年11月にルクセンブルグ元首相のユンケルが大統領(欧州委員会委員長)に就任した後、欧州統合を加速する策として、EUの意志決定機関(欧州委員会など)と別に、ユーロを導入しているユーロ圏諸国だけの経済面の決定機関を新設することを模索している。この策は多方面からの反対を受け、最近まで棚上げされていた。だが、ギリシャが交渉相手をIMFが含まれている「トロイカ」でなく「ユーロ圏の正当な組織」に替えてほしいと要望したことを受け、ユンケルは2月中旬に、ユーロ圏の経済意志決定機関を作る話をEUで再提案した。 (Juncker sparks debate about a core eurozone union

 ユーロ圏を代表する機関として、ユーロ圏の19カ国の財務相たちで構成するユーログループがあり、ユンケルはかつてこの組織の委員長だった。同組織は非公式の色彩が強い。ユンケルは、ユーログループを正式な機関に格上げし、ギリシャなど南欧で続いているユーロ危機への対策(支援策)を立案し、欧州中央銀行(ECB)に政策を命じる機関に仕立てたい。だが、ドイツ連銀がECBを隠然と(ECBは超国家機関で、表向き一つの加盟国だけからの命令を受けられない)牛耳る従来の体制をドイツが変えたがらず、ユーロ非加盟の英国や東欧もユーロ圏諸国の権限拡大に反対してきた。 (Eurogroup From Wikipedia

 ユーロ圏の経済決定機関がなく、ECBの決定体制が宙ぶらりんであることにつけ込んで、米連銀は昨夏からECBに圧力をかけ、弊害が多い米国式の金融緩和策(QE、量的緩和策)をECBにやらせる話をまとめてしまった。ECBは、ドイツに隠然と握られていたと同時に、中央銀行として、米連銀を頂点とする中銀ネットワークの中にあり、米連銀は、ドイツを押しのけてECBの意志決定を乗っ取り、ドイツがやりたくない危険な(ドル救済に貢献する)QEをECBにやらせている。 (◆ユーロもQEで自滅への道?) (◆崩れ出す中央銀行ネットワーク

 ECBへの隠然支配を米連銀に乗っ取られたドイツは、これまで反対してきた、ユーログループをユーロ圏の経済政策決定の正式機関に格上げするユンケル案に反対しなくなっている。ユーログループを、ECBに影響力を行使できる正式機関にすれば、米連銀がECBを乗っ取ってQEをやらせている現状を終わらせられる。しかし、ユーログループの権限拡大への反対論はドイツだけでなく、ユーロ非加盟諸国、加盟各国の権限がEUに吸い取られることに反対する諸勢力(各国の反EU政党など)など多方面に存在し、EU上層部だけの意志で乗り越えられない。

 そんな中、ギリシャでシリザの政権が誕生した。彼らは、自分たちの交渉相手(トロイカ)に、米国(ユーロを潰したい米英金融覇権)の申し子であるIMFが入っていることに反対し、EUの正当な機関との交渉に変えてほしいと要求してきた。報道では、EUはこのギリシャの要求を拒否し、ギリシャは「敗北」したことになっている。しかし実のところEU(ユンケル大統領)は交渉の中で「ギリシャが既存のEU緊縮案を前提とした交渉に応じるなら、トロイカを解散し、急いで別のやり方を考える」とギリシャに提案している。 (EU's Juncker wants to scrap troika's mission to Greece

 ギリシャは今回、既存のEU緊縮案を前提とすることに合意した。見返りに今後トロイカは解散し「別のやり方」としてユーログループを正式な機関に格上げしてギリシャの交渉相手にする転換が行われるだろう。トロイカを拒否したギリシャの要求は受け入れられた。EU(ユンケル)は、ギリシャの要求を「受け入れざるを得ない」と演じることで、以前からやりたかったユーログループの格上げを実現しつつある。EUは従来、IMFや米連銀といった米金融覇権の機関に振り回され、ユーロ危機に効果のある対策をとれなかった。EU上層部は、独力でこの状態から脱せなかった。ギリシャのツィプラスは、EUが危機対策の態勢を改革できるようにする救世主として現れたと、GEABの記事は書いている。 (Jean-Claude Juncker From Wikipedia

 EUの中枢は、15年間の政治経済統合によって巨大な超国家権力機構になったが、そこではEU各国の民意が反映される度合いが低い(欧州議会は選挙で選ばれるが、重要策の立案は主要諸国とEU官僚の密室の談合で行われる)。これまでEU各国では、EU統合に黙って協力する政権ばかりだった。GEABによると、ギリシャの新政権は、EU中枢を自国民に有益なものに変えてやると言いつつEUと交渉し、ある程度成功したEU史上初めての政権だ。私も以前の記事に書いたように、これは革命だ。革命を伝播させたくないので、各国のマスコミは「ギリシャ新政権は譲歩して失敗した」と書きたがる。 (◆ギリシャから欧州新革命が始まる?

 今回のギリシャとEUの交渉延長合意は、EU史上初の、加盟国の民意が勝ち取った獲得物だ。スペインやイタリアの国民は、ギリシャの動きを注視している。いずれ、スペインやイタリアも、EUに借金取り救済策を変えさせるべく、政権交代や交渉を始めるだろう。各国が民意に基づいてEUを変えようと交渉し、それでEUが変わるほど、EUは民主的な組織に衣替えする。国家統合だけして民主体制がなかったEUは、シリザに引っ張られて「民主化」していきそうだ(まだまだ暗闘が続くだろうが)。

 ギリシャはEUにとって必要な存在だ。ギリシャがユーロから離脱することはあり得ないとGEABの記事は書いている。(米国の金融システムが崩壊していく中で)英国のEU離脱も多分ないとも書いている。加えてこの記事は、ウクライナ危機が世界の構造を不可逆的に変えたとも書いている。詳述していないので何のことかわからないが、おそらくウクライナを無茶苦茶にする米国の反露戦略に嫌気がさしたEUが対米従属を不可逆的にやめていく転機がウクライナ危機だという意味だろう。 (NATO, QE, Siriza, the Ukraine, Israel: Highways towards ≪ tomorrow's world ≫ on the horizon

 欧州人は近代の黎明期に「民主主義」と「国民国家」「ナショナリズム(の扇動)」「(愛国)教育」「マスコミ(によるプロパガンダ)」「徴兵制」「納税」などを発明し、世界に広げた人々だ。その欧州人は冷戦後、既存の「国民国家」を放棄して超国家組織EUに統合する事業をやっている。EU統合では、ナショナリズムの扇動が全く行われていない。「欧州人」の概念が創設・喧伝されていない。ドイツ人はドイツ人のままで、欧州人になっていない。近代国家の体制を作った欧州人のことだから、これは意図的な策だろう。EU統合の新事業によって、欧州は何をやろうとしているのか。ナショナリズムの扇動が二度の世界大戦につながった教訓から、ナショナリズム抜きで超国家組織を作ろうとしているのか。

 しかし「欧州ナショナリズム」抜きのEUは、加盟各国の既存のナショナリズムが扇動されてEU反対を叫ぶ状況に勝てず、弱々しい。この点でも、ひょっとするとシリザは救世主かもしれない。ギリシャの新政権は反EUのように見えて、実のところツィプラスは何度も「ユーロから離脱しない」「ギリシャはEUの一員だ」と言い続けている。ギリシャ人の多くも、それに賛成している。その上で、ギリシャは欧州を下から改革し、革命を全欧に広げようとしている。ギリシャから始まる新革命が、欧州人のアイデンティティ創設と、各国のナショナリズムを上塗りする全欧州ナショナリズムの勃興につながっていく歴史展開を、EUの中枢は期待(誘導)しているのかもしれない。



田中宇の国際ニュース解説・メインページへ