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トランプ政権の本質

2017年3月7日   田中 宇

 以下の文章は、4月前半に出そうな、ドナルド・トランプについての私の配信記事をまとめた新刊本の前書きになる予定のものです。トランプ政権の敵である軍産複合体について、まとめ的に突っ込んだ分析をしました。流れ行く情勢を追うだけで精一杯の日ごろの配信記事と違う、深い内容でないかと思います。非常に長いですが、拙速で、中見出しもつけずに配信します。

 2017年1月から米国の大統領をしているドナルド・トランプは、非常に特異な大統領だ。米国の大統領は、米国という国家の元首というだけでなく、世界の主導的な運営者でもある。米国がふつうの国家でなく「覇権国」だからだ。戦後の歴代の米大統領は、米国の覇権を維持拡大する政策を(少なくとも表向き)掲げていた。

 だがトランプだけは、選挙戦の時期から、米国の覇権を縮小する方向の発言をいくつも発し、それらの多くを、大統領就任後、政策として実行しようとしている。現在の米国覇権を維持する理屈の一つは「ロシアの脅威に対抗する」というロシア敵視策だが、トランプはロシア敵視をやめるとともに、ロシア敵視=米国覇権の国際機関であるNATOの存在を何度も批判している。経済面では、NAFTAやTPPといった、米国中心の自由貿易体制(経済覇権体制)を破棄するとともに、戦後の米国が覇権を行使してずっと維持発展させてきたWTO(世界貿易機関)の自由貿易体制を否定する発言や政策を発している。

 本稿は、こうしたトランプの特異な覇権解体・覇権放棄の戦略について分析することを目的にしている。トランプの戦略について分析するには、同時に、第二次大戦後の米国と世界を動かし(支配し)てきた勢力が、米国の政府や議会の内部にいる「軍産複合体」(軍産)であることを理解せねばならない。また、戦後の歴代の多くの米大統領が、大統領の言うことを聞かないで(もしくは大統領を騙して)米国の世界戦略を牛耳り続ける軍産の支配に対抗・迂回することを試みて難儀してきたことを見ていかねばならない。その上で、米国の軍産支配を打ち破るためのトランプの戦略、つまりトランプ革命が理解できるようになる。

 軍産複合体(Military-industrial complex)とは、米国の国家内国家(Deep state、深奥国家)とも呼ばれ、米国による世界支配(覇権運営)をつかさどる勢力だ。「米国政府」と重なっている部分もあるが、大統領を頂点とする米国政府の指揮系統とは別のところで軍産の戦略が決定されている。秘密裏に決定し、秘密裏に動く諜報界が軍産を主導しているため、誰が軍産の意思決定を統括しているのか明確にできない。それを暴くべきマスコミも軍産の一部だ。米国の諜報機関、国防総省、軍需産業、国務省や外交界、マスコミ、国際関係を扱う学術界、USAIDなど国際的な援助や人権問題に関与する諸団体が、軍産を構成している。 (Deep state in the United States

 軍産は、2度の大戦によって誕生した。第一次大戦で、米国の兵器産業は戦場である欧州向けに武器を大量輸出して大儲けしたが、戦後は需要が急減した(それが1930年代の大恐慌の一因となった)。第二次大戦で、再び米国の兵器産業は大儲けした。戦後、兵器需要の減少を防ぐため、連合国として味方だったソ連や中国を「世界の共産主義化を阻止せねばならない」という理屈で恒久的に敵視する、低強度な恒久戦争の構図である冷戦構造が構築された。

 米ソが(マスコミの誇張報道によって見かけ上)一触即発・戦争寸前の激しい敵対になるほど、米国の軍事費が増え、米政界やマスコミは統制的な戦時色を強めて軍産の言いなりになり、欧州日韓などの同盟諸国も対米従属を強め、軍産による利益と権力(国際的な覇権)が拡大する仕掛けが作られた。

 こうした巧妙な支配戦略を立案したのは、米国の軍事産業でなく、英国政府だった。英国は、18世紀から200年間の覇権国だったが、二度の大戦で大きく衰退し、覇権を維持できなくなって米国に覇権を譲渡した。第二次大戦開戦後の1941年8月の大西洋憲章で、英国は、米国が立案する世界体制づくり(のちの国連やブレトンウッズ体制)に協力することを約束しており、これが英国から米国への覇権譲渡の始まりだった。英国は、米国に覇権を譲渡すると言いつつ、新たな米国覇権体制の立案と構築の過程で、米政府の意思決定システム(権力中枢)に深く入り込んだ。 (覇権の起源<3>ロシアと英米

 米国は、戦後の覇権体制として、米国単独の覇権でなく、多極型の覇権体制を指向していた。国連の安保理常任理事国の五大国制度(P5)に象徴される、米国と欧州(英仏)、ソ連(現ロシア)、中国といった地域大国が、それぞれの影響圏を持ちながら仲良く立ち並ぶのが、多極型の体制だ。

 この多極型の覇権体制を立案したのは、ニューヨークの国連本部に土地を寄贈したのが、石油王から発展したロックフェラー家だったことから考えて、ロックフェラー系の勢力だったようだ。ロックフェラー傘下の権威あるシンクタンクであるCFR(外交問題評議会)は、第一次大戦直後に作られ、最初の仕事は、国際連盟の創設につながる第一次大戦後の多極型の世界体制の立案だった(国際連盟は、英国の謀略で潰れた。米国はすねて孤立主義に入った)。

 二度の世界大戦の本質は、英独対立を筆頭とする、欧州列強内の世界支配の争奪戦だ。だが米国は、この争奪戦の戦場となった欧州やユーラシア大陸から離れた場所にある。英国は、欧州やユーラシアでの競争で勝って世界を支配するのが国是だが、米国からみると、欧州やユーラシアの競争や戦争は、さっさとやめさせるべき無用の長物だ。米国が、覇権を中国やロシアなどにも分散し、諸大国間の談合によって世界を安定させる多極型の覇権体制(ヤルタ体制や国連P5)を作りたがったのは、地理的、地政学的に見て自然なことだった。

 英国が多極化を阻止しようとするのも、地政学的に自然なことだった。多極型の世界において、米国自身は、世界の一部、広くても南北米州しか支配しないことになる。世界が多極型になってしまうと、英国が米国の世界戦略の立案過程に入り込んで牛耳っても、それ以前の大英帝国による世界支配よりもずっと小さな覇権しか得られない。英国は、米国のロックフェラー系の勢力が立案した、覇権を多極型に転換する「多極化」を、阻止する必要があった。

 英国は、第二次大戦が終わっても代わりに「共産主義との長い戦い」つまり米ソ冷戦体制が続くように誘導していくことで、国連P5の多極型協調体制を、米英仏と中ソの冷戦対立に転換することにした。終戦が見えてきた段階で、英国は、大戦後に軍需や権限の縮小が予測される米国の軍需産業や国防総省に接近し、一緒に冷戦体制を構築し、大戦後も別な形での恒久的な戦争状態を作ろうと持ちかけ、受け入れられた。第二次大戦が終わった後、英チャーチル首相が訪米して「鉄のカーテン演説」を発した。軍需産業や国防総省と親しい議員が連邦議会で「アカ狩り」を推進し、ソ連や中国への敵視が扇動され、冷戦構造が構築された。

 それ以来、軍産と歴代大統領は、対決し続けている。軍産複合体という言葉を創造し、軍産支配について初めて警告を発したのは、第二次大戦の将軍から大統領になったアイゼンハワーだった。彼は任期末の演説で、自分の後任のケネディ大統領が軍産にしてやられることに懸念を表明した。アイクの警告は的中し、ケネディは米ソ和解を強行しようとして軍産に殺された。

 その後、ニクソンは対中和解したが軍産にウォーターゲート事件を起こされて弾劾(追放)された。レーガンは、表向き軍産と結託しつつ、ゴルバチョフの米国好きに助けられて米ソ和解にこぎつけ、ようやく冷戦を終わらせ、軍産打破に成功した。だがその後、子ブッシュの時代になって、軍産は自作自演クーデター的な911テロ事件を起こし、米国の権力を事実上奪取した。911以降のテロ戦争は、ソ連の代わりにイスラム世界を永遠の敵とみなす、冷戦型の恒久戦争体制の構築をめざすものだった。

 その後のイラク侵攻は、軍産支配の自滅的な失敗の始まりとなった。イラクでのひどい失策からは、軍産内部に、軍産支配を過激にやって自滅させようとする二重スパイ的な勢力がいることが感じられる。イラク侵攻など中東での失敗はあったが、911後の16年間の米国は「軍産独裁」が続いている。

 オバマは、イランへの核兵器開発の濡れ衣を解いてやり、シリアをロシアに任せ、米国(軍産)でなくロシアがシリアやイラン、レバノン、トルコなどを傘下に入れるようにした。いずれも立派な多極化策だが、それ以外の面でオバマは軍産の言いなりを脱せず苦戦した。米国の軍産支配が非常に強いことが示された。 (軍産複合体と闘うオバマ

 16年の大統領選挙では、ヒラリー・クリントンが、ロシア敵視や対米従属諸国との同盟関係強化といった軍産好みの政策を強調した半面、トランプは対露和解やNATO軽視、日韓からの軍事撤退示唆、米国の経済覇権策であるNAFTAやTPPの廃止提案など、軍産支配を否定・敵視する姿勢を見せた。軍産傘下のマスコミは、こぞってクリントンを支援し、トランプを落選させようとした。だが、トランプは巧みなポピュリズム扇動をやって当選した。当選後、軍産やマスコミとトランプとの対立・暗闘が続いている。

 トランプ革命は、軍産が、米政府を乗っ取って続けてきた米国の単独覇権を破壊しようとする試みだ。トランプ革命について考える際に、覇権とは何かを考えねばならない。覇権とは、他国に影響力を行使して隠然と支配する国際的な政治力のことだ。現代の世界において、他国を軍事支配し、植民地として顕然と支配することは許されていない。国連において、すべての国家は平等だ。だがこの平等性は建前でしかない。

 実際は、たとえば戦後の日本は一貫して米国の言いなりだ。韓国や東南アジア諸国、サウジアラビアなど多くのアラブ諸国、独仏など西欧諸国、カナダや中南米など、世界の多くの国が、程度の差があるが、米国の言いなりである。日本や韓国、サウジ、ドイツなどには米軍が駐留しているが、それらの国々の政府は、米国の植民地でないし、米国に脅されて政策を決定しているのでなく、米国と友好関係を結びつつ、すすんで米国の言いなりになっている。この状態が、米国の「覇権」である。米国が世界各国に「覇権を行使させろ」と言ってむりやりに支配しているのでなく、世界が米国に「どうぞ覇権を行使してください」「米国の言うことに従います」「対米従属させてください」と進言し、戦後の米国の覇権体制が続いている。

(このほか、ラオスやカンボジア、ミャンマー、パキスタンは、中国の覇権下にある。ベラルーシやアルメニアはロシアの覇権下だ。中央アジア5カ国は、中国とロシアが共同で覇権を行使している。ドイツはEUを通じ、東欧や南欧諸国に対し、あまり強くないが覇権を持っている)

 米国の覇権は、大統領でなく、軍産が握っている。ふつうに考えると、米国の国家元首である大統領が、覇権戦略の最終決定権を持っている(もしくは大統領と連邦議会のせめぎあいや議論で決定する)のが自然だし合法的だ。しかし、現実はそうなっていない。長期的な米国の覇権戦略(世界戦略)を決めているのは大統領でない。議会でもない。

 短期的には、大統領や議会が決定権をもてる。だが長期的には、大統領でも議会でもない軍産の人々が、米国の覇権戦略を立案し、大統領や議会が短期的に反対しても、長期的にはそれをねじ曲げて、米国覇権(つまり世界全体)を運営している。世界は、米国覇権でなく「軍産覇権」の状態にある。トランプは、こうした世界的な軍産支配の状態を壊そうとしている。 (米国を覇権国からふつうの国に戻すトランプ

 軍産の構成員について、さらに分析してみる。軍産という言葉からは、軍隊が中心という感じがするが、軍産の中心は軍隊でなく「諜報界」である。諜報界というと、まず諜報機関が思い浮かぶ。CIA、NSA、DIAなど、米政府には17の諜報機能を持った機関がある。これらは、いわゆるスパイや捜査官で、米国外の敵国やテロ組織などの敵性勢力の動きをさぐるとともに、米国内で敵のスパイやテロリスト、犯罪組織の活動をさぐるのが(建前的な)任務だ。

 彼らは、建前以外の機能として、本来は自分たちの上司であるはずの、大統領やホワイトハウスの閣僚や側近群、議会の議員や側近らの会議やメールや電話の内容を傍受盗聴し、諜報界自身にとって不利な政策決定を先回りして妨害することができる。諜報機関は、米国内外の外国スパイやテロリストの動向を探るためと称して、国内外に多くのエージェントを抱えている。それらを動員して、暗殺や暴動扇動などをやれる。

 エージェントの中には、スパイや暴力団的な勢力だけでなく、マスコミや学術界において、軍産・諜報界にとって好都合な世界観や善悪観、国際情勢解説、歪曲された事実関係の報道などを行う勢力もいる。軍産は、自分たちに都合のいいことを言ってくれる学者や言論人に権威を与えて発言力を強化してやる。

 昇進したい権力指向を持つ嗅覚が鋭い若手の学者や言論人、記者などは、自らすすんで軍産が好む発言や解説記事の執筆をやり、軍産に取り立ててもらえるよう努力する。軍産に盾突いて「事実はそうじゃない」「政府の説明は歪曲されている」と指摘する者たちこそ、本来のジャーナリストや言論人であると言えるのだが、そういう者たちは冷や飯を食わされ、軍産傀儡の同業者から非難中傷され、無根拠な間違いばかり言う劣った奴、陰謀論者のレッテルを貼られる。彼らの指摘は、ほとんど注目されずに終わる(私自身も陰謀論者とみなされている。本を出してもたぶん売れない)。

 諜報機関の任務の多くは「軍事諜報」だ。諜報機関が敵の居場所や動きを探り、軍がそれを攻撃して潰す。それが戦争だ。諜報界には、諜報機関だけでなく、軍隊(国防総省)と、そこから発注を受ける軍事産業(兵器メーカー)が含まれる。軍事産業の多くは、単に兵器を開発製造して国防総省に納入するだけでなく、軍や諜報界が議会や大統領から自立して動けるようにするための費用捻出(資金洗浄)の機能も持っている。

 米国の兵器は、やたらにカネがかかる。F35戦闘機など、当初予算の2倍以上の開発費がかかっているが、いまだに戦闘で使い物にならない。なぜ途方もないカネがかかるかというと、それは、開発費のかなりの部分が、開発と無関係な、諜報界がこっそり雇用しているエージェントの維持費など、議会や大統領に報告できない機能のコストに横流しされているからだ。予算の水増しは多方面にわたり、国防総省のトイレの便器のふたが一個あたり千ドル近くで調達されたことになっていたりする。

 諜報機関や国防総省、軍事産業は、多くの読者にとってイメージの悪い勢力だろう。対照的に、外交を担当する国務省にいる外交官は、良いイメージの勢力だ。しかし、国務省にいる外交官も「軍産」の一味である。米国において、国務省が完全に軍産の傘下に入ったのは、01年の911テロ事件以降、特に03年のイラク戦争後だ。

 911以降、米国の世界戦略は「強制民主化」「政権転覆」「先制攻撃」といった概念をちりばめた単独覇権主義になった。この戦略には、反米的な諸国(ときに親米的な国々)の政権を、軍事だけでなく、反政府市民運動の扇動によって転覆させることも含まれており、国務省はイラク戦争後、その戦略を実行する機関として再編された。国務省が主導した最近の象徴的な政権転覆は、2014年にウクライナの親ロシアなヤヌコビッチ政権を倒し、極右政権に交代させたことだ。エジプトやチュニジア、シリアなどで政権転覆が試みられた「アラブの春」も、米国の国務省が後ろで糸を引いていた。

 米国のマスコミと学術界も、軍産の傘下にある。これらも意外なことだろう。マスコミは「正義」を報じることが任務のはずで、軍産という「悪」の傘下にあるとは考えにくい。学術界も「真実」の探究が任務であり、戦争屋の軍産から遠い存在に思える。だが実のところ、米マスコミは、諜報界から情報をもらって記事を書くことを続けるうちに、諜報界のいいなりになる、諜報界と一心同体な存在となっている。下っ端の記者は、諜報界と関係ない人、諜報界の存在を感じずに仕事をしている人がほとんどだろうが、記事の論調や意味づけを決定する編集者(デスク)やコラムニストなどマスコミ各社の上層部は、諜報界の意を受けた報道をする傾向が強い。

 03年のイラク戦争は、諜報界(ブッシュ政権中枢にいた「ネオコン」)が流した大量破壊兵器のニセ情報(イラクがニジェールから核兵器用のウランを買っていたというニセ文書など)を米マスコミが喧伝し、ニセの開戦大義になってしまったことによって起きている。ニューヨークタイムスなどのマスコミは、諜報界に深く入り込んでおり、ニセ情報をつかまされて軽信しただけの「被害者」でなく、ニセ情報と知りながら喧伝していた。

 その後、米政府がイランに核兵器開発の濡れ衣をかけて制裁した時も、米国のマスコミは、米政府の濡れ衣を積極的に喧伝した。米マスコミは、イラク戦争でウソを報じて「反省」したはずなのに、諜報界が歪曲捏造した、イランを悪者に仕立てる濡れ衣を、延々と報道した。日本のマスコミも、米マスコミをそのまま鵜呑みにして報道し続けた。イランの核問題をめぐって国連IAEAが何度か出した報告書には、米国など国連の査察官が嫌がらせ的に何度も軍事機密の施設を査察したがり、イラン側が正当な対応として多重な査察を拒否したことなどを書いている。米当局は、これについて「イランが査察を拒否した軍施設で核兵器を開発しているに違いない」と表明し、米マスコミは「米当局によると、イランが核兵器を開発していることが明らかになった」と報じた。

 11年からのシリア内戦では、アサド政権を転覆してシリアを「民主化」することが、米政府の建前的な戦略だった。米政府は、反政府勢力が「善」でアサド政権が「悪」であるという善悪観を醸成し、反政府勢力によるアサド政権打倒の動きを支援した。実際には、シリアの反政府勢力は、国際テロ組織のIS(イスラム国)とアルカイダ(ヌスラ戦線)で、いずれも無実の市民を殺戮する、「善」と正反対の「極悪」の集団だった。

 アサド政権を転覆して反政府勢力がシリアの政権をとったら、それはISアルカイダの政権になり、民主化どころかテロリストの独裁国になる。米諜報界は「ISやアルカイダと無関係な、穏健で西欧リベラル主義のシリア反政府勢力が存在する」と喧伝したが、実のところ、そんなものは存在しなかった(内戦の初期にはムスリム同胞団系の反政府運動が存在したが、内戦が激しくなると、戦闘に長けたアルカイダに併合された)。シリア内戦に関して米国(米欧)が世界に流布した善悪観は全くのウソだった。このウソの喧伝に大きく貢献したのが米マスコミだった。米欧マスコミは、アサドのシリア政府軍が無実のシリア市民を虐殺したと喧伝したが、それはアルカイダの宣伝担当者が地元NGOのふりをして「政府軍による市民虐殺」について米欧マスコミの特派員に説明し、それを(怪しい話と気づきながら)鵜呑みにして報道した結果だった。 (トランプの就任を何とか阻止したい・・・

 14年のウクライナ政権転覆と、その後のウクライナ内戦、ロシアのクリミア半島併合をめぐっても、諜報界が主導する米国の政府とマスコミが結託して善悪観を歪曲し、ロシアに「悪」の濡れ衣を着せた。中国とロシアの結束により、国際社会でロシアの影響力が拡大したことに対抗するため、米政府は国務省主導でウクライナを親露から反露に覆らせた。ウクライナの親ロシアなヤヌコビッチ政権を、米国務省が扇動する反政府運動によって倒し、代わりにヤツェニュク首相らの反ロシアな極右政権を樹立させた。極右政権は、ウクライナの人口の約2割を占める東部州に住むロシア系の権利を剥奪し始めた。怒ったロシア系はウクライナからの分離独立を求めて武装し、分離独立を阻止しようとする政府軍や極右の民兵団と内戦になった。 (危うい米国のウクライナ地政学火遊び

 ウクライナ東部の一角を占めるクリミア半島は、ロシアにとって最重要な軍港の一つであるセバストポリがある。クリミアは、住民の大半がロシア系で、ソ連時代の前半までロシア領だったが、1950年代にソ連からの各共和国の分離独立を困難にするための境界線の引き直しとして、クリミアをロシアから分離してウクライナに編入した(それを実行したフルシチョフがウクライナ系だったこともある)。

 ロシアのウクライナの両方がソ連の一部である限り、重要な軍港があるクリミアがソ連領内のどの共和国に属していても問題なかったが、冷戦終結時のソ連崩壊でロシアとウクライナが別々の独立国家になった後、クリミアの帰属が問題になった。ロシアは、ウクライナが親露的な政権である限り、クリミアをウクライナ領のままにして、セバストポリの軍港をウクライナから租借する形式に同意した。だが、米国が14年にウクライナの政権を親露から反露に転覆させ、ウクライナ新政権がセバストポリをロシア軍に貸すことを拒否し始めた。

 この新事態は、ロシアは安全保障にとって脅威だった。クリミアでは、クリミアをウクライナから分離独立してロシアに併合してもらう政治運動が勃興し、14年3月の州民投票の結果、クリミアのウクライナからの分離独立が決定し、それを受けてロシア議会がクリミアを併合した。このような経緯を見ると、クリミアの帰属がウクライナからロシアに移ったことは、クリミアの住民の民意を反映しており、地元の民意を受けてロシアがクリミアを併合したことも、歴史的な正当性や、安全保障上の合理性がある。米国がウクライナの政権を転覆させたことの方が、外国への不当な内政干渉だ。

 しかし、米国(米欧)マスコミ(と、それを鵜呑みにする日本のマスコミ)は、米政府の内政干渉を正当化して報じ、クリミアの帰属移転を、ロシアやロシア系住民による「悪行」「身勝手な行為」と、善悪を歪曲して報道し続けている。ウクライナ東部の内戦でも、米欧マスコミは「ロシア軍がウクライナ東部に戦車部隊で侵攻し、ロシア系住民を加勢するため駐留している」と、事実でないウソ報道を続けている。露軍がウクライナ東部に侵攻していないことは、欧州諸国で構成する停戦監視団のOSCEが結論づけている「事実」だ。ロシアは、正当性を保つため、ウクライナ東部への越境侵攻を控えている。(ロシア軍人が休みをとってウクライナ東部に個人的に義勇軍として参加することは黙認している)

 このほか、米マスコミは、01年の911テロ事件でも、事件をめぐる数々のおかしな点について全く報じていない。911テロ事件は、米諜報界が発生を予測していたのに防がなかったか、もしくは米諜報界自身がテロの発生を誘導した疑いがある。 (田中宇911事件関係の記事集

 百年あまりの歴史的に見ても、マスコミは、国家の戦争行為に加担することが、マスコミが産業として始まった当初から義務づけられていた観がある。開戦後、戦争に協力する方向の報道を行うだけでなく、政府(諜報界)による戦争開始の策動に協力してきた。米国のジャーナリズムの賞として世界的に有名なものに「ピューリッツァ賞」があるが、この賞を作ったジョセフ・ピューリッツァは、キューバの支配権をめぐって1898年に米国とスペインが戦った米西戦争が始まる原因を作った人である。

 米西戦争は、当時スペイン領だったキューバの港に停泊中の米国の戦艦メーン号が何者かによって撃破沈没された。これをピューリッツァの新聞「イブニング・ワールド」が「スペインの仕業に違いない」と喧伝し、米国のマスコミ全体が同様の方向で米西間の敵対を煽った結果、米国の対西開戦へとつながった。メーン号の沈没理由が故障による自損事故だったことは、後から判明した。 (戦争とマスコミ

 1898年のメーン号事件から、2003年のイラク大量破壊兵器の捏造までの105年間、ジャーナリズムのインチキな本質はほとんど変わっていない。人々が、マスコミによるイメージ作りに簡単にだまされる状況も、105年間ほとんど変わっていない。むしろテレビがお茶の間を席巻した分、人々は活字全盛時代よりもさらに簡単にだまされている。

 ピューリッツァとその後の「同志」たちが巧妙だった点は、自分たちがジャーナリズムの名のもとにやっていた扇動行為を、洗練された知的で高貴な、権威あるイメージに変えることを企図し、見事に成功したことだ。ピューリッツァは、誇張報道で儲けたカネで米国ニューヨークのコロンビア大学に巨額の寄付を行い、ジャーナリズム学科を創設し、同学科を事務局とするピューリッツァ賞を作った。今では、コロンビア大学のジャーナリズム学科とピューリッツァ賞は、この分野で世界最高の権威だ。「ジャーナリスト」は、世界中の若者があこがれる職業になった。

 だが、イラク侵攻後、ジャーナリズムが内包するインチキさがばれてしだいに権威が落ちており、トランプのマスコミ攻撃がそれに拍車をかけている。この傾向は、マスコミやジャーナリズムをめぐる「真実」が暴露されていくことであり、歪曲されない善悪観で見ると「良いこと」である。

 学術界でも、大学で誰が教授に昇進するかを決めるプロセスで、軍産から権威をもらった重鎮の教授が大きな発言力を持つ仕掛けが作られ、世代を超えて自動回転している。最も権威ある前述のロックフェラー系のCFRなどのシンクタンクでも、軍産系の学者がしだいに伸していき、911以前から、CFRの論文誌であるフォーリン・アフェアーズなどでは、好戦的に歪曲された分析が大半を占めるようになっている。

 このように、マスコミも学術界も外交界も軍産の傀儡ばかりになる中では、軍産好みの好戦策を必要以上に過激にやって意図的に失敗させることで軍産の影響力を自滅的に削いでいくことしか、軍産に対抗できなくなっている。イラク侵攻の開戦事由(大義)となったイラクの大量破壊兵器が実は存在しないことが事後に確定したことは、軍産の影響力・権威・信用を失墜させたが、これは「軍産傀儡のふりをした反軍産勢力」による軍産潰しの策でないかと疑われる。あれをやったのは「ネオコン」だったが、ネオコンの多くはCFRに出入りしている。ロックフェラー(CFR)は、軍産に席巻されつつも、軍産に反撃している。

 米国は、民主主義の国だ。だが、軍産は民主的に選ばれた人々でない。諜報機関や国防総省、国務省のトップは大統領が任命するが、その下の人々や、マスコミ人、学者、シンクタンクやNGOの幹部といった、他の分野の人々は、民意と関係なく存在する。役所のトップでさえ、大統領が選びうる人選の枠内に、多数の軍産系の勢力が入っている。

 大統領自身は、選挙を勝ち抜いて軍産独裁を打ち破ろうと努力しても、大統領になってできることは少ない。私がかつて、オバマ大統領は隠れ多極主義だと書いたところ「大統領が多極化を宣言しさえすれば、世界は多極化する。隠れてやる必要などない。大統領がそのように宣言しないのだから、大統領は多極化など望んでいない。貴君は間違っている」と書いたメールを送ってきた人がいるが、米国の権力構造はそのような単純なものでない。

 そんな中で、トランプは、軍産と戦うことを宣言しつつ選挙戦を勝ち抜いて大統領になり、就任後も明示的に軍産と戦い続けている、異色の存在だ。トランプは、民主主義にのっとって大統領になり、民意を無視して米国と世界を牛耳る軍産との果し合いを(たぶん命をかけて)始めている。トランプを酷評するマスコミが軍産のプロパガンダ機関であることに気づけば、トランプが大統領になったことが、米国の民主主義の底力を示す素晴らしいストーリーであることが見えてくる。

 トランプは大統領になり、米国の「表の権力」を握った。だが、米国の「裏の権力」は、まだ軍産に握られたままだ。トランプの大統領就任後、表と裏の激しい権力闘争が始まっている。トランプは大統領就任時の演説で、米国の権力がワシントンDCの少数の勢力(エスタブリッシュメント)に握られ、国民生活がないがしろにされていると指摘し、国民(の代表であるトランプ自身)が権力を小集団から奪取する時が来たと宣言している。 (トランプ革命の檄文としての就任演説

 最後に、日本とトランプの関係について少し書いておく。トランプは選挙戦中に、日本や韓国、ドイツ、サウジアラビアなどの同盟国を列挙して「同盟諸国が米軍の駐留費を全額負担しない場合、米軍の駐留をやめる」と言ったり「日韓が米軍の駐留によって安保を維持するのをやめて、核武装して独自に安保を維持する方式に変えると言うなら、日韓の核武装を許容する」といった発言を行なっている。トランプは貿易について、日本車メーカーが米国で売る自動車の主要部品をメキシコで作っているのはけしからんとか、日本の当局が対ドル為替を不当に円安ドル高に操作しているといった発言も放った。(同様の発言をドイツに対しても発している) (世界と日本を変えるトランプ

 米英などの新聞やシンクタンクは、トランプは日本に対米従属を許さなくなるのでないか、在日米軍を撤退したり、尖閣諸島は日米安保条約の枠内にないと宣言したりするのでないかという予測をした。日本が中国と領有権を争っている東シナ海の尖閣諸島が日米安保の枠内に入るかどうかは、日中が尖閣で軍事衝突した場合、米軍が日本の側に立って中国軍と戦争する法的な義務があるかどうかということだ。 (米国民を裏切るが世界を転換するトランプ

 だが、トランプは大統領当選後、日本の安倍首相と二度の会談を行い、日本との同盟関係を強く支持した。トランプは安倍に対し、貿易や為替の問題でも、何も苦言を言わなかった(為替問題は先送りされた)。トランプ政権のマティス国防長官は、17年2月に訪日した際、尖閣諸島が日米安保の枠内であると明言した。選挙戦中に反日的な発言が目立ったトランプが、当選後は一転して親日的になった。この転換は何を意味するか。トランプは今後もずっと親日的なのか。

 日本の国家戦略は、戦後一貫して対米従属だ。米国の国際戦略を決定してきたのは軍産なので、日本の国是は「対軍産従属」である。16年の大統領選挙に際し、日本政府は一貫して軍産系のクリントン陣営とだけ親しくした。選挙前の16年9月に訪米した際、安倍首相はクリントンとだけ会談し、軍産に楯突くトランプ陣営とは全く会わなかった。この姿勢は、日本が「対軍産従属」であることを象徴している。対軍産従属の日本を、トランプが敵視するのも当然の流れだ。加えて、トランプは80年代の「ジャパンバッシング」の時代から、日本の対米貿易黒字に批判的で、貿易面で日本を攻撃することが、米国民の雇用を守る表明につながったこともある。

 対軍産従属な日本政府(外務省など)は、軍産系勢力だけが米国の情報源だっただろう。情報源はすべて「クリントンが勝つに決まっている」と言い続け、日本政府はクリントン勝利を疑わなかった。だが、結果はトランプが勝ってしまった。大混乱の中、安倍首相は急いでトランプ陣営につながる連絡先を探して会談を申し込み、トランプにすり寄った。

 すり寄ってきた日本の安倍に対し、トランプは「お前らは軍産の傀儡だろう。つきあってやらないぞ」と言うのでなく「お前らが対米従属だというなら、軍産に従属するのでなく、俺に従属しろ。そうしたら、いろんなご褒美をやるぞ」と提案した。安倍は、その提案に乗ったので、トランプは選挙戦中と打って変わって親日的な態度をとり、尖閣諸島は日米安保の枠内であり続け、在日米軍の駐留費負担も今のところ全く問題にされていない。貿易では、いずれ米国を儲けさせる新たな態勢(二国間貿易協定など)を飲まされるかもしれないが、それもまだ突きつけられていない。 (従属先を軍産からトランプに替えた日本

 トランプが安倍の日本を味方にすることにしたのは、日本が、リベラルな理想を追求する社会でないこともある。トランプは軍産と戦っているが、軍産の思想的な背骨は、民主主義を世界に広げようとするリベラルの理想主義だ。軍産は、自分らの覇権の維持拡大のためにリベラル主義を悪用しているだけで、本気で世界を民主化する気などない(やろうとしても、できるものでないが)。

 軍事や民衆運動の扇動によって軍産に政権転覆された国には、真に民主的な政権ができるのでなく、米国(軍産)の言いなりで動く政治家が政権をとる傀儡国が作られる。民主化と正反対の結末になる。もしくはうまく傀儡政権ができず、恒久的な内戦に陥って何十万人もの国民が無意味に死ぬ。軍産は、それでもかまわない。米国の覇権が維持拡大できれば良い。うまく行かなくても、軍産傘下のマスコミが、うまくいっているように(もしくは失敗をロシアやイランのせいにして)報じてくれるので問題ない(そのうちうまくいってないことがばれるが)。

 軍産は、欧米の思想であるリベラル理想主義を悪用しているだけだが、米国の民主党支持者や、ドイツのメルケル支持者たちは、自分らが軍産に騙されていることに気づいていない。軍産と戦うトランプは、リベラル派との戦いを強いられている(トランプは意図的に反リベラルをやっている面も強い)。ドイツ、英国、フランス、オーストラリア、カナダなどの欧米系の諸国には、トランプを敵視する(軽率軍産傀儡な)リベラル派がいる。

 トランプは、非リベラルなロシアや中国と仲良くしたいが、中露敵視な軍産に阻まれてなかなか実現できない。リベラル派との国際的な戦いを展開するトランプにとって、リベラルでない親米諸国の日本は、ありがたい存在だ。上っ面だけ欧米風で、根っこが東アジア的な現実主義の日本は、本質的に非リベラルな国だ(リベラルが好きな、いわゆる左翼はいるが、ラディカルでなく表層的、もしくは頓珍漢に教条的だ)。日本は、先進諸国の中で唯一欧米文明でなく、唯一の非リベラル国だ。トランプは、リベラルとの戦いにおいて日本を味方として「発見」し、安倍を歓待したのだろう。

 今後、西欧でルペンが勝利し、メルケルが下野するなどして、西欧諸国に軍産の傀儡になることを拒否する政権ができていくと、リベラル軍産と、非リベラルなトランプとの戦いにおいて、非リベラルなトランプを支持する諸国が増える。そうなると、トランプにとって日本の非リベラル性の希少価値が薄れ、非リベラルさよりも日本の対米貿易黒字が目立つようになり、米国がもっと得する日米貿易協定を結べとか、経済面の要求が強くなるかもしれない。



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