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サウジアラビアの暴走

2017年11月15日   田中 宇

 11月4日、レバノンのサード・ハリリ首相が、サウジアラビア訪問中に、テレビを通じて辞任を表明した。それは、多くの点で不可解な事件だった。まず、ハリリが辞任表明後、本記事執筆時点まで10日間帰国せず、本国に何の連絡もしていない。ロイター通信によると、ハリリはサウジ国王から呼び出されて急いでサウジに行き、入国時に携帯電話をサウジ当局に没収されている。大統領専用機だけが戻ってきた。サウジがハリリに辞任を強要し、軟禁している感じだ。 (Exclusive: How Saudi Arabia turned on Lebanon's Hariri) (What are the Saudis really up to with Lebanese ‘hostage’ Hariri?

 ハリリは、辞任表明のテレビ演説時、レバノンのイラン系(シーア派)の武装政党であるヒズボラやイランに暗殺されそうだったので、サウジに来て辞任表明したと述べた。だがレバノン国軍は、調査したがハリリが暗殺されそうだった形跡はないと発表した。ハリリ自身、サウジに行く前日、レバノンに来たイラン政府の高官(ベラヤチ)となごやかに会談している。イラン系の勢力に暗殺されそうだったのなら、イランの高官と談笑しないはずだ。ヒズボラを含むイラン政界の各派は、サウジに強要された可能性がある以上、帰国して国内で正式に辞任表明するまで、ハリリが首相だと言っている。 (US, Israel supporting Takfiri terrorists in Middle East: Velayati

 レバノンは、イスラム教のスンニ派とシーア派(それぞれ人口の27%ずつ)、キリスト教のマロン派(21%)、ギリシャ正教徒(8%)など、宗教各派のモザイク状態で、内戦を避けるため、スンニ派が首相になり、シーア派が国会議長、マロン派が大統領になることが戦後の独立後の各派合意で定められている。ハリリはスンニ派だが、サウジとレバノンの二重国籍で、両方に自宅がある。ハリリ一族は、父親(ラフィク・ハリリ元首相。暗殺された)の代からサウジ王家に重用され、サウジ王政から多額の政治資金をもらい、サウジで王政から公共事業を受注する建設会社サウジ・オジェも経営していた(今年7月倒産)。 (Lebanon - Wikipedia

 サウジ王政は10月以降、イラン敵視、とくにイラン傘下のヒズボラへの敵視を強めた。ヒズボラは、イラン側の勝利で終わりつつあるシリア内戦に参加して武器や戦闘技能を大幅に向上させ、レバノンでの影響力が拡大している(シリア政府は内戦前、レバノンに対する支配力が強かった)。サウジは、ヒズボラを弱体化するため、ハリリに圧力をかけ、レバノンのスンニ派が、ヒズボラなどシーア派と戦うよう仕向け、レバノンにおけるイランやヒズボラの影響力を引き下げようとしたと考えられる。サウジがハリリを拘束して辞めさせた理由が公式には不明だが、そのぐらいしか考えられない。 (Saudi Arabia’s call for international coalition against Hezbollah faces obstacles) (Hariri 'Summoned' to KSA, Riyadh Wants Him to 'Distance Himself from Aoun'

 だが、ヒズボラの弱体化がサウジの目的であったなら、それは大失敗している。ハリリを呼びつけて辞任させて軟禁したサウジは、ひどい内政干渉をしており、それによってレバノン人のナショナリズムを扇動し、レバノン国内でのヒズボラの政治力をさらに強めてしまった。レバノンでは、ハリリを支持してきたスンニ派も、今回の件で、傲慢なサウジを憎む傾向を強めている。 (Hariri’s resignation part of Saudi miscalculations in Mideast: Analyst

 そもそもサウジはすでに昨年、レバノンにおけるイランとの影響力の争いに負け、レバノンでの影響力低下を容認していた。隣国シリアで内戦が続くなか、スンニ派、シーア派、マロン派というレバノンの3大勢力のうち、シーア派(ヒズボラ)がマロン派(アウン大統領)を取り込んで最大勢力になった。スンニ派は分裂して弱まり、09-11年に首相だったハリリは辞任してフランスやサウジで亡命生活を送っていたが、シリア内戦にロシアが介入しアサドやヒズボラを勝たせる中で、レバノン政界で完全に強くなったヒズボラがハリリに和解を申し入れ、16年12月にヒズボラ主導の連立政権が組まれ、ハリリが首相に返り咲いた。この時点ですでに、ハリリはサウジでなく、ヒズボラの傀儡だった。 (Lebanese PM Hariri steps down strengthening Iranian/Hizballah grip on Beirut and Israeli border) (Saudi Arabia brings in Lebanon's Hariri from the cold

 これより前の15年1月、サウジでは、前国王が死去して今のサルマン国王が即位し、息子のムハンマド・サルマン皇太子(MbS)が力を持つ流れが始まったが、ハリリ家は前国王とのつながりが深かった。国王交代後、ハリリ家のオジェ建設会社に回ってくる儲かる仕事が減り、最終的に倒産させられた。これは、MbSがハリリ家を見捨てたことを意味する。サウジは、レバノンへの経済支援を減らした。ハリリは、サウジに見放されたのでヒズボラにすり寄り、その結果、16年末に首相に返り咲いたのだった。 (Tension mounts in Lebanon as Saudi Arabia escalates power struggle with Iran

 サウジのMbS皇太子は今回、いったん見捨てたハリリを再び引っ張りこみ、ヒズボラと戦えと要求した。ハリリは、10月末にサウジに呼びつけられ、その時はヒズボラ寄りであることを批判されたものの、政府軍(ヒズボラの対抗勢力と想定?)への経済援助金の「おみやげ」をもらって帰国した。当時、MbSらサウジ側はまだ、ハリリを懐柔して反ヒズボラの主導役に仕立てようとしていた。 (Lebanon's prime minister meets Saudi crown prince amid tensions over Hizbollah

 だがその数日後の11月4日に再びMbSがハリリをサウジに呼びつけた時には、最後通牒を突きつけられた。オジェ社が倒産した時、王室に対して巨額の借金があり、ヒズボラと戦えないなら借金を返せ、返せないなら辞任しろとMbSがハリリに迫った。ハリリは辞任を受け入れ、サウジ国営テレビのスタジオで、サウジ側が作った辞任演説文を読まされた。 (Analysis Saudi Arabia Has No Lebanon Endgame in Sight - and It's Bound to Backfire

▼MbSはレバノンを空爆する?

 ハリリが辞任表明した11月4日の夜、サウジの首都リヤドの空港に向けて何者かが弾道ミサイルを発射したがサウジ軍が迎撃したという発表を、サウジ政府が行った。ミサイルはイラン製で、イランに支援されたイエメンのフーシ派の武装勢力(シーア派)が撃ったものだとサウジ政府は断定し、フーシ派を訓練しているのはヒズボラだから、これはレバノンによる宣戦布告だと、サウジ政府が発表した。サウジの発表は証拠がなく、こじつけの観が強い。 (Missile fired at Saudi capital was Iranian: US official

 サウジのMbSは、ハリリをけしかけてヒズボラと戦わせる策が破綻したので、ハリリを辞めさせ、代わりにミサイル騒動を口実にレバノンを空爆する姿勢をとりはじめた。11月11日には、サウジ空軍がレバノンを空爆するため、爆撃機の部隊にいつでも出撃できる態勢をとらせていると報じられた。サウジは同日、アラブ連盟の会議を11月19日に開き、イランの脅威への対抗策を練ると発表した。 (Saudi Arabia 'scrambles fighter jets' amid fears of WAR in Middle East) (Saudi Arabia requests urgent Arab League meeting over Iran: Egypt state news

 サウジは、イランやヒズボラから直接的な脅威を与えられているのでない。シリア内戦、イエメン戦争、カタール制裁、そして今回紹介したレバノン内政において、サウジは、イランとの影響圏拡大競争に負けた。負けを認めたくないので、レバノンを空爆しようとしている。サウジはイエメンでも、港湾を封鎖して国際援助物資の搬入を妨害し、イエメンを餓死と疫病蔓延の状態に陥れようとしている。いずれも、戦略的な合理性が全くなく、大量虐殺の戦争犯罪行為でしかない。 (The Saudi blockade of Yemen is starving kids and killing thousands, so why is Washington still defending it?

 サウジのレバノン空爆案に対し、アラブ連盟のまとめ役であるエジプトは、かなり強く反対している。エジプトの現政権(クーデターで政権をとったシシ大統領)は、サウジから巨額の資金援助を受けており、面と向かってサウジを非難できない。シシ大統領は「これ以上、中東で戦争を起こすべきでない」「諸外国は、レバノンに内政干渉すべきでない」「サウジとイランの対立においてはサウジを支持するが、それはサウジが賢い国際政治をやってくれるからだ(馬鹿な戦争はやらないでほしい)」と表明している。 (Egypt pledged support for "wise" Saudi Arabia in its standoff with Iran) (Government sources: A new Saudi grant for Egypt

 エジプトや他のアラブ諸国が反対しても、それらの諸国の多くはサウジから巨額の支援金をもらい続けており、サウジのMbSは彼らを見下しているので、反対意見を聞かない可能性がある。その場合、いずれサウジがレバノンのヒズボラ拠点を空爆し始めるかもしれない。空爆には正当性がなく、サウジは大きな国際非難をあびる。全く合理的な策でないが、サウジ(MbS)はイエメンでもカタールでも全く不合理な策を思い切り挙行しており、その延長で考えると、レバノン空爆がありうる。 (カタールを制裁する馬鹿なサウジ) (米国に相談せずイエメンを空爆したサウジ

▼トランプがMbSをけしかけている?。それをプーチンが止める?

 米国が反対すれば、サウジはレバノンを空爆しない。米国のティラーソン国務長官は、レバノンの国家主権を擁護し、外国勢がレバノンに干渉すべきでないと述べている。これだけ見ると、米国がサウジにレバノン空爆を思いとどまらせそうな感じもする。だが、トランプ大統領は逆に、10月中旬のイラン核協定不承認を皮切りに、イランへの敵視政策を前よりさらに強めており、最近新たにヒズボラをテロリスト扱いして制裁することを決めた。トランプは、MbSにレバノンを空爆しろと勧めている可能性がある。先日、トランプ娘婿であるジャレッド・クシュナーがサウジを訪問し、今後の戦略についてMbSと何日も話し合っている。 (Iran Blames Jared Kushner For Middle East Turmoil) (Saudi Shakeup Gives the U.S. an Opening With Iran

 米国がサウジに対し、サウジがヒズボラを空爆したら米軍がイランを空爆すると言っているかもしれない。かつて米国はブッシュ政権(チェイニー副大統領)時代の06年、イスラエルに対し、イスラエルがヒズボラを空爆したら米軍がイランやシリアを空爆すると言ってそそのかし、騙されたオルメルト政権のイスラエルがヒズボラを空爆して戦争に入ったが、米軍は出て来ず、1か月後にイスラエルはヒズボラと停戦せざるを得なくなった。その後、イスラエルに負けなかったヒズボラの権威がイスラエル政界で急上昇した。 (ヒズボラの勝利

 サウジには、この故事を知っていて、MbSによる無茶苦茶なヒズボラ空爆に反対する王室内の勢力もいただろうが、MbSはハリリを辞めさせたのと同じ11月4日の夜、王室内の有力な王子たちを次々と汚職容疑で逮捕失脚させている。MbSに反対意見を言う勢力はいなくなっている。 (In Shocking Purge, Saudi King Arrests Billionaire Prince Bin Talal, Dozens Of Others In Cabinet Crackdown

 トランプのイラン敵視戦略は当初、イランを仮想敵としてサウジとイスラエルを和解させ、パレスチナの中東和平を進める目的で展開されていた観があった。だが、イスラエルのネタニヤフ政権は入植地拡大の極右勢力に牛耳られており、和平の前提となる西岸入植地の撤去が全く進まず、逆に入植地が急拡大している。パレスチナの和平は、イスラエルが内政的にこの問題を乗り越えられない限り進まない。トランプは見切りをつけたようで、9月に国連事務総長と会った時に、和平が進まない最大の原因はネタニヤフだと述べている。 (イランを共通の敵としてアラブとイスラエルを和解させる) (Trump 'thinks Netanyahu is a bigger problem than the Palestinians'

 その後トランプは、10月にイラン核協定を不承認にしたのを皮切りに、新たなイラン敵視を猛然と加速した。新たな敵視は、イスラエルやパレスチナの関連でなく、若気の至りで無茶苦茶するMbS皇太子のサウジをけしかけて、イランやヒズボラと戦争させるためにやっている感じだ。これはトランプが今夏以来、北朝鮮との敵対を思い切り扇動し、今にも米朝戦争が起こりそうな感じを醸成しているのと似ている。おそらく両者は同質な戦略だ。 (米朝核戦争の恐怖を煽るトランプ) (トランプの新・悪の枢軸

 トランプのイランやヒズボラと戦争する過激策に本気で乗ってしまっているのは、サウジの皇太子だけだ。他の諸国は、前出のエジプトのシシ大統領に象徴されるように、新たな戦争に反対しているか、困惑しつつ黙っている。イスラエルは、表向きイランを強烈に敵視しているが、実のところヒズボラとの新たな戦争は絶対に避けたい。サウジがヒズボラを空爆してレバノンが再び戦争になると、イスラエルは米サウジ側を応援せねばならない。米サウジはヒズボラと国境を接していないが、イスラエルはヒズボラ陣地のすぐ隣だ。本格戦争になっても米国はろくに助けてくれない。ヒズボラとの戦争はイスラエルの滅亡(ハルマゲドン)になってしまう。 (New Trump-Putin deal on Syria grants Iran/Hizballah free movement in Israeli, Jordanian border regions) ("Israel Will Not Let This Happen": Iran Is Reportedly Building A Military Base In Syria

 トランプのイラン・ヒズボラとの戦争策に本気で乗っているのはMbS皇太子だけだ。他の諸国はすべて、戦争すべきでないと考えている。MbSは、ヒズボラ空爆を開始するところまではやりうる。だが、その先には進めない。サウジは大した軍隊を持っていない。サウジ王政は巨額資金を持っているが、大きな軍隊を育てると左翼の将軍がクーデターを起こして王政を転覆しかねないと懸念し、軍隊をわざと弱くしてきた(第二次大戦後、イラク、シリア、エジプト、リビアなどで将軍が王政を転覆している)。 (What's Behind Saudi Arabia's Sudden Purge of Princes

 サウジは、イエメン戦争でも、エジプトやパキスタン、ヨルダンなどにカネを払って軍隊を出してもらい、傭兵として使っている。いずれの国の軍隊も、相手が国家崩壊しているイエメンなら空爆してくれるが、中東有数の大国になっているイランや、その傘下のヒズボラを相手に戦争したくはない。イランに敵視されるわけにはいかない。MbSがいくら払おうがダメだ。サウジ空軍だけだと1-2週間のレバノン空爆ならやれるが、おそらくそこまでだ。ヒズボラは迎撃ミサイルを持っており、百発百中でないがサウジ空軍機を撃ち落とせる。

 MbSはすでに、イランどころかヒズボラにも勝てない状態だ。すでに負けていることを彼自身で気づければ戦争にならないが、気づくかどうか疑問だ。だが、いずれ気づく。MbSのレバノン空爆を止めるのは、ロシアのプーチンかもしれない。シリア駐留のロシア軍は、レバノンも射程に入れた高性能の迎撃ミサイルを持っている。サウジ軍のレバノン空爆は、大義なき「侵攻」であり国際法違反なので、ロシアが政治的にレバノンに味方をするのは「正義」だ。サウジ軍がレバノンを領空侵犯したら迎撃するとロシアが警告し、MbSが思いとどまるかもしれない。イスラエルがロシアに頼んでMbSを思いとどまらせてもらう、などという表面上と逆な展開もあり得る。 (The Reason For Netanyahu's Panicked Flight to Russia

 トランプと一緒に過激策を突っ走り、戦争行為をやる者は、中東であれ極東であれ、軍事的にも国際政治的にも敗北し、非難されていく。だがサウジのMbSは、すでに国内の全権を握っている。サウジは独裁制なので、MbSが大失敗しても辞める必要がない。予定通り、近いうちに国王になる。MbSが国際政治を動かすとしたら、その後のことになる。米国覇権の解体、多極化を進めているとおぼしきトランプは、MbSをいったん挫折させ、二度と米国に乗せられない対米自立した国王に仕立てようとしているのかもしれない。 (Saudi! Hariri says he will return to Lebanon in next two days

 レバノンのハリリ首相は11月14日、2日以内にレバノンに帰国するとツイートした。本当に帰国するのか、帰国したらどうなるか、まずはそれが注目点だ。



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