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トランプの覇権放棄としての中東和平の終わり

2020年6月6日   田中 宇

米国のトランプ大統領は、就任前からの目標である「覇権放棄」を進めるため、秋の大統領選挙までに中東各地から米軍や米国勢力の撤退を進めようとしている。最も明確な撤兵の形をとっているのがアフガニスタンで、トランプは先日、11月初めの大統領選挙の投票日までに米軍のアフガニスタン撤退を完了させたいと表明し、国防総省に撤兵計画を作らせていることを明らかにした。現在12000人の米兵が駐留している。トランプは、これからアフガニスタンで新型コロナ感染が蔓延しそうだから急いで撤兵せねばならないのだと理屈を言っている。 (US Drawdown in Afghanistan Is Ahead of Schedule) (Trump Wants Troops in Afghanistan Home by Election Day. The Pentagon Is Drawing Up Plans

米軍のアフガン占領は、2001年の911事件の「協力者」とみなされたタリバンを潰すためのものだったが、米軍は20年近く駐留してもタリバンを倒せず、米軍撤退とともにタリバンがアフガニスタンの政権を奪還する可能性が高い。タリバンの背後にいるのはパキスタンで、パキスタンの背後には中国がいる。米軍撤退後のアフガニスタンは、パキスタン中国イランロシアといった近隣の非米諸国の協力で運営され、米国の影響力は抹消される。アフガニスタンは未開発の鉱物資源の宝庫だが、米国は占領中にこれらの資源(麻薬以外)の開発をほとんどしなかった。資源はそのまま中国の利権になる。アフガニスタンは中国の一帯一路の覇権戦略に組み込まれていく。 (Russia, Pakistan, Iran, China envoys urge early launch of intra-Afghan negotiations) (ユーラシアの非米化

911後のテロ戦争で米軍が政権転覆・占領したもうひとつの国であるイラクでも、米軍の撤退が加速している。トランプは今年1月3日、イラクに来ていたイランの英雄司令官スレイマニを殺害し、イランとイラクの反米感情を扇動して結束させ、イランとイラク(多数派のシーア派)が協力してイラク駐留米軍を追い出していく流れを作った。3月にはイラク各地に駐留する米軍の撤兵が加速し、フランス軍などNATOの同盟諸国軍も撤退し始めた。トランプはイラク撤兵を公言しておらず、表向き、イラクに隣接するイランと戦うためイラク駐留の米軍を再編するのだと言っている。 (Iraq military: US handover of al-Qaim base is ‘first step of withdrawal’) (France to Withdraw All Troops From Iraq to Fight Virus

だが同時にトランプは、米軍に代わってNATO軍がイラクに駐留する構想を提案するなど、実質的に撤兵を続けている(NATO諸国はイラク駐留の拡大を拒否している)。米軍は秋の米選挙ぐらいまでに撤兵をかなり進めそうだ。イラクは世界最大級の石油埋蔵量を持つが、米国はアフガンだけでなくイラクでも、占領中に石油利権の獲得をほとんどやらなかった。近年、イラクの膨大な未開発油田の開発権を獲得しているのは中国だ。イラクでもアフガンでも、米軍の駐留は、最終的に中国を強化する隠れ多極主義的なかたちで終わる。(米諜報界でトランプと暗闘する軍産側は最近、イラク西部にわずかに残存しているISISの勢力を決起・反撃させ、米軍が撤退しにくい状況を作っている。オバマが2011年にイラク撤兵を挙行した直後にISISが台頭してきた歴史の繰り返しだ。これが今後どうなるか) (China Prepares To Close "Oil Deal Of A Lifetime" In Iraq) (静かに世界から手を引く米国

もうひとつトランプが昨秋来、目くらましを放ちながら米軍を撤退しているのがシリアだ。シリア内戦は、米国がISISアルカイダやクルド人といった反政府勢力を軍事支援してアサド政権の政府軍と延々と戦わせる、シリアの政権転覆を目標とした米国による代理戦争だった。トランプは昨秋来、この代理戦争の構図を破壊している。トランプは昨年10月に米軍をシリアから撤退すると発表し、米軍はそれ以降、クルドやISカイダに対する支援活動をやめている。米国に見捨てられたクルド人は、シリア政府と戦うことをやめて投降し、クルド民兵団はシリア政府軍に編入された。ISカイダもシリア政府軍に潰されていき、トルコの庇護下に入ったか、イラクの砂漠に越境逃亡している。 (US, Russian troops square off in northeast Syria as Kremlin eyes wider footprint) (米国を中東から追い出すイラン中露

トランプは米国の代理戦争であるシリア内戦を終わらせたが、その後も千人前後の少数の米軍がシリア国内に駐屯し続け、北東部の油田を不当に占領し続けたり、ロシア軍やシリア政府軍による統治を邪魔したりしている。これは一見、トランプがシリア内戦の継続を狙っているかのように見えるが、実体は違う。トランプは、米軍を使って露シリア軍の統治を意地悪に邪魔し続けることで、ロシアとシリア、イラン系が結束を強めて米軍を追い出すように仕向けている。シリアのアサド政権は従来、米軍を撤退させた後に米欧と和解する展開を希望してきたが、トランプがシリア側に意地悪を続けるのでシリア側は米欧との和解を望まなくなり、米欧に頼らず露中イラン・非米側で結束して今後のシリアを運営する傾向を強めている。トランプのシリア戦略は覇権放棄的・隠れ多極主義的だ。 (Russia to hold talks with Syria about obtaining more facilities, maritime access: Ifax) (トランプのシリア撤兵の「戦略的右往左往」

▼最も複雑で重要なのはイスラエルとの中東和平

アフガニスタン、イラク、シリアでの展開はいずれも、米軍(軍産)がこれらの中東諸国に侵攻・占領してきた「テロ戦争」の戦略を、トランプが終わりにして撤退していく流れだ。軍産に対するトランプの目くらましが多発されているが、中東諸国の側は米国の撤退を望んでおり、基本的な構造は比較的単純だ。これと対照的に、構造が複雑なのが米国とイスラエルの中東和平の話だ。

イスラエルの主流派(旧エリート)は、中東和平が永久に道半ばで未達成な状態を望んでいる。イスラエルは1950-70年代の中東戦争で占領した西岸とガザをパレスチナ人に返還する中東和平を1980年代から米国に仲裁させてきた。イスラエルは、中東和平の仲裁の構図を逆手に取り、イスラエルが米政府や議会を恫喝・脅迫して毎年巨額の経済支援を出させる構図を確立した。中東和平の交渉相手であるアラブ側は、永久に米国の傀儡だが、米国は永久にイスラエルの傀儡だ。中東和平の交渉が道半ばである限り、イスラエルは米国とアラブを傀儡化し続けられる。米大統領は、本気で中東和平をやろうとするほど、イスラエルの傀儡として中東を支配する構図にはめこまれる。イスラエルには非主流派の入植者集団もいて、彼らは中東和平の構図を破壊してイスラエルが西岸を併合することを望んできた。911以降、非主流派が強くなって主流派をしのぐ状態になっており、それを体現するのがネタニヤフ政権だ。 (Pompeo to discuss annexation, Iran, China with Israel’s new government

覇権放棄屋であるトランプは、米国をイスラエルの傀儡状態から解放したいはずだが、そのやり方は全く反直感的だった。トランプは最初から、イスラエルの言いなりになることを宣言し、入植者が優勢になるイスラエルが、西岸を併合したりエルサレムをイスラエルだけの首都として宣言したりして中東和平の構図を破壊していくことを支持し続けた。その一方で、永久に道半ばの中東和平を仲裁する方面でもイスラエルの言いなりになり、パレスチナ・アラブ側が受け入れられないようなチンケな中東和平案を「世紀のトランプ案」として出し続けた。

イスラエルでは、旧エリートと入植者との政治的な暗闘が続き、それに加えて米国の覇権低下を受けてロシアに頼ってイスラエルの国家安全を確保しようとするロシア系(リーベルマン元国防相)の新たな政治謀略も強まって三つ巴の政治暗闘となり、昨年来、選挙を何度やっても連立政権を組閣できない悪しき均衡の状態が続いた。今年3月の4度目のやり直し選挙に先立ち、トランプはネタニヤフをテコ入れするために入植者が喜ぶチンケな中東和平案を発表し、ネタニヤフを優勢にして選挙に勝たせ、5月の組閣に成功させた。トランプはネタニヤフに対し「勝たせてやるから、組閣後に西岸の併合を正式に発表・挙行しろ」と条件をつけていた。ネタニヤフはトランプとの約束を守り、5月末の組閣後、7月に西岸を正式に併合すると発表した。 (Netanyahu condemns settler leader who said Trump is 'not a friend of Israel'

ネタニヤフは、西岸の正式な併合を宣言したくないはずだ。西岸の正式な併合は、イスラエルが中東和平を進める気がないことを正式に示す動きであり、中東和平の終焉になる。中東和平が終わりになると、米国が中東和平の仲介者としてイスラエルとパレスチナ(PA)を延々と経済支援し続けてきた構図も終わりになる。イスラエルの国家戦略として、中東和平が永久に道半ばの未達成である(=米国が永久にイスラエルを支援する)ことが望ましい。ネタニヤフは、政治力が増大した入植者集団(彼らは実は親イスラエルのふりをした反イスラエル)の支持を得るために西岸併合を公約に掲げつつ、その一方でイスラエル国家の安全と利得のため中東和平の継続も望み、両者のバランスをとって権力を保持してきた。トランプは、ネタニヤフがこのバランスから脱して西岸の正式な併合を宣言するよう仕向けた。 (Israeli unity government sidelines pro-settler party

ネタニヤフが西岸を正式に併合すると、中東和平の構図が崩れ、米国が中東和平の仲介役としてイスラエルやPA(パレスチナ自治政府)を経済支援し続けねばならない構図も終わる。トランプは以前からPAにとても冷淡で、すでに昨年ワシントンDCのPA事務所(在米大使館に相当)を閉鎖に追い込んだ。ネタニヤフが西岸併合の宣言予定を発表した後、PAのアッバース大統領はPAの事実上の解散を宣言した。西岸では今後、ハマスの影響力が強まりそうな展開だ。トランプはイスラエル(入植者)の言いなりになることで、イスラエル自身に中東和平の構図を破壊させ、米国が中東和平の仲裁者としてイスラエルの傀儡にされてきた構図から脱却していく流れを作っている。イスラエル側もこの構図に気づいており、米国に対し、経済支援を前倒し・増額してイスラエルに渡すよう求め始めている。トランプの米国が中東からいなくなる前に、できるだけ多くの額をもらっておこうという策だ。 (Israel Expected to Seek Double US Aid, Early Delivery of Funds

パレスチナ(西岸とガザ)は従来、PAを仕切るファタハ(世俗主義・旧左翼)と、ガザを支配するハマス(イスラム主義、ムスリム同胞団)が対立してきた。PA大統領のアッバースはファタハ議長でもある。トランプがPAを崩壊させたことはハマスを台頭させる。PAは対米従属だが、ハマスはイランやカタールと親しく非米的だ。イスラエルは昔からファタハと内紛させるためにハマスをこっそり支援してきたが、表向きイスラエルとハマスは敵どうしだ。ハマス(ムスリム同胞団)は、エジプトとヨルダンの最大野党でもあり、これから米国が中東覇権を低下させていくと、対米従属だったエジプトとヨルダンの現政権の資金力や権力が低下し、ハマスとの対立が激化する。これは、これからのイスラエルにとって実は好都合だ。イスラエルは、米国の後ろ盾が失われる今後も、ハマスを共通の敵(というより交渉相手)としてエジプトやヨルダンの現政権と仲良くできるからだ。 (Palestinian Authority president says no longer bound to commitments with US, Israel

現在の中東には、2つの連合体がある。一つは、ハマス(ムスリム同胞団)とイランという2つの非米反米勢力が結束した「同胞団イラン側」で、イラン、イラク、シリア、レバノン(ヒズボラ)、トルコ、カタール、イエメン、ハマス(ガザ)、そしてロシアが入っている(トルコはNATO加盟でシリア敵視だがイランと親しく、与党AKPが「隠れ同胞団」だ)。中東のもう一つの勢力は親米系で、米国を傀儡化してきたイスラエルと、米国の傀儡であるサウジ、UAE、エジプト、ヨルダン、PAなどで構成される。今後、米国が中東から離脱していくと、親米諸国は米国に頼れなくなり、代わりにロシアに頼らざるを得なくなる。ロシアは米国から敵視されてきたが、その一方で以前からサウジ、イスラエル、エジプトなどはロシアと親密だった。 (In move seen as ‘nearly suicidal,’ Abbas’s PA refuses tax transfers from Israel) (Egypt shows diplomatic finesse forging Gaza cease-fire

米国が退潮するとヨルダン(傀儡王政)やエジプト(軍事独裁)で同胞団ハマスが強くなり政権転覆されかねないが、ロシアは政権転覆による政情の不安定化を好まない(安定化にカネがかかるのでイヤだ。その点ロシアは米国と正反対だ)。ロシアは、非米勢力ということで同胞団ハマスを支持しつつも、同胞団がヨルダンやエジプトの政権を転覆することは許さない。ロシアは、ヨルダンエジプトと、同胞団との対立を現実的な形で仲裁していく(すでにしている)。このロシアの仲裁の構図にイスラエルも参加できる。同胞団の後ろにはイランやヒズボラもつながっているので、イスラエルはロシアの仲裁によって、イランやヒズボラとの対立も緩和していける。 (プーチンが中東を平和にする

軍産傀儡のマスコミは、米国が撤退していったら中東は対立を収拾できず戦争や不安定がひどくなると言いたがるが、これは大間違いのプロパガンダだ。戦争や不安定を扇動してきたのは米国だ。イスラエルも戦争を扇動してきたが、それは米国の後ろ盾があったからだ。米国がいなくなると、残された現場の諸勢力は現実的な対応をせざるを得なくなる。中東は、米国撤退後の方が安定する。 (イスラエルとトランプの暗闘

パレスチナのうちガザは現在、エジプトがハマスと和解し、エジプトの仲裁でイスラエルとハマスが和解するシナリオで交渉が進んでいる。この文脈で、ハマスの背後にいるカタールがイスラエルと和解したり、カタールを敵視しつつエジプトを支援してきたサウジやUAEがカタールと和解したり、イスラエルとサウジUAEが和解したりする。これらの全体にロシアが関与する。敵対が緩和されていくと、イランとサウジ、イランとイスラエルの対立も緩和されうる。 (Russia as mediator could change Israel, Hamas game rules

西岸はイスラエルの占領が厳しくなるが、イスラエルが西岸のパレスチナ人に国籍を与えることはあり得ない。国籍を与えると、イスラエルのアラブ政党が強化され、ユダヤ人国家性が薄まってしまう。イスラエルは長期的に、西岸のパレスチナ人に国籍を与えず、パレスチナ国家も作らせない形で、何らかの安定を与えねばならない。どのような道があり得るか。私が今回考えたのは、イスラエルとハマスとの和解を安定化していく道だ。まずはガザにおいて、エジプトやカタールを巻き込む形で、ハマスとイスラエルが和解し、相互に信頼を醸成していく。続いて、西岸において選挙をやり、ハマスが西岸を政治支配する新体制を容認する。ここでも、ハマスとイスラエルの相互信頼の醸成が続く。 (イスラエルが対立構造から解放される日

さらに、ヨルダンの最大野党であるハマスが、王政を譲歩させて権力を拡大する。ロシアが容認するなら、王政は下野させられる。ヨルダン王政は米国がイスラエルに西岸併合を容認したことを非難し猛反対している。併合はヨルダン王政を危険にするのだ。ヨルダンと西岸の両方がハマスになり、ハマスとイスラエルの相互の信頼関係が安定し、エジプトとハマス(同胞団)の関係も安定し、これらの全体を無理ない形でロシアが仲裁できるなら、ヨルダンと西岸がハマスのもとで合邦し、イスラエルはヨルダン川の西岸河畔の入植地をハマスに返す。イスラエルに隣接する西岸入植地は、イスラエル領になる。エルサレムはどうなるか??。イスラム主義のハマスは、神殿の丘が領土の一部でないことに満足するのか??。不確定要素は多い。妄想はこのくらいにしておく。 (Jordan's King Warns "Massive Conflict" Coming If Israel Moves To Annex West Bank) (Will West Bank annexation harm US-Jordan security cooperation?



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