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「事実」の不安定化

2020年10月12日   田中 宇

化学兵器の使用を調査する国際機関であるOPCW(化学兵器禁止機関)の内部の政治闘争が激化している。OPCWが有名になったのは、シリア内戦でアサド政権の政府軍が、ISアルカイダなどイスラム過激派の反政府勢力との戦闘で、サリンや塩素系などの化学兵器を使ったと結論づけるいくつかの調査報告書を出してからだ。報告書群の多くは、シリア政府軍が化学兵器を使ったと結論づけている。だが、2018年4月のダマスカス郊外のドウマなどでの化学兵器使用について、報告書の発表後、現場を調査したOPCWの専門家部隊が「シリア政府軍が化学兵器を使ったと言える根拠がない。報告書の草稿にそう書いたのに、OPCWの上層部が結論を書き換えて、政府軍の仕業ということにしてしまった」と言い出した。 (The War on Truth, Dissent and Free Speech Syria, the OPCW Douma Investigation and the Working Group on Syria, Propaganda and Media) (More Explosive Leaks From OPCW Show Trump Bombed Syria On False Grounds) (シリア政府は内戦で化学兵器を全く使っていない?

現場での調査ではむしろ、反政府勢力が、シリア政府軍のせいにするために化学兵器を使用した可能性の方が高いと結論づけられていた。2019年春に露呈したこのOPCWの「報告書書き換え事件」は当初、マスコミがほとんど報じず、主にオルトメディアだけが紹介していた。ISアルカイダなどのシリア反政府勢力は、米英の諜報界(軍産複合体)が支援してきた勢力だ。OPCWの上層部も、英米諜報界が握っている。マスコミも、軍産傘下の組織だ。OPCWの書き換え事件は、アサド政権を転覆したい軍産による歪曲・濡れ衣戦略だった可能性が高い。事実を内部告発した現場担当者たちが無視されるのは自然だった。 (OPCW Insiders Denounce Latest Syria Report) (OPCW Investigator Testifies At UN That No Chemical Attack Took Place In Douma, Syria) (いまだにシリアでテロ組織を支援する米欧や国連

しかしその後、OPCWの内部告発者たちは、しだいに力を持つようになった。今年3月には、OPCWの現場調査隊のリーダー格の2人が内部告発文書を公開し、それが国連安保理で議題にされるまでになった。安保理は10月5日、OPCWの内部告発勢力を束ねる元事務局長ジョゼ・ブスターニ(Jose Bustani)を証人喚問して証言させようとしたが、米英仏の常任理事3か国が拒否して証人喚問を潰した。この件で安保理のP5(常任理事諸国)は、米英仏vs露中の対立構造になっているようだ。米英仏がOPCW上層部の濡れ衣戦略を擁護・隠蔽しようとする軍産の側で、露中がOPCWの内部告発勢力を擁護して軍産の悪しき陰謀を暴露しようとする非米(多極)の側だ。今回安保理で証言しようとしたブスターニは、02年にブッシュ政権の米英軍産がOPCWを巻き込んでイラクに大量破壊兵器の濡れ衣をかけた時に、それを阻止しようとして事務局長を辞めさせられた反軍産のブラジル人だ。 (West is afraid of uncomfortable truth about OPCW at UNSC - Russian envoy) (The Grayzone’s Aaron Maté testifies at UN on OPCW Syria cover-up) (シリア内戦 最後の濡れ衣攻撃

米国はブッシュの時代から国連を敵視する戦略を続け、トランプが国連敵視を加速したので、国連の支配権は米国から露中に移っている。この傾向は今後も続く。今回はブスターニの証人喚問が潰されたものの、長期的に国連は、OPCW上層部の不正な書き換え・濡れ衣戦略を暴露し、やめさせていく。OPCWでは、軍産系の上層部に反逆する内部告発勢力が強くなり、内部者たちが寝返っていき、軍産系が追い出されていく。最終的に、私が以前に書いたような、アサド政権は今回の内戦で化学兵器を使っていないことが確定していくだろう。そもそもアサド政権は2014年に、ロシアの忠告にしたがって手持ちの化学兵器を全廃している。廃棄には米国も協力した。アサドがその後で化学兵器を使うことは考えにくい。 (US, UK, And France Block Ex-OPCW Chief’s Testimony At UN) (OPCW insiders slam ‘compromised’ new Syria chemical weapons probe) (OPCW: Investigation Into Two Alleged Syria Chemical Attacks Inconclusive

軍産はシリアだけでなく、フセイン時代のイラクの大量破壊兵器、イランの核兵器開発など、濡れ衣や歪曲を使って「ニセの事実」をでっち上げ、そのニセ事実に基づいて相手国を「極悪」に仕立て、政権転覆や経済制裁などをやってきた。軍産が育てたISアルカイダによる犯罪から人々を守る名目で世界を支配する自作自演的なテロ戦争の構図も、歪曲策の一つだ。 (英国の超お粗末な神経ガス攻撃ロシア犯人説) (アルカイダは諜報機関の作りもの) (イスラム国はアルカイダのブランド再編

これらの事象からうかがえるのは、覇権運営勢力である米英の軍産が、何が「事実」であるかを決める権限を持ち、その権限を乱用して「事実」や「善悪観」を歪曲するやり方で、敵性国を潰したり、世界への支配を強化していることだ。こうした「事実や善悪の歪曲」は、国際人権問題の全般に対して起きている。人権をめぐるいろんな現場の事情を無視するかたちで、英米が敵とみなした諸国に対して人権侵害のレッテルを貼り、経済制裁や政権転覆策動をやっていく。 (人権外交の終わり) (ポスト真実の覇権暗闘

国際政治だけでなく、経済や科学の分野でも、戦略的な「事実の歪曲」が行われている。デフレ対策と称して金融バブルを維持するために中央銀行群がQE(造幣による債券買い支え)をするとか、失業率やGDP成長率の統計値を操作して景気が良いように見せるとか、気候変動が人為(石油石炭の燃焼)のせいだと根拠薄弱なまま決めつけて石油石炭の使用を制限する地球温暖化対策などがその例だ。これらについてマスコミは、ニセの事実だけを喧伝し続け、多くの人が歪曲されたニセ事実を軽信し、そうじゃないんだと説く分析者たちを妄想家として攻撃する。最近では、新型コロナをめぐる状況がものすごい歪曲の体制になっている。 (英国金利歪曲スキャンダルの意味) (経済の歪曲延命策がまだ続く?

もともと各分野とも、事実の確定は困難なものが多い。OPCWの場合、化学兵器が使われた可能性がある戦闘が起きた後、現場の国の政府の許可をもらうのに何週間も待たないと現場に行けない。すでに現場は片づけられ、爆弾が作った穴が埋められたり、兵器の破片もなかったりする。また、大量破壊兵器を「持っていない」、核兵器開発を「やってない」ことを完璧に証明するのは、どの国でも不可能だ。自国を敵視する英米による軍事施設の無限の査察に応じる国などない。経済分野だと成長率、失業率、インフレなどの計算が、モデル化を伴わないとやれない。モデル化は必ず歪曲や恣意性が入る。気候変動や人為の影響など地球環境も、各地の測定値をもとにコンピュータのモデル化を伴っている。変数をいじることで、政治的に好都合な結果を「事実」として算出できる。新型コロナの感染拡大予測も、恣意的な変数つきのコンピュータのモデルに依拠してきた。PCRの陽性が何を意味しているかという判断も、恣意的な政治性がつきまとう。 (歪曲が軽信され続ける地球温暖化人為説) (ウイルス統計の国際歪曲

いずれの分野も、判断する人々に下心がないなら、このあたりが現実的な事実かな、という判断・推測ができる。もともと「専門家」は、その分野の状況を長く深く分析することで、事実を誠実・非政治的に判断するために存在してきた。だが現実には多くの場合、事態に政治が入り込んでくる。その最たるものが戦争だ。勝てば官軍。勝者の得になるように、戦争になった経緯や誰が悪かったのか、戦後の善悪観などが決められていく。勝者が得する方向ですべてが歪曲され、歪曲の存在すら否定されていく。国内的には、田布施の方が東京の真ん中に住んでいらしても、そのように言ってはいけない。楠正成像を見てピンときてはいけない。歴史の多くはニセ事実だ、という事実も言ってはならない。 (軍産複合体を歴史から解析する) (世界のデザインをめぐる200年の暗闘

国際的には近現代史上、ニセ事実の事実化が最も成功したのが第二次大戦の戦後体制・日独戦犯化だ。日本人は優秀なので、戦後の日本はニセ事実を事実として完璧に受け入れ、その余波で戦後日本人は世界有数の軽信的な人々になり、統治しやすい国になった。官軍=覇権勢力である米英では、記者や評論家が権威を持つと「歴史家(ヒストリアン)」を自称でき、昨今の出来事を「歴史」として定着させる権限を持てる。ここでいう「歴史として定着させる行為」は、覇権維持のためにニセ事実(詭弁的なニセ解釈)を考案し、不動の歴史として事実化する行為である。戦勝国・覇権国の英米は歴史を作る(捏造する)側(お上)、敗戦国の日独はそれを軽信する側(下々)だ。この上下関係は、戦後ずっとうまく機能してきた。日独は戦後いちども覇権国に反逆せず、ずっと忠実なしもべである。 (ホロコーストをめぐる戦い) (イスラエルとの闘いの熾烈化

2001年の911以降、米英の覇権低下が続いている。これは、何者か(中露とか)が米英から覇権を奪っているからでなく、米国自身の内部に覇権の力を自滅させている勢力がいるからだ(英国は巻き添え)。米国の覇権自滅はベトナム戦争以来の特性だ。米国は、覇権を自滅させる行為をやり出すと、同時に覇権を多極化しようとする動きを併発する。ベトナム戦争の時、米国は中ソとの敵対を解いていき、冷戦終結や、その後の中露など非米諸国の結束、その結果として多極化につながっている。911やイラク戦争の後、中東や西アジアで、米国の覇権低下と露中による支配が強まった。多極型世界は、米国が終戦時に望んでいた世界体制だ。国連のP5体制でそれが示されている。多極型の方が長期的に見て、世界の安定と経済発展がやりやすい。米国は、世界を多極化するために、覇権を自滅させている感じだ。米英には、単独覇権を維持したい帝国的な勢力と、多極化したい資本家的な勢力がいて暗闘している。 (多極化の目的は世界の安定化と経済成長) (田中宇史観:世界帝国から多極化へ

覇権が十分に強く、米英が安定して世界を運営(支配)していた時は、事実がニセ事実であることが露呈しなかった。事実性は、覇権の力で支えられていた。だが911以後のこの20年、覇権が低下するほど事実のニセモノさが露呈する傾向になっている。一つの考え方として、覇権が低下するほど、低下を抑えて覇権を維持するために事実の歪曲、ニセ事実の事実化が強く試みられ、強くやりすぎて逆にニセモノさが露呈してしまっていると分析できる。ニセ事実が露呈しても、覇権運営勢力の一部であるマスコミはこれを報じたがらない。ニセ事実を報じるのはネット上のオルトメディアの仕事になった。これを放置するとマスコミの信用低下が加速する。それを防ぐため、マスコミやその他の権威筋は2016年(トランプ当選の直前)から、オルトメディアに対して「フェイクニュース」「ニセニュース」のレッテルを貼って攻撃した。だが、その後も覇権低下とニセ事実の露呈が加速し、フェイクなのはオルトメディアでなくマスコミの方だと多くの人が気づくようになり、マスコミの信用低下や経営難に拍車がかかった。 (偽ニュース攻撃で自滅する米マスコミ) (大統領の冤罪

米国の覇権低下について、私はもう一つ別の見方も持っている。ネオコンら隠れ多極主義者の存在だ。911以来の米国の覇権低下をよく見ると、覇権が低下したからニセ事実が露呈したのでなく、米国の覇権運営体の中に事実の歪曲を稚拙に過激にやってニセ事実であることを隠然と意図的に露呈させる勢力(ネオコンからトランプまでの隠れ多極主義者)がいて、彼らの動きが覇権の低下に拍車をかけてきた。このニセ事実を露呈させる勢力のしわざで、ばれやすい形でイラクの大量破壊兵器の濡れ衣がかけられたり、イランは核兵器開発していないのにしていると言われて延々と経済制裁されたりしていると考えられる。OPCWの下克上も、この構図を持っている。 (ネオコンと多極化の本質) (好戦策のふりした覇権放棄戦略

新型コロナの世界的騒動は、米国の覇権がかなり低下し、ニセ事実を事実化する覇権維持の手法が失敗しがちになってから始まっている。新型コロナ危機は、ニセ事実のかたまりだ。ウイルスは存在し、ごく一部の人は重篤な症状になったが、世界的に「コロナ死者」の死因がコロナだったのかどうか怪しいし、PCR陽性の意味も誇張されてばかりいる。新型コロナという病気を否定するのでなく、コロナをめぐる状況の中に恣意的な歪曲や誇張、捏造が無数に入っている。コロナのニセ事実性が世界的に露呈していくのは今後の話だ。その露呈により、マスコミや権威筋、学界、専門家、政治家など「お上から下々まで・米英から日独まで」の従来の覇権構造がさらに壊れていく。「事実」の不安定化と米覇権の低下、多極化が加速する。中露が漁夫の利を得る。 (コロナの歪曲とトランプvs軍産の関係) (国際政治劇として見るべきコロナ危機

話をまとめる。これまでの世界で「何が事実か」を決めるのは覇権国である英米だった。しかし今、覇権の低下によって、事実を事実として確定させる人類のちからが低下し、同時に覇権を維持するための事実の歪曲や捏造もひどくなり、それがまた覇権の低下に拍車をかけている。覇権とともに、事実も不安定化している。最近は新型コロナをめぐる事実の不確定がひどい状態になっている。多くの人は、マスコミを軽信する旧来の体制下でまだ生きているので事実の不安定化に気づかない。覇権の低下と、事実の不安定化は今後さらにひどくなる。いずれ人々は気づいていく。 (ひどくなる世界観の二重構造

この事象から派生するものとして、トランプとロシアゲートの話や、ロシアの反政府人士ナバルニーが「毒(ノビチョク)を盛られた!」事件とOPCW、巻き込まれたドイツが迷惑させられていきそうな話なども書きたかったのだが、長くなるので改めて書く。 (自分の弾劾騒動を起こして軍産を潰すトランプ) (CIA Director Haspel And The Anti-Trump Conspirators) (The Great Novichok Poisoning Hoax 2.0) (OPCW Joins Poison Cocktail Party



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