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通貨デジタル化の国際政治

2020年11月2日   田中 宇

中国が通貨のデジタル化を進めている。中国ではすでに決済(支払い)のデジタル化が大幅に進んでいる。2018年の時点で、中国全体で1年間に行われた支払いの83%がスマホなどモバイル機器を使ったデジタル決済だった。現金やクレジットカードを使った支払いは17%しかなかった。中国でのデジタル決済の90%が、アリペイもしくはウィチャットペイの決済アプリで行われている。デジタル決済は、利用者が自分のスマホに決済アプリをインストールし、銀行預金などから決済アプリにお金を充填(チャージ)し、店頭でバーコードなどを使ってアプリの残高から支払う。これに対し、中国政府が新たに進めている通貨のデジタル化は、中央銀行である中国人民銀行が作った決済アプリ(ウォレット)を使うこと以外は、アリペイなど既存の決済アプリを使ったデジタル支払いと仕組みが同じであるようだ(詳細が報じられていない部分がある)。 (How China Is Closing In on Its Own Digital Currency) (China’s e-RMB era comes into closer view

決済のデジタル化と通貨のデジタル化は、同じ現象を別の角度から見たものともいえる。決済のデジタル化は支払いの現場における現象であるが、通貨のデジタル化は、法的・会計的・国家政策的な現象だ。通貨のデジタル化を進めていくと「紙幣と貨幣の廃止」に行き着く。中国ではすでに、屋台など小規模な店舗で現金での支払いが拒否され、デジタル支払いしか受け付けないところが多い。釣り銭やレジの管理が不要だし、店内に現金を置かないので強盗に遭う心配が減るからだ。中国の屋台業界は、すでに事実上の紙幣と貨幣の廃止に踏み切っている。 (China’s Digital Currency Electronic Payment Project reveals the good and the bad of central bank digital currencies) (How is China's digital currency different from other e-payments?

「紙幣と貨幣の廃止」のことを「現金廃止」とも呼ぶが、「現金」という言い方はややこしい。決済アプリの残高は「現金」なのか、それとも「当座預金」に相当するのか。中国人民銀行は、自分たちのウォレット内の残高を「当座預金=M1」でなく「現金=M0」であると言っている。中身が現金だから「ウォレット=財布」と呼ばれている。現金は廃止されるのでなくデジタル化されていく。世界的に「預金」は銀行(預貯金取扱金融機関)だけが提供できるサービスだ。 (現金廃止と近現代の終わり) (How does China's digital yuan work?

政治的に見ると状況はさらに違う。現金(紙幣と貨幣)は匿名の資産だ。預金は記名式で、口座間の資金のやり取りは、誰から誰にいくら送ったかという決済の内容を銀行や当局が把握できる。記名式の資産や決済は、政府当局による課税やテロ対策やプライバシーの侵害がやりやすくなる。決済アプリの中のお金は記名式だ。当局がその気になれば、アリペイやペイペイの決済を追跡できる。政治的に見ると、匿名性を維持できる資産を現金、記名式の資産を預金と呼ぶのが良い。デジタル化されたお金は「現金」でなく「預金」である。デジタル化されたお金で匿名性を維持しているのは、ビットコインなど仮想通貨である。仮想通貨を入れておく場所は「ウォレット=財布=現金入れ」と呼ぶにふさわしい。だが、デジタル化された人民元や日本円を入れておく場所(決済アプリ)は政治的に見て「ウォレット」と呼ぶべきでない。 (China's Digital Currency Has Been Used in 3 Million Transactions Worth Over a Billion Yuan So Far) (The surprising truth about digital currencies

中国が決済と通貨のデジタル化(最終的な紙幣と貨幣の廃止)に積極的である大きな理由の一つは、中国共産党が人民元建てのすべての決済や個人の資産状態を把握できるようにするためだ。習近平は、就任当初から通貨のデジタル化の具体的な計画を立てて実現してきた。これはおそらく習近平が党内での自分の独裁体制を強化するつもりであったことと連携している。決済や通貨のデジタル化によって習近平は、党幹部たちの資産形成や金使いについて把握でき、政敵を犯罪者として追放できる。国内の反政府運動の把握もやりやすくなる。中国在住外国人の金使いを監視することでスパイを取り締まれる。 (China Rolls Out Pilot Test of Digital Currency) (China Sees Advantages in Being First on New Digital Currency ‘Battlefield’

中国では今年1月から新型コロナの感染拡大防止策として、人々が交通機関を使う際の記名性を強めた。これも、誰がいつどこからどこに移動したかを中共中央が詳細に知れるようになり、政敵やスパイや反政府運動の取り締まりがぐんとやりやすくなった。コロナ危機が一段落した今年4月以降、中共中央は中国各地での通貨のデジタル化の試験運用を進めているが、この時期的な一致は偶然でない。コロナ危機後、習近平の独裁体制が強化され、独裁を維持するために、コロナ対策として行動監視体制が恒久化され、通貨のデジタル化(お金に関する監視強化)が推進されていく。紙幣にはコロナのウイルスが長く付着しやすいので紙幣を廃止すべきだみたいな理屈がプロパガンダとして流布したのは笑える。中国はいずれ紙幣や貨幣が廃止し、すべての決済が中共の監視下に入る(まだ廃止の時期は明確でないし、目標は廃止だとも宣言されていない)。 (Coronavirus Survives On Banknotes For Up To 4 Weeks, Study Finds, As Cash Usage Plunges) (Banks And The Digital Dollar

習近平が人民元をデジタル化する理由の一つは、人民元を手っ取り早く国際基軸通貨(貿易決済通貨)の一つにしたいからだ。中国人民銀行の決済アプリは、中国と諸外国の政府や企業や個人の間での資金のやり取りにも使える。銀行間の送金(CIPSなど)より費用も格段に安いし、時間もかからない。銀行がない地域でも中国と貿易決済できる。これは、一帯一路など習近平の経済影響圏拡大策にとってうってつけだ。手っ取り早く中国覇権を形成できる。貿易にドルを使わなくてすむことで、米国から監視されずに貿易をやれる。人民銀行の元総裁・周小川は「デジタル化によって人民元は、ドルに対抗する国際通貨になる」と豪語している。 (Digital yuan will combat US 'dollarization' says former PBoC governor

とはいえ、ここでも中共による監視体制の強化の問題が出てくる。デジタル化された人民元は、誰から誰にいついくら渡したか中共中央に筒抜けになると書いたが、これは国際送金にもいえる。中国に何かを輸出して代金をデジタル人民元で受け取った人や組織(一帯一路の加盟国の政府や企業など)は、その金を次に誰にいつ渡すかを、人民銀行や中共中央に知られてしまう。もらった金の使い道が中国側に筒抜けになる。中国の傀儡になるしかない小国家群は、中国から監視されてもかまわないだろうが、その他の中規模国は筒抜けだと困る。まあ、これまでの覇権国だった米国もドルの国際送金を監視しており、それでもみんな喜んでドルを受け取ってきた。米国に監視されるのと、中国に監視されるののどちらがましか、というだけの話にすぎない。 (The Coming Currency War: Digital Money vs. the Dollar

中国に対抗して、米欧日など先進諸国でも、中央銀行が通貨のデジタル化について検討を本格化すると発表した。世界の金融システムの監督機関である国際決済銀行(BIS)が10月初め、米国、EU、日本、英国、カナダ、スウェーデン、スイスの7中銀と協力して、通貨のデジタル化(中央銀行デジタル通貨、CBDC)についての報告書を発表した。これが先進諸国の通貨のデジタル化の基本概念になるらしい。この報告書は、デジタル通貨について一般的な考え方を書いただけだ。7中銀がデジタル通貨を出すと決めたわけでない。日銀などは来年にデジタル通貨の実証実験をすると発表した。だが実験してみるだけで、通貨をデジタル化すると決めたのではない。 (Central bank digital currencies: foundational principles and core features) (Seven central banks and BIS publish report on digital currency

先進諸国は、中国が猛然と通貨デジタル化を進めているので、うちらもやってますよと言ってみせただけだ。先進諸国では、スウェーデンなど民間でデジタル支払いが普及して事実上の紙幣貨幣廃止に近い状態になっている国がある半面、日本のように紙幣貨幣への依存が高いままの国もある。先進諸国が通貨のデジタル化をやりたくない理由の一つは、デジタル化が民間銀行界の役割を縮小し、銀行界を潰しかねないからだ。銀行の役目の一つは紙幣貨幣の流通の円滑化だ。通貨がデジタル化されるほど、ATMが要らなくなる。窓口はお金の受け渡しでなく相談事の専用になる。相談は窓口でなく電話でできる。今後ずっと(きたるべき金融崩壊まで)ゼロ金利が続くのだから、一般市民にとっては投資もへったくれもない。銀行に相談することはない。もう金利がつかないのだから、お金は中銀や大手企業が作った決済アプリ(監視つきウォレット、事実上の当座預金)に入れておけばよい。通貨がデジタル化されるほど、銀行は業界ごと不要になる。決済アプリ会社として生き残るしかない。 (ECB Takes Major Step Toward Introducing a Digital Euro) (The Circle Is Complete: BOJ Joins Fed And ECB In Preparing Rollout Of Digital Currency

近代世界の通貨はもともとすべて銀行界を経由して流通していた。銀行のシステムは多くの従業員や固定資産を持たねばならずコストがかかる。新たな発明であるデジタル決済システムはコストがかからず、銀行に比べて非常に効率が良い(まだ現実になっていない各種のリスクを勘案すると話が違ってくるかもしれないが)。中国では銀行など金融界が国営(中共傘下)なので、通貨がデジタルの方が中共にとって良いとなれば、銀行を業界ごと閉店させていける。しかし、自由世界を名乗っている先進諸国では、そうはいかない。銀行界は政治力を持っており、話がなかなか進まない。独裁的にやれる中国に先に進まれてしまう。 (84 Digital Currency Patents Filed by China's Central Bank Show the Extent of Digital Yuan

通貨のデジタル化は銀行界の終焉になるが、先進諸国では、銀行界の終焉が、債券金融システムの巨大なバブルをどうするかという問題と直結する。欧米の銀行界は、リーマン前に本来の銀行業務を離れて債券金融バブルの膨張で儲けていたが、リーマン危機で巨大な損失を被り、米欧日の中銀はQEで銀行界を救済し続けている(日本の金融界は90年代で懲りてバブル膨張せず、日銀のQEは日本でなく米国の金融界を救済している)。QEの巨額資金が、金融バブルの延命でなく貧しい人々にUBI(ベーシックインカム、生活保障金)として配給されれば貧富格差を是正できるのにと、米欧の左翼は考えている。実際のQEは金融資産を持っている金持ちだけをいっそう富ませ、貧困層や中産階級を放置している。 (China leads in race for digital currency

国民全員に毎月5万-10万円程度を支給する構想であるUBIを実施するには、銀行を経由せず、通貨をデジタル化して中央銀行が人々のスマホの決済アプリに直接お金を支給するのが効率的だ。銀行を経由すると、口座の本人確認など膨大な手間がかかる。コロナで日本政府が世界の潮流に合わせて国民に10万円ずつ配るUBIごっこをした時も大混乱した。日本人はすぐ「スマホを持ってないお年寄りのことを考えろ」と、思いやりのふりをした後ろ向きなことを言う偽善な小役人たちだが、他の国々の人はそう考えない。米欧が通貨のデジタル化を進めるとしたら、その目的の一つはUBIの実施だ。 (BofA: Fed Will Use Digital Dollars To Unleash Inflation, Universal Basic Income And Debt Forgiveness

米欧は、世紀の愚策であるコロナ対策の都市閉鎖を繰り返し、経済を自滅させている。中央銀行群がQEの恒久化を覚悟しているなら、その金を金融バブルの延命に使わず、経済が自滅して困っている米欧の市民を助けるためのUBIに使うべきだ、通貨をデジタル化して銀行を業界ごと要らない存在にしてバブルごと潰し、バブル崩壊でさらに経済が悪化するのでその分も含めてQE資金を使ったUBIで国民に補填すれば良い、というのが米欧の左翼の最近の考え方だ。 (ECB Trademarks "Digital Euro" As It Begins Experiments On Digital Currency Launch

QE(造幣)を原資としてUBIをやるとインフレを引き起こす可能性が大きい。QEの資金はこれまで債券や株など金融商品を買い支えてバブルを延命させるためだけに使われ、実体経済の方に資金が回ってこなかったので、インフレ(実体経済の物価上昇)を引き起こさなかった。だが今後、QEの資金が一般市民の財布(デジタル通貨もしくは紙幣貨幣を入れる)に入ってくると、商品の総量が変わらないのに通貨の総量が増え、物価上昇・インフレを引き起こしやすくなる。人々の多くが貧しい状態であるほど、UBIでもらった資金を貯蓄でなく消費に回す人が増え、インフレが起きやすくなる。米国も欧州も、コロナ不況で失業して貧困な人が増えているので、UBIがインフレを引き起こす可能性が高くなる。インフレがひどくなると債券金利が上昇し、金融破綻とドルやユーロの崩壊につながる。 (ずっと世界恐慌、いずれドル安、インフレ、金高騰、金融破綻) (世界の決済電子化と自由市場主義の衰退

もともとUBIは、従来の「完全雇用システム」の行き詰まり後の対策として考えられていた。従来の世界経済は「完全雇用」を前提に、全員が勤労所得を得て消費して経済が成長を維持する仕掛けだった。だが、欧州(とくに南欧諸国)などでは社会が成熟して成長が鈍化し、完全雇用の維持が困難になっていた。常に大量の失業者がいる状態を余儀なくされるのなら、対策として人々にお金を配って最低限の生活を保障するUBIをやらざるを得ない(健全な原資がないのでUBIの長期継続は困難だが)。そこにコロナ危機が起こって経済が自滅し、UBIをやらねばならない状況が前倒しされている。 (人類の暗い未来への諸対策

コロナ危機の本質は、新型コロナという病気自体にあるのでない。新型コロナの感染対策として、効果が薄い超愚策の都市閉鎖を延々と続けている点が、コロナ危機の本質だ。都市閉鎖は人々の移動や集会を制限し、政府に対する不満の発露を抑止する有事体制として行われている。欧州など多くの先進国で、PCR検査数を増やすことで統計上の感染者数を増やし、あたかもコロナの第2波、第3波が襲来しているかのような演出を行い、都市閉鎖を繰り返している。しかし、都市閉鎖を続けると経済が止まり、もともと良くなかった経済がさらに悪化し、失業が増えて人々の不満がむしろ募る。都市閉鎖がコロナ対策でなく有事捏造の策だったとしても、それがうまくいくならまだ良い。だが、都市閉鎖は有事捏造の策としても愚策だ。都市閉鎖は単なる愚策でなく、超愚策である。 (都市閉鎖の愚策にはめられた人類) (ただの風邪が覇権を転換するコロナ危機

南欧など欧州諸国に都市閉鎖をやらせているのは、米国やWHOの覇権勢力だろう。覇権勢力は、米欧中心の米覇権体制を壊したいトランプら隠れ多極主義に牛耳られている。欧州諸国はトランプらに騙されている。米国の民主党系の諸州も都市閉鎖が好きだが、彼ら左翼は、完全雇用システムを前倒しで壊してUBIをやりたいので、愚策と知りつつ都市閉鎖をやっているとも考えられる。米国は大統領選挙でトランプが再選されるだろうから、民主党の政権になってUBIをやれるのは2025年かそれ以降だ。欧州は、それより前に通貨をデジタル化してUBIをやるかもしれない。 (国際政治劇として見るべきコロナ危機

中国は通貨のデジタル化で世界の最先端を行っているが、中国自身は今後、経済を内需主導型に転換していくことで30年ぐらいはわりと高度な経済成長を続けられ、従来型の完全雇用システムのままでやっていける。UBIは必要ない。完全雇用システムは資本主義的で、UBIは社会主義的だ。社会主義を標榜する中国が今後も完全雇用システムで、資本主義を標榜する欧米がUBIになるのは皮肉に見えるが、資本主義の先に社会主義があるというもともとの考え方からすると、皮肉でない。中国が通貨をデジタル化するのは、習近平の独裁強化と中国の覇権拡大のためだ。中国と欧米では通貨デジタル化の理由が異なる。欧米がUBIをやってドルやユーロが超インフレになって基軸通貨性を低下させると、相対的に人民元の地位が上がり、多極化が進む。 (中国が内需型に転換し世界経済を主導する?) (近づく世界の大リセット

中国や欧米はそれぞれの理由で通貨のデジタル化に積極的だが、日本は消極的だ。日本はコロナ対策としての都市閉鎖や人々に対する監視強化もやりたがらなかった。日本政府は、米国やWHOに言われ、コロナ感染者統計の水増し歪曲はやっているものの、それを口実とした都市閉鎖や行動規制の策をやっていない。経済成長の維持が理由の一つだろうが、それだけだと都市閉鎖に積極的な欧州との違いを説明できない。通貨のデジタル化もコロナ対策も、人々の動きを監視・規制でき、政府の権力を強化できる。日本政府は、国民の動きを監視・規制することに消極的だ。これは意図的・政策的なものだろう。それはなぜか。

私の見立ては、日本の権力構造が、自民党や国会に権力がある民主主義のように見えて実は官僚機構が隠然と権力を持っている隠然独裁制だからだ。コロナ対策や通貨のデジタル化によって政府が人々の金使いや行動を監視できるようになると、その監視情報を誰が握るかという権力の争奪戦の火種が生まれる。権力の争奪戦は、政治家vs官僚、国会(民主主義)vs官僚独裁という体制間の対立になり、この対立が表面化すると政治家・国会の側が勝ってしまい、戦後ずっと続いてきた官僚独裁体制が崩れてしまう。自民党など政界には、官僚独裁制の方が良いと思っている議員も多い。それで日本の上層部は、世界的に用意されている通貨のデジタル化やコロナ対策といった権力強化の諸道具をあえて使わず、いつも「いま検討してます。もうすぐやるかも」といった演技だけに終始しているのだと考えられる。 (安倍から菅への交代の意味

今回書いたテーマはとても広範だが、今後の人類にとって大事なことばかりだ。今後もこのテーマについて考えて書いていく。毎回似たような話になっても許してほしい。今回はフェイスブックの仮想通貨リブラとの関連を書き忘れた。EUは多極化のための組織だったはずが失敗が確定した、という話も今回と関連しているが書いていない。今回の話と安倍から菅への交代が関係していると思われるが、それも書いていない。これらは改めて書く。



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