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終わりゆく米国の戦争体制

2021年3月8日   田中 宇

米国は核兵器を発射する権限が大統領ひとりに集中しているが、2月末以来、米与党の民主党議員団の一部(40人近くの下院議員)がバイデン大統領に対し、核の発射権限の独占をやめて下院議長や副大統領にも分散してほしいと求めている。 (Dozens of House Democrats Call on Biden to Give Up Sole Nuclear Launch Authority

2月25日には、バイデン政権がシリア北部に駐屯しているイラン系の民兵団の拠点を空爆し、数十人の民兵たちが死亡した。この事件に関しても米議会下院は、こんどは共和党も入れて超党派でバイデンに対し、911以来大統領が独占的に握っている戦争開始権限を、議会下院に戻すよう求め始めている。 (Delusions of Self-Defense: Biden Bombs Syria

米国では憲法上、核兵器の発射権を含む戦争開始の決定権が議会下院にある。だが冷戦中に、ソ連との核兵器に直面して核兵器を発射すべきかどうか決める時間が数分間しかない場合を想定し、議会の決定を待っていたらソ連から核攻撃されて米国や同盟国が全滅しかねないため、1960年代から議会の開戦権を一部剥奪し、大統領が独占的に核兵器の発射権限を持つ態勢になった。 (What Is the Nuclear ‘Button’ and Where Did It Come From?

さらに2001年の911事件でテロ戦争の有事体制が組まれ、テロへの反撃を急いでやる必要があるという口実で、通常兵器による戦争の開始決定権も事実上、議会から剥奪されて大統領が独占する流れになっている(大統領が開戦した戦争を継続するためには、90日ごとに議会下院の承認を得る必要がある)。 (Say, why are House Dems calling on Biden to give up full control of nuclear weapons?

このように米国では、軍産複合体(諜報界、深奥国家)が、謀略によって冷戦や911といった長期の対立構造を作り、それを口実に、議会下院の開戦権を剥奪して大統領に移し、恒久的な戦争の体制を維持してきた。議会下院は人数も多く主張も多様で、長い戦争や覇権維持を嫌う議員たちが右派(共和党)にも左派(民主党)にもいる。議会が開戦権を持ったままだと、戦争をやめようとする動きが常に出てきて、軍産が望む恒久戦争の体制を維持できない。だから軍産は、議会から戦争の権限を剥奪して大統領に移し、軍産系の側近たちが大統領を囲んでたぶらかし、恒久戦争の体制を維持してきた。ニクソンやレーガンが冷戦構造を壊したが、子ブッシュの時に911で軍産がクーデター的に復権してテロ戦争の恒久戦争体制を復活した。 (ニクソン、レーガン、そしてトランプ

バイデン政権になって始まった、米国の戦争権限を大統領から議会に戻す動きが、今後このまま進むかどうかわからない。しかし、この動きが出てきたこと自体が画期的だ。この動きの意味は何か。すぐに思いつくのは、バイデンの認知症疑惑との関係だ。疑惑どおりバイデンが認知症であるなら、核兵器発射など戦争開始の権限を彼だけが独占しているのは良くない、という話になりうる。しかし、いったん戦争権限の一部を大統領から議会に戻したら、それはバイデン政権下だけでなく、恒久的なものになる。認知症がひどくなった時のバイデンの言動を側近がうまく無視歪曲誘導すれば良いだけの話だ。バイデンが認知症で主導権を発揮できない方が、むしろ軍産に好都合だ。軍産の隠然独裁の秘密の要諦である戦争権限の移転を解消する必要はない。 (バイデンの認知症

2024年の次期大統領選でトランプが共和党の統一候補として返り咲き、バイデンを破って大統領に復帰する可能性が出ている。大統領の核兵器発射権を剥奪せよ、という主張が民主党上層部から最初に出てきたのは、バイデン就任前、大統領を辞めたがらないトランプが核戦争を起こすかもしれない、という話になった時だった。トランプは結局引退したが、トランプが大統領に返り咲いた時に備えて、民主党や軍産は、戦争権限を議会に戻しておきたいのだ、という説がある。 (トランプの今後) (米議事堂乱入事件とトランプ弾劾の意味

これも一理ありそうな感じだが、よく考えると違和感がある。トランプは大統領だった4年間に、新たな戦争を全く始めていない。トランプがやった戦争行為は、バイデンも今回やった、就任直後の「シリア空爆」と、イランのスレイマニをイラクで暗殺したことぐらいだ(それはイランとイラクを怒らせて反米にするために挙行された)。トランプの方針は覇権放棄であり、大統領の戦争権限など要らない。「トランプは好戦的だ」と揶揄されるが、それは主に国内の政敵との口頭での論争時に喧嘩腰だという話であり、ミサイルを発射する戦争の話でない。マスコミはわざと話をごっちゃにしている。トランプは大統領に復活しても開戦権を乱用しない。トランプ復権の懸念を理由に戦争権限を議会に戻すのは頓珍漢だ。 (イランを強化するトランプのスレイマニ殺害

核兵器発射権や戦争開始権限を議会に戻すことについては、バイデンの大統領府も、検討に値すると言って賛成している。すでに、湾岸戦争時の1991年と、911事件後・イラク戦争前の2002年に、議会が大統領にイラクで戦争する権限を付与した2つの戦争権限法(AUMF)について、法律を廃止することが検討されている。2つの法律は、現在まで続く米軍のイラク駐留の根拠になっており、2法が廃止されると、米軍はイラクから撤退することになる。いま問題になっている大統領の戦争権限の件は、実質的に、イラク駐留米軍を撤退させる話である。 (Biden Says He'll Agree To Curb War Powers Amid Bipartisan Anger Over Syria Strikes) (White House Open to Revising War Powers

イラク駐留米軍の撤退は、イラクをイランの傘下にますます押しやり、イランを強化することになる。バイデン政権は先日、シリアに駐留するイラン民兵団の基地を空爆して民兵団を殺した。これは一見するとイラン敵視策に見えるが、すでに米国はシリアでほとんど力を持っていないので、イランがシリアでの影響力を行使することに拍車をかけることにしかつながらず、結果的にイランを強化するものになる。トランプのスレイマニ殺害と同じ流れだ。バイデンは、トランプが放棄した覇権を拾い集めて建て直す政権になるかと思われたが、実際はそうでなく、覇権放棄や多極化扇動の流れが続いている。 (As Deterrence Fails, the U.S. Needs to Pull Out of Iraq) (Illegal US bases train terrorists in Syria: Iran Foreign Ministry

現在、米議会が大統領に付与している具体的な戦争権限としてはもうひとつ、911事件後のアフガニスタン戦争のAUMFがある。これは今回、返納の俎上に上っていない。その理由はおそらく、米国とタリバンの和解交渉が進展中だからだ。タリバンとの和解が成立したら、米国側はアフガンのAUMFの法律も廃止することになり、米軍のアフガン撤退が始まる。トランプからバイデンに政権が交代しても、タリバンと交渉する米国側の代表団は、ザルメイ・カリルザドを筆頭に同じ面々が担当している。バイデンは、タリバンと和解してアフガン駐留米軍を撤退させるトランプの政策をそっくり継承している。 (Team Biden Starts Its First Talks With Taliban By Sending Trump-Appointed Envoy

全体として米国は今年、政権交代しても、中東を中心に、覇権を縮小させる道を進んでいる。トランプ政権は、サウジやUAEといったアラブ諸国と、イスラエルとを、イラン敵視の枠組みの中で和解・協調させる「アブラハム協定路線」を進め、アラブとイスラエルの接近によって中東における米国の手間(衛兵役としての米軍駐留の手間)が減り、中東の米国依存度を下げて円滑に覇権放棄する道を歩んでいた。今回見たように、バイデン政権になっても覇権放棄は続いているが、そのやり方は円滑でも戦略的でも合理的でもなく、混乱の中で覇権が放棄されている。 (バイデンの愚策) (イランを共通の敵としてアラブとイスラエルを和解させる

トランプは、サウジやUAE、イスラエルに対して親密な姿勢をとっていた。対照的にバイデン政権は、サウジの権力者であるMbS皇太子を2018年のカショギ殺害事件の主犯であると断定する報告書をCIA(米諜報界)に作らせて発表した。MbSがカショギ殺害の主犯であるのはたぶん事実だ。だがMbSは事前に米諜報界に話を通して黙認を得てからカショギを殺したはずだ。CIAなど米諜報界はカショギ殺害の共犯者である。自分らの共犯性を棚に上げ、MbSなどサウジ側だけを断罪した今回のCIA報告書は、米国側で「バイデン政権の人権重視を示すもの」と称賛されているが、MbSらサウジ王政の権力層から見ると米国の背任行為であり、MbSらサウジ王政は米国への不信感を一気に強めたはずだ。バイデン政権は、米サウジ関係を(意図的に)破壊した。人権外交のほとんどは、他の悪い意図が隠されている極悪な謀略である。 (CIA Finds Saudi Crown Prince MbS "Approved" Khashoggi Murder) (サウジを対米自立させるカショギ殺害事件

バイデンの後ろにいる米民主党からは、イスラエルを敵視する言説が発せられている。バイデンは就任後、イスラエルのネタニヤフとの電話会談をなかなかやらず放置し、その後もバイデン自身でなくハリス副大統領がネタニヤフとの重要な電話会談を担当している。イスラエルは冷遇されている(フランスやカナダも同様だが)。しかも米国は、政権が代わっても、イランを不器用に敵視して強化してしまう策を続けている。サウジやイスラエルは米国に頼れなくなり、米国抜きで相互に接近していかざるを得なくなっている。米国から邪険にされているサウジは、ロシアと談合して国際石油価格を吊り上げていき、米国のインフレをひどくしてドルの覇権を破壊する策を強化する可能性がある。 (オバマの外交に戻りたいが戻れないバイデン) (China Mocks Biden Syria Bombing: ‘America Is Back’

3月3日、共和党系のニクソンセンターの会合に出席したキッシンジャー元国務長官は、アラブ諸国とイスラエルをイラン敵視の構図のもとで和合させたトランプのアブラハム協定の政策を「ニクソン訪中以来の快挙」と絶賛し、バイデン政権もトランプの中東政策を継承すべきだと表明した。米国の中東政策は従来、厄介なパレスチナ問題と、その他のあまり厄介でないアラブ・イスラエル間の対立を一緒に解決しようとして頓挫し続けてきた。トランプは、パレスチナ問題を(「世紀の中東和平策」とトランプ自身が自画自賛した詐欺的な和平案を使って)他の問題から分離し、アラブ諸国とイスラエルがパレスチナ問題を抜きにして接近できる体制を作った上でアブラハム協定を実現した。キッシンジャーは、このトランプのやり方を絶賛した。マスコミの誹謗中傷と裏腹に、トランプはかなりの外交手腕がある。外交のやり方をトランプに伝授したのは多分キッシンジャー自身だろうが。ニクソンセンターの会合にはポンペオ前国務長官も出席した。 (Kissinger: Biden Must Uphold Trump Administration's "Brilliant" Policy In The Middle East) (Kissinger says Trump, Nixon foreign policies similar, warns Biden on Iran

米国がバイデンになっても中東での覇権放棄を続けているため、米国に頼れなくなった欧州からローマ法王がイラクを訪問している。訪問の名目は、イラク人の少数派であるキリスト教徒たちをISISアルカイダから守ってくれているシーア派やクルド人などの組織に「ありがとう。これからもよろしく」と言いに行くことらしいが、裏の目的として、米国が撤退していく中で、今後のイラクや、隣接するイラン、シリアなどの情勢に欧州がもっと関与していくための一神教どうしのパイプ作りがありそうだ。ローマ法王は、イラクのシーア派の最高権威であるシステニ師と会談した。公的には「イランのシーア派の権威に対抗するイランの権威に接近」みたいな論調で報じられているが、実はそうでなく、ローマ法王は欧州勢として、イランと対話していくためのパイプ役をイラクのシステニに頼んだ可能性がある。対抗でなく対話だ。 (Pope Pleads For Peace In Historic Meeting With Powerful Shiite Cleric In Iraq) ("You Have Protected The Christians From ISIS": Pope Holds Mass In War-Ravaged Mosul

バイデン政権は、中東で覇権放棄を続ける一方で、中国やロシアへの敵視を維持強化している。トランプは中国と縁を切る政策を続けた。中国は、バイデンになったら米国が中国と復縁してくれると期待したがそうならず、バイデン政権はトランプが作ったブラックリストをそのまま使って中国企業を経済制裁し続けている。トランプは、ロシア敵視の国際組織であるNATOを嫌っていたが、バイデンは逆に、NATOをロシアだけでなく中国も敵視する組織に変貌させようとしている。バイデン政権の米国は、欧州のロシア近傍に爆撃機を配備して低空飛行させる対露威嚇も続けている。 (What Planet Is NATO Living On?) (トランプの自滅的な中国敵視を継承したバイデン

これらのバイデンの中露敵視の継続を見て、独仏や日豪といった同盟諸国は失望している。米国が弱くなり、中露が強くなっているのだから、同盟諸国は、米国が中露敵視を弱め、中露の協力も得て米国が覇権を維持していくのが良いと思っている。ジョージ・ソロスら、軍産の旧本流である米覇権維持派もそれを願っている。だが米国は、同盟諸国の希望と正反対の、中露敵視の強化をやっている。バイデン政権が独仏日豪に「中露敵視を強化せよ」と言っても、独仏日豪はやるふりだけして動かない傾向になっていく。米国の覇権は潜在的に崩壊が進み、いずれ崩壊が超インフレや金利上昇などの経済面から顕在化する。軍産はすでに隠れ多極主義に牛耳られ、旧本流は追い出されている。 (ニセ現実だらけになった世界) (覇権国に戻らない米国

米軍の(笑)な「最新鋭」戦闘機であるF35が、巨額をかけたくせにバグだらけのプログラムなどポンコツなトンデモ兵器であることは、以前から知る人ぞ知る裏の常識だったが、バイデン政権になってから国防総省自身がF35のポンコツ性を認めるようになった。もっと安価で実用的な戦闘機を、従来型の改良によって作っていった方が良いと国防総省が言い出している。F35はお払い箱にされていきそうだ。F35の開発費など米軍の巨額な支出のかなりの部分が、ISアルカイダへの支援金など、米諜報界(軍産、深奥国家)が恒久戦争体制を維持するための謀略にかかる費用転用されてきた可能性がある。F35の開発終了は、恒久戦争体制の終焉を意味する。 (The U.S. Air Force Just Admitted The F-35 Stealth Fighter Has Failed

こういった最近の話の中に全く出てこないのが北朝鮮だ。トランプは北朝鮮の金正恩と繰り返し会って派手に外交したが、これらの米朝会談は新しいことをほとんど決めなかった。トランプは、北朝鮮が暴発しないよう会談を繰り返す時間稼ぎの策をやっていただけで、時間稼ぎ以外の面では無策だった。バイデン政権も、北朝鮮に対する政策を実質的に何も言っておらず、無策を継承している。おそらく米国は今後、中東を皮切りに米軍の世界駐留を減らしていき、いずれ在韓・在日米軍も撤退する話になる。その話になる前後に、中国主導の北朝鮮問題の解決が試みられる。きたるべき多極型の世界体制において、朝鮮半島は中国の覇権下だ。だから米国は、在韓米軍撤収を超える北朝鮮問題の解決の主導役をやらない。 (U.S. says North Korea an urgent priority for the United States



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