欧州で決着した「チョコレート」の定義めぐる25年論争

97年10月27日  田中 宇


 今から100年ほど前まで、「チョコレート」といえば、それは現在のココアのことだった。ココアは、アメリカ大陸にあったアステカ文明の人々が強壮剤として飲んでいたものを、16世紀にアステカを滅ぼしたスペイン人が持ち帰り、ヨーロッパの貴族たちの間に広がった。ココアの原料である「カカオ」(豆)も「チョコレート(ショコラ)」も、アステカ文明での呼び名からとったものだ。

 現在の「チョコレート」は、そのココアの副産物として生まれた。カカオ豆をすりつぶして砂糖を入れたのが、ヨーロッパでの当初のココアだったが、カカオ豆をすりつぶしただけでは油分が多くてお湯に溶けにくかった。19世紀初め、今も続くオランダのココアメーカー、バンホーテンが、カカオ豆をつぶした後、油分をある程度取り除くことで、お湯に溶けやすい粉状のココアを開発、現在のココアにつながるものを作った。

 その時、取り除いた油分(ココアバター)も使えないか、と考えて、イギリス人がココアバターに砂糖を混ぜて固めたところ、好評で売れるようになったのが、今の「チョコレート」の始まりである。その後、チョコレートを作る職人がベルギーに多くなったので、ベルギーがチョコレートの本場とされるようになった。ベルギーでは今も、チョコレートといえば、カカオバター100%でなければならない、と決められている。

 一方、最初にチョコレートを作ったイギリスでは、さらに工夫が凝らされ、ミルクを混ぜた甘いチョコレートが好まれるようになった。さらに近代に入ると、パーム油などカカオバター以外の植物性油脂を入れたチョコレート製品も売られるようになり、カカオ100%ではないチョコレートが出回るようになった。

 これに対して、ベルギーのほか、フランス、オランダ、スペイン、イタリア、ドイツ、ルクセンブルク、ギリシャの8カ国では、「チョコレート」を名乗れるのはカカオ100%のものだけ、と定めた。イギリスやアイルランドなどでは、ある程度のカカオ以外の油脂やミルクが入っていてもチョコレートと呼ぶことができる、と決めた。

●イギリスのEEC加盟に始まったチョコレート論争

 2つの基準が矛盾を起こしはじめたのは、今から25年前の1973年、イギリス、アイルランド、デンマークの3カ国が、EEC(現在のEUの前身)に加盟した時からのことだった。3カ国はいずれも、チョコレートに混ぜものをすることをある程度許している国であった。

 この時、ベルギーをはじめとする「100%カカオでなければチョコレートじゃない」と主張する「純粋派」8カ国と、「人々の好みに応じて、混ぜものをしてもいいはずだ」とする「自由派」3カ国との間で論争となった。だが決着はつかず、結局3カ国については、チョコレートに関する従来の決まりをEECの例外として認める、ということになった。

 当時は自由派3カ国は少数派であったのだが、その後、EECがEUと名を変えて現在に至るまでに、加盟国が増えたことから、自由派陣営にはポルトガル、オーストリア、フィンランド、スウェーデンが加わって7カ国となった。こうなると、もう少数派ではない。

 しかもEUは1999年の経済通貨統合により、域内の物流の制限を大幅に自由化することを決めている。EUの中に、チョコレートに対する純粋派8カ国と自由派7カ国が存在するというダブルスタンダードは、続けられなくなった。経済統合への準備が進むにつれて、論争は本格化した。

 ヨーロッパは、世界のチョコレート需要の3分の1を消費する大市場だ。チョコレートの生産地としても、原料となるカカオ豆の世界需要の約半分を消費している。ネスレ(スイス)、キャドバリー(イギリス)など、世界的な大手チョコレートメーカー8社のうち6社は、欧州企業である。論争は、単に文化やし好の問題ではなく、巨額の金が動くビジネスがかかっていた。

 純粋派諸国は「混ぜものをしたチョコレートはまがいものであり、チョコレートという商品全体のイメージを損なう」「アフリカなど、カカオ豆の主要産地諸国が大打撃を受ける」などと主張。これに対して自由派諸国は「イギリスではミルク入りチョコレートが純粋なチョコレートだ」「チョコレートを自由に売れなくなるのは自由貿易の理念に反する」と反論した。

●「シャンペン」「カマンベール」も本物論争

 その論議に一応の結論が出たのが、10月23日、フランスのストラスブールにある欧州議会での議決だった。

 欧州議会は、EU全体の国会にあたる議決機関である。チョコレート業界の関係者がおおぜい傍聴する中で行われた投票の結果は、246対156で、自由派の勝利であった。1999年以降、EU全域で、カカオ豆以外の油脂が5%までの範囲で入っている商品なら「チョコレート」と名づけて売ってもよい、と決議したのである。議決は、今後開くEU閣僚会議で承認されれば、実施される。

 ただ、イギリスの業界関係者は、勝利だとは思っていないようだ。議決は、カカオ以外の成分を入れた場合は、商品の外側に明記することを義務づけている。イギリスでは、これが「ミルクチョコレートも純粋なチョコレートだ」とする主張が認められなかった、と受け取られている。

 ヨーロッパではこれまでも、何が本物か、ということをめぐり、元祖の原産地国と、それ以外の産地国との間で、論争がしばしば起きている。シャンペン(フランス原産)、シェリー酒(スペイン)、カマンベールチーズ(フランス)、フェタチーズ(ギリシャ)など。いずれも欧州経済統合にともない、何が本物かを決めないと、原産地国の利益が失われる可能性がある。

 こういう論争をみていると、商品名の再定義からしなければならない経済統合を、あえて実行しようとするヨーロッパの人々が、単なる保守ではない、ラディカルな存在に思えてくる。

●日本の基準が「甘い」のはいいことかも

 ところで日本のチョコレートはどうだろう。正確な規定は長々と説明しなければならないが、カカオ分に限っていえば、12.6%以上あれば、「チョコレート」と呼んでいいことになっている。(それ以下のものはチョコレート菓子と呼ぶ) 日本でチョコレートが初めて作られたのは1918年(大正7年)と、ヨーロッパに比べて新しいので、それほど厳しい定義は社会的に必要なかったようだ。

 ヨーロッパでは、自由派の国々でさえ、カカオ分は95%以上入っていなければならないのに、日本は何ていい加減なんだ、という考え方もできるかもしれない。だが、この記事を書くにあたって、日本のチョコレートメーカーのホームページをあれこれ見ていたら、日本で売られているチョコレートの種類がとても多いことに気づいた。ヨーロッパのような厳しい規定をしていたら、こうはならなかっただろう。いろいろな味のチョコレートが楽しめるということは、いいことなのではないか、と思うのだが・・・。

 
田中 宇(たなか・さかい)

 


関連サイト

チョコレート情報及び関連リンク情報
「古谷野さんのホームページ」内にある。

チョコレートの歴史
ニフティサーブのホームページにある「バレンタイン特集」から。

業界最前線・機能性油脂の開発
チョコレート用の油脂を開発している花王のホームページ内にある説明。カカオ以外の油脂が、チョコレートのおいしさを引き立てる、と主張している。

チョコレートのおはなし





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