冷戦とともに浮き沈みした日本経済の50年98年4月14日 田中 宇 | |
|
中東の人々と話していて気づくのは、彼らが自分たちの歴史について、非常に強いこだわりを持っているということだ。アラブの人々は、いつの日か再び、マホメットがかつて作ったイスラム帝国を復興させたいと思い、広大なイスラム帝国がなぜ今のようないくつもの中東の国々に分断されたかという歴史を、誰もが語れる。(彼らの話の中ではほとんどいつも、欧米諸国は植民地支配した悪者だ) また、イスラエルは存在そのものが、3000年前のダビデ王とつながっている。中東の人々は、どうして現在の自分たちがいるかということを、歴史的に把握し、過去と現在との関係を問い直している。逆にみれば、歴史を忘れないからこそ、今も戦争を続けているともいえる。 一方、わが日本では、事態はまったく逆だ。人々は歴史的な経緯にこだわらず、むしろ積極的に過去を忘れることが明日の発展につながる、と考えている。50年前のアジア侵略と太平洋戦争についても、「日本がいかに悪かったか」を広めようとするだけで、どういういきさつであんなことになったか、について、考えている人は多くない。 また、7-8年前のバブル経済崩壊についても「官僚が悪い」「銀行が悪い」「いや財テクに走った国民全部が悪い」・・・、と誰が悪かったか、という話に終始してしまう。 そして今、日本はついに、戦後最悪の不況にまで陥ろうとしているという。だが、これまでの歴史的経緯について探求してこなかっただけに、何故こんなことになったのか、分からなくなっている。当然、その先にくるべき「今後どうすべきか」も分からない。 ●過去を忘れる国民と固執する為政者 戦後50年間、日本は過去を忘れることで経済発展してきた、といっても、すべての日本人が過去を忘れていたわけではない。 日本を統治してきた人々(官僚と政治家)は、過去を踏まえて政策を作ってきた。源泉徴収制度など、日本の税制の基本は戦争中のシステムがそのまま使われている。怠けてそのままにしてあるのではなく、積極的に制度を温存しているのである。 金融の場合、国民から低利で預金として集めた金を、国家が重要と考える産業に低利で貸すことで、産業が発展しやすい状況を作った。戦前はこうした金で戦艦大和やゼロ戦を開発した。この制度は戦後も続いた。最初は繊維、鉄鋼、造船など、その後は自動車や家電製品といった、日本が世界的な競争力を持つ輸出産業に向けて低利の資金が流し込まれ、日本は経済大国となった。 終戦後、日本にやってきたアメリカは当初、税制や金融制度などの経済体制を「民主化」しようとした。1950年のシャウプ勧告などに、その精神が表れている。だが、日本人を民主化して戦争を繰り返せないようにしよう、という理想主義は、ほとんど実現しなかった。第二次大戦が終わるとすぐに、東西冷戦が始まったからである。 冷戦とは、資本主義か社会主義か、という政治的な対立を基軸に、米ソの両陣営が、軍事産業を含む経済全体で、生産力の競争をする、という時代だった。アメリカは、日本の体質改善をしている余裕はなくなった。 むしろ逆に、明治維新から数十年間で急速に生産力をアップさせた日本の経済システムを壊さずに残し、それをアメリカに敵対するかたちで使わせるのではなく、アメリカに従属しながらソ連陣営に対抗するかたちで使う、という方針に変わっていった。 アメリカは日本の軍事力を破壊し、軍の台頭につながった思想教育など日本の精神的な面については大きく変えた。だが経済の制度は、戦前・戦中のものを踏襲した。国民の生活を豊かにすることより、国家としての力をつけることを目的とした制度を続けたのである。 日本の製品は世界中で売れ、その代金の一部は、日米間の政治的な取り決めにより、日本の政府や銀行がアメリカの国債を買うことに費やされた。1970年代以降の円高ドル安で、日本が買った米国債は円建てで考えた場合の価値が、どんどん小さくなった。日本は巨額の損をしたことになる。 アメリカでは1970年代から金融の自由化が始まったが、日本では実質的な自由化はほとんど進まなかった。金融の自由化とは、銀行や株式市場に対する政府の管理を減らすことだが、日本では金融を自由化しない方が経済成長にプラスになると考えられたのである。政府が金融を管理しなければ、日本の国家にとって重要な産業に低金利の資金が十分に流れず、経済成長を妨げるかもしれないからだった。 ●コンピューターが生んだ冷戦崩壊 アメリカで始まった経済の自由化は、1980年代後半になると、世界的な金融自由化と情報通信革命につながっていった。この動きの背景には、それまで経済の中心だった製造業が、国際競争の激化により、しだいに利益の出しにくいものになったことがある。そしてその原因の一つが、日本の高度経済成長だった。 1980年代には、韓国経済の高度成長も始まった。韓国の金融システムは日本によく似ている。韓国は反日の国とされているにもかかわらず、独立後も日本の金融制度に似たシステムをとり、政府が銀行を管理し、銀行が財閥に対する融資を続けて、経済成長を実現させた。台湾、タイ、マレーシアなども経済成長した結果、効率のよい製造業がアジア全域に広がった。 こうして、最初は繊維製品や雑貨、やがてはテレビや自動車までもが、多くの国々で作れるようになった結果、1970年代までは有力だったアメリカの製造業は、いくつかの例外を除き、力を失っていった。 この流れを受けて、アメリカは産業の中心を製造業から金融、コンピューター、通信、メディアといった、情報産業へとシフトさせた。 情報産業の急速な発展は、コンピューターの発明と開発が基礎にある。コンピューターはもともと、有事の際にアメリカのミサイルを確実にクレムリンに当てるための軌道計算などに使う必要があり、開発された。核兵器製造工場を改造する形で生み出された原子力発電と同様、冷戦の産物である。 その後、コンピューターを企業経営に使えば、生産管理や資金配分など、経営の効率を上げられる方法が考え出された。さらに、株式や通貨の市場をコンピューター化し、各地の市場を通信回線でつなぐことで、世界中の市場が一体化し、投資した資金がより有利な投資先を探すことができる、という金融の効率アップにもなった。 もちろん、世界各地の市場を一体化するには、各国の市場そして通信業界の規制が緩和されていなければならない。アメリカは政治力を使って各国の政府を動かし、市場の自由化を進めた。その際は「民営化」という方法で、政府(と政治家)にたっぷりお金が入るようにしてやったので、自由化は良いこととされた。日本の政府は、NTTの株式上場などで民営化の利益を享受したが、その対価としての自由化には本腰を入れなかった。 市場が自由化されると、すぐにアメリカの金融機関が市場参入し、大きなシェアをとる。自由化された市場に不可欠なコンピューターの主要部品(CPUや基本ソフト)を作っている会社も、すべてアメリカ企業だ。メディアも、ハリウッドやCNNなど、アメリカ企業が多い。 ●アメリカ金融機関に抑え込まれる日本企業 こうして産業の情報化が進むともに、製造業は重要度の比較的低い、利益の出にくい産業となった。人間でいうなら頭脳が金融や情報通信であり、製造業はその手足になったというわけだ。コンピューターの世界でも、日本や韓国が作っているのはメモリや各種ボードなど、他社製品に取り替えが簡単なハード部分であり、利幅が少ない。 産業の情報化は、冷戦終結の大きな要因ともなった。ソ連・東欧におけるコンピューター開発は、アメリカに比べるとかなり遅く、1980年代に入ると、コンピューターの利用によって生産力を急増させた西側との格差がどんどん広がった。このため、ゴルバチョフの時代にソ連は大きな体制の見直しを余儀なくされ、それに失敗してソ連が崩壊した。 そうした中、日本は金融など経済の自由化を進めなかったため、製造業が経済のけん引役となる体制が続いた。だが、1985年のプラザ合意、1996年のイギリス金融ビッグバンなど、一連の流れによって、冷戦崩壊後の産業の情報化が明らかになり、日本でも、東京を国際金融都市に変身させる計画が、官民一体で進められた。金融自由化の掛け声のもと、銀行は新入社員を増やして規模を拡大し、東京には外資系企業の進出も多くなってオフィス需要が懸念され出し、地価が高騰した。 この後すぐ、政府が金融や経済に対する規制を緩和していれば、本当に東京は国際金融都市になっていたかもしれない。そうすれば、土地の購入に注ぎ込まれたばく大な資金は、その後のオフィス需要増と見合う形となり、バブル経済は崩壊しなかっただろう。そもそも「バブル」とすら呼ばれなかったに違いない。(それで国民が今より幸せだったかどうかは別の話だが) 日本で規制がほとんど緩和されなかったのは、政府(官僚)が自らの権限を失いたくなかったからであろう。だが、外国からの資本は、日本の規制が緩和されず、欧米の金融機関が日本人の貯蓄を扱うことは、大蔵省によって事実上、阻止されていることが分かると、日本市場を見限るようになった。それが株価の急落やオフィス需要の伸び悩みにつながり、バブル崩壊が起きたのではないか、と筆者は考えている。
| |