日本の未来は戦後最悪の不況から生まれる?

98年6月16日  田中 宇


 週末に新宿や渋谷など、東京中心部の繁華街に行くと、人々の多さに驚かされる。こんなに繁盛していてどこが不況なんだ、と思うほどだ。金曜日や土曜日の夜の飲み屋街も盛況だ。さすがにタクシーで帰れる余裕のある人は少ないらしく、終電間際の山の手線はラッシュ時並みのギュウ詰めではあるが、不況といえば人々の暗い顔、というイメージは、町を歩いていても実感できない。

 とはいえ、金融の世界を見ると、日本はすでに廃虚、または焼け野原に近い状態になっている。日本の新聞では、金融機関の連鎖的破綻が起きることを恐れ、どの銀行が風前の灯火か、といったことは、ほとんど書かれることがない。昨年秋、いくつかの金融機関が破綻したときは、つぶれそうな金融機関の名前を具体的に示してコメントしたアナリストが、右翼から脅されたりしており、うかつにものが言えない状況だ。

 だが欧米のメディアは、そんなことはおかまいなしなので、赤裸々に書いている。たとえばイギリスの新聞フィナンシャルタイムス (インターネット版)は最近、日本の長期信用銀行3行のうち2行が窮地に立たされている様子を描いた記事を掲載した。

 長信銀が発行する債券は今や、他の金融商品より利回りで見劣りするため、発行残高が大きく減ってしまった。だが政府がその債券を買ってくれているので、何とか持ちこたえている。長信銀各行は債券を売って集めた金を企業に融資するという従来型の業務に見切りをつけ、企業の社債発行を手伝う業務などに力点を移しているが、状況は厳しい・・・、などと書かれている。

 6月11日付けのニューヨークタイムスも、長信銀の経営問題に触れている。長信銀は経営難を回避するため(他の銀行と同様に)、優先株劣後ローンといった、通常より好利回りの株式や債券を発行し、政府がそれを大手生命保険会社など比較的余力のある金融機関に買わせることで、急場をしのいできた。だが最近ではもう、これらは非常にリスクの高い投資となっており、大蔵省も「(もしものことがあっても)劣後債や優先株の保有企業を特別に保護することはない」と明言した、とニューヨークタイムスは書いている。。

 日本では現在、長信銀と都銀など10社の金融機関が、アメリカの信用格付け機関から、金融機関としては最悪の格付けにまで引き下げられている。昔の時代劇で、チャンバラの後、主人公が「お前はすでに死んでいる」と敵に通告、敵は驚いて「何を」と反撃しようとするが、次の瞬間に倒れてしまう、といったシーンがあったが、あれと同じだ。

 少し前まで行員が肩で風を切って歩き、社名の前に「天下の」とつけたくなるような大手金融機関のいくつかは、表向きは平然と営業を続けながら、内部では明日、明後日の資金繰りをどうしたらいいか、幹部たちが必死に走り回り、生き残りを画策している状況なのである。

●日本の大不況は冷戦処理の締めくくり

 どうしてこんなことになったのだろうか。世界では、東西冷戦の時代が終わり、まだ名前のついていない「次の時代」に向けて、戦後処理ともいうべき作業が、アメリカ主導で進められている。日本の経済破綻は、その戦後処理の一環として進んでいるのではないか、と筆者には思える。

 冷戦は、アメリカに大きな経済負担をかけた。日本や韓国、台湾、東南アジアといった「反共防波堤」の国々に社会主義が広がるのを防ぐため、アメリカはこれらのアジア諸国に気前よく科学技術や行政ノウハウなどを教えてやった。

 その結果、日本を先頭に、アジア諸国は経済発展の軌道に乗り、工業生産力を増やしていく。製品の主な輸出先もまた、アメリカであった。貿易赤字(経常赤字)を増やしながら、アメリカは気前よくアジアの製品を買い取った。

 こうした冷戦下のシステムが変わったのは、1985年の「プラザ合意」からだった。このときアメリカは、日米の貿易不均衡を是正するため、為替を円高ドル安(ヨーロッパではマルク高)にすることが必要だ、と主張。日本とヨーロッパの代表者たちは、アメリカの意見に同意し、日本では円高が加速した。この変化は、1991年のソ連崩壊を先取りするものだった。

 だがその後、いくら円高になっても、アメリカの対日貿易赤字は減らなかった。円高不況に陥る産業界の悲鳴を受け、日銀は意識的に金利を下げ、急激な円高傾向に歯止めをかけようとした。(金利が高いと、その通貨に投資しようという意識が強まる)

 だが、逆に日本では「カネ余り」現象が発生し、巨額の資金が好利回りを求めて不動産や株式市場に流れ込んだ結果、バブル経済が発生した。

●ドルの国際負担を軽くしたアジア通貨危機

 アメリカは、1995年に1ドル=80円になっても対日貿易赤字が史上最高を更新してしまったため、ドル安によって貿易不均衡を是正する試みは無駄であると判断した。むしろ、ドルを強くした方が、世界からアメリカの株式や債券を買う人々が増えて好都合である、と考えるようになった。

 世界はすでに、工業中心から、金融・情報通信を中心とする産業体制に移りはじめていた。モノの流れより、カネの流れを制するものが勝つ、とアメリカは判断した。しかもアメリカ経済は、貿易赤字が減らなくても、好景気が続くようになっていた。

 円ドル相場は、1995年から円安ドル高に大きく転じた。それから2年近くかけて円安が進み、1997年2月にベルリンで開かれたG7蔵相会議では、ドル高の進行を止めようとする声明が出された。

 だが、それから半年もたたないうちに、為替相場をドルにリンクさせていたタイバーツが大量に売られ、ドルとのリンクを外さねばならなくなった。ドルとのリンクはインドネシアなど、他の東南アジア通貨でも断ち切られ、通貨危機に陥った。

 ドルと東南アジア通貨とのリンクは、冷戦時代にアメリカが東南アジア諸国に与えていたサービスである。東南アジアの通貨は、ドルと同じ安定を得ることにより、高度経済成長を支えていた。

 アジア通貨危機を引き起こしたのは、アメリカ政府とは一見何の関係もない国際投機筋であると言われている。だが、誰がやったにしろ、ドルと東南アジア通貨との関係が断ち切れることにより、ドルに対する国際的な信用負担がそれだけ軽くなったということは、アメリカにはプラスであった。

 冷戦が終わったのだから、もはやアメリカが東南アジアの面倒をみる必要はなくなっていた。不安定になったアジアから大量に流出した国際資金は、安定しているドルに投資され、アメリカの株式は最高値を更新し続けた。

 そして、その先にある次なる展開が、円安ドル高の加速だった。

●巨大なお荷物に変質した株式持ち合い制度

 日本では1990年代に入って、バブル崩壊で金融機関の不良債権が急増したが、それに追い討ちをかけたのが、世界の金融機関を監督している国際決済銀行(BIS)による規則の強化だった。

 BISは、国際業務を行う世界の金融機関に対して、十分な資本(自己資本)がないと、融資やその他の資産を増やしてはいけない、という自己資本比率の規則を作った。株式や不動産の相場下落によって資産価値が急減したり、不良債権が急増した場合、資本が足りない金融機関はそれを穴埋めすることができず、破綻してしまう。

 BISの基準は、それを防ぐために設けられたのだが、これは「日本の金融機関をつぶそうとする攻撃だ」との批判が日本の関係者から吹き出すほど、日本勢にとっては厳しいものだった。

 その一つの理由は、日本のビジネス慣行である「株式持ち合い」の制度にあった。日本では戦後、総会屋(と、その他のうるさい株主一般)や、企業乗っ取りから会社を守るため、企業どうし、特に金融機関と企業との間で株を持ち合うしくみを維持しており、これが経営者に長期的な視野に立った経営をさせ、日本経済の強さの一因となったとされてきた。

 株は資産であるから、BIS基準にてらすと、株を多く持っている金融機関は、その分だけ資本を増やすか、融資債権など他の資産を減らさねばならない。アメリカでは独占禁止法によって、銀行が他社の株を保有することは禁止されており、こうした心配はない。

 BISは、株式の含み益の45%までを、自己資本に算入してよいことになっており、日本の金融機関の多くは、このルールによって何とかBIS基準をクリアすることができていた。

 だが、株の含み益というのは、株式相場が下落すれば当然、減ってしまう。今の日本の主要銀行20行の含み益を合計すると、日経平均が15000円を下回ると、含み益がなくなってしまうと概算されている。

 日経平均はこのところ15000円を割り込んでいるので、銀行の中にはすでにBIS基準をクリアできなくなっている、つまりこのままだと次の決算期には国際銀行業務ができなくなるところが、いくつも出ていることになる。

 当然、株式をすべて売却してしまいたい、と思っている金融機関は多く、それが株式市場に対する巨大な売り圧力となっている。

●BIS基準達成のために日本経済が巻き添えに

 BIS基準をクリアするには、新たに株式を発行する手もあるが、株式市場がこんな状態では無理だ。冒頭で紹介した優先株や劣後ローンの発行も、BIS基準をクリアしたい銀行のために大蔵省が考えた手法だが、もはや引き受け手を探すことは難しい。そこで銀行は、融資債権を減らすことで、対応しようとしている。

 融資債権を減らすとはつまり、金を貸している相手からは早く返してもらい、新しい貸し付けはお断りする、ということで、簡単にいうと店じまいである。これが「貸し渋り」と言われるものだ。もう日本の銀行は、銀行としての体をなさなくなっているのである。

 銀行が金を貸してくれなければ、企業はなかなか新しい事業を展開できない。少しのつなぎ運転資金があれば何とかなる会社も、銀行が金をかさなければ倒産してしまう。かくして日本の不況はどんどん深刻になり、株式相場はさらに下落、銀行は貸し渋りを一層強める、という悪循環に陥ることになった。

 このように日本経済全体が窒息死しつつあるのを見て、日本に投資されていた資金が雪崩を打って引き上げだし、円安を加速させている。すでにアメリカは「ドル高でもかまわない」と宣言して久しいから、かつてのように円安を止めるための協調介入をすることには消極的である。

 逆にアメリカ政府の高官は「日本政府がしっかりしないから円安となり、アジア経済全体に悪影響を与えている」と、傷口に塩を擦り込むようなことを言っている。

 最近では、現状の日本経済のことを、太平洋戦争の敗北に続く、「第2の敗戦」と呼ぶ人が出てきた。少し前まで、日本は冷戦の勝ち組に入っていると自他ともに思っていたが、実は日本は冷戦に負けたのではないか。経済が崩壊しつつある日本の現状は、50数年前の敗戦時の国家崩壊にも匹敵する惨状となっている。

●負けたふりして勝つ

 とはいえ、落胆することはない。日本の歴史をみれば、外国に負けるところから、新しい時代を切り開くきっかけを作る、という作業を繰り返してきたことが分かる。

 近くは50数年前、日本は欧米などとの無謀な戦争に負けたけれど、その後官僚たちは、アメリカ進駐軍が軍部と財閥を解体したことを利用して日本の権力を握り、戦前の制度のうち都合のいい部分だけをうまく残し、戦後の高度経済成長を実現した。(今となっては、その制度の硬直性が問題なのだが)

 さらに古くは明治維新も、黒船来航による強制的な開国という「屈辱」を逆手にとった人々が幕藩体制を倒し、欧米の植民地となることを防いだ。それらの激変期に日本がとったのは、勝者の側のシステムを積極的に受け入れた上で、それを自分のものとして消化していく、という方法だった。

 今後の日本に当てはめるなら、企業はどんどん欧米企業の傘下に入り、経営や社風をアメリカナイズさせてしまった方がいい、ということだ。欧米のように政府も大幅に機能縮少し、国会や地方議会の議員の数など、半分以下にしてしまえばいい。

 一見するとアメリカの属国になるように感じるが、そうやって欧米流のシステムを取り入れてから、日本風に変えていけばいいのではないか。単に反米意識を高めるだけでは、かつて「鬼畜米英」と叫んでいたのと変わらず、もっと手痛い敗北を被るだけだ。「負けたふりして勝つ」というのが、日本人の歴史的な特技ではないか、と筆者は思うのだが。

 

 






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