日本を追い越しつつある中国の経済改革

98年6月29日  田中 宇


 6月27日、北京を訪問中のアメリカのクリントン大統領と、中国の江沢民国家主席が共同で記者会見した。その席上、クリントン大統領は「日本は金融制度の改革をもっと進めるべきだ」と発言、日本の政府と国民はやるべきことをやっていない、という意味の日本批判を展開した。

 この発言を聞いて、クリントン大統領が東京にきてそのような発言をするならまだしも、何で北京に行って関係ない日本のことを非難しなきゃいけないんだ、とショックや憤りを感じた人も多かっただろう。アメリカと中国が組んで日本をたたく、という構図はイメージ的に、第二次世界大戦の時を思わせるものでもある。

 だが、クリントン大統領のこの発言の裏には、中国政府が「これ以上円安が進んだら、人民元を切り下げるぞ」というコワモテのメッセージを世界に向けて発していることがある。この日、朱鎔基首相はクリントン大統領に対して、人民元の切り下げをしない、と改めて約束した。その見返りとしてクリントン大統領は、日本に圧力をかける発言をすることになったのであろう。

 中国の通貨である人民元は、日本や東南アジア、韓国などの通貨と異なり、自由な為替取引が許されていない。人民元と外貨との為替レートは事実上、中国政府が決めている。そのため、昨年夏以来、東南アジアや韓国の通貨が相次いで暴落し、その後は円安が進んでも、人民元の対ドル相場はあまり動いていない。そのため人民元は、他のアジア通貨に対して価値の高いものになっている。

 輸出産業の振興が経済発展の大きな柱となっている中国では、人民元の上昇は、輸出競争力が減って経済発展を止めてしまう働きを持つ。日本企業がかつて円高に苦しんだのと同じである。

 もし中国政府が輸出品の競争力を回復するために、人民元の対ドル相場を切り下げれば、他のアジア通貨も輸出振興のために追加の切り下げをせざるを得なくなり、アジア経済は切り下げ競争によって、再び混乱に陥る可能性が大きく、それはドル安や欧米の株安にもつながりかねない。

 それを防ぐため、アメリカなどは中国に、人民元の切り下げを思いとどまるよう要請し、これに対して中国側は「切り下げを我慢したら、何をしてくれるのかね」とばかり、人民元切り下げを外交カードとして利用している。

 とはいえ実際のところ、円相場の下落は、中国経済にとって、それほど大きなマイナスとはならない、と指摘する欧米の専門家もいる。日本の輸出品目と中国の輸出品目はあまりバッティングしていないことが、その理由だ。円安は、中国よりも、日本と輸出品目が似ている韓国にとって、より大きな脅威となっている。

 しかも中国は、日本から円建ての借金を4兆円も借りているが、このお金は円安によって目減りしており、それだけ中国にとって得になっている。

●日本よりはるかに根本的な中国の改革

 それでも、経済難に対する日本と中国の取り組みを比べれば、クリントン大統領でなくても、中国の肩を持ちたくなるだろう。中国では、日本よりはるかに根本的で大規模な経済改革が、急ピッチで進められているからである。

 その柱の一つは、今後3年間で公務員の総数を半分にしてしまおう、というものだ。国有企業に対する政府からの補助金や免税制度、銀行からの低利融資などの優遇制度も、3年後までに廃止され、国有企業は独立採算の民間企業に変身することを求められている。

 そのため昨年秋から、中国では国有企業の大量解雇が広がり、失業者がどんどん増えている。銀行の民営化も急速に進められている。

 日本政府も行財政改革を進めているが、それによって削減される公務員の数は、全体の1割程度である。中国が公務員を半分にしようとしているときに、日本が1割の削減しかしていないとあれば、日本は「改革に向けて努力している」とはみられないだろう。

 公務員の削減が良いことかどうか、という点になると、いろいろな意見が出てくるだろう。行政サービスが縮少されれば、老人や低所得者にしわ寄せが行く、という問題もある。

 しかし、話を為替や経済成長との関連に限れば、今の世界では、公務員を削減して減税し、民間の活力を増すことが、為替の安定や経済成長につながる、と考えられている。日本が北朝鮮のような鎖国した国になるというなら別だが、世界経済との結びつきで豊かさを維持しようとする限り、公務員の削減や銀行経営の透明化は、避けることができない。すでに世界の経済関係者の評価は、日本より中国の方が高くなっている。

 中国政府は、民間のサービス産業を急拡大させ、急増する国有企業からの失業者を、そこに吸収しようとしている。飲食産業、保育園や私立学校などの教育産業、老人ホームや病院などのヘルスケア産業、お手伝いさん(メード)などの産業を拡大しようとしている。

 この計画が成功するには、国民経済が豊かになっていくことが不可欠だ。中国政府の試算では、今年の経済成長率が8%を切った場合、失業者が減りにくくなってしまう。5%を割ると、失業者の暴動など、社会治安の乱れが予想されるという。アジア経済危機の影響で、今年は7%程度の経済成長しか望めない、と予測するアナリストもいる。

 中国経済の成長率は輸出に負うところが大きいため、円やその他のアジア通貨の下落が続けば、国内の治安を守るためにも、人民元の切り下げをしなければならない、というわけだ。

●社宅から追い出される人々

 もう一つ、現在の中国で進んでいる急速な変化は、住宅に関するものである。これまで50年間にわたり社会主義を続けてきた中国では、住宅は企業(すべて国営や公営)や役所が準備し、月額1000円程度の家賃で、労働者に貸していた。

 国有企業での一般的な賃金はこれまで、月に1万円ほどと低かったが、その半面で家賃も安かったし、学校や病院も無料だったので、基本的な生活には、あまり困らなかった。

 だが中国政府は、今年いっぱいで、こうした低額の家賃制度を止めることを決めている。経済改革の急先鋒である朱鎔基氏が、今年3月に首相に就任したときに打ち出した政策である。

 中国の3億人の都市住民は今後、これまで住んでいた家を、会社や役所から買い取るか、これまでの5-10倍の家賃を払うか、急増している民間の建て売りや賃貸の住宅に引っ越すか、さもなければ路頭に迷う、という選択を迫られている。家賃収入や社宅の売却収入は、社宅の所有者である国有企業に入り、経営難から逃れるための資金となる。

 これまで住んでいた社宅を買い取る場合、その値段は勤続年数によって異なる。たとえば、夫婦で同じ会社に勤め(中国では多いケース)、勤続30年という場合、2DKの社宅を50万円前後の値段で売ってくれる。月収1万円の共稼ぎなら、一家の年収の2-3年分というところである。日本の「年収の5倍」よりはましかもしれない。

 だが、失業者がどんどん増えている昨今の中国では、そんな金など払えない人も多い。値上がりしているのは家賃だけでなく、学校の学費も建前は依然無料だが、親は教科書代などを払わされるようになった。病院の医療費も、もはや無料からは程遠い。

 長い間勤めていた国有企業を追われて失業した上に、家からも追い出され、子どもは学校にも行けず、一家で路頭に迷う、という人々が、全国で何100万人も出現してもおかしくない状況となっている。

 名目だけとはいえ「社会主義」を名乗っている国家として、あるまじき行為、と思う読者もいるかもしれない。

●「安さ」より「自由」を好む人々

 とはいえこの政策、必ずしも中国市民の受けは悪くない。その理由は、これまで社宅から引っ越すことを許されず、生活のすべてを会社と国家、共産党に管理されてきた状況から逃れることができるからだ。

 最近まで中国には、一般市民向けの民間の分譲・賃貸住宅は、全くなかった。人々は、社宅に縛られてきたのである。だが最近は、民間住宅がどんどん建てられており、社宅が嫌なら、金さえあればいつでも引っ越すことができるようになった。社宅に縛られなくなったことで、人々は転職の自由も与えられることになった。

 これまで中国の都市の各路地には、居留民委員会という、共産党肝いりの町内会があり、人々は常に行動を管理され、おかしな動きがあれば、すぐに委員会に通報するという相互監視の体制が敷かれていた。

 反政府的な言動をしたり、アメリカの宣伝放送VOA(美国之音)を聞いていることがバレれば、すぐにマークされることになった。夫婦喧嘩をしても近所の共産党員から注意され、外国人を家に連れてくることなど、とんでもないことだった。

 こうしたうっとうしさは、今年から一気になくなりそうだ。今後は家賃さえ払えば、未婚の男女が同棲することさえ可能になるだろう。中国式社会主義は、路地裏から急速に崩壊しつつある。政府は、経済発展ができるならそれも仕方がない、と考えているのである。

 また、これまで中国の住宅といえば、30年前に建てられた日本の公団住宅をさらに薄暗くしたような感じで、煤けて古めかしいものが多かった。だが、人々の私有となってからは、キッチンを近代化したり、コンクリートの床を木のフローリングにしたり、見違えるように美しく、住みやすくなった家が増えている。自分の持ち物になれば、大事にするのである。

 このため、家具メーカーや内装産業は大繁盛である。新しいマンションもどんどん建っているので、住宅産業が中国経済の牽引役になり始めている。

 住宅の「民営化」はまた、銀行にとってもプラスとなっている。住宅ローンが急速に普及しはじめたからだ。これまで銀行の貸出先は、国有企業に限られていた。だが国有企業への貸し出しは、政治の力によって回収不能になったり、不利な条件になったりすることが多かった。

 銀行経営が黒字にならなくともよい社会主義時代はそれでかまわなかったが、これからは違う。国有企業への貸し出しは、銀行にとって増やしたくないものになっている。

 そして、代わりの貸し出し先として、個人向け住宅ローンが注目されている。国有企業より個人に貸した方がとりはぐれが少ない、というのは皮肉な話だが、中国ではすでに、それが現実のものとなっている。

●急速に広がる貧富の格差

 もちろん、この政策は、プラス面よりマイナス面の方が大きいかもしれない。先に述べた失業者の苦難がそれである。

 早い時期に国有企業を辞め、自分でベンチャービジネスを起こしたり、外資系企業に転職した人々は、すでに平均的日本人とさして変わらない、豊かな生活をしている。彼らの間では昨年あたりから、マイカーを買うことが流行している。

 一方、失業したまま、なかなか転職ができない人々には、今までよりさらに低賃金の仕事しかない。重労働で、人々から尊敬されない「3K労働」が多く、賃金は月に3000-5000円(日給ではなく月給がこんなに安い)と、国有企業時代の半分以下である。

 かつて、国有企業の労働者といえば、社会主義を支える大切な仕事、という誇りがあったが、新しい仕事には、そんな誇りもない。

 こうした悲惨な状況に陥っている人々は、40-50歳代の「文革世代」が多い。1950年代に生まれた彼らは、10代後半から20代にかけての青春時代に文化大革命を経験し、学校がほとんど閉鎖状態だったので、十分な教育を受けられなかった。

 会社に入って20-30年たち、もうしばらくで定年だ、というときに、今度は会社を首になり、住み慣れた家からも追い出されようとしている。今さら再就職は難しい。しかも、厳しい一人っ子政策で、今後は2組の老夫婦に対して、1組の若夫婦しかいない、という状況が待っている。子どもと一緒に暮らせない、さびしい老後が待ち受けている人が多いのである。

 中国はかつて「敬老の国」であったが、住宅の民営化や路地裏社会の崩壊によって、老人たちは急速にないがしろにされるようになっている。しかも中国は今後、高齢化社会になり、60歳以上の人口は、現在の10人に1人から、2050年には4人に1人まで増える見通しとなっている。

 中国政府は1996年に、子どもが老後の親の面倒をみる義務を定めた法律を作った。この法律を使って、親が冷たい子どもを訴える裁判を起こすケースも出ている。

 中国ではこれまで、子どもを生むなら男の子がいい、という考え方が支配的だった。だが最近の大都市では、女の子の方がいい、と考える人が多くなっている。理由は、女の子の方が、老後の親の面倒を見てくれることが多いから、というものだ。そんな面でも、中国社会の価値観は、大きく変わろうとしている。

 中国の夫婦は共稼ぎが多い。少しでも多く働いて家を買い、子どもを金のかかる良い学校に入れたいと思っているのである。当然、年老いた親の面倒をみる余裕は少なくなっている。そんな子供たちに対して「私の面倒をみるより、自分たちの成功と、孫の教育を重視してほしい」という立派な親の話が、美談として新聞に載ったりする。

 そもそも中国の新聞はこのところ、失業して困り果て、政府に恨みを持っている人々の話は、なるべく報道しないよう、政府から言われている。失業者どうしが横の連帯を深め、全国規模のゼネストなどを起こすようになったら、それこそ国が崩壊しかねないからである。

 新聞には、失業したが自分でビジネスを始め、成功した人の話など、明るい話題が選ばれて、掲載されている。

●強くて人気あるリーダーがいることが救い

 とはいえ、実は失業者のデモ行進や役所への陳情は、全国各地で毎日のように起きている。香港の新聞に時々そういった話が漏れて掲載され、状況が外の世界に伝えられている。

 デモや陳情が特に多いのは、戦前に日本が作った大きな重工業の国営メーカーが多い東北3省(旧満州)と、毛沢東時代の戦略で、国防産業の工場が多い南西部の四川省、貴州省、雲南省などである。(毛沢東はかつて、アメリカやソ連から攻められにくい奥地の山間部に軍需工場をいくつも建設したが、これらの工場は輸出製品などを作るには地の利が悪すぎる)

 このように、前途多難な中国経済ではあるが、日本に比べると、国民がまだあまりモノを持っていないので、国内需要を増やしやすいという点で、希望がある。道路や鉄道の整備もまだまだなので、公共事業も、日本のように大半が無駄なものなどという状態にならずにすむ。(三峡ダムなど大プロジェクトに対する疑問の声もあるが)

 しかも中国では、朱鎔基首相に対する国民の信任があつい。朱鎔基氏は、汚職に対して厳しい態度を取るとともに、無能な官僚を即刻クビにしてしまうことでも知られている。こうした改革家らしい振る舞いが、国民の人気を集めており、失業したり社宅を失う人が増えてもなお、朱鎔基首相に対する非難は、あまり強くなっていない。

 国民に支持される強い指導者が、当分は出てきそうにない日本に比べると、中国はこの点でも恵まれているといえる。

 





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