クリントン訪中ではずみつく中国の政治改革98年7月3日 田中 宇 | |
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6月27日、訪中していたアメリカのクリントン大統領は、北京でおこなった江沢民国家主席との共同記者会見の席上、1989年の天安門事件で中国当局が武力で人々を鎮圧したことを批判した。 これに対して江沢民主席は「1989年の事件に対して中国では、いまだ歴史的な評価が確定していない。だがもし中国政府が、あのような解決策を取らなかったら、現在のような中国の安定を実現することはできなかっただろう」と反論した。 さらに江主席は笑顔を浮かべ、「われわれ(中国とアメリカ)の意見は食い違っているが、その食い違いを自由に表明しているこの(記者会見の)状況こそ、民主主義があるといえるのではないか」と、話をうまくまとめるような、余裕のある発言をした。 クリントン大統領の天安門事件批判はまさに、爆弾発言だった。中国では事件から9年たった今でも、中国当局の武力鎮圧を公式な席で批判することは、大きなタブーとなっている。それを、世界中の人々がテレビを見ている記者会見の席上で、中国国家主席を前にして言ってしまったのである。 逆にいうと、アメリカ大統領のみに許されるタブー破りだった。クリントン大統領はまた、チベット問題についても触れ、中国政府に公式の場で圧力をかけた。 これらの大きなタブー破りに対して江沢民氏は、彼流のウイットとともに受け流し、批判してもかまいませんよ、という姿勢を見せたのである。これは大きな驚きだった。 ●爆弾発言を異例の実況放映 さらに驚いたのは、この共同記者会見が、中国全土にテレビで実況放送されていたことだった。爆弾発言が出ることを恐れ、中国では記者会見がライブで放映されることは、これまでほとんどなかった。 会見が行われたのは、土曜日の正午からで、ちょうどお昼のニュースの時間帯だった。この日のニュースは最初、いつもどおりのスタイルの官製ニュースを流していたが、その後、おもむろに記者会見場からの中継に切り替わった。そして人々は、アメリカ大統領が中国の元首を前に、天安門事件批判をする場面を見ることになった。いっぺんにいくつもの巨大なタブーが破られてまう瞬間であった。 この実況中継は、事前に人々に告知されることは全くなかった。記者会見の直前、江沢民主席からの突然の指示により、ライブ放映されることになったからである。もし事前に告知されていたら、人々はみな見ただろうが、そうではなかったため、たまたまこの時間にテレビをつけていた人々だけが、中国のテレビ史上まれにみる大イベントを見ることができた。 テレビを見ていなかった人は、見た人から後で話を聞くことになったが、多くの人々が「そんな実況中継など、当局が許すはずがない」と、見た人の言葉を信じようとしなかった。また、「何か上からの間違いで、放映されてしまったのではないか。二度とこういうことはないだろう」と言う人もいたという。 だが、どうやら記者会見とその実況放映は、間違いでも失敗でもなかったようだ。もし江沢民氏が、これはまずい、と思えば、いつでも記者会見の流れを変えたり、早々に終わらせることもできたはずだし、実況放送も瞬時に止めることができたはずだ。 中国側はむしろ、アメリカ大統領による中国批判が12億人の目に触れる状況を、故意に演出しようとしたようなのである。 ●江沢民が言えないことをクリントンに言わせた なぜ、そんなことをしたのだろうか。なぞ解きの一つは6月29日、クリントン大統領が北京から上海へ移動した際の大統領専用飛行機の中で、アメリカ政府高官から、同乗していた記者団向けのブリーフィングで行われた。 それは中国政府が、天安門事件に関するタブーを乗り越えて、自国民や外国からこの問題で批判される状態を、早く終わらせたいと考えており、それを実現するための道具として、クリントン大統領を使ったようだ、というものだった。 中国政府が国内で天安門事件に対する批判を許さない限り、中国の人々の心に不満は残り続けるし、欧米からの批判もなくならない。かといって中国政府が武力鎮圧に対する自己批判をしたら、中国共産党の権威そのものが、今よりさらに失われてしまうだろう。それは政治全体を不安定にしてしまい、中国を崩壊に導く懸念さえある。 中国では伝統的に、国家権力は天(神)から授かったものだという考え方がある。この考え方に立てば、国家権力を握る者が、自らの失策を認めることは、天から見放されたと宣言しているようなもので、そんな奴にはもう権力を握る資格はない、と思われて、クーデターや革命を起こされてしまう可能性が強くなる。 20世紀末の今になって、そんな古い考え方を持つ人は少ない、とも考えられる。だが、日本の天皇制をみても分かるように、政治とは結局、深いところで神話や歴史的価値観に支えられているものである。 中国政府が、そのようなジレンマから逃れる方法として、クリントン大統領に天安門事件批判をさせることを考えたのではないか、とアメリカ政府は読んでいる。江沢民氏は、自分では言いにくいことをクリントン氏に言わせ、自分はそれをある程度認めることによって、事実上の言論の自由化を進めようとしたというわけだ。 中国ではすでに、私的会話で政治批判をすることは、ほとんど問題とされない。クリントン発言によって、公の場での政治批判に対しても、社会的免疫力を高めようとした、と考えることができる ●うまいこと利用し合う米中のトップ こうしたの寛容度アップは、アメリカ政府の中国に対する評価を高めることにもつながった。大統領に同行したアメリカ政府当局者は、大統領の記者会見がライブ放映されたことに大喜びした。クリントン氏が北京大学で大学生を集めて行った公演と質疑応答が放映されたことと合わせ、大統領の話が直接中国国民に伝わったことが、訪中の最大の成果の一つだ、とアメリカ政府は評価している。 6月29日に行われた北京大学の講演会では、クリントン氏はアメリカの黒人奴隷政策の歴史や、アメリカが犯罪の多い社会であることを自己批判して、学生から好意を持たれた。こうした手法は、クリントン氏が国内で遊説をする際、人々の共感を集めるために好んで使うやり方である。 北京大学での公演はアメリカでも放映され、「中国でアメリカのよき価値観を啓蒙する大統領」というイメージを国内で醸し出すことに成功した。クリントン訪中前、アメリカでは中国へのミサイル機密漏洩疑惑などが持ち上がり、議会共和党が訪中に反対したが、中国からの映像は、アメリカの反中国派を黙らせる効果を持つものであった。 もし訪中が成功していなかったら、過去の愛人問題などが再び吹き出しているクリントン大統領は、かなりの危機に追い込まれるところであった。そして、クリントン氏の声が中国人に届くように配慮したのは、江沢民氏であり、彼はクリントン氏に貸しを作ったというわけである。 一方、クリントン大統領は、中国を批判する発言をしながらも、別の場面では中国の政府と人々を喜ばせるようなことを多く言っている。天安門事件の弾圧を批判する一方で、中国にとって社会的な安定が重要であることは理解できる、と述べたのも、その一つだ。 中国政府はかねてから、社会の安定を維持するために鎮圧が必要だったと言っており、クリントン氏は天安門事件をやむを得ないことだったと認めていることになる。 クリントン大統領と江沢民主席は、お互いにうまいこと利用しあっているのである。これは、上手な外交といえるのではないか。 ●民主化運動は権力闘争に使われてきた 天安門事件以来、欧米や日本の人々の対中国観は「人権抑圧のきつい、恐ろしい国」であった。 だが中国では昨年あたりから、政治改革や民主化を求める建白書を政府に出すことは、処罰の対象とはされなくなっている。天安門事件について政府に自己批判を求めたり、台湾やチベット、ウイグルの分離独立を求めたりすること以外は、とりあえず人々が要求することだけは許されるようになった。 また、実際の変化のスピードは遅いものの、中国政府はすでに、政治改革や民主化を進めていかねばならない、という考えを持っている。 たとえば、天安門事件の記念日である今年6月4日、大手新聞である北京青年報に、共産党の党中央学校の教授が書いた論文が掲載された。インドネシアのスハルト政権が崩壊した事実を教訓として、中国も政治改革を進めなければ、旧来の体制のままでは、いずれ困難に陥るだろう、と警告する内容だった。 党中央校といえば、中国共産党の思想面を決定する最高権威である。そこが、民主化しなければ中国の現体制は滅びる、という危機感をはっきりと打ち出しているのである。 また中国政府は、アメリカに職員を派遣して選挙制度を学ばせ、中国でどんな選挙ができるかを調べつづけている。アメリカ型の大統領制をとることも検討している。 近代史をみると、これまでの中国では民主化運動はいつも、政界中央の権力闘争の道具として使われる側面があった。 たとえば、最近アメリカに亡命した有名な民主活動家、魏京生氏が、北京の「民主の壁」に民主化要求の壁新聞を貼った1978年の民主化運動も、その裏には、毛沢東の後継者となった華国鋒を、ケ小平が追い落とそうとする権力闘争があった。その後、ケ小平が権力を握り、目的を達成してしまうと、魏京生氏は反乱分子として逮捕されることになった。 1986年に北京や上海で起きた民主化運動から、1989年の天安門事件にいたる動きの背景にも、胡耀邦や趙紫陽と、ケ小平との間での権力闘争があったと指摘されている。 だが、今回中国で進んでいる政治改革は、中央の権力闘争にからんだものとは思えない。江沢民と朱鎔基による現体制は安定している。民主化は、政治的な要請からではなく、中国が海外から資金を投資してもらうために必要だという、経済面からの要請に基づいている。 ●地道な10年の実験が政治改革の下積みに 実は、中国の政治改革は、天安門事件より前から始まっていた。1987年から、地方の村の役職者を選挙で決めるという「実験」が行われている。 対象となる村は次第に増え、今では中国全土に93万ある村のうち、半分程度で選挙が実施されている。選挙といっても、共産党以外の政党は認められていないが、選挙違反に対する取り締まりは厳しく、具体的な形での選挙制度が根づきつつある。 農村での選挙は、ケ小平氏が1980年代初めからスタートさせた経済開放の副産物だった。経済開放で農村の人々も豊かになったのだが、同時に稼いだ金を税金として徴収する制度も始まった。 ところが、村の役職者の中には、集めた税金を上手に使えなかったり、着服したり使途不明金を出したりするケースが相次いだ。そのため、税金の滞納が全国で増加、頭を悩ませた政府が考えたのが、選挙だった。自分たちで役職者を選ぶようにすれば、税金を納める気も起きるだろう、との考えに基づくもので、ある程度の成果をおさめるに至った。 天安門事件が起きて、世界から「中国は民主主義のない国」などと言われるようになっても、農村選挙の「実験」は地道に続けられた。 中国での選挙が農村からスタートしたのは、ソ連が上からの政治改革に失敗し、崩壊してしまったため、その二の舞となりたくない、との考えもあってのことだった。民主主義は上から、つまり国政レベルからではなく、下から、つまり農村から始めた方がいい、と考えたのである。 ロシア革命がモスクワやサンクトペテルブルグなど大都市の労働者から始まったのに対し、中国革命は農村からスタートしたことと、同じ種類の中ソの差を感じさせる。 ●急速な民主化は危険な面も 中国での農村選挙は始めてから10年がすぎ、大都市や国政レベルに広げる時にきている。それは奇しくも、インドネシアでスハルト政権が崩壊し、民主化せずに旧来の政治体制を続けていると、経済面で国際金融資本から「制裁」される時代が到来した時期と、一致するものだった。 クリントン大統領が天安門事件を批判した際、江沢民主席が余裕の笑顔で返答することができた背景には、10年に及ぶ農村選挙の経験があったのかもしれない。 とはいえ、失業者が急増し、社会主義時代にあった人々への福利厚生が廃止されている現在の中国では、急速な民主化は、かなり危険であることも確かだ。 現在はマスコミに対する報道管制が厳しいため、怒ったどどこかの町の失業者軍団が役所に押しかけて騒ぎを起こしても報道されず、全国に1000万人以上いる失業者が横のつながりを持つことを防いでいる。だが、報道の自由が解禁されてしまうと、状況は変わる。大規模なゼネストや、失業者と民主活動家が連帯する形で、反政府運動が展開しかねない。 そうなると、経済成長が鈍化して、社会不安がさらに大きくなってしまうだろう。中国は政治面でも、難しい選択を迫られているのである。
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