日本は伝統的政治システムを捨てられるか98年7月22日 田中 宇 | |
|
インドネシアの与党ゴルカルは今、スハルト前大統領失脚後の政治混乱の中で、政党として生き残る方法を必死に模索している。 現在はまだ、ゴルカルは国会議席の75%を占めている。だがこのままだと、来年早々にも実施予定の総選挙で、20-30%の得票率しか得られないだろう、と予測されている。 ゴルカルはスハルト大統領に忠実な政治マシンとして、長期独裁政権を支えてきた。独裁政治を嫌ってスハルト大統領を失脚させたインドネシア国民の多くは、もはやゴルカルを支持していない。 ハビビ大統領やその他のゴルカル幹部たちは、最近開いた党大会で、組織改革を進めていることを強調し、国民に対するイメージチェンジを図ろうとしている。 ●自民党の不人気はスハルト体制と大差ない ここまでの話だけなら、多くの日本人にとっては、インドネシアは大変だな、という人ごとで終わるだろう。だが、7月12日の参議院選挙の比例代表部分で自民党がとった得票率が28%で、ゴルカルへの支持率とほとんど違いがないとなると、話は他人事ではなくなる。 インドネシアでは、1000人以上の犠牲者を出した暴動と、それに続くスハルト退陣を経て現在に至っており、起承転結がはっきりしている。それに比べて日本では不安は増しているが、ドラマチックな体制崩壊など起きているように見えない。混乱が目に見える形で表れていないだけに、かえって今後の展開が恐ろしい、ともいえる。 インドネシアと日本の政治状況が似ているもう一つの点は、どちらも国民は従来の権力者を否定しただけで、代わりにどんな国にしたいのか、ということが世論から見えてこないことだ。 参議院選挙で自民党が負けたのは、共産党や民主党の政策が支持されたというより、自民党にこれ以上権力の座にいてほしくないという、国民の意思が表れたものだ、といわれている。 それはスハルト大統領が失脚したときの状況に似ている。インドネシアの人々は、代わりに誰をリーダーする、という統一した意思がないままに、スハルト氏を政権から追い出した。 このように日本とインドネシアの政治状況が似ているのは、両国とも伝統的には稲作を中心とする農村社会で、古代から近代まで、王室による支配が続いていた、という歴史が一因だと筆者は考える。 そこでは、王室の役人たちが政策を考え、それが最善のものとして王の名で発表される。国民はそれを黙って受け入れていれば幸せになれる、というものだ。複数の政策案のどれがいいか国民の前で議論され、投票によって決定されるという欧米型の政治システムとは、大きく異なっている。 ●自民党は冷戦構造の遺物? さらに自民党とゴルカルは、冷戦時代に日本やインドネシアが共産主義化するのを防ぐためのシステムとしてアメリカが補強し利用した、という点でも似ている。 7月13日付けのロサンゼルスタイムスは、アメリカの日本研究家のコメントとして、「日本の一党独裁制は、アメリカCIAが30年前に(自民党に資金を渡して)作ったシステムだ」と書いている。アメリカが設置し、30年間も続いたシステムなのに、今さら一回の選挙ぐらいで変質せよとアメリカが求めるのは無理がある、というわけだ。 そしてゴルカルに支えられたスハルト政権も、社会主義への傾向が強かったスカルノ政権が崩壊した後、アメリカの支援を受けて強化された。自民党もゴルカルも、冷戦構造の中でこそ存在価値があった。冷戦が終わった今や、アメリカにとっては用済みとなった、といえる。 冷戦崩壊後、日本の政治はアメリカ型の2大政党制に向けて変革しようとしたが、今のところうまくいっていない。自民党以外の「もう一つの党」を作ろうとして小沢一郎氏が失敗し、今また菅直人氏がそれを試みている。 だが、菅氏の民主党の中には、自民党体質を残したまま、自民党から移ってきた政治家が多くおり、自民党の政策から大きく離れた政策を打ち出しにくい状態となっている。 ●400年前から続く日本の意思決定システム 日本の政治体制は冷戦構造の賜物とはいえ、そのシステムはもっと古くからあった。 宮本常一という学者が書いた「忘れられた日本人」という本がある。江戸時代からの風習が残っていた戦後間もないころの地方の農村で、どんな伝統的な政治システムが働いていたか、ということを描いた取材記だ。そこには、九州の対馬列島での話として、こんなことが書かれている。 「村でとりきめをおこなう場合には、みんなの納得のいくまで何日でもはなしあう。はじめには一同があつまって区長からの話をきくと、それぞれの地域組でいろいろに話しあって区長のところへその結論をもっていく。もし折り合いがつかねばまた自分のグループにもどってはなしあう。用事のある者は家へかえることもある」(岩波文庫「忘れられた日本人」13ページ) これを読んで筆者は笑ってしまった。橋本首相が退陣を決めた後、次の総裁を誰にするかをめぐって話し合っている自民党の様子と同じだ、と思ったからだ。だが、対馬で400年以上も前から行われていたというこの方法には、利点もあった。 「いかにものんびりしているように見えるが、それでいて話は次第に展開して来る」「三日でたいていの話もかたがついたという。気の長い話だが、とにかく無理はしなかった。みんなが納得のいくまではなしあった。だから結論が出ると、それはキチンと守らねばならなかった」(同書15-16ページ) 筆者は合点がいった。富国強兵・文明開化から侵略戦争を経て、高度経済成長に至る日本の組織的パワーの源には、こうした意思決定方式があったのではないか。全会一致を原則とし、時間をかけて決定した政策は、すべての人がある程度以上納得できるため、いったん決まったら、一致団結して事に当たるようになるからだ。 ●日本では難しい二大政党制 日本の政治は、こうしたやり方を続けてきたため、強いリーダーを育てなかった。7月20日のニューヨークタイムスは、徳川家康以来400年、日本を抜本的に改革した強いリーダーはいなかった、と断言している。 自民党では強い個性を持った牽引力のある政治家より、いくつもの異なる利害を調整できる人が重用される仕組みになっている。だから、次期首相になりそうだという小渕恵三氏は、今でこそ「リーダーシップが足りない」と内外から批判されているが、少し前までは頼れる(調整力のある)政治家とされてきた。 「全員一致の合意が得られるまで調整する」という日本の政治決定方法は、良くも悪くも日本の特色となっている。侵略戦争を起こすこともあるが、高度成長を達成する時もある。官民を問わず、合意重視の意思決定がなかったら、日本が世界第二位の経済大国になることもなかったといえる。 その意味で、これを変えることは難しいし、変えることが必要かどうか、それこそ国民の合意ができるまで議論を続ける必要がある。米英流の二大政党制は、米英の人間関係や社会風土の中で育った。日本でそれをやろうと思ったら、たとえば公用語を英語にするぐらいの、現実ばなれした政策変更が必要となる。 そんなことに同意する人は少ないだろう。日本人は先祖代代の日本風意思決定を続けていくしかないように思う。その上で、どうやって政治経済の閉塞を打ち破るか、ということになる。とはいえ、どうすればいいか、という点になると、筆者もいろいろ考えたのだが、まだ結論は出ていない。
| |