世界金融危機の第2幕はロシアから始まる?

98年9月4日  田中 宇


 ロシア極東の町ウラジオストクで、最近流行している小話を一つ。

 ロシアでは、大きな会社ほど、税金を滞納する傾向にあり、税務当局との攻防が、各所で続いている。ウラジオストクではこのほど、税務署の査察が、ダレネルゴ(Dalenergo)という地元の大手電力会社に入った。

 この会社は2億5000万ドルの税金を滞納しているが、税金の支払いに当てる現金がないということで、税務当局は、代わりに同社が保有している自動車や社宅などを差し押さえた。

 だが、税務署は査察に入った後、一通の手紙を、ダレネルゴの経営陣宛てに出さねばならなかった。その手紙には、税務署が電気料金を滞納していることを詫びるとともに、査察の仕返しに税務署への電力供給を止めたりしないでほしい、と書かれていた。政府の金庫に現金がない上、徴税作業も進まないので、税務署は電気料金を支払えないのだった。

 この話に象徴されるように、ロシアでは経済システムが崩壊している。というより、正確には、7年前まで続いていた社会主義体制から、資本主義の市場経済への転換がなかなか進んでいない。経済活動のかなりの部分が、今もバーター取り引きによって成り立っている。

 バーターだと、取り引き金額がはっきりしないため、市場経済を運営する上で不可欠な経済統計や、欧米流の企業会計を確立することが難しく、税金の徴収もままならない、というわけだ。ソ連時代には、税金を納める慣行もなかったから、多くの企業経営者は今も、何でそんなもの払わねばならんのだ、と思っている。

●脱税ナンバーワンが首相になりそうなロシアの不可思議

 ロシアでは8月中旬、エリツィン大統領がキリエンコ首相を初めとする全閣僚の首をすげ替えた。新首相には、今年3月まで5年間首相をつとめた後、突然罷免されたチェルノムイルジン氏なのだが、この人が首相に返り咲きそうなこともまた、冒頭に掲げた税務署の話に劣らず、驚くべきことだ。

 というのは、チェルノムイルジン氏はソ連時代に、ロシア最大のガス会社ガスプロムのトップの座に座っていた人で、今も同社を支配下に置いているとされるのだが、ガスプロムはロシア最大の税金滞納者となっているからである。

 ガスプロムはロシアで採れた天然ガスを輸出する会社で、売上代金の多くはドルで入ってくる。だから税金を払うことは難しくないはずなのだが、チェルノムイルジン氏は首相だった5年間、ずっと脱税を黙認し続けた。

 今年3月にチェルノムイルジン氏がクビになり、改革派のキリエンコ氏と交代したのは、チェルノムイルジン氏が徴税強化など、市場経済化に向けた改革を進めなかったことが理由とされている。ところがその後、キリエンコ首相が進めた改革が、8月に入ってルーブル相場の暴落などによって失敗し、キリエンコ氏がクビにされると、再びチェルノムイルジン氏が登板してきたのである。

 今年に入っての2度にわたる首相交代人事を決めたのはエリツィン大統領だから、それまでの欧米諸国のエリツィン支持は、一気に崩れそうな様相となっている。エリツィン氏の政治生命も終わりに近いのではないか、とみられている。その場合、次期大統領選挙では、チェルノムイルジン氏が勝つ可能性が大きくなっており、ロシアはますます大変なことになりかねない。

●民営化を食い物にしたビジネス帝王たち

 こんなことが起きる背景には、ロシアを牛耳っているのが、ソ連崩壊後に国有企業を民営化していく段階で、大企業の支配権を獲得した大物ビジネスマンたちである、という現実がある。

 チェルノムイルジン氏もその一人といえるが、そのほかに、モスクワ市長をつとめながら、モスクワ市内の各種ビジネスを支配しているルシコフ氏、石油会社や新聞社を保有しているベレゾフスキー氏らが知られている。彼らの多くは、エネルギー関係、銀行、そしてマスコミを、みずからの企業グループの中核としている。

 エリツィン大統領は1991年8月、共産党と軍の保守派がクーデターを起こしたとき、これを打ち破り、戦車の上に立って陣頭指揮をとる姿がテレビ放映されるなど、勇者のイメージが国民に好まれ、大統領に就任した。だが5年後の96年に行われた第2回の大統領選挙までには、国民の信頼をかなり失っていた。

 そうしたエリツィン氏の苦境を救ったのが、ビジネス帝王たちであった。彼らが選挙資金を出した上、自分たちが支配するマスコミを通じてエリツィン礼賛キャンペーンを展開した結果、エリツィン氏は共産党のジュガノフ候補を破って当選した。

 こうしたいきさつからエリツィン大統領は、欧米諸国やIMFから「徴税を強化して国庫収入を増やし、財政を健全化せよ」と言われ、それを了承しても、ビジネス帝王たちから十分に税金を取ることはできなかった。

 それでも、昨年まで、ロシアは成長が期待できる新興市場として、欧米や日韓の企業が投資を増やしていた。大量の核兵器を持つロシアが混乱しては困るので、欧米各国の政府も「ロシアの前途は有望だ」という神話の維持につとめた。

 海外からの資金流入に助けられたため、政治システムに欠陥がありつつも、経済は安定しつつあった。通貨ルーブルは1991-92年の超インフレにより、人々がソ連時代に貯めた貯金はほとんど価値のないものになってしまった。だが、ルーブル相場はその後安定し、人々は少しずつ再びルーブルを銀行に預金するようになっていた。

 外国資本を使った企業再建も進み、昨年には「1999年には多くの企業が黒字化する」といった予測もあった。地方の国有企業の従業員たちは、給料の遅配に苦しんでいたが、いち早く民間ビジネスに転じた大都市の若い人々は、西欧人のように生活を楽しむゆとりも出始めていた。

●アジアから伝染した危機が希望を打ち砕く

 そうしたつかの間の希望を打ち砕いたのが、アジアから伝染してきた金融危機だった。世界的な市場急落を受け、ロシアの金融市場は5月末に暴落し、外国資本の逃避が始まった。

 エリツィン大統領は、こうした事態が起きるのを予期していたかのように、それより2ヶ月前の3月下旬に、突然チェルノムイルジン首相を解任し、無名の改革派であるキリエンコ氏をし首相に据えた。(交代の理由は発表されなかった) キリエンコ氏は、5月末の経済危機の際、欧米やIMFの意向に沿う形で危機脱出の措置を取り、IMFから巨額の支援融資を取りつけた。

 だが、世界経済の荒波は厳しかった。8月に入って、マレーシア、インドネシア、日本などで危機が深刻化したため、ロシアや中南米市場もいよいよ持たないのではないか、という観測が投資家の間に流れ、ロシアから資金が逃避する傾向が強まった。

 ロシアの国債や地方債、企業債の相場も下落した。債券を大量に保有していたロシアの銀行は、倒産の危機に陥った。銀行を所有していたビジネス帝王たちの圧力もあって、キリエンコ首相は8月17日、銀行が外国から借りていた借金の返済を90日遅らせるとともに、ルーブル相場を事実上50%切り下げた。返済遅延の宣言は事実上、国家が借金を返さないというデフォルト宣言に近い。

 この方策は、銀行を助けることになったものの、ルーブル下落は国民生活を直撃した。首相はまた、ルーブル建ての国債の償還を遅らせると発表したが、これは外国の投資家に不利な条件となっており、欧米の金融機関から非難され、その後修正を余儀なくされた。

 こうした政策の動揺は、経済改革を好まず、以前からキリエンコ氏を煙たく思っていたビジネス帝王たちが付け入るスキを与えることになった。帝王の一人であるベレゾフスキー氏が背後で動いた結果、エリツィン大統領は8月23日、キリエンコ氏を罷免してチェルノムイルジン氏を首相に返り咲かせる人事を発表した。

●「商人」の存在が中国との違いになった

 ルーブル切り下げと、国債や銀行借入金の返済延期は、ソ連の崩壊以来、7年間かけて市場経済化を進めてきた努力を無にするものだった。切り下げを知った人々はルーブルに対する信頼を失い、銀行預金を引き降ろそうと列を銀行の前に作ったが、多くは支払いを拒否された。

 ルーブルをドルに替えようとする人々は、両替所が店を開かなくなっていることを知らされた。人々は、お金が信頼できない以上、モノに変えておくという、ソ連時代からの戦法に走った。自動車や冷蔵庫などの耐久消費財の売り上げが大幅に増えた。人々の、ルーブルと銀行に対する信頼感は失われた。

 とはいえ、ロシアの人々はこんな目にあっても、インドネシア国民のように暴動を起こしたりはしないだろう。クレムリンの前では、賃金の遅配が続く炭鉱労働者たちが座り込みをしているが、これが国民全体の抗議行動に膨れ上がることはなさそうだ。というのは、ロシア人は以前から、市場経済に頼らなくても生きていく習慣をつけているからだ、と筆者は考える。

 ロシア人の忍耐力の強さは、長くつらい社会主義時代があったからだ、という説明がよくなされるが、筆者はもっと前からの歴史を思い起こす。

 ロシアでは18世紀からシベリア開発が始まったが、そのころ中国では漢人による東北地方(満州)の開発が進んでいた。辺境での開拓に取り組むロシアと中国の人々の生活には、一つの大きな違いがあった。

 中国では、開拓村が作られてしばらくすると、商人が巡回してきて、農民が買いたいもの、売れるものを聞いて回る。こうして辺境の地が大きな中国経済に組み込まれることになるのだが、シベリアの開拓村には商人が来なかった。人々は、生活に必要なものをすべて、独力で調達しなければならなかったのである。

 こうした歴史は、最低限の衣食住があれば生きていくという習慣をロシアの人々に与えるとともに、どんな辺境にいてもモノやカネの相場に敏感になるという習慣を中国人に与えたのではないか。こうした違いが、社会主義が終わった後の市場経済化が、ロシアでは失敗し、中国では成功している、という差になった、と筆者は考える。

●ロシアが火をつけるIMFへの反逆

 話を現在のロシアに戻そう。首相となるチェルノムイルジン氏(議会の承認が必要なので、9月3日時点ではまだ首相ではない)は、共産党との連立政権や、経営難の企業を再び国有化する構想を検討しているといわれる。同氏はもともと共産党幹部で、経済の判断を市場原理にゆだねる自由主義より、政府が経済運営権を握る社会主義型の経済を志向している。

 エリツィン大統領は、チェルノムイルジン氏を首相に任命する際、これまで自分が握っていた主要閣僚ポストの任命権を、引き渡したと報じられている。これが、エリツィン退陣とチェルノムイルジン後継指名の予測につながっているのだが、もし本当にチェルノムイルジン氏が権力を握るようになれば、ロシアの改革は、大きく逆戻りすることになるかもしれない。

 また、ロシアが事実上、デフォルト宣言したということは、1994年のメキシコ通貨危機以来の、IMFと債務国との関係を大きく変える可能性を秘めている。

 IMFと、その背後にいるアメリカは、冷戦時代の1980年代に起きた中南米経済危機の際は、困窮した債務国がソ連寄りになっていくことを恐れ、デフォルト宣言をある程度受け入れ、債権者である欧米や日本の銀行に損を被らせる、という策をとっていた。

 だが、冷戦後に起きた1994年のメキシコ通貨危機からは、一転して強欲な金貸し業者のような、容赦ない返済要求を債務国に突きつけるようになった。メキシコで成功したIMFは昨年、東南アジアや韓国に対して、借りた金は食うものを切りつめても、利子まで含めて全部返せ、と要求し、受け入れさせた。

 だが、冷戦を戦ったロシアは、アメリカがカネの面からだけで従属させるには巨大すぎた。しかもロシアには、最低限の生活でも文句を言わないロシア人気質という、強い「武器」もある。

 ロシアの反逆に影響されてか、マレーシアのマハティール首相が、IMF型の金融改革を捨て、独自の道を行こうとする挙に出た。インドネシアでは再び暴動が発生し、IMFは食糧輸入費など、政府が財政赤字を出すことを認めざるを得なくなった。

 昨年夏、タイのバーツ暴落に始まった国際金融危機は、1年後のロシア政変を機に、第2幕に入ろうとしているのではないだろうか。





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