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欧州は移民と折り合えるか

2001年7月16日   田中 宇

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 イギリスでは、第2次大戦後の復興期の1950−70年代に、人手不足を解消するため、かつて大英帝国に属していた国々から移民を積極的に受け入れた。1950年代には、アフリカやカリブ海諸国から黒人の人々がイギリスに移民し、1960−70年代にはパキスタンやバングラディッシュなど、南アジア諸国からの移民が増えた。

 カリブ海からの移民は、ロンドン近郊などイングランドの南部などに住むことが多かったが、南アジアからの人々は、ヨークシャーやランカシャーといった、イングランド北部地方の工業都市に多く住むようになった。この地域は産業革命以来、繊維工業の工場などがあり、南アジアからの移民は、それらの工場で働く従業員として雇われた。

 南アジアから移住してきた人々は、末代まで工場で働くことができると考えてやってきたが、現実はすぐに変わった。1980年代になると、アジア諸国の勃興などによって国際競争力を失ったイギリスの繊維産業は相次いで工場を閉鎖し、移民たちは一挙に失業者となってしまった。

▼隔離された移民と白人系住民との相互嫌悪

 ランカシャー地方のバーンレイという町では、全住民の約7%にあたる6000人が南アジアからの移民だ。彼らは1960年代に移民してきたとき、住む場所として公営住宅を割り当てられた。19世紀末に建てられた、当時すでに老朽化した長屋(テラスハウス)であった。

 移民の多くは工場閉鎖によって失業した後も、同じ住宅に住み続け、タクシー運転手や自営の小売業などをして、何とか生活してきた。ランカシャー地方の失業率は5%ほどだが、南アジア系の人々に限ると、失業率は30%近くにもなっている。

 彼らを苦しめたのは、仕事がないことだけではなかった。彼らが大挙して移民してきて以来、白人中心の地域社会では、移民に対する反感が強まった。移民に仕事を奪われるという不安も強かった。賃貸住宅のオーナーは移民には家も貸さず、中小の会社経営者は移民を雇わないという状態になった。

 このため、南アジア系の人々は、最初に入居した古い公共住宅から引っ越すこともできなかった。その地区は、隔離された移民のゲットーのようになり、その地区の小学校に通う生徒の9割は南アジア系という状態が続いた。大多数を占める白人社会と、南アジア系移民社会とはほとんど交流がなく、お互いを理解する機会が少ないまま、嫌悪感と懸念が強まった。

 バーンレイから150キロほど南に行ったレスター(Leicester)という町では、もともと住んでいた白人系住民と、アジア系やアフリカ系の移民とが混ざって住む環境が生まれた結果、相互の理解が深まり、民族の多様化に成功した町としてマスコミで賞賛されている。

 レスターでは、60年代にウガンダなど東アフリカ諸国からの移民が中心街の住宅に多数住むようになると、中心街に住んでいた白人の多くが立ち去り、いったんは移民が隔離された状態となったが、その後再開発などによって、再び中心街にも白人が住むようになった結果、民族が混在して住む環境が生まれ、相互の理解が深まった。

▼暴動が起きても移民を入れる

 ところがバーンレイでは、民族が混在する環境が作られなかった。こうした状況が続いた結果、バーンレイでは6月下旬以降、南アジア系住民と白人系住民の間で衝突が断続的に起き、商店やパブなどが焼き討ちされた。きっかけは、南アジア系のタクシー運転手と、白人系の客との間で喧嘩があり、仲介に入った双方の系統の人々が集団で対立するに至った。

 バーンレイだけでなく、アジア系移民が似たような状況に置かれているイングランド北部の他のいくつかの町でも、5月以来、暴動や衝突が起きている。イギリスでは、過去20年間以上、この手の民族暴動が起きたことがなかったため、暴動のニュースは人々に衝撃を与えている。

 この暴動は、ちょうどイギリスの総選挙の2週間前に起きた。暴動をきっかけに、マイナーな極右政党である「国民党」の支持が伸び、バーンレイなどの地方議会では、それまで議席がなかった国民党が全体の10%以上の得票を得た。国民党の台頭を懸念する人々の中には、極右政党が投票日直前に民族間の対立をあおるような動きをしたことが、暴動発生の一因となり、国民党は目論見どおりに得票を伸ばすことに成功したのだとみる人もいる。

 一時の人手不足を緩和するため、その後不況になったときのことを大して考えずに移民を受け入れたことが、今日の民族対立につながったといえるのだが、ヨーロッパではこうした問題は「過去からの負の遺産」ではない。

 イギリスで移民による暴動が起きたのと同時期に、ドイツではハイテク分野の人手不足を解消するため、ハイテク産業で働ける高学歴の外国人に的を絞った特別の移民枠を作り、アジアなど世界から新しい移民を招き入れようとする計画を進めている。

 ドイツはすでに人口の9%が移民で、今でさえ失業率が高いのに、今後移民をさらに増やすことに対しては、経済を重視する立場からの賛成論と、民族的アイデンティティを問う立場からの反対論が衝突している。

▼西欧はアメリカ化できるのか

 高学歴の移民受け入れは、ドイツだけでなくEU全体の政策にしようとする動きもある。単純労働者としての一般の移民受け入れは制限する一方で、高学歴の人のみ、学歴や職歴、若さなどに応じて評価して受け入れる戦略である。この背景には、ヨーロッパが世界の中心として復活するため、移民を積極的に受け入れて経済成長を維持しているアメリカに対抗し、EUも同様の戦略をとる必要があるという考え方が見える。

 ここ数年、アメリカ経済の成長を引っ張ってきたハイテク産業が密集するカリフォルニアのシリコンバレーでは、インド系や中国系などの移民が目立っている。アジアからの頭脳労働者の移住の流れをアメリカだけに独占させず、西欧諸国にも来てもらおうとする戦略である。

 だが、現在議論されているこれらの戦略が、遠い将来にわたって有効であるかどうかは分からない。イギリスで1970年代に工場従業員として受け入れた移民が1980年代に工場閉鎖とともに「用済み」とされてしまったのと同じことが、今後再び起こらないとは、誰も言い切れない。



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