他の記事を読む

米イラク攻撃の表裏

2002年7月16日   田中 宇

 記事の無料メール配信

 イラク攻撃に向けたアメリカの動きが活発になってきた。ブッシュ大統領は7月8日に記者会見を行い、イラクに政権交代を引き起こすこと、つまりサダム・フセイン政権を倒すことがブッシュ政権の重要目標の一つであり、そのためにはあらゆる手段をとる、と表明した。

 その直前には、25万人の兵力を動員し、空爆と地上軍の侵攻でフセイン政権を壊滅させる米軍の攻撃計画の草案が、ニューヨークタイムスにリークされた。空爆はトルコ、カタールなどを拠点に、地上軍はクウェートから侵攻する見通しで、地上からの侵攻で主力部隊となりそうな米海兵隊第一遠征隊は、カリフォルニア州の基地で集中特訓を開始したという。(関連記事

 ペルシャ湾岸の小国カタールには、ペルシャ湾岸で最大のウデイド米空軍基地(al-Udeid)がある。ここでは数カ月前から施設の拡充が始まり、5000メートル級の新滑走路が完成し、軍用機の発着が頻繁になった。アラブの盟主を自認し、国内に反米派も多いサウジアラビアは、アラブ諸国の一つであるイラクが攻撃されることに反対なので、米軍はサウジアラビアの米軍基地が持っていた機能をカタールに移している。湾岸地域には、すでに2万人の米兵が駐留しているという報道もある。(関連記事

 日本も、これまでアフガン戦争を遂行する米英軍の艦船に給油するためにインド洋に派遣していた補給艦などの派遣を継続することを決めており、これらの支援は米軍がイラクを攻撃する際にも使われることは間違いない。攻撃を早期に感知し反撃するイージス艦や対潜哨戒機の派遣も、米軍のイラク攻撃が近づけば、これまで消極的だった日本側の方針が変わる可能性もある。

 アメリカがイラクを攻撃する理由は、表向きは「イラクが生物兵器など大量破壊兵器を持っている可能性が高く、それがアルカイダなどの手にわたり、アメリカ本土に対する攻撃が行われるかもしれないから、イラクに対して先制攻撃を行う」というものだ。

 ところが、イラクは実際には大量破壊兵器を持っていない可能性が高い。1991年の湾岸戦争以来、イラクが大量破壊兵器の製造・開発を続けているとして、アメリカが主導する国連査察団が何回かイラクに派遣されているが、その団長だったスコット・リッター(Scott Ritter、米軍出身のアメリカ人)は、1998年の査察終了時に「イラクの大量破壊兵器開発システムは湾岸戦争で破壊され、すでにイラクは武器を作れない状態だ」と明言している。にもかかわらず、アメリカ政府はその後も「まだ見つかっていない兵器があるはずだ」と主張している。(関連記事

【スコット・リッターは米政府のやり方を批判し、抗議の辞任をしたが、FBIから「イスラエルのスパイ」という容疑をかけられて捜査された。アメリカでは「イスラエルのスパイ」という容疑が、このように不正な使われ方をする時がある。同様に「アメリカはイスラエル(ユダヤ人)に牛耳られている」という言い方も、米政府が展開する別の疑惑を隠すためのプロパガンダに使われることがある。アメリカではイスラエル系ロビー団体が不当と思えるほど強い政治力を持っているのも事実なので、この問題は多角的な視点で考えた方が良い】(関連記事

 アメリカ政府は湾岸戦争後、イラクに言いがかりをつけて敵視しつつも、実際にサダム・フセイン政権を潰すまでの大規模な軍事行動は起こさなかった。そのため中東などでは「アメリカはイラクのフセイン政権をわざと生き長らえさせることで、サウジアラビアなどペルシャ湾岸の産油国がアメリカの軍事力に頼らざるを得ない状況を作り、湾岸の石油利権を確保する戦略なのではないか」と勘ぐられてきた。

▼戦争中毒の米政権

 ところが最近のブッシュ政権の動きからは、本気でサダム・フセインの息の根を止めようと考えていることがうかがえる。イラクが大量破壊兵器を持っていない可能性が大きいにもかかわらず、米政府がイラクを攻撃したい理由は何なのだろうか。考えられることは、いくつかある。

 その一つは、昨年の911事件以来、ブッシュ政権は世界のどこかで大きな戦争を続けざるを得なくなっている、という仮説である。

 アメリカでは昨年以来、エンロンなどの破綻で明らかになった企業会計制度の欠陥、そしてチェイニー副大統領など政府高官が産業界と癒着していたことなどが暴露され、2000年まで約10年間にわたってアメリカ経済の好調を支えてきたメカニズムそのものに問題があることが分かってきた。アメリカでは株価が下がり出し、株式で資産運用してきた大多数の国民が大損し、資金が逃げ出してドルの価値が下がっている。(「エンロンが示したアメリカ型経済の欠陥」参照)

 そのまま放置していたら、ブッシュ政権の支持率は地に落ち、議会やマスコミから突き上げられていただろう。しかし、そこに都合よく911テロ事件が起こり(もしくは事件を起こし)、その後米政府はアフガニスタンなど世界中にテロ戦争を広げることに成功した。(拙著「仕組まれた9・11」参照)

 この戦争開始で、米国民は株価の下落を気にするどころではなくなり、マスコミは戦時の大政翼賛体制に切り替わり、政府批判は激減した。米軍が前からアフガン攻撃を準備しており、911事件さえも米当局自身が関与した可能性があることなどは「テロ」のショックを受けた米国民のほとんどにとっては考えも及ばず、ブッシュ大統領への支持率は急騰した。

 こうしてアメリカは経済面での批判をテロ戦争によって回避することに成功したが、アフガン戦争が一段落した後の今春以降、再び企業スキャンダルや株安など経済関係の難問が持ち上がっている。ブッシュ政権は世界のどこかで戦争を続けない限り、米国民から不満が高まって政治生命を維持できない状態になっていると思われる。

▼ペルシャ湾岸の石油にこだわる

 アメリカがイラクを狙うもう一つの理由かもしれないと思われるのは、石油に関することである。サウジやイラク、イラン、クウェートなど、ペルシャ湾岸地域の石油の場合、地中に石油が採掘しやすい状態で存在しているため、採掘コストが1バレル1ドル程度ときわだって安い(北海油田など採掘コストが高い油田だと1バレル5−10ドル)。中央アジアなどの新しい油田も注目度こそ高いが、採掘コストではペルシャ湾岸にはかなわない。ペルシャ湾岸は他地域に比べ、確定埋蔵量も格段に多い。(関連記事

 世界最大の石油消費国であるアメリカは、ペルシャ湾岸地域の国々に頭を下げるか、脅迫するかして石油を買うことが不可欠となっている。中東の人々に頭を下げるのは真っ平だろうから、手荒い手法が使われることになる。1980年代のイラン・イラク戦争も、1991年の湾岸戦争も、アメリカにとっては、湾岸諸国どうしを戦わせ、アメリカの武器や軍事力に頼らざるを得ない状態を作り、石油調達を楽にするという効果があった。

 湾岸戦争後、サウジアラビアが反米姿勢を強めている。今春、サウジがパレスチナ問題を解決する提案を行い、他のアラブ諸国もこれに賛同した際には、サウジは石油輸出を削減することをほのめかし、アメリカに圧力をかけようとした。イラクは、クウェートやサウジと仲直りする方向に動きだした。

 軍関係者が権力を握るブッシュ政権としては、こうした状況を放置するわけにはいかない。そこで、サダムの息の根を止めてイラクに親米政権を作り、アメリカがイラクの石油を支配下に置ける体制を作って、サウジの反米傾向を牽制する必要が強まった、と考えられる。

▼時間がかかる武器の在庫積み上げ

 ブッシュ大統領は6月初め、イラク攻撃に関して「アメリカは敵とみなした国に対して先制攻撃を行う」と宣言した。1941年の真珠湾攻撃や、中南米支配の原点となった1898年のアメリカ・スペイン戦争など、アメリカは「敵に攻撃させてから戦争を始める」という「(やらせ型)正当防衛」の伝統を持っていた。それを史上初めて「先制攻撃」に変えるという、画期的な宣言だった。

 宣言は、イラクがアメリカの戦略に引っかかって最初の小さな一撃を行うまで待っていられないという、ブッシュ政権の焦りのあらわれでもある。だが、アメリカの伝統をねじ曲げてまで、急いで実行したいと大統領が思っても、イラク攻撃が実現できるかどうか、かなり怪しい状態だ。

 その理由の一つは、イラク攻撃を果たすのに十分な武器弾薬の蓄積に、早くとも11月ぐらいまではかかりそうなことだ。アメリカから中東まで武器を運ぶ時間を考えると、イラク攻撃は来年1月以降になるだろうというのが米マスコミの大方の予測だ。特に対戦車ミサイルなど精密誘導兵器の在庫が足りないと報じられている。アメリカにおける精密誘導兵器の在庫は、昨年末にアフガン戦争を始めた後、一時的に払底してしまい、戦争遂行が難しくなったことがある。

 在庫が十分に積み上がるまでアメリカの軍事産業はフル回転になり、軍事産業とつながりの深いブッシュ政権としてはその点は嬉しいかもしれない。だが来年春以降にずれ込むと、夏の酷暑の間はイラクでの戦争が難しいので、来秋の戦争開始となる。そうなると2004年秋の大統領選挙の期間まで戦争が長引き、厭戦気分からブッシュ再選が難しくなる。

 逆に、今年11月の米議会の中間選挙より前に攻撃を開始し、短期間でサダム政権を倒してブッシュ政権に対する支持率を急騰させ、選挙を共和党勝利に導こうとする可能性もある。アメリカのマスコミが「イラク戦争は来年だ」と一様に報じているので、逆にこれは反戦主義勢力を出し抜くプロパガンダで、実は意外と早く戦争を始めるつもりかもしれない、とも勘ぐれるからだ。(関連記事

▼「フセイン後」の展望がない

 だが、武器在庫の蓄積以外に、もっと大きな難問がある。イラク攻撃は、サダム・フセイン大統領を殺害してバクダッドにアメリカ寄りの新政権を樹立しないと成功とはいえない。フセイン大統領はバクダッド市内の民家や病院など民間施設の中に、司令部として使える秘密の居場所をたくさん持っているといわれる。米軍は、緒戦では砂漠に展開する戦車部隊にミサイルを打ち込むだけでいいが、最後はバクダッド市内での市街戦を展開することが不可欠になる。

 市街戦が長引けば、アメリカ兵の戦死者が急増する。そんな状況でブッシュ政権が選挙を戦うことになれば、民主党に負けるのは必至だ。イラク側は、フセイン大統領が生き残りさえすれば、勝利である。

 もしフセイン大統領を殺せたとしても、その後でどうやって親米政権をイラクに樹立できるのか、その展望もほとんどない。開戦後、イラク軍の一部がフセイン大統領を見限ってアメリカ側に寝返り、その将軍が次期大統領になるというシナリオはある。だが、イラク人のほとんどが長年の経済制裁を科したアメリカを嫌っている以上、次期大統領が親米的な態度を長く続ける可能性は低い。フセインを殺しても、次のフセインが誕生するだけである。

 ブッシュ大統領が記者会見で「フセイン打倒」を強く打ち出した後、ドル安が進み、1週間後の7月15日には、ついにユーロより価値の安い通貨になってしまった。ユーロは欧州通貨統合の実施から1年後の2000年2月にドルより安くなり、ヨーロッパが束になったところでアメリカにはかなわないことの象徴だと言われていた。ヨーロッパでは、多くの国々がイラク攻撃を初めとするアメリカの暴力的なやり方を非難している。

 アメリカはまだ、奥の手を使って再逆転をはかるかもしれない。その懸念はありつつも、ユーロとドルの価値が逆転したことは、暴力だけに頼るアメリカには未来がない、と世界の投資家が考え始めたことを示唆している、と私には感じられた。



●関連記事など



田中宇の国際ニュース解説・メインページへ