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中東問題「最終解決」の深奥

2002年7月22日   田中 宇

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 イスラエル人とパレスチナ人とが別々の国家を作って住むことを目指した「オスロ合意」の実現に向けた動きを崩壊させた後、イスラエルの右派政権がパレスチナ問題の「最終解決」についてどういうシナリオを考えているか、その一端を推察できると私には思えた小さなニュースが、最近発せられた。

 それは、イスラエルの新聞エルサレム・ポストが6月27日に報じた記事で、それによるとイスラエルの極右政党モレデット(Moledet)の指導者がアメリカに行き、新しい「和平案」について、アメリカのユダヤ教指導者や連邦議会の議員などを回って説明するロビー活動を展開している。その和平案とは、パレスチナ人を「自発的に」ヨルダンに移住させるというものだ。

 モレデットの党首(ベニー・エロン)の名前をとって「エロン和平案」(Elon Peace Initiative)と呼ばれるこの計画は、まずヨルダン人とパレスチナ人を合体した存在として扱い、イスラエル占領下のヨルダン川西岸とガザに住むパレスチナ人全員に「ヨルダン=パレスチナ市民権」を与えるところから始まる。

 ヨルダンは、イギリスがこの地域を支配していたころは「ヨルダン川東岸」と呼ばれ、西岸と隣接している地域だ。1967年の第3次中東戦争でイスラエルに占領されるまで、西岸はヨルダン領だった。67年以降も、ヨルダン政府は西岸の人々に自国旅券を発給し、西岸の公務員に給与を払うなど、実際には統治権を失っていた西岸を国内のように扱った。国連がイスラエルに西岸からの撤退を求めたため、いずれ西岸がヨルダン領として戻ってくると見込んだ政策だった。「ヨルダン=パレスチナ市民権」の考え方は、こうした歴史に基づいている。

 「エロン和平案」では「ヨルダン=パレスチナ市民権」を得た後も、パレスチナ人はそのまま西岸に住むことを許されるが、同時に、イスラエルが設定する治安維持の法律に違反した西岸在住者はヨルダンに追放される、という決まりが作られる。パレスチナ人の多くはイスラエルが嫌いで自爆テロを支援しているが、新計画のもとではテロ支援は法律違反になり、西岸から東岸(ヨルダン)に追放される人々が続出することになる。

 これにより、表向きはパレスチナ人が自発的に西岸に住むことを許すものの、裏では西岸の人々をどんどんヨルダンに追い出せる体制ができあがる。この計画は、ヨルダンに圧力をかけて承認させたり、予測される西欧諸国からの反発を抑えることが必要で、そのためアメリカの賛成が不可欠だが、アメリカの連邦議会ではモレデット党のロビー活動を受け、すでに上下院で合計6人の議員がこの「和平案」に賛同しているという。

▼「おままごと国家」

 モデレット党は以前からパレスチナ人をイスラエル国外に強制移住させることを主張していたが、イスラエルがオスロ合意を事実上破棄した今、この計画の存在は以前より重要になっている。

 パレスチナ問題とは、突き詰めれば中東戦争の戦後処理問題である。イスラエルは1948年の建国以来、建国を侵略行為とみるアラブ諸国と4回にわたる中東戦争を戦い、おおむね勝利をおさめた。イスラエルは、ヨルダンと接する西岸、エジプトと接するガザ、シリアと接するゴラン高原をそれぞれ占領し、周辺アラブ諸国からの攻撃を防ぎやすいように支配領域(領土の戦略的深み)を拡大した。

 だが、イスラエルはこの占領により、西岸とガザに合計300万人のパレスチナ人(アラブ人)を抱えることになった。イスラエルのユダヤ人人口は約600万人で、その中にいくつもの政党があるので、イスラム教徒であるパレスチナ人をイスラエル国民として認めてしまうと、選挙をしたときにイスラム政党が勝ち「ユダヤ人(ユダヤ教徒)の国を作る」というイスラエルの建国理念が崩壊しかねない。

 そのため占領地のパレスチナ人は市民権を与えられず、中途半端な状態のままイスラエルへの敵愾心を強め、イスラエル政府にとってパレスチナ占領は治安面、経済面で負担となった。それを解決するため、イスラエルはパレスチナ人に自治を行わせ、アラファト議長にいくらかの警察権を与え、パレスチナ人がパレスチナ人を取り締まる体制を作ろうとした。

 これが2000年まで続いたオスロ合意体制だった。オスロ合意は「パレスチナ国家の建設」を目指したものとされている。だが、西岸とヨルダン、ガザとエジプトとの国境はイスラエル軍が警備したままで、上空の制空権や、ガザの前面に広がる地中海の制海権もイスラエル軍が持ったままだ。パレスチナへの人やモノの出入りは、イスラエルの承認なしには行えなかった。

 国家らしさを漂わせていたのは、国旗や切手、政府庁舎、証券取引所など、象徴的な部分に偏っていた。オスロ合意体制下のパレスチナは本物の国家ではなく、人権を重視する西欧などからの反発をかわすことを目的にした「おままごと国家」でしかなかった。

▼施設は潰せても人の皆殺しはできない

 最初は「おままごと」でも、本物の国家に変身する可能性はあった。いったんパレスチナ国家が建国され、世界がそれを承認したら、パレスチナ人の次の目標は、西欧諸国などに頼んでイスラエルへ圧力をかけてもらい、国境や領海などを自分で警備できるようにすることだろう。そうなると、パレスチナは独立したアラブの一カ国になり、イスラエルは自ら敵の領土を増やしてしまうことになりかねない。

 イスラエルでは1990年代前半には「パレスチナ人はイスラエルを敵視するより、共存しようとするはずだ」という左派的な見方が多く、オスロ合意の交渉に乗った。だが交渉の過程で「パレスチナ人の最終目的はイスラエルを潰すことだ」と考える右派的な見方が広がり、2000年7月のキャンプ・デービッドの首脳会談で、イスラエルのバラク首相はアラファトのせいにして交渉を決裂させた。

 そして昨年の911事件後、パレスチナ人の自爆テロを口実に、イスラエル軍はアメリカの「テロ退治」の一環だといって、パレスチナ自治政府の役所や学校、警察など、国家の基盤となる施設を破壊し尽くした。

 ところが、施設は潰せても、何百万人もの人間を殺し尽くすことは許されない。イスラエル右派の人々の中には、パレスチナ人を全員殺せたらとてもうれしい、という人が結構いるようだが、それをやったらユダヤ人がナチスになってしまう。(敵の皆殺しを熱望しているという点だけ見るとアラブ側の急進派も同じだが)

 だから今のイスラエルにとっては、パレスチナ人をどこかに追い出す妙案が必要なはずで、それを実現しようとするのが、冒頭の「エロン和平案」ではないか、と思われた。

▼イラク攻撃で開くパンドラの箱

 この案のネックは、ヨルダンが追放されたパレスチナ人を受け入れない限り、計画が実現しないということだ。ヨルダン国民の6割はパレスチナ人だが、国王はサウジアラビア出身のハシミテ家である。パレスチナ人が増えすぎてしまうと、ハシミテ家の王政を倒し、パレスチナ人の国家を作ろうとする動きが盛んになるので、ヨルダン政府は西岸やガザから追放されたパレスチナ人を受け入れないだろう。

 実際、イスラエルが西岸を占領し始めてから3年後の1970年9月には、当時ヨルダンにいたアラファトを中心とするパレスチナ人組織PLOが、イスラエルをゲリラ戦で攻撃しつつ、その一方でハシミテ王家を倒そうと動き、逆に国王の軍隊に潰され、アラファトがレバノンに追い出されるという「黒い9月事件」が起きている。

 イスラエルにとって、こうしたヨルダンの問題を「解決」する意外な方法があることに気づいた。アメリカのフリーアナリストが書いた分析記事の中に、それが示唆されていた。キーワードは「アメリカのイラク攻撃」である。

 アメリカがイラクを攻撃する際、イスラエルも地上軍をイラクに侵攻させる可能性がある。その場合、イスラエル軍はヨルダンを通過する。名目は通過だが、実際は侵略である。イスラエル軍が侵入してきたら、ヨルダン国内は戦場となって「ハマス」などパレスチナ人の武装組織が力を持つようになり、イスラエル軍が撤退した後、それらの武装組織の矛先がハシミテ家に向かい、王政が倒される可能性が大きい。

 ヨルダンが「パレスチナ人の国」になったら、あとは西岸やガザのパレスチナ人をヨルダンに移すのもやりやすくなる。東岸(ヨルダン)に移されたパレスチナ人は、西岸の奪還を目指し、東岸からイスラエルを攻撃し続けるかもしれないが、それはイスラエルにとって、西岸というイスラエル「内部」にパレスチナ人を抱えるよりは、安全保障上ずっとましなはずである。

 最初、このシナリオに接したときは、イスラエル右派が描いているだけの、実現可能性の低い話か、もしくは深読みしすぎた見方かもしれないと思えた。ところが最近は、そんな印象を変えざるを得ない状況になっている。次回は、そのあたりの話から始めたい。

(続く)



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