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バリ島爆破事件とアメリカの「別働隊」

2002年10月24日   田中 宇

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 10月12日夜、インドネシア・バリ島のクタ・レギアン地区にあるディスコ「サリクラブ」で爆破テロが起きた。ネット上で「サリクラブ」を検索してみると、外国人旅行者に非常に人気の高い場所だったことが分かる。「私がバリ島に行く時は、バリに行って来るとは言いません。『ちょっとサリクラブに飲みに行ってくる』と言って、さらっと2ヶ月程遊びに行く・・・」という掲示板の書き込みもあった。(バリ島の雑貨を売る「バリ・インダー」サイト内のページ)

 爆破時に近くにいた歌織さんという方の体験談には「サリクラブはクタの中でも曜日に関係なく一番外国人(特にオーストラリア人と西洋人)で毎晩盛り上がっている外国人専用スポットである。ここのスタッフの陽気さが好きで、歌織も日本から友だちが来るとみんなで楽しむのにちょうどいい事もあり、よく知っている場所であった」と書かれている。(バリ製のファッション製品を売る「アパカバール」サイト内のページ)

 爆破が起きたのは週末土曜日の夜11時で、特にお客の多い時間帯だった。爆弾を積んだ自動車をディスコの前に置き、爆破させたこの事件は、欧米人観光客が集まるスポットとしてアジア有数の場所で、多数の欧米人や日本人を無差別に殺傷することを目的にしていた可能性が高い。

 英米やオーストラリア当局は「ジェマー・イスラミア」(イスラム共同体)というインドネシアのイスラム過激派組織と、オサマ・ビンラディンの「アルカイダ」が共謀して起こしたテロだと発表している。ジェマー・イスラミアは、インドネシアを厳格なイスラム教国に変えた上、マレーシアやフィリピン南部など、周辺の他のイスラム教地域と合併し、東南アジアに新しい大イスラム国を作ることを目標にしていると報じられている。

 ジェマー・イスラミアのメンバーはこれまで、イスラム教の価値観からみて堕落しているという理由で、ジャカルタなどでアルコール類を出すバーやディスコを襲撃して打ち壊すという行為を起こしている。そんな団体が、バリ島で外国人が毎晩集まって飲酒して踊っているディスコを爆破するのは不思議ではない、というのが欧米紙のおおかたの論調だ。(関連記事

 CIAなどアメリカ当局は以前から、ジェマー・イスラミアの精神的指導者であるアブバカル・バシル師を逮捕せよ、とインドネシア当局に圧力をかけてきた。そして、バリ島の爆破事件が起きるとアメリカ政府は、すぐに「ジェマー・イスラミアとアルカイダの犯行だ」と断定し、インドネシア政府がテロ取り締まりを強化しない場合、アメリカやオーストラリアの軍隊がインドネシアに介入して「取り締まり」を行うことを示唆している。(関連記事

▼「アブバカル師は容疑者ではない」

 ところが当のインドネシア当局は、ジェマー・イスラミアがアルカイダとテロの共謀をしているという見方を否定し続けてきた。バリ島の爆破事件後、インドネシア当局はアメリカの圧力を受けていったんはアブバカル師を逮捕した。だが、その直後に当局者が「アブバカル師は、バリ爆破事件の容疑者ではない」と発言している。(関連記事

 こうしたインドネシア当局の見方は、インドネシア政界の現状を反映した「逃げ口上」でしかない、と見る向きもある。インドネシア政界ではイスラム主義(原理主義)勢力が拡大し、今のインドネシア政府(メガワティ連立政権)でも、ハズ副大統領がイスラム主義の考え方をする傾向が強い。

 そんな中でアブバカル師に厳しい態度をとれば、たとえアブバカル師が本当にテロの黒幕だったとしても、連立政権の中のイスラム主義勢力が猛反発し、政権崩壊の危機に陥る。だからインドネシア当局はテロに対して「事なかれ主義」になっている、と欧米の新聞などは批判している。(関連記事

 確かに、インドネシアのイスラム主義勢力は、政治の道具として使われている面がある。インドネシアでは、1998年の失脚まで30年間の独裁体制を敷いていたスハルト大統領が、イスラム指導者の政治力増大を極度に嫌い、政治犯として取り締まっていた。アブバクル師も1970年代から逮捕・拘束され、1985年からスハルト失脚直後までマレーシアに亡命していた。(関連記事

 アジア経済危機のあおりでスハルトが失脚した後、急に民主化された社会の中でイスラム主義勢力が急伸した。経済危機の被害を受けて貧困に突き落とされた多くの人々が、生活苦をいやすため、イスラム教への帰依を強めた。イスラム勢力の政治力が増し、インドネシア最大のイスラム教組織「NU」(ナフダトール・ウラマ)のトップだったワヒド師が大統領に就任した。

 また、民主化によって権力を削がれたインドネシア軍内には、イスラム過激派を自称する中小の組織に資金や武器を渡して暴動や殺人、宗教紛争などを扇動させ、社会を不安定にして政府転覆を謀る勢力も出てきた。失脚したスハルト大統領の系列の人々が、こうした動きを画策してきたとの指摘もある。(関連記事

 ところが、こういったイスラム過激派の勢力が、アルカイダなどと連携して動くかというと、それは疑問だ。イスラム過激派を自称する中小のインドネシアの勢力は、国内政治の一環として騒ぎを起こしたりするだけで、そもそも「イスラム的」な存在かどうかも怪しい団体が多い。もともとインドネシアのイスラム信仰は、サウジアラビアなどのイスラム信仰に比べて寛容さが目立ち、サウジ流の原理主義から見れば、背教的ですらある。

▼誇張されるイスラム原理主義

 その一方でアメリカや、マレーシアなど周辺諸国は、自国の都合から、インドネシアのイスラム原理主義をことさら誇張して扱ってきた。たとえば、インドネシアのスラウェシ島中部の町ポソの郊外で、アルカイダが軍事訓練を実施していたという話が、その一つである。

 昨年11月、スペイン当局がスペイン在住のインドネシア人を、アルカイダのメンバーとして逮捕した後、この容疑者がポソでのアルカイダの軍事訓練について自白したと報じられたのが、この話の発端だった。

 これを受けて昨年末、インドネシアの諜報機関「国家情報庁」が、ポソでの軍事訓練を確認したと発表し、アメリカ政府も「人工衛星から撮った写真を解析したところ、ポソに軍事基地があり、外国人勢力(アルカイダ)が活動していることが確認された」と発表した。

 ところが、アメリカ以外の西欧諸国のいくつかが、ジャカルタの大使館からポソに調査団を派遣したところ、軍事基地の存在は認められず、米当局の衛星写真解析に対しても「写真解析だけでは、外国人軍事勢力の活動が判明したとはいえない」との反論が出た。(関連記事

 ポソ周辺では1998年からイスラム教徒とキリスト教徒の間で紛争が続いており、ポソ周辺に民兵勢力の軍事拠点があるのは不思議ではないが、そこでアルカイダなど外国勢力が活動している根拠は見つからない、というのが西欧諸国による調査の結果だった。インドネシア当局の中にも、この調査結果に同意し、アルカイダがポソにいるという情報を疑問視する人が出てきた。

 ポソにおけるアルカイダの活動について、インドネシア政府の中で最初に発表した国家情報庁は、911テロ事件の後、インドネシア政府機関の中では最も早くからCIAなど米当局と「テロ戦争」に関する連携を深めた組織である。

 それ以前の国家情報庁は、政治的な意図で間違った情報をわざと流したり、不当逮捕などの人権侵害を頻発させたりする、スハルト政権時代の遺物としてみられていた。最近では、国家情報庁はインドネシア西端の西パプア州の独立運動の指導者を暗殺した疑いも持たれている。国家情報庁は、政府内での権威失墜を挽回するため、あえてアメリカのテロ戦争に乗り、不確実な情報を流している可能性がある。

▼マハティールのサバイバル戦略

 バリ島爆破事件の容疑をかけられているジェマー・イスラミアについて、マレーシアやシンガポール、フィリピンの捜査当局は、以前から「テロ組織」だと主張し、同組織のメンバーがマレーシアなどで活動しているとして、取り締まりに消極的なインドネシアに圧力をかけていた。だが、この主張は根拠が薄い部分があり、政治的な意図に基づく主張であるとも思われる。

 特にマレーシアでは、このところイスラム主義の政治勢力(PAS)が伸張し、長年政権の座についてきたマハティール首相への対抗を強めている。加えて、これまで折りに触れてアメリカの世界支配を声高に非難してきたマハティールは、批判者を容赦しないブッシュ政権から、テロ戦争の一環として思わぬ仕返しを受ける可能性も増えている。

 このためマハティール首相は「マレーシアで活動しているジェマー・イスラミアを取り締まる」という名目で、自国のイスラム政党PASを弾圧する口実にし、同時にアメリカに対して「わが国はアメリカのテロ戦争に協力している」という態度を見せるためにも使っている。

 このようにバリ島爆破事件を機に、インドネシアのイスラム主義勢力に対する思惑が交錯する中、当のジェマー・イスラミアのアブバカル師は事件後、逮捕される前に「バリ島の爆破事件は、使われた爆弾が、インドネシア国内の組織が使う爆弾よりはるかに破壊力の大きいもので、国内勢力が扱える爆弾ではない。爆破事件は外国勢力の仕業である可能性が大きい。アルカイダがインドネシアに浸透していると見せかける目的で、アメリカあたりがやったのではないか」と発言した。(関連記事

 バリ島爆破事件で使われた爆弾はC4型といわれるもので、アメリカ製である。インドネシア軍もC4爆弾を保有しているため、軍内の反体制勢力が爆弾を民兵組織に流し、使わせた可能性を示唆する記事もある。(関連記事

 これまでインドネシア国内で起きた爆破事件は、役所や軍施設など、象徴的な場所で小さな爆発を起こし、死者はほとんど出ないが「爆破したぞ」というメッセージは広く伝わるという、示威行為として行われることがほとんどだった。今回の事件は、そのような従来型のインドネシアの爆弾事件とは、まったく質が異なっている。それを「アルカイダの関与」の証拠とみるか、「インドネシア軍の関与」「アメリカの関与」の兆候とみるか、判断は難しい。(関連記事

▼アメリカの「別働隊」?

 とはいえ、そもそも「アルカイダ」自体に対する疑問も残っている。911事件以降、アメリカはアルカイダ撲滅に全力を尽くしているはずなのだが「アルカイダによる犯行」とされるテロ事件はいっこうに減らず、イエメンでのタンカー爆破、クウェートでの米海兵隊員への狙撃、そしてバリ島の爆破など、むしろここ1−2カ月、逆に増える傾向にある。

 米当局は「アルカイダは、それだけ手強い相手なのだ」と主張しているが、その一方で、CIAなど諜報機関のエージェントが以前からアルカイダに入り込んでおり「米当局はアルカイダの動向をかなり正確に把握しているはずだ」とか、さらに進んで「アルカイダの上層部にいる人物の多くは、CIAと関係を持ったことがある」という指摘もある。(関連記事

 アメリカが「テロ戦争」を口実に世界支配を強めている現状からみると、アルカイダはアメリカの本当の敵ではなく、敵を装ったアメリカの「別働隊」なのではないか、との疑念も湧いてくる。

 今回の爆破事件によって、オーストラリア社会が被った精神的な打撃は大きい。オーストラリアはこれまで、地理的に世界の他の地域から離れているため、自国は安全であるとの国民的な認識があったが、それが爆弾一発で永遠に吹き飛んでしまった、と指摘されている。(関連記事

 オーストラリアでは、ハワード首相が爆破事件の直後に「これはオーストラリアに対する攻撃だ」と発言し、911事件を機にアメリカが始めた「テロ戦争」に、今後いっそう積極的に参加していく意志を見せた。ところが国民からは「イラク攻撃など、焦点がぼやけたアメリカのテロ戦争に参加するより、国民が二度とテロに巻き込まれないようにする、しっかりした対策を優先させるべきだ」といった世論が起こり、豪政府は方向転換を余儀なくされた。(関連記事

▼日本人にとっても不気味な時代に

 911事件によって、アメリカでは社会の安全性に対する信頼が崩れたが、日本を含む他の先進国の多くの人々は、まだ「テロはアメリカか中東で起きるもの。多分うちには関係ない」と漠然と思っているようだ。だが、バリ島爆破事件でオーストラリアが被った精神的なショックと、今後は中東からアジアにアルカイダの攻撃が広がると予測する欧米紙の記事が目立つことを合わせて考えると、そのような平和な日々は、いつまで持つか分からない、といえる状態に入っている。

 日本では、バリ島爆破事件を機に危機感を煽る指摘はあまりされていないようだが、お隣の台湾では、外務大臣が「台湾でもテロが起きる可能性がある」と指摘している。(関連記事

 テロの首謀者が本当にアラブ人勢力なのか、それともアメリカがアルカイダという名の別働隊を使って世界支配の一環として行っている「作戦」なのか、そのあたりに対する疑問が残るだけに、日本人にとっても、以前よりさらに不気味な時代が始まったといえる。



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