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麻薬戦争からテロ戦争へ

2002年11月5日   田中 宇

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 アメリカ軍が、麻薬取り締まりの「戦争」から撤退し始めている。10月20日のロサンゼルス・タイムスによると、米国防総省は、昨年の911事件以来の「テロ戦争」に注力するため、これまで毎年10億ドルずつ予算をかけてきた麻薬取り締まり作戦を縮小し始めている。(関連記事

 米軍は1988年から、コロンビアやメキシコといった、アメリカ合衆国に向けたコカインの密輸拠点になっている中南米諸国などに進出し、麻薬組織と戦い、地元の捜査当局に対して訓練をほどこすという作戦を展開してきた。米国では、毎年総額190億ドル(2兆円強)の麻薬取り締まり用の予算が計上されてきた。国防総省が使っていた10億ドルという額は、沿岸警備隊や出入国管理当局など、他の政府組織に割り当てられた麻薬対策予算よりも多く、軍はアメリカの「麻薬戦争」の中心的な役割を担ってきた。

「麻薬戦争」は、冷戦終結とともに始まった。麻薬問題は1989年ごろからアメリカのマスコミなどで深刻な問題として取り上げられるようになった。1988年にブッシュ(父)が大統領に当選したころの世論調査では、麻薬問題に関心がある人は米国民の3%しかいなかった。だがその後、ブッシュ(父)政権が重要な政策課題のひとつとして麻薬問題を取り上げ、「麻薬戦争」(War on Drugs)という名前をつけてマスコミにどんどん報道させた結果、米国民の40%が麻薬問題に関心を持つまでになった。

▼軍の「失業対策」としての麻薬戦争

 こうした宣伝戦略の裏には、冷戦終結によって軍事力を必要とする場が激減し「失業」状態に陥る可能性が増してきていた米軍に、次の「仕事」を与えるという政治的な目的もあったと思われる。(関連記事

 アメリカには第二次大戦以来、軍事産業と国防総省、それから軍事産業からの政治献金を受けて当選した政治家などによって構成される「産軍複合体」(軍産複合体)と呼ばれる巨大な利権集団が存在しており、彼らは政治力だけでなく、経済的にもアメリカを支える役割を果たすようになった。アメリカの大統領には、米軍の「仕事」を拡大させるよう、常に圧力がかかっている。この圧力に対応して発動された作戦のひとつが、麻薬取り締まりのためにコロンビアなどで米軍が軍事作戦を行うなどという「麻薬戦争」だった。

(このほか、冷戦後にアメリカの政権が発動した米軍の「失業対策事業」としては、ボスニアやソマリアなどで展開された「平和維持活動」がある)

 麻薬戦争が、米軍の「失業対策」だったという見方は、広く認識されているものではない。だが、失業対策だったと考えると、今の時期に米国防総省が麻薬戦争から足を洗うと言い出すことが、自然なことだと分かる。昨年の911事件以来、米軍は「テロ戦争」という新しい巨大な「事業」を与えられており、アメリカの国防予算は急増した。もはや中南米の蒸し暑い山間部で、ゲリラとの苦しく長い戦争を続ける必要など、ないといえる。

 ここ10年ほど、米国内におけるコカインの末端価格の相場はほとんど変動していない。米軍が麻薬戦争に勝利をおさめているとしたら、コカインの供給不足が起こり、末端価格が上がるはずだ。そうなっていないということは、米軍は麻薬戦争に勝っていないことになる。米軍の当局者も、それを認めている。失業対策だったからこそ「道路を掘り返してまた埋める」的なものの方が望ましく、短期間に勝利をおさめない方がよかったのかもしれない。(関連記事

▼米当局と麻薬の深い歴史

 アメリカの当局と麻薬との関係は、もっと深く、もっと以前から存在してきた。

 冷戦初期の1950年代には、CIAが台湾(中華民国)当局と協力し、ミャンマーとタイの国境地帯に広がる「ゴールデントライアングル」で、中国共産党を倒すための「秘密の戦争」の一環として麻薬栽培を行い、それによって得た資金を「チャイナ・ロビー」と呼ばれた米国内の台湾系政治団体を通じて政治献金として米政界に流し込み、それをテコに、米国内の役所や大学などから、冷戦の拡大に反対する人々に「共産主義者」のレッテルを貼って追い出す「マッカーシー旋風(赤狩り)」を加速させた。

 第二次大戦で日本が敗れた後、中国大陸では4年間にわたって共産党軍と国民党軍が「国共内戦」を展開し、共産党が勝って中華人民共和国を創設したが、この国共内戦の末期、国民党勢力の中心は中国南西部の雲南省にあった。その多くは内戦終結の直前、米軍の輸送機などで台湾に移動したが、一部は雲南省から西隣のビルマ(今のミャンマー)のシャン州の山岳地帯に逃げた。彼らは、1950年に朝鮮戦争が勃発した後、米軍顧問団の指示に従って雲南省を攻撃したが、中共軍に撃退された。

 シャン州に残った国民党軍には、もう一つの任務があり、それが麻薬の栽培だった。国民党は、日本と戦っていた第二次大戦中にも、雲南省に退却して抗戦していた。当時、英米の支援を受けていた国民党は、イギリスの植民地だったビルマに出入りし、麻薬を栽培して軍資金を作っていた。国民党は、この麻薬栽培を戦後も続け、拡大していった。

 戦後、ビルマは1948年に独立したが、1962年までシャン州を含む各地の少数民族などの抵抗運動が続き、統一した状態ではなかった。ビルマ政府は、国民党軍がシャン州に居座ることに抗議し、国連で問題にしたが、内戦中だったので軍を派遣して追い出すことができなかった。

 当時のビルマ政府が国連に報告したところによると、シャン州の国民党軍は、アメリカの支援を受けていた。米軍は1951年にシャン州のモンサットという町にある飛行場を整備し、国民党の本拠地がある台北と、ビルマの隣の親米国であるタイのバンコクから毎週、米軍の輸送機が発着し、武器や要員を運び込むようになった。

 1962年にビルマの内乱は収束に向かった。ビルマ軍はシャン州の国民党軍を攻撃し、国境の向こう側のタイやラオスに追い出した。だが、そのころには国民党が直接ケシの栽培にたずわらなくても、シャン州の地元の人々が栽培してラバでタイに運び出してくる体制が作られていた。

 この問題は、1972年にアメリカ・イェール大学のアルフレッド・マッコイ(Alfred McCoy)という学者が「東南アジアの麻薬政治」(The Politics of Heroin in Southeast Asia)という本を書いたことで明るみに出た。(この項について詳しくは光文社新書の拙著「米中論」を参照)

▼ラオス、キューバ、ニカラグア、レバノン・・・

 1950年代後半から60年代にかけては、ベトナム戦争の流れで、ゴールデントライアングルの東側にある国ラオスで、共産主義政権を作ろうとする中国に支援されたグループと、反共政権を作ろうとするアメリカに支援されたグループとが戦いを展開した。米軍機による激しい空爆も行われたが、これらのアメリカの作戦は、米国内では議会もマスコミも知らない秘密作戦だった。このときの工作資金も、麻薬によって作られたカネだった可能性がある。(関連記事

 麻薬を使った米当局の資金作りは、中南米でも行われた。1959年のキューバ革命でカストロ政権ができた後、米国の意のままにならない同政権をつぶすため、CIAなど米当局は、革命時に海をわたってフロリダ州などに亡命してきていたキューバ人たちを使い、政権転覆をはかった。

 亡命キューバ人の中には、麻薬取引を手がけるマフィアもおり、CIAは彼らが中南米からアメリカ本土に麻薬を密輸して資金を作ることを黙認し、この裏資金を使って亡命キューバ人を秘密裏に訓練し、カストロ政権をつぶそうとした。だが、1961年に実行された亡命キューバ人勢力によるキューバ侵攻は失敗し(ピッグス湾事件)、CIAによる工作が暴露された。(ケネディ大統領暗殺の背景として、この事件後のCIAと大統領の確執があったという指摘もある)

 ピッグス湾事件には、当時アメリカ南部から中南米にかけての地域で石油採掘を手がけていたブッシュ元大統領(父親の方)も、非公式なCIA要員として関与していたという指摘もある。それが事実だとしたら、1989年にブッシュ(父)が大統領に就任した直後から、冒頭で紹介した米軍による麻薬戦争が始まった理由も分かる。ブッシュ(父)にとって、麻薬問題は、裏も表も分かっているテーマだったことになるからだ。

 1981年にレーガン政権ができると、アメリカの支配力を維持拡大するため、世界各地でアメリカの代理をする民兵組織を養成し、その資金確保のため、麻薬栽培が行われるようになった。

 その顕著な例が、中米のニカラグアである。ニカラグアでは1979年に革命がおきて社会主義政権ができたが、レーガン政権下のCIAは、これをつぶすため、1981年に地元の民兵組織を束ねて反共組織「コントラ」を結成させた。そしてコントラに、キューバ革命以来続いていた中米からアメリカ本土への麻薬密輸を手がけさせ、それを資金源にニカラグアの社会主義政権を倒すためのゲリラ戦が展開された。CIAは「共産主義と戦う」という名目のもと、米国内の麻薬問題の拡大を煽った。(関連記事

 中東のレバノンでは、アラファトらパレスチナ人ゲリラ(PLO)が、隣国イスラエルへの攻撃を強め、これに対してイスラエルがレーガン政権下のアメリカを巻き込みつつ、1982年にレバノンに侵攻したが、この時期のレバノンでも麻薬栽培が盛んになり、イスラエル傘下の民兵組織「南レバノン軍」などの資金となった。

▼山賊とネオコン

 アフガニスタンにソ連軍が侵攻し、アフガン人や、オサマ・ビンラディンに代表されるアラブ人などからなるゲリラ「ムジャヘディン」が、アメリカのてこ入れで組織され、その資金源としてアフガニスタン国内での麻薬栽培が活発化したのも、この時期である。

 アフガニスタンでは1988年にソ連軍が撤退した後、ムジャヘディンどうしの内戦となった。1994年にパキスタンとアメリカの肝いりで登場した「タリバン」が内戦を終わらせたが、オサマ・ビンラディンをかくまったことからアメリカとの関係が悪くなり、911事件後にタリバンもつぶされた。こうした歴史の中で、アフガニスタンでの麻薬栽培は続けられ、ビンラディンやタリバンの資金源となり、今またカルザイ政権の言うことを聞かないアフガン各地の武装組織の資金源として栽培され続けている。

 その意味で、麻薬栽培の撲滅はまさに「テロ戦争」の一環であるはずだ。米軍が「テロ戦争に傾注するために麻薬戦争から手を引く」というのは間違っているとも思える。だがそれは「おもて」の世界だけで考えたときの話だ。そもそも米当局は、世界各地で反米勢力と、親米の地元勢力を戦わせる代理戦争の戦略の中で、麻薬栽培を親米勢力の資金源にしてきたという「うら」を見れば、米軍は最初から真剣に麻薬を撲滅しようなどとは思っていなかったことが分かる。

 コントラやムジャヘディン、南レバノン軍などは、いずれも安定した国家を作れる実力を持った組織ではなく、山賊の集まりのようなものだ。アメリカ政府は、それまでの冷戦の経験から、内戦に介入する際、実力のある地元組織を支援して代理戦争をやらせると、内戦が終わった後、アメリカの言うことを聞かない独立国ができてしまい、アメリカが威圧するとソ連寄りになってしまう可能性が大きいことを知った。そのような失敗を繰り返さぬよう、山賊のような勢力を支援し、彼らに麻薬栽培を教えて資金的に自活させ、戦わせたのだと思われる。

 レーガン政権下でこうした外交政策を担った人々は、約15年の歳月を経て、現在のブッシュ政権で再び外交政策を担うようになった。以前の私の記事に何度か出てきた「ネオコン」(新保守主義派)と呼ばれる人々である。「米イラク攻撃の謎を解く」で紹介したネオコンの面々と、「復権する秘密戦争の司令官たち」で紹介した司令官たちは、同じ系統である。

 彼らの多くは、国防総省に巣くう人々であるが、米政府上層部での彼らの台頭は、911事件後にアメリカの諜報機関の中心がそれまでのCIAから国防総省傘下に移り始めたことと連携している。アフガニスタンなどの戦争で、米軍の特殊部隊の存在がよく報じられるが、この特殊部隊は、任務の一つとして、かつてCIAが担当していた戦地における諜報活動を行っている。現在、アメリカの諜報予算の8割は、国防総省とその傘下の組織に入っている。911以降、力を削がれたCIAでは、国防総省に対する不満の声も大きくなっている。次回はこのあたりから話を始めたい。

【続く】




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