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イラク侵攻をめぐる迷い

2003年2月10日   田中 宇

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 米軍はイラクに侵攻するのか、しないのか。ここ2カ月ほど、私はこの疑問をめぐって迷い続けている。昨夏以来、私はブッシュ政権中枢の「中道派」と「タカ派」(ネオコン)の対立が、アメリカの外交政策を左右している要点の一つであると感じ、その線に沿って何本かの解説を書いてきた。

 昨年12月にはホワイトハウス内で中道派を代表するパウエル国務長官が、タカ派を代表するラムズフェルド国防長官の主張を打ち負かし、パウエルがアメリカの対イラク政策をリードし始めた、と書いた。

 中道派は、1910−20年代からイギリスが中東諸国を分割支配した伝統を受け継ぎ、アラブが分割された現状の国境線を維持することで、アラブ産油国から石油を安く買える状態を維持する政策をとっている。米軍のイラク侵攻は、サウジアラビアやヨルダンまでも混乱させて政権転覆の危機に追いやり、中東における反米意識が煽られて長期的にはアラブ諸国やイスラム諸国を団結させてしまうので、中道派はイラク侵攻には反対しているというのが私の分析だった。(「イラク戦争を乗っ取ったパウエル」

 米軍のイラク侵攻は回避されるのではないかという印象は、1月6日からイラクを訪問し、さらに強まった。バクダッドで私が泊まったホテルには、トルコやイラン、サウジアラビアなどからビジネスマンの団体が毎日のようにチェックインしていた。バクダッド証券取引所の平均株価は昨年12月に史上最高値を更新していた。

 いずれも、米軍のイラク侵攻を前提とすると説明がつかない現象だった。米軍の侵攻があったとしても、イラクの経済インフラを壊さずに終わる作戦になるはずだ、とイラクと周辺国のビジネスマンたちは思っているようだった。

 ワシントンポストにも、私が感じたのと同じトーンの記事が出た。バクダッドで通常通りの市民生活が続いている点に注目し「イラク人は戦争が回避されると思っている」と書いている。(関連記事

▼「短期戦が必要」は「戦争なし」と同じ

 イラクに侵攻しない場合、アメリカはどうやって振り上げた拳をおろすのか。ペルシャ湾岸には、すでにかなりの兵力が結集していると報じられている。911後の米政府は「情報戦略」としてウソの情報を平気でマスコミに流し、アメリカや日本のマスコミは、ウソと気づかぬふりをして「大本営発表」を大々的に報じ続けているので、ペルシャ湾岸に大兵力が結集しているというのもウソかもしれない。だが、兵力結集が「話」だけだったとしても、その話を「撤退」という話に切り替えない限り、戦争の「話」を終わりにできない。

 もし米軍が何もせずに撤退したら、サダム・フセイン大統領は「勝利宣言」し、反米意識が高まっているアラブやイスラム世界全体から「反米の英雄」と持ち上げられ、ますますアメリカの言うことを聞かなくなる可能性が大きい。そうなることは、米国内ではハト派でさえも望んでいないだろう。

 イラクにいる間に私は、米軍が侵攻した場合にイラクの一般国民が戦闘にどのくらい参加するか、という疑問も持った。表向きは市民は皆「最後まで戦う」「政府が壊滅しても戦う」などと言っていたが、本心は違っていて、イラクの人々はもっと実利的な国民性ではないかと思われた。つまり、フセイン政権よりアメリカの方がイラクを良くしてくれると思われたら、米軍が侵攻してきても一般市民は戦わず、軍隊だけがわずかに抵抗し「無血開城」に近い結末となる可能性がありそうだった。(バクダッド駐在の日本外務省の方がその可能性を指摘し、私はその仮説に理があると感じた)

 私は月刊誌「Voice」の3月号(発売中)に「乗っ取られたイラク戦争」という原稿を書いた。イラクに行く前にいったん書き上げたのだが、その論調は「イラク侵攻の可能性は低い」というトーンだった。だが「無血開城」の可能性を考え、1月21日にイラクから帰国した直後、最終原稿を「侵攻したとしても短期戦で終わる」という論調に改めた。

 その後、アメリカがイラク侵攻するかどうかをめぐり、私の予測は揺れ続けた。私は日刊と週刊で合計30ほどの英語などのネット上のニュースサイトを欠かさずウォッチしており、そこで得た「あれ?」と思う情報をニュース解説のベースとしている。

 911事件後、米政府が全力で米内外のマスコミの大政翼賛化を押し進めた結果、内外のマスコミは米政府の意図に沿った報道をするようになっている。イラクをめぐる最近の日米のマスコミのほとんどが「開戦は近い」という論調になっているのも、米政府の意に沿ったものであると思われる。

 だが「開戦は近い」と言うだけでは「湾岸戦争以来、米政府はずっとフセイン政権を実は温存してきたのに、なぜそれが変質するのか」という疑問に答えていないので、私の目にはプロパガンダの塊としか見えない。(米政権がフセイン政権を温存してきたという見解については拙著「イラクとパレスチナ アメリカの戦略」を参照)

 その一方で、私が「あれ?」と思ったのは「アメリカは短期戦しか許されていない状況だ」という、私がイラク滞在中に思ったことと同じ論調が、英米のいくつかのメディアに出ていたことだった。「だるま落とし」のように、フセイン政権の上部だけを短期間で吹き飛ばす戦争、もしくは戦争は不可避だとフセイン大統領に思わせて亡命させる、ということなら混乱を中東全域に広げず、アメリカは中道派の戦略を変えないですむ。

Bush needs to win without a war

Short sharp war 'would lift economy'

Gulf war II to be much quicker

 問題は、戦争を確実に短期間で終わらせられる戦略などあるのだろうか、ということである。短期間で終わるだろうと考えて長引き、戦争が泥沼状態になるのは、ベトナム戦争の二の舞である。短期間で決着をつける確実な方法がない限り、米軍は侵攻できない。つまり、実は「短期戦が必要だ」という主張は「戦争するな」といっているのと同じに見える。

▼パウエルは反戦運動をわざと煽った?

 その一方で、逆に「開戦間近だ」ということを示すものとして、中道派の立役者だったはずのパウエル国務長官がタカ派に変身した、という指摘もあちこちから出てきた。パウエルの「変節」については昨年12月から指摘され出したが、私は「パウエルはタカ派になったふりをして対イラク戦略をタカ派から乗っ取り、最終的には穏健策に持っていくに違いない」と考えた。

 その後1月下旬になって、パウエルは戦争に反対するフランスなど西欧勢を攻撃する論調をスタートさせた。パウエルは、以前は「まだ始まったばかりだ。時間がかかる」と言っていた国連による査察について、イラクが協力的でないのでやっても意味がない、という論調に転じた。

We don't need Europe: Powell

Moderate Powell Turns Hawkish On War With Iraq

 パウエルに対する「失望」が世界に広がったのは2月5日、イラクがいまだに大量破壊兵器を隠し持っているとアメリカが主張する根拠となる「証拠」について、国連で演説したときだった。パウエルはこの演説で、イラク軍内部の交信と思われる傍受記録や、イラクのミサイル工場と思われる施設の空撮写真、それから「イラクは化学兵器製造装置を18台のトラックに積み込んで移動させているので、査察では発見できない」といった説明を行った。

 だが、公開された傍受会話は曖昧な内容で、パウエルの「解説」がなければ、何のための会話なのか分からなかった。秘密のトラック群が存在する可能性は、その後国連査察団によって否定された。空撮写真のミサイル基地も、イラク側がその後マスコミをこの施設に案内し「ミサイル基地であることは間違いないが、国連から禁止された飛距離が長いミサイルではない」と主張した。

 また、パウエル演説の前にイギリス政府が「フセイン政権を転覆すべき根拠」としてまとめ、パウエルも演説の中で絶賛していた報告書が、アメリカの大学のイラク研究者がイスラエルのネオコン系学術雑誌に書き、インターネット上で公開されている論文をそっくりコピーしてきた内容であることが判明した。オリジナルの論文はネット上で見ることができる。(関連記事

 このイギリスの報告書の中では、イギリスの諜報系雑誌「ジェーンズ・インテリジェンス・レビュー」からの「盗用」も行われていることが分かった。イギリスが誇る諜報機関が特別に集めてきたような装いの報告書は、実は稚拙なカット&ペーストの産物であることが明らかになった。(関連記事

 これらのことに接して私が考えたのは「パウエルはなぜこんな稚拙なことをやったのか」ということだった。世界に冠たる諜報機関を持つアメリカとイギリスが、国運を賭けた戦争の開始を世界に理解してもらうための正念場の演説や報告書で、誰が聞いても証拠になっていない稚拙な説明を繰り返したり、ネットからコピーしてきた雑誌の文章をそのまま使ったというのは、素直に解釈できる範囲を超えた行為だ。

 パウエルは、わざとアメリカに対する信頼を損ない、世界の反戦運動を煽って、ネオコン主導で進められてきた開戦準備の動きを止め、戦争回避の方向に持っていこうとしているのではないか、という仮説が私の中に生まれた。

 この仮説を使えば、このところパウエルが突然西欧勢を敵視したり、イラクに3000発のミサイルを撃ち込むと言ったりして、世界から嫌われることをあえて言い続けていることの説明もつく。同じ論調は「中東コンフィデンシャル」にも出ていた。

▼なかなかつかない勝負の決着

 とはいえ、これはあまりに突拍子もない仮説だという気もした。愛国者といわれるパウエルが、わざとアメリカの威信を傷つけるはずがない。逆に「パウエルとネオコンが政権中枢で激しく対立している」という構図自体、米当局がマスコミを使って流布させた「やらせ」であり、私はそのウソ情報にまんまとだまされていただけかもしれない、とも考えた。

 パウエルは穏健派を演じることで欧州勢を引きつけ、最後にタカ派に転じることで、欧州内部を親米派と反米派に分裂させ、統合してアメリカのライバルになりつつあるEUを弱体化させ、国連の威信も失墜させる、という周到な戦略だったのではないか、などと「裏の裏」を考え続けた。

 もしパウエルが本当にタカ派に転じたのなら「メッカ巡礼の期間が終わる2月14日以降の3月までの間に米軍の侵攻が始まる」という、最近流布している予測が正しいことになる。

 私自身の結論は、パウエルは戦争回避のために世界の反米感情を煽っているという方で、米中枢での中道派とタカ派の対立はまだ続いていると考えている。だが、中道派はタカ派を最終的に打ち負かすだけの強さを持っていないように見える。

 イラク侵攻時に米軍を率いるトミー・フランクス中東司令官が、職権乱用の容疑で米軍内で取り調べを受けたと報じられたが、このニュースも米中枢での対立が続いていることを示唆している。フランクスは開戦慎重派で、開戦積極派の上司ラムズフェルド国防長官と対立していると思われ、職権乱用容疑に名を借りた圧力が上からかけられているのだろう。(関連記事

 開戦時期をめぐっても「2月中」説がある一方、最近では「4月7日開戦説」が出てきた。「クウェートの砂漠の日中気温が華氏100度(摂氏37度)になるのが4月7日ごろなので、それまでに開戦する」という説だが、これは「常に1カ月半先の日付が提示される」という、これまで何回か米当局が発してきた開戦時期提示の「法則」に沿っており「先送り」のサインである。(関連記事

 この説に対抗するように「砂漠が暑くなっても、暗視カメラを使って夜に戦闘できる」という説も出ている。これも「先送りできますよ」という「戦争回避」な主張だ。開戦時期が遅くなるほど、戦争を回避できる可能性が強まるので、中道に有利である。

 最終的にイラク侵攻が実施された場合、それは中道派の敗北である。中道派の考え方は、第一次大戦以降、アメリカの外交政策の基本だった。それが敗北するということは、その後のアメリカの外交政策の基本が大きく変質することを意味している。どう変質するのか、それを見誤らないことが、今後日本を含む世界中の外交官や国際情勢ウォッチャーに求められることになる。

 中道派が負けるということは、ネオコンが勝つということだから、中東ではイスラエルを中心に勢力の再編が行われ、サウジアラビアとヨルダンの体制が危機に瀕する。エジプトも危なくなり、イスラム原理主義の方向に傾く可能性が大きくなる。

 東アジアでは、アメリカによる北朝鮮に対する挑発が強くなる。最近、北朝鮮が核問題で対立激化の様相を示しているが、これは、パウエルが世界の反米感情を高めようとしたことと似て、イラク攻撃を回避するための「スピン作戦」(めくらまし作戦)として、北朝鮮やインド・パキスタンの紛争を激化させる、という意図なのではないか、とも思える。

 東アジア外交ではタカ派は「対立重視。中国敵視」、中道派は「経済重視。中国重視」である。タカ派(ネオコン)は中東ではイスラエルの諜報力に支えられて強いが、東アジアでは弱いので、中道派は中東では負けても東アジアでは米政権内での政策立案権を維持するかもしれない。そうなると、イラク戦争が起きた後の北朝鮮をめぐる紛争は、現状とは違うものになる可能性が大きい。



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