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消えた単独覇権主義

2004年1月22日   田中 宇

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 私が興味深く裏読みしているメディアとして、アメリカの外交政策に関する隔月刊の論文集である「フォーリンアフェアーズ」がある。この雑誌に載る論文の多くは、国際情勢を単に分析したものではない。学術論文のような分析文の体裁をとりつつ、外交政策に関する提案を行う「提案書」として書かれている。もしくは、政権の現職の高官や、もうすぐ高官になる人、その側近などが、自分たちの政策を正当化する理論を展開する「釈明文」になっている。

 分析を目的とする学術系の論文なら、書いてある通りを読んで理解すれば良いだけだが、フォーリンアフェアーズの論文には、提案や釈明という隠れた真の目的があるので、書いてある通りを読むだけでは浅い解釈になると私には感じられる。

 一部の論文を日本語訳したものは月刊誌「論座」やフォーリンアフェアーズの日本語サイトなどに出ているが、日本語にしたものを読むのでは、論文が持つ「真の目的」を読み取れない恐れがある。翻訳者が論文の真の目的を察知できていないと、原文の微妙な言い回しが訳文に反映されなかったりするので、長文で苦労するかもしれないが、英語の原文で読むことをお勧めする。

(以前に翻訳者と議論したことがあるが、ある文章に込められた行間の含蓄までを日本語の訳文に入れることは「翻訳」を超えてしまうので、翻訳業界では厳禁なのだそうだ。翻訳とは不自由で不完全な作業だということになる。行間の含蓄までを含んだ日本語化の作業は「翻訳」ではなく「解説」と呼ぶべきかもしれないが、日本で「解説」作業をしている人が少ないことを考えると、日本人が日本語だけで国際情勢を理解するのは困難だと思われる)

 フォーリンアフェアーズの原文サイトは本文が有料なのだが、筆者が大学の先生だったりすると、自分の大学のサイトなどでも同じ論文を公開することがある。論文のタイトルをグーグルを使って検索すると、同じ論文が他のサイトに無料で載っているかどうか探せる。

▼有事体制に水をさす論文

 最新号(2004年1-2月号)では、2本の論文が目を引いた。一つは人権団体「ヒューマンライツ・ウォッチ」の人が書いた「テロ戦争における戦時法制」(The Law of War in the War on Terror)だ。この論文は、ブッシュ政権が911後の非常事態を利用して、米国内外の人々の人権を過度に侵害し、アメリカの民主主義を損ねていると批判している。

 大学関係や市民運動系の雑誌にこのような論文が載るのは意外ではないが、フォーリンアフェアーズは、アメリカ歴代の政権中枢も意見発表の場として使ってきた「エスタブリッシュメント」(アメリカ上層部の人々)の雑誌で、外交政策の「奥の院」的な存在である。この雑誌にある主張が載るということは、アメリカの中枢に、その主張を支持する勢力がいることを示唆している。

 911以後、米政府は有事体制を強化したのをいいことに、令状なしの逮捕や捜査、裁判なしの無期限拘留など、ひどい人権侵害を続けている。本人も知らない間に、FBIが任意の米国民の銀行口座やクレジットカードの利用状況を調べることができる法制度も昨年末に成立した。

 このような有事体制は、民主主義の原則を無視して政府の権限を拡大できるので、政府やエスタブリッシュメント勢力にとっては便利なものだ。国連やEUとの協調を重視してイラク戦争に反対していた政権内の「中道派」も、現野党のアメリカ民主党も、911以後の「過度な有事体制」には反対していなかった。だが、フォーリンアフェアーズが人権擁護団体に頼んで過度の有事体制に反対する論文を書いてもらったということは、アメリカの上層部で有事体制の緩和が検討されているのかもしれない、と感じられる。

▼「協調重視こそブッシュ政権の合い言葉」

 もう一つ最新号で目を引いたのが、今回の私の記事の主題である、パウエル国務長官の論文「協調の戦略」(A Strategy of Partnerships)である。この論文が驚きなのは「ブッシュ政権は、単独覇権主義ではないし、軍事偏重でもない。先制攻撃を特別に重視したこともない」「大統領は最初から一貫して(欧米間の)NATOや国連、その他の同盟国との関係を大切にする協調重視の戦略をとってきた」と宣言している点だ。

「脅威に対しては先制攻撃も辞さない」と表明したブッシュ政権はどう見ても「単独覇権主義」だし、アメリカが「軍事偏重」だというのもイラク侵攻をみれば明白だ。それなのに、なぜパウエルは正反対のことを書くのだろうか。なぜ「ブッシュはイラクの泥沼から抜け出すために最近方針転換した」とする見方を否定するのか。

 この疑問は、ブッシュ政権の中で「先制攻撃」や「軍事偏重」など「単独覇権主義」の方針を対外的に公表することを主張し、大統領に受け入れられたのが政権内の「タカ派」であり、パウエルはその方針に抵抗した「中道派」だったことを考えると、納得のいく仮説が浮かんでくる。それは「パウエルは単独覇権主義を最初から存在しなかったことにしたいのではないか」ということである。

 中道派は、最初から単独覇権主義には反対だったが、911後の緊急事態を利用して単独覇権主義を強硬に主張したタカ派に押し切られ、タカ派はイラク戦争を起こした。だがイラク戦争が泥沼化するにつれて中道派が巻き返し、政権を再び掌握した後、単独覇権主義など最初からなかったと言い出している。

 パウエルは「われわれの政権では、協調関係という言葉が戦略立案の際の合い言葉となっている」と書いているが、これはブッシュ政権中枢で激しい対立が続いてきたことを考えると、現実とは正反対のことを書くことで、事情を理解している読者に対して隠れたメッセージを伝えようとしているようにも思われる。

 「ブッシュ大統領は偉大なる一貫性を持った人である」というくだりもあるが、これもパウエルらしい表現で、隠然としたジョークであろう。パウエルはイラク開戦の直前、すぐにウソだと分かるいくつかの「証拠」を使って開戦の必要性を国連で説き、世界を唖然とさせたが、あのときと同じ種類の言い方に感じられる。

▼「先制攻撃」は脅し文句にすぎなかった

 パウエルは論文の中で、911後に政権内のタカ派が主張していたことを一つずつ無効にする宣言を行っている。たとえば「先制攻撃は、テロ組織のような国家以外の組織にのみ適用されるもので、しかもその脅威が阻止できない場合に限り、既存の抑止力を補完するかたちで行われる。既存の抑止力に取って代わるものではない」と書いている。つまり、イランや北朝鮮といった「国家」に対しては先制攻撃が行われることはありえない、ということである。

 ブッシュ政権は「先制攻撃も辞さない」という方針を2002年9月に発表した「国家安全保障戦略」(NSS)の中で表明しているが、これはパウエルによると「アメリカを敵視する勢力を許さないという姿勢を明らかにするため」の脅し文句で、戦略全体からみると枝葉の部分にすぎなかったのに、世界各国はこの表明を勝手に深読みして騒いでしまったのだという。

 またヨーロッパとの関係については「最も大切な古くからの(つまり独仏との)関係においては食い違いもあったが、これは友人どうしがときには喧嘩をするようなもので、古い友だちも新しい友だちも、みんな親友である」と書いている。

 タカ派のラムズフェルド国防長官は以前、イラク戦争に反対する独仏を「古いヨーロッパ」と呼んで批判し、スペインやポーランドなどイラク戦争に賛成する「新しいヨーロッパ」を評価することでヨーロッパ内部の分裂を煽ったが、パウエルはこの姿勢を否定した。

▼アメリカは北朝鮮の崩壊を望まない

 とはいうものの、パウエルはタカ派の方針を否定しつつも、タカ派自身を批判する文言はなく、政権内部が分裂していたことも否定している。実際、イラクの泥沼化がひどくなった2003年夏以降、政権内のタカ派勢力が弱まっていることが感じられるが、タカ派はこれまでのところ、だれも政権内のポストを首にされていない。

 これは、中道派はタカ派を政権内に残し、こわもての単独覇権主義が続いているかのように世界に思わせることで、たとえばイランやリビアに大量破壊兵器を破棄させたりして、短期間に世界の安定化を進めようとしているのではないかと思われる。世界を不安定化させようとしたタカ派のスタイルを借りて、逆に安定化を実現しようとする「流用作戦」に見える。

 その一方でパウエルは、以前からの中道派の主張を押し出している。たとえば「北朝鮮に対して攻撃したり、侵攻したりするつもりはない」「北朝鮮の経済が崩壊した状態を続けるのは、アメリカも中国も望んでいない」と宣言している。パレスチナ問題を特別に重視する姿勢も打ち出しており、イスラエルに圧力をかけることが示唆されている。

 また「人権や民主主義を促進することは大事だが、それは世界の平和(戦争がない状態)が保たれる限りにおいてである」とも書いている。これは、世界の民主化より安定化(経済発展)を優先する中道派の考えそのもので、ネオコンが主張した「民主化のための戦争」を否定している。

▼アメリカはロシア、インド、中国を支援する

 これらの中道派の既定路線以外のものとして私が注目したのは、テロ戦争を進めるためには他の大国との協調関係、特に「ロシア、インド、中国といった、これまで関係を改善しにくかった諸大国との関係の強化に専念する必要がある」と宣言している点である。「イラク・イラン・北朝鮮」というタカ派の「悪の枢軸」に対して、「ロシア・インド・中国」は世界戦略の要であるユーラシア大陸を安定化するための新しい枢軸として指定されたように見える。(パウエルはこの3カ国を括る名前はつけていない)

「ユーラシア安定の枢軸」の3カ国のうち、中国とインドに対するアメリカのてこ入れ策は、すでに明確なかたちで始まっている。中国に対しては、2003年始めにアメリカが北朝鮮の問題を北京中心で解決していくことを決めた段階で、中国がアジアの外交の中心になる方向性が始まっている。中国は「新冊封体制」ともいうべき隠然とした外交攻勢を始めており、韓国とタイはすでにこの体制下で自国の外交を始めている。中央アジア諸国も中国との関係を強化している。

(冊封体制とは昔の中国の外交制度で、中国の皇帝は周辺諸国の君主などに爵位を与えて臣下にする代わりに、その国を防衛面や経済面で支援した)

 パウエルは「われわれは中国の人権問題を無視しているわけではないが、あらゆる問題を超越し、米中関係は良くなり続けている」「アメリカは、強くて安定し、経済力と外交力を持った大国として中国が台頭することを望んでいる。中国の指導者も、それをよく知っている」と主張している。

 現実の情勢を見ると、インドについても、スリランカやネパールなど周辺国の安定化をインドが行い、それをアメリカが支援するかたちができ始めている。カシミールをめぐるインドとパキスタンの交渉も慎重に進められている。ビルマやチベットの問題も、中国とインドの接近の中で安定化がはかられている。経済的にも、インドにはアメリカやイギリスのIT産業やコールセンターが移転するなど投資先として注目され始めており、インド周辺の安定化は経済発展につながる。

 パウエルは論文の中で「アメリカは南アジアに対し、敵対関係を(金儲けの)機会に変質させる外交をやってきた」と書いている。これはクリントンがやった経済グローバリゼーション(「平和の配当」戦略)の続きである。

▼パウエルの政治野心

 一方、ロシアとアメリカの実際の関係は今のところ微妙だ。グルジアのシェワルナゼ前大統領を辞任に追い込んだのはアメリカだったことや、アフガン戦争後、中央アジアに米軍基地がいくつも作られたことから、むしろアメリカはロシアを包囲しようとしているようにも感じられるが、もう一枚下の様相を見ると、その後グルジア大統領になったサーカシビリはシェワルナゼの門下生で、ロシアとグルジアの関係も新政権になって強化される感じがあり、ロシア周辺の国々をめぐるアメリカの戦略は、必ずしも反ロシアではない。

 パウエルは「米ロ関係は、エネルギーを中心に拡大している」「ヨーロッパはますます統合し、安定しているが、こうしたヨーロッパ(の統合)には、ロシアや周辺の旧ソ連諸国も含まれることは明らかだ」としている。つまり、いずれEUはロシア圏との統合を進め、ユーラシアの東では中国圏、南ではインド圏が強化され、それらをアメリカが支援監督することで、ユーラシア大陸を安定させていこうとするのが、パウエルが提起する世界戦略であると読める。

(今回の論文には、日本は「北朝鮮問題では日韓やロシアとの協力が大事だ」というくだりにしか登場しない)

 今回のパウエル論文は「中道派の勝利宣言」のようにも見える。ただ、彼らは明確な「勝利宣言」をする気配はない。タカ派との対立そのものをなかったことにして、世界を怖がらせる「こわもて」の役割としての少数派としてタカ派を内部に残しつつ、中道派が911以前のような「主流派」に返り咲く状態を目指しているからだろう。今後アメリカ(や日本)のマスコミでは「ブッシュ政権内部の対立などなかった」「ネオコンなどというものは、反米主義者の頭の中だけに存在していたものだ」といった論調が「常識」になっていくかもしれない。

 この論文からは、パウエル自身が政治的野心を持ち続けていることもうかがえる。パウエルは、ブッシュが再選されても国務長官職を一期で辞任すると以前に言明しているが、あと1年で政界を去るつもりなら、今後のアメリカの世界戦略を構想する論文を発表するはずがない。

 彼は、2009年の大統領を狙っているのかもしれないし、今後の展開次第では、タカ派のチェイニーを押しのけて2005年の副大統領になる可能性も残っている。パウエルが去れば、残されたライス大統領補佐官ら他の中道派は弱いので、タカ派が再び台頭してしまう。それを避けるには、何らかの手が打たれる必要がある。



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