東ドイツで共産党の復活

97/02/20

 日本人とドイツ人は気質が似ていると言われる。だが、両国の社会主義政党の昨今の変化を比べると、ドイツ人の具体性と、日本人の曖昧性との間には、かなりの距離があることが分かる。

(以下、引用)
 2月14日のインターナショナル・ヘラルド・トリビューン(ヘラトリ)の自社記事は、東ドイツ地域で旧共産党が「民主社会主義者党」(DSP)と名前を変えて、失業の増加や社会保障の減少に不満を持つ東ドイツの人々の間で再評価され出していることを報じている。(ヘラトリは主にワシントンポストとニューヨークタイムスの記事を転載しており、自社記事は多くない)

 東ドイツ共産党は、ベルリンの壁とともに崩壊し、230万人いた党員は、10万人まで減った。ほとんどの党員は、旧東ドイツ時代の密告活動などを暴かれることを怖れ、脱党した。残ったのは、老人幹部ら「あとは死を待つだけの人々」がほとんどだった。

 ところが今やDSPは、東ドイツ地域の180の都市で市長ポストを持ち、各地の地方議会に合計で6000人の議席を持つまでに復活した。旧東ドイツと西ドイツの国境のすぐ東側の都市、スールの市議会では、DSPが過半数を占めている。連邦議会でも、全652議席のうち30議席を持つに至り、東ドイツ地域では3番目に大きな政党となった。

 この復活の背景には、東ドイツ地域で失業が増え、ベルリンの壁が崩壊した当時に満ち満ちていた東西統一の夢が、幻滅に変わった人が多いことがある。かつての国有企業の多くは、資本主義経済の中で競争力がなく、相次いで倒産した。東ドイツの失業率は今、20%近く、1990年の8%から急増している。
(引用終わり)

参考・以前の記事「失業率が増えるドイツ 97/02/13」

 とはいえ、DSPは西ドイツ地域では、これまでのところ、ほとんど支持されていない。西ドイツでは統一以前の反共教育の効果が強く、旧東ドイツ共産党というだけで、ほとんどの人は毛嫌いするからだ。

 最近は西ドイツ地域でも失業率が上がり、通貨統合に向けた緊縮財政で、社会福祉も切り捨てられつつある。状況は西ドイツでもDSPにとっては有利なはずである。DSPはこうした状況を生かし、統一ドイツの有権者の80%がいる西ドイツでも勢力を伸ばすことを考え、左翼系の政党である社会民主党、緑の党の2党に対し、連合して来年の国政選挙に臨むことを持ち掛けたが、イメージダウンを恐れる2党は、申し出を断わった。

 そのため、DSPは、まずは昔のイメージから脱しようと、きちんとした政策作りに力を入れている。マルクス主義を希望ある思想と位置づけているところは変わらないが、旧東ドイツの一党独裁体制を公に批判し、民主主義の枠組みの中で、選挙によって政策を実行することをうたった。また、通貨統合の時期を延期すること、財政赤字による公共事業などの景気テコ入れ策、失業対策を有効とみなす経済政策などを打ち出している。

 日本ではまだ、公共事業は効果があるとされているが、欧州ではすでに、公共事業をやる大きな政府こそ、経済発展の足を引っ張っているという考え方が主流だ。DSPはその考えに反対している。市場原理を重視して、民営化や小さな政府を目指しているドイツの与党に対抗して、DSPは、競争より平等を重視した社会を作ることを理念に、東西ドイツ統一後の経済発展から落ちこぼれてしまった人々の立場に立った政策を考えている。

 ドイツの政治体制がいい点は、地方分権が強いので、DSPの政策を市町村レベルで実行してみることができることだ。中央集権が強い日本で同じことをやろうとしても、共産党の知事が勝った都道府県は、その後、地方交付税交付金を減らされたりした歴史をみても分かるとおり、難しい。

 社会主義をうたった政党は、ベルリンの壁の崩壊以後、欧州の他の国でも、一時は賛同者が減った。だが、最近は、イタリアなど他の欧州でも、復活する傾向がある。各国が通貨統合を強く進めれば進めるほど、昔なつかしい社会主義の夢をもう一度見たい人が増えるのかもしれない。

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