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アジアでも米中の覇権のババ抜き

2005年8月3日   田中 宇

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この記事は「朝鮮半島和平の可能性」の続きです。

「ASEAN地域フォーラム」(ARF)は、東南アジア諸国でつくるASEANと、アメリカ、中国、日本、韓国、北朝鮮、インド、オーストラリアなど、アジア太平洋の他の国々の外相が1992年から毎年集まり、広域の安全保障問題などについて話し合う会議だ。

 この会議は、ASEAN諸国だけでなく、アジアの安定を重視してきたアメリカにとっても重要な会議で、アメリカは国務長官を毎年欠かさず派遣し、パウエル前国務長官と北朝鮮代表との接触が持たれたこともある。だが、7月29日からラオスの首都ビエンチャンで開かれた今年の会議には、ライス国務長官は欠席し、代わりにゼーリック国務副長官が出席した。

 アメリカが国務長官を派遣しなかったのはこれが初めてで、ASEAN諸国政府からは失望の声が上がったが、それだけではなく、ライスの欠席を知った日本、中国、インドの外相も、欠席したり早めに帰国したりして、会議を回避する動きを見せた。(関連記事

 欠席の理由は、ライスはアフリカ訪問、日本の町村外相は国連常任理事国になる宣伝のための訪米、中国の外相はミャンマー訪問で、いずれも「どうしても外せない用事」であるとされたが、傍目から見ると言い訳としか思えない理由である。中国外相がARFを早引けしてミャンマーを訪問した日には、ミャンマー外相はまだARFに参加中でビエンチャンにおり、どうみても辻褄が合っていなかった。

 ARFには25カ国が参加しており「範囲が広すぎて、何かを決める会議として不適切だ」という指摘が以前からあった。そのため「ARFはみんなに欠席されてしまうほど意味のない会議だ」といった感じの解説記事が欧米の新聞には多かった。しかし、こういった分析は間違っていると思われる。外交は、儀礼や順番、言い回しが重視される世界で、これらが無視される場合は、そのこと自体に何らかのメッセージが込められることが多い。会議が無意味だから突然欠席するというのは、まずあり得ない。今回のARF欠席劇には、欠席自体に各国間の駆け引きがあるとみるべきである。(関連記事

▼アメリカが逃げるならうちも・・・

 私が感じたのは、ライスの欠席は、アジアのことはアジアに任せるという、アメリカの多極化戦略の一環ではないか、ということだ。日本が欠席したのは、アメリカに追随するのが外交政策の基本だからだろうが、ここで分からないのは中国とインドの欠席である。

 一般にいわれている「中国はアメリカの覇権を奪おうとしている」という見方に基づくなら、アメリカが抜けたARFは、まさに中国中心のアジアを実現できるチャンスであり、中国外相が指導力を発揮して今後のアジアの広域安保体制作りを進められるはずである。

 しかし、現実には、中国とインドという、アジアで台頭しつつある2つの地域覇権国の外相たちは「アメリカが欠席するならうちも」と言わんばかりに、ARFの会場から逃げ出した。むしろ、中国もインドも、アメリカからアジアの覇権を移譲されることを迷惑がっているかのようである。

 これと似たような構図は、最近別の場所で見たことがある。以前の記事「行き詰まる覇権のババ抜き」で書いた、ヨーロッパの覇権拡大をめぐる駆け引きである。

 イラク侵攻を機に、ドイツやフランスでは「軍事重視のアメリカの戦略は良くないので、外交重視のEUの戦略を行おう」という気運が盛り上がった。これはアメリカの多極化戦略に沿うものだったが、覇権拡大はEU内のコンセンサスを得られず、今年5−6月にフランスとオランダの国民投票でEU憲法が否決され、EU拡大に歯止めがかかることにつながった。もはや「覇権」は国家繁栄を助けるものではなく、むしろ逆に重荷になっており、アメリカは自国だけが覇権を持つ状態をやめたくて、覇権の一部をEUに委譲しようとしたが、EUは国民投票の否決というかたちで断ってしまった。

 もはやアメリカもEUも、覇権を利権だと思っていないとしたら、中国やインドも、アメリカから頼まれても覇権を受け取りたくないのは当然だ。だからライスがARFを欠席し「東南アジアは中国やインドにあげますよ」というメッセージを発したのに対し、中国やインドは「いやいや、それはご遠慮いたします」という感じで自分たちも逃げ出したのではないか。

▼石油利権で覇権国を釣る

 覇権拡大に関して唯一の例外は、石油など地下資源の利権獲得である。最近、中国やインドは、イランや中央アジア、アフリカ諸国など、産油国への影響力を積極的に拡大している。これはアメリカの利害を損ないかねない動きだが、アメリカはほとんど黙認している。アメリカは、中国やインドに対して「石油という覇権のおいしい部分をあげるから、地域紛争への介入など覇権の負担となる部分についての責任を果たしてくれ」という交換条件を出しているのではないかとも思える。近年、中国の潜水艦や艦船が日本の近海を遊弋しているのも、海底資源探査が主目的である。

(中国では軍が資源開発を担当している。国営石油会社の多くも解放軍系であり、スーダンなどには、石油会社の従業員という肩書きで中国の兵士が多数派遣され、油田警備などに当たっている)

 そもそも、日本の小泉政権が、中国から「一緒にアジア運営をしましょう」と秋波を送られるたびに、小泉首相が靖国神社に参拝して「それはお断りです」というメッセージを発して続けてきたのも、アメリカが持て余している覇権の一部を日本が担う状況にはしたくない、という背景がありそうだ。

(アメリカから直接日本に対しては1970年代に「日米欧3極委員会」などのかたちで覇権移譲の打診があったが、日本側は断った)

▼実は父親と同じ方針だった息子ブッシュ

「覇権」がもはや利権ではなく重荷であるとすれば、北朝鮮の核疑惑をめぐる6カ国協議の展開も理解できる。アメリカが朝鮮半島に対する覇権を維持したければ、北朝鮮の核問題は米朝2国間で交渉すべきだった。クリントン政権はそうしたし、北朝鮮は今もそれを望んでいる。

 ブッシュ政権は「北朝鮮とは直接交渉しない」と宣言し、中国に交渉の中心をやらせるかたちで6カ国協議をスタートしたが、この体制を作った時点で、アメリカは朝鮮半島の覇権を手放したことになる。

 中国が6カ国協議を主導すれば、北朝鮮が核開発を放棄した後の朝鮮半島では、中国の影響力が大きくなる。だが、中国も朝鮮半島の覇権を我がものにすることに対しては、あまり積極的ではない。6カ国協議に際して北朝鮮が「アメリカが不可侵の約束をしてくれない限り、交渉しても意味がない」と主張すると、中国はアメリカに「おたくが出てこないと、うちだけではどうしようもありません」と言ってさじを投げ、是が非でも北朝鮮の問題を解決するという態度ではなかった。

 中国は、かつての明・清の時代のような大国なることを目標にしているが、それはつい数年前まで「今後50年かけて大国になる」といった日程だった。ところがブッシュ政権になってから「もうすぐ中国はアメリカを抜きそうだ」といった予測がアメリカのマスコミに載るようになり、これが日本人の中国観にも影響を与えている。中国自身は、大国になる過程を急いでいる感じではなく、急速な大国化のリスクをおかすだけの理由もない。中国自身ではなくアメリカが、中国の急速な大国化を誘発したがっているように見える。

 ブッシュ家は、父親の方はドイツ統一を支持してEU統合への道を開いた多極主義の大統領で、中国の天安門事件に対してもトウ小平の対応を評価する親中国派だったが、対照的に息子(今の大統領)は、父とは反対に単独覇権主義者で、反中国派であると思われてきた。ところが、極度の単独覇権はアメリカの自滅を招き、なし崩し的に多極主義が強くなるという結果論から見ると、実は息子も父と同じ多極主義者で親中国派だったと思える。

 父はタカ派やイスラエルに嫌われて再選を逃したが、息子はタカ派とイスラエルを取り込み、再選を果たした。この点では、息子は父の教訓を生かした上で多極主義をやっているといえる。

▼史上初の米中戦略対話

 7月26日から始まり、今日(8月3日)の時点で8日目に入ってもまだ続いている今回の6カ国協議は、終わりの期日が定められておらず、アメリカのヒル代表は「協議は、必要なだけ続ける」と述べている。このアメリカの態度からは、何とか交渉をまとめたいという意志がうかがえる。交渉がまとまり、米朝の対立が解ければ、その後の北朝鮮は、中国や韓国との関係の中で、アメリカ抜きで安定させていくことができる。(関連記事

 6カ国協議と並行するかたちで、中国とアメリカは8月1日に史上初の「戦略対話」を行った。米中の外務副大臣(国務副長官)どうしが行ったこの対話では、相互の信頼醸成の方法などが話し合われ、米中は急速に緊密になっている観がある。今後のアジアの安定をどうするかといった覇権に関する話し合いが行われた可能性もある。(関連記事

 今回の6カ国協議では、中国は4回にわたり、交渉の目標となる理念をまとめて声明として発表したが、そこにはアメリカと北朝鮮との国交正常化が盛り込まれていた。中国としては、アメリカが北朝鮮との敵対をやめれば、その後の東アジアの安定維持について中国が責任を持つ、つまり東アジアの覇権を中国が受け持っても良いとアメリカに伝えているのかもしれない。(関連記事

▼人民元切り上げは6カ国協議の進展と交換条件?

 もう一つ、米朝間で秘密の約束があったのではないかと思われるのは、人民元のドルペッグ外しについてである。中国政府は7月21日に人民元の為替相場をドルにリンク(ペグ)させてきたのをやめ、代わりにドル・ユーロ・円など複数通貨の加重平均値(バスケット)に対してリンクさせる体制に変えた。

 これは、アメリカの政府や議会が以前から中国に求めてきた措置だが、中国はペグをやめると人民元の対ドル相場が上がって対米輸出の利益が減るので抵抗してきた。

 それがここにきて、中国がペグ外しに応じたということは、アメリカが中国のために何か努力することの見返りである可能性がある。今の時期だと、アメリカが北朝鮮に譲歩する代わりに、中国はペグを外すという交換条件が考えられる。

 人民元の関しては今年5月、国民党の連戦党首ら台湾の野党党首が相次いで訪中した際にも、ペグ外しが行われるのではないかとの見通しが立った。このときは、実際には5月18日に人民元ではなく香港ドルのペグが見直されるにとどまったが、アメリカが台湾要人の訪中を黙認し、台湾問題で中国を有利にする代わりに、中国はペグを見直すという交換条件の密約が米中間にあったのではないかと感じた。(関連記事

 今回の人民元のペグ外しは、象徴的なもので、中国にとってリスクは少ない。中国当局は、バスケットの中身を非公開にしており、どの通貨をどの割合で混合した値に対して人民元がリンクされているか分からないので、投機筋からの攻撃を受けにくい。(関連記事

▼中国はいずれ再び日本を誘う

 米中間では戦略対話が行われたが、中国が戦略対話の相手としているのは、インドやロシアなど、友好的な関係を結んでいる国に限っている。日本とも、今年5月にジャカルタで胡錦涛・小泉会談が行われたことを皮切りに、戦略対話の方向に進むと思われたが、小泉首相が靖国参拝にこだわることを通じて、事実上、中国との戦略対話を望まない態度を改めて示したため、5月23日の呉儀副首相のドタキャン帰国を機に、日中関係は疎遠なままとなっている。(関連記事

 とはいえ、アメリカが手放したいアジアの覇権を請け負うことには中国も消極的である以上、今後6カ国協議の進展が実現したら、その後機会を見て中国は再び日本に覇権の誘いを持ち掛けてくるだろう。極東の安定には日本の外交的協力が必要だと考えている点では、韓国の盧武鉉政権も同じである。

 6カ国協議で日本の主張する拉致問題が全く採り上げられないなど、日本は外交的に孤立しつつあるように見えるが、周辺国の日本に対する期待は、今後もしばらくは低下しないと予測され、日本は選択肢の広い意外と有利な立場にいると考えられる。



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