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政権転覆と石油利権

2005年12月6日  田中 宇

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 私はインターネットで毎日、300本前後の英語や中国語の国際情勢の記事や見出しをチェックしている。多くは、見出しを確認するだけで本文まで見る必要を感じないが、毎日50本ぐらいについては本文の前の方だけ読み、特に興味を引いた10ー20本については後ろの方まで読む。下手をすると、これだけで半日ぐらいかかるが、これを十分にやらないと、記事を書こうにも良いネタがないということになるので手を抜けない。

 ネタ探しの後の工程として、面白いと思ったテーマについてさらに深く調べ、自分なりに考察して分析し、文章の構成を考えて執筆するということにも、1本あたり20時間ぐらいかかる。途中で矛盾に突き当たったり、謎が解けないと、もっと時間がかかる。書きたいテーマのうち半分ぐらいしか記事にできない。最近、毎週の執筆量を1本から2本に増やそうとしているが、なかなか実現できていない。

 そんな具合だから、いつか書こうと思いながら、どんどん時間がすぎているテーマがいくつもある。今から書く「リビア制裁解除」の話も、その一つである。

▼リビア犯人説はアメリカのでっち上げ?

 今年8月、スコットランド警察の元警察幹部が爆弾証言を行った。彼は以前、1988年にパンナム航空機がスコットランド上空で爆破され、のちにリビアの政府ぐるみの犯行とされた事件の捜査を担当していた。彼は、このパンナム機事件について「リビア政府の犯行と断定する際の証拠となった時限装置の断片は、アメリカの諜報機関CIAが事故後、現場近くに置いたものだ」と証言した。(関連記事

 パンナム機事件の犯人とされた北アフリカの国リビアは、1990年に米英から犯人と名指しされた。リビアは当初、事件への関与を否定していた。だが、アメリカや国連から経済制裁を発動されて窮したため、リビアは事件から11年後の1999年に、米英当局が「犯人」と名指ししたリビア政府諜報機関の要員2人を第三国のオランダで裁判にかけることに同意し、国連は対リビア制裁を棚上げした。その後、2003年にリビア政府がパンナム機事件への関与を認めたことを受け、アメリカも制裁を解除した。

 裁判が終わり、リビア政府が関与を認め、事件が解決したと皆が思った後になって、捜査を担当していた元警察官が「実はアメリカのでっち上げでした」と暴露したのである。彼は、裁判で有罪とされ終身刑を受けているリビア人諜報部員アブデルビセット・メグラヒの弁護士に対し、自分の証言を署名入りで提出した。弁護士は再審請求をしており、メグラヒは再審で無罪になる可能性が出てきている。(関連記事

 確かに、パンナム機事件をリビアの犯行と断定するには、無理な点がいくつかあった。明白な証拠は時限装置の電子基板の断片だけで、基板をリビア政府が買ったことがあるのでリビアが犯人だ、という筋立てだったが、スイス製のその基板は、リビアのほかにいくつかの政府による購入経歴があった。

 裁判では、容疑者の一人は証拠不十分で無罪になっている。リビアが犯人だという話は事件直後には出ていなかったが、事件から1年ほどたって、事故現場から数キロ離れた森の中で電子基板の断片が見つかった後、急に「リビア犯人説」が浮上した。

▼真犯人はイランとシリア?

 しかし、リビアでないなら、誰が犯人なのか。実は「リビアは犯人ではない」と証言している人物はもう一人いる。かつてCIAで働いていたが、CIAのやり方に腹を立てて辞め、その後はジャーナリストなどをしているロバート・ベーアという人で、2002年に彼が行った証言によると、真犯人はイランとシリアだという。(関連記事

 1988年7月、イラン航空の旅客機が米軍によって撃墜され、290人が死ぬ事件があった。米側は「誤射」だと主張したが、イランはそれを信じず、シリアに支援されたパレスチナ人ゲリラ組織PFLP−GCに金を出し、報復として同年12月、パンナム機を爆破して270人が死ぬ事件を引き起こした、というのがベーアの語る筋書きである。

 米政府は、事件捜査を進めるうちにイランとシリアの犯行だと分かったが、当時はちょうどアメリカがイラクを相手に湾岸戦争を挙行しようとしていたときで、イラクに隣接したイランとシリアを敵に回したくないと考え、犯人でもないリビアに濡れ衣を着せたのだという。(関連記事

 ベーアは、さらに奇怪な説明もおこなっている。PFLPがどうやってパンナム機を爆破したか、についてである。墜落したドイツ発アメリカ行きのパンナム機には、毎週、CIAがヘロイン(麻薬)を詰めたトランクをいくつも載せて運んでいたのだが、PFLPのメンバーがCIAを騙してトランクの一つを時限爆弾入りのものにすり替えることに成功し、爆発を起こしたのだという。

 この話は、1979年のソ連のアフガン侵攻以来、CIAがアフガニスタンの麻薬をアメリカに密輸してカネに換え、それをイスラムゲリラ(のちのアルカイダ)に資金提供していた、という話に始まり、アフガン戦争後、ゲリラがテロ活動に転じた後もCIAは資金提供を続け、その結果911が起きた、という話につながるのだが、話の奥が深すぎて、今回のリビアの話から大きく外れてしまうので、別の機会に解説する。

▼イスラエルの敵でなくなったので濡れ衣も終わりに

 ベーアの証言は、いろいろと興味深い示唆に富んでいるのだが、彼がこのような発言をする背景を見ていくと、別の興味深い点に行き当たる。それは、彼が中東諸国の政権転覆を試みるネオコンの一派であると思われることである。

 ベーアはアラビア語使いで、CIAでは、アラブ人のテロ組織などにスパイを送り込む仕事をしていた。彼は90年代前半にはイラク北部のクルド人がフセイン政権を倒すゲリラ活動を支援したが、米政界の上層部(中道派)がイラクの分割に反対し、1995年のゲリラ決起を前に、クルド人支援を抑制したことに腹を立て、CIAを辞めた。(関連記事

 当時から、イラクのクルド人を最も支援していたのは、イスラエルとその「アメリカ支部」であるネオコンだった。ベーアはCIA辞職後、サウジアラビアやシリアの政権転覆を主張する言論人となり、ネオコンと歩調を合わせた。(関連記事

 リビアは、1980年代にはイスラエル敵視の戦略を持ち、パレスチナ人ゲリラを支援したり、アラブ諸国統合の思想を喧伝していた。アメリカで1981年、イスラエル系勢力(今のネオコン)が高官に多数入り込んだレーガン政権が誕生すると、同政権はリビア敵視策を採った。同年中にリビア沖で、米空軍機がリビア空軍機を撃墜する事件が起き、米・リビア関係は一気に悪化した。アメリカがリビア政府をパンナム機墜落事件の犯人と名指ししたことは、この延長線上で起きている。

 しかしその後、リビアの独裁的指導者カダフィは、アメリカに譲歩して方針転換し、1990年代にはアラブ統合ではなく、アフリカ統合の理想を声高に語るようになった。その結果、イスラエルにとってリビアは大した脅威でなくなり、イラクやイラン、シリアの方が主な敵になった。それで、パンナム機爆破の犯人は、リビアではなくてイランやシリアである方が、イスラエルやネオコンにとって都合が良くなったのだろう。

 最近では、イスラエルのシャロン首相がタカ派から中道派に転換し、ガザ撤退を実現したことを受け、シャロンがリビアを訪問する構想や、逆にリビアのカダフィがイスラエルを訪問する構想が取りざたされている。相互訪問は実現していないものの、もはやリビアがイスラエルの敵ではないことは、ほぼ確かである。(関連記事

▼リビアの転換は「先制攻撃」への恐怖からではない

 リビアは、世界第8位、アフリカ最大の石油埋蔵量を持つとされる産油国で、カダフィ大佐が一人で権力を握っている独裁の国である。カダフィは27歳だった1969年に王制を倒す将校団のクーデターを率いて成功し、それ以来支配し続けている。

 彼は「直接民主制」を掲げ、自分の肩書きも全部なくしてしまった。だが、これは建前の姿勢にすぎない。実際には、カダフィは石油を輸出したカネを国民に配分することで権力を維持してきた。リビアの国家収入の大半は、石油の輸出収入である。

 リビアは豊富な石油資源を抱えているが、パンナム事件によって国連やアメリカから制裁された結果、世界の石油会社はリビアの石油の開発を禁じられた。リビアは、油田の修繕や新油田の開発を欧米企業に頼っていたため、制裁を受けてから何年かたつと、石油が出にくくなって国家収入が減り、国民の不満の高まりを背景に、1993年や98年に国内で反乱が起きた。窮したカダフィは99年、パンナム機事件の容疑者とされた諜報部員2人を引き渡すことに同意した。

 国連の制裁は棚上げされたが、その後もタカ派傾向を強めるアメリカは、リビアに対する制裁を解除しなかった。リビア政府は、アメリカがイラクに侵攻した直後の2003年4月、パンナム機事件への政府の関与を認め、被害者の遺族に補償金を出し、開発中の大量破壊兵器も廃棄すると表明した。それを受け、アメリカはリビアに対する制裁を解除し、欧米や日本の石油会社が、待ちに待ったリビアの油田開発に殺到することになった。

 リビアがパンナム機事件の責任を認めるとともに、大量破壊兵器開発を破棄したことは、ブッシュ政権の単独覇権主義の成功例であると喧伝された。日本でも著名な「中東専門家」の中には「アメリカが先制攻撃や政権転覆の方針を掲げ、実際にイラクのフセイン政権を倒したことが、カダフィを震え上がらせ、従順にさせたのだ」といった解説をする人が目立った。

 しかし、事態を詳細に見ていくと、こうした分析は間違いであると感じられてくる。カダフィが欧米に対して従順になったのは、経済制裁によって欧米などの石油会社がリビアで操業できない状態がずっと続くと、石油収入が減って国内政情が不安定になるからである。注目すべきは、1999年の段階でリビアが罪を認めても強硬姿勢を変えなかったアメリカが、その後「先制攻撃」を言い出し、もっと強硬になった2003年のイラク戦争後に、リビアを許す方針に転じたことの方である。

▼ペルシャ湾岸の代わりとしてのリビア

 おそらく米政界では、イラクに侵攻し、次はイランやサウジアラビアの政権を転覆することに着手しようという段階になって、石油産業などから「それでは最重要の石油供給源であるペルシャ湾岸地域が長く不安定になり、世界的な石油供給に支障が出る」という苦情が出たに違いない。石油価格の高騰を防ぐための次善に策として、ブッシュ政権は「それならペルシャ湾岸からではなく、リビアから石油を買えばいい」という方針を出し、リビアを許してやることにしたのだろう。

 つまり、本当はアメリカの方に、リビアに接近する新たな必要性が生じた結果、アメリカはリビアと仲直りしたのであるが、ブッシュ政権は自己宣伝のために「われわれの戦略の正しさが証明された」と言い、対米従属の日本政府も、国民がアメリカの行為に疑問を持たぬようにしたのだろう。

(もともと世界的に中東研究者は、パレスチナ問題などでアメリカを批判する傾向が強かったが、911以後、日本では外務省が、傘下の研究機関や大学におけるアメリカ批判の論調を止めようとする傾向を強め「ブッシュの作戦が功を奏してカダフィは態度を改めた」といった、外務省にとって便利な分析を発表する人々がマスコミで重宝される傾向が強まった。以前から著名だった人々は、自分の発言に注意するようになった。アメリカの中東研究者も、米政府から似たような圧力を受けている。日米では、隠然とした言論抑圧が続いている)

 リビアの首相や外相は、石油価格が高騰してアメリカがリビアからの石油購入を止められなくなった後の2004年2月、マスコミの取材に対し「われわれが(パンナム機事件の被害者遺族に)補償金を払うことにしたのは(アメリカからの攻撃を受けない)平和な状態をカネで買っただけだ」「われわれは自国の政府職員の行動に責任を持つとは言ったが、パンナム機の爆破に対して責任を持つとは言ってない」と表明している。リビアは石油収入を増やすため、あえて一時的に濡れ衣をかぶる戦略を採ったということである。(関連記事

 欧米は最近まで、リビアが大量破壊兵器を持つことに懸念を表明し続けてきたが、その裏では正反対の行動をしている。リビアがアメリカから制裁を解かれる直前、イギリスのブレア首相がリビアを訪問したが、このときブレアはカダフィに、イギリスの戦闘機と、リビア軍の将校をイギリス軍の学校で訓練するサービスを売り込んだ。リビアに独自に大量破壊兵器を作るのを許さなかったのは、高い武器を売りつけるためだったらしい。高値の軍事技術とバーターすることで、イギリスはリビアの石油が安く手に入る。(関連記事

 イギリスの狡猾なところは、フランスを誘って同様の売り込みをさせたことである。こうすれば「国際社会」が皆でやっていることだから、イギリスが非難を受けずにすむ。イギリスのやり方は、1910年代にフランスを誘って中東を分割したころから変わっていない。日本も憲法を改定して武器輸出を解禁すれば、60年ぶりに、この金儲け事業に再参加できるようになる。(関連記事

▼ペルシャ湾岸の代替地を作り切れず石油価格が高騰

 リビアのカダフィ政権は、アメリカがネオコンの戦略に基づき、イラク、イラン、サウジアラビアといった、イスラエルの潜在敵であるペルシャ湾岸の産油国に対して政権転覆を試みる際に、代わりの石油供給源として、アメリカから存続を「許された」と考えられるが、ネオコンがペルシャ湾岸諸国の代わりの石油供給源として指定した場所は、リビア以外にもある。ナイジェリアなど西アフリカや、アゼルバイジャンなど中央アジアの油田も、ペルシャ湾岸の代用として有望だと、米政権の中枢に陣取ったネオコンから提案されていた。

 しかし、ペルシャ湾岸の代替地を用意する戦略は、今のところあまりうまく機能しておらず、石油価格の高騰を招いている。リビア自身は産油国としての有望さは失われていないが、他の代替地である西アフリカは内戦がひどくなり、中央アジアもアメリカが「民主化」を扇動した結果、不安定になっている。

 イラク侵攻の前年、アメリカとイスラエルに拠点を置くネオコン系シンクタンクIASPSは「サウジアラビアなどペルシャ湾岸諸国から石油を買うのをやめて、代わりに西アフリカから買うべき」と主張し、米政府や石油業界にロビー活動を展開した。「これまで、石油の世界で『湾岸』といえばペルシャ湾岸をさしていたが、そんな時代はもう終わる。これからは、湾岸といえば西アフリカのギニア湾岸のことをさすようになる」といった調子の論文も出された。(関連記事その1その2

 ところがその後、ギニア湾諸国の中心をなすナイジェリアでは、油田地帯がある海岸部の諸民族が「油田からの収入が地元に還元されず、内陸の民族が支配する中央政府に吸い取られている」と主張し、武装した分離独立運動を激化させ、油田を占拠しかけている(ナイジェリアは250の民族から成っている)。その結果、シェブロンやシェルといった、ナイジェリアの油田を採掘しているアメリカの石油会社は、操業を止め、従業員を撤退させざるを得なくなった。(関連記事

 もう一つの代替地である中央アジアでは、カスピ海岸の産油国アゼルバイジャンの首都バクーから、欧米に石油を運ぶタンカーが出発するトルコの地中海岸の港ジェイハンまでのパイプラインが最近完成し、来年から送油を開始する。これは今後、石油価格を引き下げる要因となりそうだが、その一方で、油田があるアゼルバイジャンでは、選挙で不正があったかどうかをめぐって反政府派がデモを行い、政情が不安定になっている。カスピ海対岸の産油国カザフスタンなども、潜在的に似たような政治不安を持っている。(関連記事

▼ロシアを強化してネオコンを潰す

 911以後、ネオコンがブッシュ政権の中枢で「中東民主化」という名目のペルシャ湾岸産油国破壊作戦を開始し、同時に代わりの石油供給源としてリビアや西アフリカ、中央アジアを用意する動きも展開されたが、この動きとほぼ並行して、ロシアやベネズエラといった、その他の産油国では、ネオコンの戦略を阻害する方向の動きが起きた。

 ロシアでは911直後まで、大手石油会社「ユコス」を所有するホドルコフスキーら、ユダヤ系中心でイスラエルと親しい新興諸財閥「オリガルヒ」が、石油利権を支配していた。彼らは、エリツィン前政権を牛耳っていたが、2000年から大統領になったプーチンは、オリガルヒを1人ずつ潰し、石油利権を再国有化していった。

 この過程では、アメリカのキッシンジャー元国務長官や、イギリスのジェイコブ・ロスチャイルド卿といった、前回の記事の末尾で私が「黒幕ではないか」と考えた人々が、最初はオリガルヒを支援していた。ところが彼らは、ホドルコフスキーがプーチンと最終戦争状態になったところで、ホドルコフスキーに対する支援を突然に打ち切ってはしごを外し、プーチンを勝たせてしまった。(関連記事

 プーチンはその後、石油価格高騰で急増した国家収入を使い、欧米から借りていた金を前倒しして返し、欧米からの内政干渉を止めたうえで、中国やイランと組んでアメリカに対抗するようになり、アフガン戦争後、アメリカの軍事的影響が一時増していた中央アジア諸国でも、アメリカが「民主化」をごり押しして嫌われているのをしり目に、ロシアの影響力を復活させた。

 キッシンジャーやロスチャイルドがオリガルヒを支援し続けていたら、ロシアは引き続き弱いままで、中央アジアはアメリカのものになり、オリガルヒは安い石油をアメリカに供給していただろう。キッシンジャーやロスチャイルドは、ネオコンの戦略を潰すため、プーチンのロシアを強化してアメリカに対抗させたのではないか、というのが私の「黒幕説」の根拠である。

 一方、キッシンジャーやロックフェラー財閥の人々は、しばしば中国を訪問し、共産党政権に対するアドバイスを続けている(キッシンジャーは、ロックフェラー家の政策顧問でもある)。(関連記事

▼石油価格高騰も「百年戦争」の一環?

 石油消費量が急増して輸入先の拡大を急いでいる中国は、同じく石油消費量が増えそうなインドや、戦略的同盟関係になったロシアとともに、イランや中央アジアの石油利権を獲得し始めている。中国は、アメリカの石油輸入の4分の1を占めるベネズエラとも関係を強化し、アメリカが輸入している石油を横取りしようとしている。中国は、アメリカが世界的に嫌われるようになったことで、漁夫の利を得ている。

 ロックフェラーやロスチャイルドといった大財閥は、もともと世界の石油利権を獲得することで大きくなった歴史があり、彼らにとっては、ネオコンが勝手に「サウジを潰す代わりにリビアの石油を開発する」「イラクを3分割し、親イスラエルのクルド人国家を作り、キルクークの大油田からイスラエルに送油する」といったシナリオを描くことは、許すことのできない行為だろう。

 しかし大財閥が反撃しようにも、ブッシュ政権は911というクーデター的な出来事によって、ネオコンに牛耳られている。そのため大財閥は、世界を「多極化」することで、ネオコンの謀略を潰そうとしているのではないかと思われる。

 昨今の石油価格高騰は、需給関係の要因よりも、国際投機筋が高騰を演出している観が強いが、この投機筋の動きも、ネオコン戦略を潰す方向に働いている。ロックフェラーやロスチャイルドは石油産業の中枢にいるのだから、投機筋を動かすことができるはずである。

 ネオコンはシオニスト(イスラエル建国運動家)の一派だが、以前の記事に書いたように、ロスチャイルドはシオニズムを支援するふりをしてイスラエルを封じ込めており、両者の間では百年戦争が続いている。911以来のアメリカの大波乱は、この百年戦争の一環と見ることができる。

▼日本もリビアに乗り換え

 アメリカの大波乱は、日本の石油戦略にも大きな影響を与えている。その一つは、イランからリビアへの、油田開発先の乗り換えである。

 リビアは、アメリカの制裁解除を受けてから、2回にわたり、自国の未開発の油田の開発について、国際入札を行っている。入札は、世界から100社近くの石油関連企業が参加する競争の激しいもので、日本企業勢は、今年1月の1回目の入札では一つも鉱区をとることができなかった(15鉱区のうち11鉱区はアメリカ企業が主導権を落札)。しかし10月2日に結果が発表された2回目の入札では、26鉱区ついて国際入札した結果、特に有望な6鉱区について、日本石油、帝国石油、国際石油開発といった日本企業勢が落札した。

 この落札には、日米関係が影を落としている。日本企業勢は日本政府の肝いりで2004年2月、イラン政府との間でイラン南部のアザデガン石油を開発する契約を結んだが、その後、ブッシュ政権は日本政府に対し、アザデガンの開発を中止し、その代わりにリビアの石油開発を落札して取り組め、と04年夏に要請している。(関連記事

 もともと、日本がイランのアザデガンの油田開発を希望するようになったのは、1957年からアラビア石油が採掘していたサウジアラビア・クウェート沖のカフジ油田の採掘権延長交渉が2000年に失敗し、代わりの開発輸入先を探す必要があったためだ。当時はまだ911以前で、アメリカはイランのハタミ政権の穏健路線を評価し、イランへの敵視を止める可能性があった。

 実際には、米政界では1998年ごろからネオコン・タカ派的な強硬路線が強くなっていたのだが、日本政府はイランにこだわり、石油業界をアザデガンの開発に参加させることを決めた。ところが、アメリカがイランとの関係を改善する可能性は911の発生によって失われ、ブッシュ政権は小泉政権に対し、アザデガンの契約を調印するなと圧力をかけるようになった。

 この時点で日本政府内には、エネルギー源の確保を重視する経産省・石油業界などと、日米関係を重視する外務省などとの食い違いがあったようで、日本政府は煮え切らない態度を続けたが、結局、日本側(国際石油開発)はイランとの調印に踏み切った。(関連記事

▼絵をほめて油をもらう

 とはいえ、日本政府にとってアザデガン開発の調印は「とりあえず」のものだったようだ。米政府はその後日本に「アザデガンをやめてリビアに変えろ」と秘密裏に要請し、それを受け、今年3月には柿沢弘治元外相や石油業界の代表がリビアを訪問して経済関係の修復を試み、今年4月にはカダフィの息子で後継者と目されるセイフ・アルイスラム・カダフィが訪日し、小泉首相らと会っている。

 セイフ・カダフィは絵を描く人なので、彼の訪日期間中、日本側は彼の絵の展覧会を東京で開いてやった。開催費の4分の3を石油業界が負担し、皇室や自民党政治らが展覧会場を訪れ、絵をほめた。これらの日本側の、おそらく官邸主導の外交努力が実り、日本勢はリビアの油田開発権を手にした。(関連記事

 その後、日本勢は、アザデガンの油田開発をめぐり、イラン側と対立を起こしている。アザデガン油田はイラン・イラク国境に近く、1980年代のイラン・イラク戦争で100万発といわれる地雷が敷設され、そのままになっている。イラン側は、油田地帯に敷設された地雷のうち90%を除去し終わり、これで日本側は油田開発に着手できるはずだと言っているが、日本側は、残りの地雷も除去せよと要求し、対立している。

 イラン側は「除去した90%の地域の石油から開発していけば、残りの10%の地域の地雷は、来年まで除去しなくていいはずだ」「残り10%の地域の中には過去の洪水で水没したままになっている場所が多く、除去には時間がかかる」と反発しており、油田開発は暗礁に乗り上げかねない。(関連記事

 日本政府は「イランをやめてリビアにせよ」というアメリカの圧力で、リビアの石油開発に乗り出したことを考えると、このイラン側との対立は、日本側がアザデガンから撤退するための口実として、発生しつつあるのかもしれない。

 もしそうなのだとしたら、日本側は早まらない方が良い。アメリカはイラクの泥沼から逃れるため、イランに協力を求める姿勢をとり始めている。ブッシュ大統領は「完勝までイラクから撤退しない」と先日の演説で宣言したが、議会や国防総省では、もう撤退する以外に方法はないという意見が広がっている。撤退するなら、アメリカは、イランとある程度の和解をすることが不可欠になる。

 日本がアザデガン油田を放棄し、代わりに中国がアザデガン開発に乗り出すころになって、アメリカはイランへの敵視を緩和し「あのときアザデガンを放棄しなければ良かった」と後悔することになりかねない。そうなっても専門家たちは表向き「アザデガンは油質が悪いので、放棄して良かったですよ」などと、政府の意を受けて「解説」するのかもしれないが。



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