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自衛隊イラク撤退の意味

2006年6月20日   田中 宇

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 自衛隊がイラクのサマワから撤退する方向で、日本国内外の協議が進んでいる。

 イラクでは、暫定政権時代が終わり、5月下旬にマリキ首相を中心とする本格政権が発足した。6月上旬にはイラク在住のアルカイダ系テロ組織の指導者とされるザルカウィが米軍の爆撃によって殺されたと報じられた。6月13日にはブッシュ大統領が電撃的なバクダッド訪問を行い、マリキ新首相を激励した。これらのことを見て「イラクは安定し、自衛隊が撤退できる状況になった」と考えている読者もいるかもしれない。

 しかし私が見るところ、イラクの情勢は全く良くなっていないどころか、逆にしだいに悪化している。それを象徴しているのが、先日のブッシュ大統領のバグダッド電撃訪問のやり方である。

 大統領の訪問を事前に知らされていたのは、チェイニー、ライス、ラムズフェルドの主要3閣僚だけだった(ほかに手配を担当した事務方の数人は知っていたと思われる)。イラク側では誰も訪問を事前に知らされず、マリキ首相でさえ、ブッシュが来ていることを米側から知らされたのは、ブッシュがバグダッドのアメリカ大使館にヘリコプターで到着する5分前のことだった。(関連記事

 この徹底した秘密主義は「人々を驚かせる効果を増やすため」と報じられているが、それは違う。政権が驚かせたい対象は、マスコミや一般の人々であり、政権中枢やイラク側の高官にまで訪問を知らせないでおく必要はない。

 ブッシュ政権の中枢は、イラク側の人々を全く信用できない状態だ。イラク政府の中に、閣僚クラスにさえ、ゲリラ側と密通した人間がたくさんいるからである。マリキ首相も、反米のサドル師と親しいシーア派なので信用できない。ブッシュ政権の内部にも、早くイラクから撤退しないとアメリカは覇権力を失ってしまうと考えている人がいる。そうした人々がブッシュの訪問をイラク側に伝え、ブッシュがバグダッドの空港からアメリカ大使館までを往復するヘリコプターがゲリラに狙撃されることが懸念された。

 つまりブッシュ政権は、イラクの誰も信用できない状態になっている。米政府は、イラクが安定した国になるまで米軍を撤退させないことを決めている。イラクの安定には、アメリカとの相互信頼が不可欠である。アメリカの大統領がイラクを訪問するのに、暗殺を恐れてイラクの大統領にも訪問を5分前まで教えられないという事態は、イラクがまったく安定していないことを雄弁に物語っている。このままでは、アメリカは永久に占領を終えられない。

 米軍が殺したというザルカウィも、実は存在しているかどうかすら怪しい人物で、アメリカがイラク占領を「テロ戦争」の一部であると米国民と世界に思わせるため、ザルカウィによるテロの脅威を拡大して発表し、マスコミに報道させてきた経緯がある。アメリカのマスコミで大々的に報じられたザルカウィの「死」には、マリキ政権の発足とともにイラクが良くなってきていることを演出しようとする、米政府の意志が感じられる。(関連記事

▼アメリカと苦楽を共にする道を選んだイギリス

 イラクが安定しないのに、なぜ、日本は自衛隊の撤退を決め、イギリスやオーストラリアも撤退の方に向かい始めているのか。それはおそらく、アメリカの占領政策の失敗の結果、イラク人のほとんどが外国軍の駐留を嫌悪する事態になっており、これ以上駐留してもイラクは安定の方に向かわないと、日英豪の政府が予想しているからである。

 特に日本の場合、憲法の制約があり、非戦闘地域への駐留であることが必要とされる。占領開始当初は、イラクは1−2年で安定し、戦闘地域は非戦闘地域に変質し、自衛隊は戦闘ではなくイラク復興に協力できる存在になるので、合憲化できると日本政府は予測していた。しかし実際には、占領開始から2年以上すぎてもゲリラ戦は絶えず、イラクの中で比較的治安が安定している自衛隊駐留地のムサンナ州でさえ、イラク人の大半は占領軍の存在に反発し、占領に協力するイラク人はゲリラ側から脅される状況が続いていた。

 自衛隊は戦闘しないので、状況が悪化するばかりでは、駐留を続けても意味がない。このため昨年夏から、日本政府はサマワから自衛隊をなるべく早く撤退させた方が良いと考えていた。だが、日本だけが撤退すると、アメリカから「反米」の烙印を押されかねない。ムサンナ州の自衛隊は、イギリス、オーストラリア軍と連携しており、英豪も、撤退に向けて「出口戦略」を模索したいと考えていた。日本は英豪と時期を合わせて撤退することにした。(関連記事

 日英豪のまとめ役はイギリスだったが、ブレア首相には、この件をめぐってやらねばならないことがあった。それは、アメリカをイギリスの側に引きつけておく状況を変化させないということである。

 以前の記事「アメリカの第2独立戦争」で説明したように、イギリスにとって最大の国家戦略は、アメリカを動かして「ユーラシア包囲網」というイギリス好みの世界戦略を採らせ、米英中心の国際社会の体制を維持することである。アメリカは、イギリスなど欧州の側が冷たい態度をとっていると、欧州を特に重視することをやめて「多極主義」(これを親英派は「孤立主義」と呼ぶ)の方向に流れていってしまう。

 911以降のアメリカの「単独覇権主義」は欧州軽視であり、潜在的な多極主義である。この傾向に危機感を抱いたブレアは、自国内の世論から反対されても、アメリカのイラク侵攻についていき、占領の泥沼にもアメリカと一緒にはまり、苦楽を共にする道を選んだ。イギリスがアメリカより先にイラクから手を引いた場合、イギリスにとって最も懸念されることは、イラク現地の混乱などではなく、その後のアメリカがイギリスと疎遠になり、孤立主義・多極主義の方に向かうことである。

▼アメリカも一緒に撤退させようとしたブレア

 アメリカと疎遠になったら、イギリスは国際社会の中心ではなくなり、世界に対する神通力を失ってしまう。ブレアの発言は、ブッシュと協調しているからこそ、世界に聞いてもらえている。アメリカと疎遠にされた後のイギリスは、EUにすり寄るしかないが、アメリカ抜きのイギリスは、もはや一目置かれる存在ではなく「ふつうの行き詰まった先進国」でしかなく、栄光は過去のものとなる。

 こうした「悪夢」を避けるため、ブレアは、どんなに英国内の世論がイラク駐留に反対しようとも、米軍が撤退の方向に動くまでは、自国軍のイラク撤退を開始するわけにはいかなかった。とはいえ、イラク占領は泥沼化するばかりで、ブレアへの支持率は下がり続けている。ブレア政権は、もう持ってもあと1年ぐらいではないかと予測される。

 こうした中、ブレアが昨年後半から採った戦略は「何とかしてアメリカをイラクから撤退させる方向に動かし、英米協調で撤退する」ということだった。米政界には、タカ派(隠れ多極主義)に押されているものの、国際協調主義(欧米中心主義)の勢力もまだ多く、イギリスはそことの連携で、早期のイラク撤収を実現しようとした。

 英ブレア政権は、イラク占領以外にも、ブッシュ政権を誘って国連やG8を国際協調主義の国際組織として立て直すことを模索しており、アメリカの戦略をイギリス好みに戻すことに尽力してきた。(関連記事その1その2

 イギリスがアメリカを動かして冷戦的な「ユーラシア包囲網」戦略を採らせてきたことは、日本やオーストラリアにとってもプラスだった。日豪も、アメリカがイギリスから疎遠になって多極主義の方向に進むのは避けたかった。それで日豪も、ブレアが米政界を説得し、イラクからの協調撤退を実現することを期待し、自衛隊は撤退の時期を先延ばしし続けてきた。

 昨年秋から、マスコミでは「自衛隊はイラク撤退を検討している」という報道と「小泉首相はブッシュ大統領に、自衛隊は撤退しないという意志を伝えた」といった報道が交錯し、矛盾した状況になっていたが、その背景には、日本の撤退を歓迎しないブッシュ政権には「撤退しません」と言っておく一方で、イギリスによる対米工作がアメリカの態度を変えてくれることを期待して内部的には撤退を検討する、という状況があった。

▼引き戻しにも動かなかったアメリカ

 イギリスは国運を賭けてアメリカの方向転換を画策したが、失敗に終わっており、アメリカを国際協調主義の方向に戻すことは、日に日に困難になっている。5月末、イラクで本格政権が誕生した直後、ブレアは訪米し、ブッシュや米議会重鎮らと会った。この訪米でブレアはブッシュとの会談で、イラクからの撤退時期を明確にして発表することを合意しようとした。それはブッシュの人気回復にもプラスになると、英側は主張していた。(関連記事

 ブレアは同時に、米政界に対し「アメリカの気のすむようにやって良いから、国連改革に熱心になってほしい。途上国が数の力で押してくる国連総会の権限を削り、事務総長の権限を拡大し、事務総長の人事は大陸ごとの持ち回りから、国際社会(欧米)の著名人の中から選ぶようにすればよい(そうすればアメリカの好き勝手にやれるから)」と持ち掛けた。(関連記事

 ブレアはアメリカに対して、発展途上国の経済成長を鈍化させて先進国の延命につながる地球温暖化対策の推進や、イラン問題を軍事ではなく外交で解決することなども提案した。いずれもアメリカを米英中心の世界体制の中に引っ張り戻す方向を持った提案だった。

 しかしアメリカ側は、これらをすべて拒否した。イラクからの撤退時期の明確化は、ブッシュ大統領に断られた。国連改革案に対しては米政界からの真剣な反応もなく、マスコミ(英新聞)からは「ブレアは英首相を辞めた後、自分が国連事務総長になりたいから、事務総長権限を強化する改革案を出してきたのではないか」と皮肉の解説を書かれた。(関連記事

 ブレアは訪米の際、ワシントンDCのジョージタウン大学で講演したが、そこでの講演原稿は本番直前に書き直され「イラン問題の解決は軍事的にやらない方がよい」「地球温暖化問題に熱心に取り組むべきだ」といった主張が削除された。いずれも、米政府に反対された点だった。ブレアにとって、米政界のタカ派的な姿勢を批判するのは危険なことだった。タカ派がアメリカのマスコミを動員してイギリスを敵視する世論を喚起するかもしれないからだ。(関連記事

▼駄目押しの議会決議

 こうして、ブレアはアメリカを方向転換させることに失敗した。アメリカではその後、6月上旬から14日にかけて、議会の両院でイラク駐留米軍を撤退させるべきかどうかをめぐって議論がなされた。民主党からは「イラク占領が失敗したことはすでに確定している。今年末までに米軍を撤退させるべきだ」という主張も出たが、多くは「イラクが安定した国になるまで撤退すべきではない」「テロリストに負けてはならない」といった意見だった。

 上院では、早期撤退を求める決議案が賛成6反対93で否決され、下院では、イラク占領をテロ戦争の一部に位置づけ、撤退時期を明確にすべきでないとする決議案を、賛成256反対153で可決した。これらの決議は、アメリカを国際協調主義に引き戻そうとするブレアの提案が、明確に拒否されたことを示している。(関連記事その1その2

 上院で、イラク撤退期限を決めるべきだという法案を出した議員の一人は、次期大統領の座を狙う民主党有力者のジョン・ケリーだったが、彼は同僚議員から批判され、途中で法案の撤退要求トーンを下げる修正を自ら行ったが、それでも圧倒的多数で否決された。

 ケリーは、米国の世論に厭戦気運が高まっているのを見て、反戦的な論調を主導すれば、次期大統領選で有利だと考えたのだろうが、その戦略は失敗した。次期大統領がどちらの党の誰になるにせよ、イラクからの早期撤退を掲げる人が当選する可能性は非常に低い。アメリカのタカ派姿勢は当分続くということだ。

 イギリスが日本やオーストラリアと協議し、日本のサマワ撤退計画が浮上したのは、ブレアの訪米が失敗し、米政界が撤退否定に向けて議論をしていたときである。ブレアの訪米の失敗により、イギリスがアメリカを協調主義に引き戻す計画は失敗で終わり、英日豪はアメリカより先に撤退に動くことになった。

▼もはや時間切れ

 米英協調はイギリスの国益の中心なので、ブレアとしては、もう少しアメリカの説得に時間をかけたいところだろうが、もう彼には余裕がない。

 イギリスが統治するイラク南部の中心都市バスラでは、状況がどんどん悪化し、事態が改善される見込みがない。バスラでは、占領開始直後には英軍と地元のイラク人指導者との関係は比較的良好だったが、今では関係は非常に悪く、殺人は絶えず、市内の上下水道や電力などのインフラは破壊されたままだ。英軍と、英の後押しで就任したイラク人のバスラ市長と、ゲリラ諸派という3つの勢力が、互いに対立している。(関連記事

 イギリスでのブレアの支持率は今や、アメリカでのブッシュ支持率より低い22%である。しかもイギリスの世論は、どんどん反米的になっている。支持率の低さと反米的な世論、バスラが安定するまでの長い時間などを考えると、イギリスがアメリカにつき合ってバスラが安定するまで駐留することは、ほとんど不可能である。(関連記事その1その2

 イギリスが、アメリカより先にイラクから撤退したら、英米協調は弱まり、イギリスはEUに頼らざるを得なくなる。それを見越したかのように、ブレアの後継者と考えられているゴードン・ブラウン蔵相は最近、EUを重視する新戦略を側近に描かせている。ブラウンが首相になるころには、イギリスの世論は今よりさらに反米的になり、アメリカとの協調路線を続けることはますます難しくなっているだろうから、新戦略が検討されるのは不思議ではない。(関連記事

▼破られるユーラシア包囲網

 とはいえ、イギリスがEUにすり寄っても、EUで発揮できる指導力は限られている。東西統一後、ドイツは欧州での外交力を増加させている。イギリスにとって地政学的なライバルであるロシアでは、プーチン大統領が豊富な石油ガス資源を使って、EUに対する影響力を増やしている。ドイツとロシアの親密化は進んでいる。イギリスにとって、1939年の独ソ不可侵条約以来の危機である。

 イギリスは、ロシアの石油ガス攻勢に対抗するため、核好きのフランスなどに対し、新型の原子力発電所の共同開発の構想を持ち掛けたりしている。しかしその一方で、イギリスでは旧来の原発が出した核廃棄物の処理に政府が頭を抱えている。反原発運動は、欧州全域で根強い。原発の再開発の前途は困難に満ちている。イギリスはプーチンの攻勢に対抗できそうもない。(関連記事

 ロシアは中国や中央アジア諸国とともに、ユーラシア大陸の多国間の安全保障組織「上海協力機構」を作っている。先日、上海で開かれた年次総会では、この機構へのイランの正式加盟が認められた。イランのアハマディネジャド大統領は、上海で反米的な演説を発し、胡錦涛やプーチンと相次いで会談した。(関連記事

 以前の記事「非米同盟がイランを救う?」に書いたが、これでイランはユーラシアの「非米同盟」に組み込まれ、アメリカが政権転覆することは難しくなった。まだアメリカがイランに侵攻する懸念は残っているが、その場合、イラク以上のひどいゲリラ戦の泥沼にはまり、最終的に敗北するだろう。(関連記事

 今回、インドとパキスタンなども上海協力機構のオブサーバーから加盟国になり、上海機構は、戦後の米英の世界戦略の基本だった「ユーラシア包囲網」を打ち破る勢いを得ている。その一方でユーラシア包囲網は、アメリカがイギリスを振り切って強硬派姿勢を貫いた結果、崩壊に瀕している。

 英米を中心とした先進国間の協調体制であるG8も、今年の議長はロシアのプーチンである。米政府が反ロシア的な論調を強めていることから、7月のロシアでのG8会議は、協調ではなく対立が目立つ会議になることが、ほぼ確定している。ここでも、イギリス好みの体制が崩れている。世界全体として、過去60年間続いてきた米英中心の国際協調体制が崩壊し、多極的な体制へと移行する流れが続いている。

▼日本の転換にもつながる

 日英豪がイラクから撤退しても、その後もアメリカはほぼ単独でイラク駐留を続けるだろうが、以前の記事に書いたように、米軍内部には占領の失敗を目的とするかのように、事態をわざと混乱させる勢力がいる。アメリカは単独での自滅的な駐留を何年か続けた後、疲弊して撤退するだろう。(関連記事

 アメリカ経済は、景気の最大の支えである不動産バブルが崩壊しつつある状態が続いている。双子の赤字の増大によるドルの暴落を懸念する記事が米英の大手マスコミにも載るようになり、アメリカが占領に疲れてイラクから撤兵する前後に、ドル暴落が起きそうな流れになっている。アメリカは軍事、経済、外交のすべての面で、破綻の兆候を強めている。金本位制が崩れたベトナム戦争末期に似た症状である。(関連記事その1その2

 日本にとっては、自衛隊のイラク撤収は、世界の多極化の流れに合わせて「対米従属」から「アジアの自立への協力」へと国是を変化させていく動きの始まりにつながるかもしれない。

 英米中心の世界体制が崩れて多極化が進むことは、日本にとって、終戦以来の大きな転換点となる。戦後の日本の国是は「対米従属」で、アメリカの世界覇権を前提にした国家運営をしてきた。アメリカの覇権が減退すると、日本は国是を変える必要がある。

 アメリカの方で考えてくれた日本の新しい国是は「中国などと一緒にアジアの自立を進める」というものだが、日本の側はこれまで、アメリカの覇権が減退することなど予測もしていなかった(私の多極化分析などは無根拠な話として片づけられていた)ので「日本がアジアに入ること」は「日本がアメリカに見捨てられること」と同義になってしまっていた。(関連記事

 日本政府が、領土問題に対する従来の態度を微妙に変化させ、中国や韓国が反日に傾くことを誘発してきたのは、日本はアメリカに見捨てられたくないので、アジアの自立に協力することを拒否していたためであろう。

 しかし今後、このまま米英中心の世界体制が崩れて多極化していくと、日本の人々も、どこかの段階で、もうアメリカには頼れないことが分かり、中国や韓国などとの関係を改善し、アジアの自立に協力するしか方法がないことに気づくだろう。特に、米経済の消費が落ち込んだり、ドルが下落したりしたら、世界が転換していることが、人々の目にも明らかになる。転換はもはや、起きるか起きないかではなく、いつ起きるかという、時期の問題であると思われる。



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