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アフガンで潰れゆくNATO

2006年12月7日   田中 宇

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 イラク占領の泥沼化の陰に隠れ、大きく報じられていないが、イラクと並んで「テロ戦争」の一環として欧米による軍事行動が続いているアフガニスタンの戦況が、欧米にとって非常に不利になっている。(関連記事

 アフガニスタンでは、2001年の911事件直後に米軍が侵攻し、それ以来、米軍が駐留していたが、アメリカは今年5月、駐留の権限をNATO軍に委譲し、それ以来、駐留軍の中心はイギリス、カナダ、オランダなどである。(関連記事

 権限移譲はアメリカにとって、イラクの泥沼化への対応に注力できる態勢を作る目的があったが、アメリカ以外のNATO諸国は、軍事費が少なく、戦闘機や輸送機もあまり持っていない。そのため、戦闘機や輸送機、軍事戦略の立案、諜報などには、米軍の機材や人材が使われ、飛び道具と頭脳はアメリカ製、その他の歩兵や兵站はイギリスなど他のNATO諸国という構成になった。

 占領の主体が米軍からNATO軍に交代し、欧米側の戦力が落ちたと判断したアフガン人のタリバン側は、今年の春以降、タリバンの本拠地であるアフガン南部において軍事攻勢を強めた。タリバンは、2001年秋に侵攻してきた米軍に蹴散らされ、首都カブールなどの主要都市を放棄し、山岳地帯や隣国パキスタンとの国境地帯の山村に戻っていたが、ゲリラ勢力としての組織は維持されていた。(関連記事

 タリバンは、蜂起を成功させて南部からNATO軍とその傘下のカルザイ政権の勢力を追い出し、南部の中心都市カンダハルを陥落してタリバン政権を再樹立し、アフガニスタンを南北に分裂させる戦略だった。タリバンの蜂起を受け、イギリス軍やカナダ軍の部隊が南部に派兵されたが、意外な猛攻に遭い、間もなく苦戦状態に陥った。(関連記事

 イギリスやカナダなどNATO諸国は、2001年からの5年間の米軍統治によって、タリバンの残党はほぼ一掃され、あとは小規模の小競り合いのゲリラ戦があるぐらいだと考えていたから、予算も装備も兵力も、大した準備をしないまま、米軍からアフガン占領を引き継いだ。しかし、これは大きな間違いだった。

▼誰も行きたがらないアフガン南部

 アフガン南部の戦闘は今年7月から激化し、8月上旬には、イギリス軍の司令官が「少なくともあと1000人の援軍がないと、イギリス軍は壊滅する」(当時のイギリス軍兵力は3300人)と述べるなど、危機的な状態になった。イギリスはイラクにも派兵して苦戦し、防衛予算を食い潰していたから、ブレア政権は1000人の増派を渋らざるを得ず、議会で非難された。(関連記事

 米軍は、空爆によって地上のNATO軍を支援したが、イラクと同様、しばしば誤爆をやり、無関係な市民を殺し続けた。冬に入る11月まで続いたアフガン南部の戦闘で、地元の人々はタリバン支持と反NATOの感情を強めた。西欧やカナダなどNATO諸国では「なぜわが国は、アフガン人から嫌われているのに派兵を続けねばならないのか」という反戦の世論が強まった。アフガン派兵は、NATO諸国の政権を転覆させかねない危険な政治材料と化した。(関連記事

 イラク侵攻以来、アメリカが主導する戦争に懐疑的になっていたフランスやドイツは、アフガニスタンに部隊を出していたものの「戦闘は防衛的なものに限る」とか「激しい戦闘が予測される地域には進軍しない」といった、日本が自衛隊に課しているのと同種の行動制限を自国軍に課しており、アフガン南部への派兵を断った。(日本は憲法で軍事行動を規制しているので目立つが、独仏などは非公開の政府決定による規制なので目立たない)(関連記事

 NATOはアフガン駐留の兵力が足りず、数百人規模でも増やしたいため、米ラムズフェルド国防長官は9月、ユーゴスラビアから独立したばかりのモンテネグロを訪問した際、自立したばかりのモンテネグロ軍を訓練してNATO水準まで質を高めてあげるから、アフガン南部に派兵してくれないか、と持ち掛けた。しかしモンテネグロ政府は予算切り詰めのため、ユーゴ時代の徴兵制を廃止し、軍の兵力を4千人から2500人に減らす決定をしたばかりで、提案を断った。(関連記事

 兵力が足りないアフガン南部のNATO軍は、タリバンに十分に反撃できず、自分たちの基地から出ていけない状況で、すでにタリバンに包囲されている。(関連記事

▼善悪観を逆転させる民衆蜂起

 アフガニスタンの山間部は冬の間、雪に閉ざされ戦争できないので、来春まで、戦闘は沈静化している。しかしタリバン側は、来春、パレスチナで以前人気を集めた民衆蜂起「インティファーダ」を真似た大規模な反NATO蜂起を、南部から初めてアフガン全土に広げていくと宣言している。目標は、南部のカンダハルの陥落にとどまらず、首都カブールのカルザイ政権を倒してタリバン政権を復活させることを目指している。(関連記事

 アフガンの外の中東各国に散らばるイスラム原理主義勢力は、各地で試みられている民衆行動やゲリラ戦のやり方を相互に吸収し、しだいに巧妙に、勢力拡大や親米政権の転覆を画策するようになっている。ヒズボラやハマスなどが、アメリカの「中東民主化」を逆手にとった民衆行動を成功させている。タリバンのインティファーダ宣言も、そのような動きの一つだ。

「民衆蜂起」のかたちをとれば「テロ行為」という世界からの非難が減り、悪いのは欧米の「侵略者」だという話にすり替わる。どちらが正義でどちらが悪かという価値観の戦いにおいて、欧米とタリバンの立場が逆転しつつある。タリバンが、アフガニスタンだけでなく中東全域からゲリラ兵や資金を集める構えをとっている点は、1980年代にアメリカが支援したソ連の占領軍に対するゲリラ戦術の延長である。

 アフガンでは従来、外国勢が撤退すると、パシュトン人のタリバンと、タジク人やハザラ人など他の民族系勢力が対立し、諸外国がそれを良いように使って代理戦争をさせて再介入することの繰り返しだった。だが最近では、中東の他の地域で、シーア派のイランとスンニ派のハマスが手を組むように、民族や宗派を超えてイスラム過激派が結束する傾向がある。アフガンでも、従来と異なる展開になる可能性がある。

▼すでにNATOは負けている

 関係者の間では「もうNATOはアフガンでは勝てない」という見方が強まっている。パキスタン外相は11月、NATO諸国の外相らと会談した際「NATOはもうアフガニスタンでは勝てないから、タリバンと和解する協定を結び、アフガニスタンの政府にタリバンも入れて連立政権にした方が良い」と勧めた。パキスタン国内でも、タリバンの影響が強い北西辺境州の知事(軍人)は「欧米が軍事行動をやるほど、タリバン支持のアフガン人が増える。すでに勝敗が確定しているのに、欧米が敗北を認めないのは、勇気がないか、状況判断ができない無能なのか、どちらかだ」とまで言っている。(関連記事

 1980年代にアフガニスタンを占領してゲリラ戦の泥沼にはまり、89年に屈辱的な撤退をしたロシアでは、旧ソ連軍でアフガン撤退を担当した将軍が「NATOがアフガンで直面している現状は、撤退直前のソ連軍が置かれていた状況とよく似ている。ソ連は11万人の兵力を投入してもアフガンを占領し続けられなかった。3万人しか投入していないNATOが、これ以上努力しても成功するとは思えない」と述べている。(関連記事

 11月末、ラトビアのリガにNATOの26カ国の国防相が集まってサミット会議が開かれたが、そこでの議論の中心はアフガン問題だった。アメリカとイギリスは、アフガン駐留NATO軍を2200人増やすことを提案し、西欧諸国に増派への協力を呼びかけ、独仏などは自国軍に対する戦闘規制を解除せよと要求した。これに対し、EUを代表するかたちでベルギーから「NATOはアフガンで悪者になってしまった。増派ではなく撤退を検討すべきだ」という対立案が出された。(関連記事

 サミットでは結局、2200人のアフガン増派は決定できなかったが、撤退に向けた戦略立案を行うことも決定されなかった(撤退案は決めたとしても参加国政府だけの秘密にされるだろうから、撤退の秘密決議が行われた可能性はあるが、米英が撤退に賛成するとは思えない)。アフガニスタンへの増派は見送られ、来年、NATOは敗北を喫することが、ほぼ確定した。

▼アメリカと一緒に戦うことの恐さ

 NATOの内部には、米英とそれに追随するポーランドなどの親米派と、独仏やスペイン、イタリアなどアメリカのやり方を懸念する反米派の勢力があり、対立は2003年にアメリカが独仏などの反対を押し切ってイラクに侵攻したことで強まり、その後も対立は本質的には解消されていない。

 独仏などが「大義なき戦いだ」として反対したイラク侵攻は案の定、その後アメリカにとって軍事的、道徳的な大敗北になりつつある。しかもブッシュ政権はその後も「イスラム過激派を一掃し、民主化する」と言いつつ反米感情を煽ってしまう無茶なテロ戦争のやり方を変えていない。学習能力が全くないか、故意に失敗する戦略をひそかに採っているか、どちらかである。

 NATOのアフガン占領は、戦略立案や諜報といった頭脳の分野ではアメリカに頼っている。アメリカ国防総省の戦略立案者や諜報分析者が、誇張の情報に基づいた大間違いの戦略を立ててしまうことは、すでにイラク戦争で立証されている。

 そもそも、今年になってタリバンが復活したことの源流には、2001年のアメリカ単独でのアフガン侵攻の際、タリバンとアルカイダの幹部を追い詰めておきながら、彼らがパキスタンの飛行機に助けられて逃げおおせることを黙認するといった、政治的な行動が繰り返された経緯がある。(関連記事

 アメリカはその後、タリバンを探し出すためと言って、タリバン以外の各地の武装勢力に寛容な態度をとり、彼らの資金源である麻薬栽培を黙認した。武装勢力は、アメリカが強い間は反タリバンの態度をとったが、米軍が撤退してNATO軍に代わり、タリバンが再登場すると、親タリバンに鞍替えした。

 独仏にとって、こんなアメリカと一緒に戦っていくことに対する懸念が非常に大きいのは当然である。アメリカと一緒に戦うと、アメリカが過失もしくは故意に失敗していくプロセスに巻き込まれることになりかねない。アメリカと一緒に自滅させられかねない。その恐さは、日米軍事同盟を誇示する日本政府も、肝に銘じておくべきである。

 今後、NATOによるアフガン占領が失敗に終わり、その後もアメリカが911以来の無茶な戦争のやり方を変えない場合、独仏などEUは完全にアメリカを見放し、NATOは内部崩壊する可能性が大きい(もう崩壊が始まっているともいえる)。

▼アフガンはソ連だけでなくNATOの墓場に

 NATOはもともと、冷戦の米ソ対立の中で、アメリカが西欧を傘下に入れてソ連側(ワルシャワ条約機構)と対決するために作られた軍事組織である。NATOとソ連側は延々と対決姿勢をとっただけで、結局一度も本物の戦争をせず、ソ連が1991年に崩壊して対立は終わった。ソ連が崩壊した一因は、アフガニスタン占領に疲弊し失敗したからで、その意味でアフガンはソ連にとっての墓場となった。

「不戦勝」で生き残ったNATOは、ソ連崩壊後の「自分探し」として、世界の内戦への介入や、テロ組織との戦いなどを試み、1999年には生まれて初めての戦闘をコソボで行ったが、これは空爆だけだった。地上軍を派兵しての戦闘は、アフガニスタンが初めてである。(関連記事

 しかし、この遅れてきた初戦は、NATOにとって「最期の戦い」になるかもしれない。アフガニスタンでの敗北は、NATOを内部崩壊させる可能性が大きいので、アフガニスタンは、ソ連の墓場となっただけでなく、NATOの墓場にもなるかもしれない。

 来年には、NATOのアフガニスタン占領だけでなく、前回の記事に書いたように、アメリカのイラク占領も、崩壊していきそうである。来年はこのほか、アメリカの不況突入や、ドルの大幅下落も起こる懸念があり、大変な1年間になりそうである。(関連記事その1その2

 NATOは、欧米間の協調体制の中心をなす組織で、欧米中心の世界体制の基盤である。それが力を失いつつあることは、国際社会の体制が根本的に変わりつつあることを意味している。アメリカ、ヨーロッパ、ロシア、中国などの間の、世界の地政学的な構造が変わりつつある。世界は多極化しつつあるということだ。次回はNATOをめぐる、そのあたりの話を書きたい。



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