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仕組まれた9・11 【3】実行犯と捜査

  田中 宇


 9月11日のテロ事件(911事件)の実行犯は全部で19人と発表されているが、もう一人「20人目のハイジャック犯」と呼ばれた男がいる。モロッコ系のフランス人、ザカリアス・ムサウイである。
 米当局の発表によると、ハイジャックされた4機の旅客機のうち3機には、犯人が5人ずつ乗っていたが、残る1機の旅客機には、犯人は4人しか乗っていなかった。本来、この飛行機にも5人のハイジャック犯が乗り込むはずで、それがムサウイだったが、彼は911の3週間前に逮捕されてしまったので4人で決行された、と報じられた。
 ムサウイは1968年、フランス南部の町で生まれた。大学卒業後の1992年、イギリスの大学院に留学して経営学の修士課程を学んだ。フランスの捜査当局によると、ムサウイがロンドンのイスラム過激派のテロ活動に協力している疑いがあるため、94年に仏当局がロンドンの警察にムサウイの尋問を依頼したが、イギリス側から断られたという。そして大学院を出てしばらくたった2000年9月、ムサウイはマレーシア企業の米国駐在員の職を得て、アメリカに渡った。

 ムサウイは渡米後、オクラホマ州の飛行機操縦教習所に通い出した。その後、2001年7月にミネソタ州にある別の飛行機教習所に通い始めたが、8月中旬、軽飛行機の操縦免許もないのにジャンボ機の操縦訓練を受けたいと言い出したため、怪しんだ教習所側が地元のFBIに通報した。FBIはムサウイを尋問したが、黙秘して何も答えなかった。FBIは、彼がテロの関係者である可能性があると考えたが、十分な容疑がなかったため、アメリカに入国した際に滞在目的についてウソをついたという微罪で別件逮捕し、拘留した。
 ミネソタ州のFBI事務所では、ムサウイが大掛かりなテロ計画の一端を担っている可能性があると考え、捜査の範囲を広げるようワシントンのFBI本部に要請するとともに、ムサウイの自宅にあるパソコンを押収してハードディスクの中身を調べたいと本部に申し出た。だがワシントンのFBI本部は「そこまでの捜査をするには容疑が不十分だ」と許可せず、大掛かりな捜査も行わなかった。
http://asp.washtimes.com/printarticle.asp?action=print&ArticleID=20011003-94453894

 911の発生後「もしムサウイを逮捕した8月後半の時点でFBI本部が大掛かりな捜査を始めていれば、911は防げたかもしれない」と批判された。後で詳しく述べるが、FBIでは他でもイスラム過激派のテロの捜査に対して上層部から横槍が入り、政治的な理由で捜査が途中で打ち切りになっている。
 ムサウイは9月11日を拘留された状態で過ごし、その後FBIは批判されたが、彼を唯一の生きた実行犯組織のメンバーとして確保できたのは、不幸中の幸いだったかもしれない。
 当初は「20人目のハイジャック犯として、ドイツからイエメン人の青年が渡米してくるはずだったが、その男にアメリカの入国ビザがおりなかったので、代わりにムサウイが20人目の実行犯に加わることになり、急いでジャンボ機の操縦を習得しようとして怪しまれ、逮捕につながった」という説明が、当局からマスコミになされた。渡米できないと分かったイエメン人青年が、ドイツからムサウイに送金を行った記録が銀行に残っており、その金の一部でムサウイが飛行機教習所の授業料を払ったと思われるからだった。
 ところが911後、事件前に果たせなかったムサウイのパソコンに対する調べが行われたものの、テロにつながる情報は何も入っていなかった。米当局は、ムサウイが20人目のハイジャック犯だった可能性は薄くなったことを認めている。
http://www.smh.com.au/news/0111/17/world/world10.html

 911テロ事件の後、FBIは事件の全容解明に向けて動き出すのかと思いきや、そうではなかった。むしろ逆に「すでにおきてしまった911の犯人を特定する捜査より、今後のテロに備える捜査をした方が良い」という方針が掲げられ、911に関する捜査は拡大しなかった。

 事件の発生からちょうど3か月後の2001年12月11日、ムサウイはワシントンDCの近くの裁判所に起訴された。罪状は、国際テロを行うことを陰謀した罪、旅客機を乗っ取って大量破壊を行うことを陰謀した罪、米国政府の職員を殺すことを謀議した罪など6項目で、いずれも「陰謀」がついている。
http://www.usdoj.gov/ag/moussaouiindictment.htm

 アメリカの法律では、このような陰謀事件の場合、犯罪となる陰謀に被告が進んで参加したことを示す状況証拠があれば、それで有罪判決を出すことができるようになっている。
 起訴状で示されているムサウイの問題行為は、ドイツからの送金を受けて飛行訓練所に通ったこと、ナイフや双眼鏡を買ったことぐらいしかない。それだけでは、彼がテロリストである証明にはなりそうもない。しかし、他の実行犯も飛行訓練所に通い、ナイフを買っていることから、同じ行為をしたムサウイも実行犯グループに進んで参加しようとしていたことが証明でき、陰謀事件としてはこれでうまくいくという寸法らしい。
 ムサウイの起訴状は、911のような大事件の真相を究明するには表面的すぎる中身しか持っておらず、今後の捜査の進展を待つしかないといった感じを受けた。ところがイギリスのBBC放送は、ムサウイの起訴を報じるニュース解説の中で「この起訴をもって911事件に対する捜査は一応終わり、今後の力点はテロの黒幕(オサマ・ビンラディンら)を排除し、テロの再発を防ぐことに移っていくことは明らかだ」と述べている。
http://news.bbc.co.uk/hi/english/world/americas/newsid_1703000/1703455.stm

 そして、米当局者のコメントとして「(今回のテロ戦争では)一般の犯罪捜査のように裁判で十分勝てるだけの証拠を集めることは重要ではない。自分たちが攻撃している対象が間違ったものではないことが分かる程度の証拠で十分なのだ」という方針を紹介している。つまり、911事件とは誰がどのような目的で、どのように起こしたのかという疑問については、米当局が今後これ以上の解明をすることはないだろう、ということだろう。実際、ムサウイの起訴後、911実行犯についての米当局の新たな発表はほとんどなくなった。
 またこの起訴状自体も、ずいぶん雑な内容だと思われる部分がいくつかある。そのひとつは「ムサウイは1998年にアフガニスタンのテロリスト訓練キャンプに行った」と書かれている部分である。米捜査当局は、アフガニスタンの訓練キャンプでムサウイを見たという証言をもとに、こういった主張をしている。
 ところが、このことを報じたアメリカの新聞ボストン・グローブによると、テロ訓練所でムサウイを見たという証言をした人物は、以前にテロ容疑で米当局に逮捕・起訴され、捜査の課程でFBIに協力する代わりに自分の罪を軽くしてもらうという「司法取引」をしたアーメド・レザムというアルジェリア人であった。レザムはFBIからムサウイの写真を見せられ「この男をテロ訓練所で見た」と言ったという。
 レザムは1999年末、「ミレニアム」のお祝いに湧くロサンゼルスの空港に爆弾を仕掛けようと計画したとして逮捕された。その後レザムは司法取引に応じ、1998年にアフリカのアメリカ大使館が爆破されたテロ事件の裁判などで、10人以上の「テロ仲間を売る」ことによって、自分の刑を軽くしてもらおうと努力してきた。検察側はレザムに対して130年の刑を求刑しようとしているが、弁護士は27年以下の刑ですむはずだと主張している。

 レザムに対する判決の言い渡しは、当初2002年2月に予定されていたが、911事件が起き、当局にとってはレザムの「使い道」が増えたため、判決は延期された。「捜査にもっと協力すれば、さらに刑を減らしてやってもいいぞ」ということなのだろう。
 しかし、そもそも「アフガニスタンでムサウイを見た」と言えば刑が軽くなると期待するレザムが言った言葉を、そのまま信じていいものだろうか。逆にいえば、FBIは手持ちの証拠が非常に少ないため、手軽に捻出できるレザムの言葉を証拠として使うしかないのだ、とも思える。
 もう一つ、ムサウイの起訴状の中でおかしなことは、他の実行犯たちに関する部分である。19人の実行犯の名前や生年月日などのリストをFBIが最初に発表したのは、事件から3日後の9月14日だった。その後FBIは実行犯の顔写真も発表したが、その直後、名簿の中の何人かは人違いであることが判明した。
 たとえば、世界貿易センタービルに最初に突っ込んだAA11便のテロ実行犯の一人とされたワリド・アルシェリというサウジアラビア人は、実は事件と無関係なモロッコ在住のサウジ人だった。米当局は人違いを認め、アルシェリ氏に対して謝罪した。
http://news.bbc.co.uk/hi/english/world/middle_east/newsid_1558000/1558669.stm

 また、国防総省に突っ込んだ飛行機に乗っていたはずのサレム・アルハズミは、実はサウジアラビアのヤンブという町の石油化学工場に勤め、アメリカには行ったこともない人だった。彼は自分の写真が新聞に出たので驚き、あわててサウジ当局に無実を報告した。彼は「3年前にエジプトに行ったとき、旅券をすりに盗まれたことがある」と地元の新聞に話している。
http://www.economist.com/agenda/displayStory.cfm?Story_ID=795761

 これらの人々は、おそらく旅券を盗まれて使われただけで、本物の実行犯は別の名前なのだろうと思われる。ところが、驚いたことにFBIは最初に発表した名簿とまったく同じ名前の一覧をその後の発表でも使い続け、事件から3カ月も後のムサウイの起訴状にも、ワリド・アルシェリとサレム・アルハズミの名前が堂々と実行犯メンバーとして登場している。
 このことについてFBIは何の説明もしていないし、アメリカのマスコミも「政府批判をする奴はテロを容認している」と言われたくないためなのか、この件について何も指摘していない。ムサウイの起訴状からは、FBIが事件の真相を究明したいとは考えていないかのような印象を受ける。

 ムサウイを含む20人の「実行犯グループ」とされる人々のうち、サウジアラビア国籍と思われる人が15人、それ以外の人が5人いる。そして、事件後に発表・報道されたことを調べていくと、サウジ以外の5人については経歴がかなり詳しく分かっているが、それと対照的に15人のサウジ人については、誰一人として詳しいことが判明していない。どうやら、サウジ人15人とそれ以外の5人とは、分けて考えた方が良いような感じなのである。

▼サウジアラビアという接点

 ワシントンDCの郊外にフォールズチャーチという町がある。ここは、ワシントンの連邦政府やその傘下の組織に勤めている人が多い閑静な住宅街で、911の後、ほとんどの家のベランダや庭に、愛国心の象徴である国旗が掲げられるようになった。
 そんな愛国的な雰囲気のフォールズチャーチに、実行犯のサウジ人グループのうち、4人が以前に住んでいたとされるアパートがある。「リーズバーク・パイク通り5913番地」という住所である。実行犯がこの住所に住んでいたことは、事件6日後の9月17日に、FBIが金融機関など各方面に送った捜査協力要請文に添付された容疑者リストに出ている。15人のサウジ人について、何も手がかりがないわけではないということがうかがえる。
http://www.fdic.gov/news/news/financial/2001/fil0179a.html

 ところが奇妙なことに、FBIが9月14日と27日にマスコミ向けに容疑者リストには、この住所が出ていない。
http://www.fbi.gov/pressrel/pressrel01/091401hj.htm

 リストに出てくるハニ・ハンジュルという人物などは、金融機関向けの資料では「バージニア州フォールズチャーチ市リーズバーク・パイク通り5913番地」に住んでいたことになっているが、マスコミ向けの発表では「アリゾナ州フェニックスか、またはカリフォルニア州サンディエゴ」に住んでいたことになっている。なぜFBIは実行犯の住所を隠すようなことをするのだろうか。
 この疑問を解くカギとなりそうな報道が、事件から2カ月後の11月6日に行われていた。イギリスBBCテレビの「ニュースナイト」という番組で、この日のテーマは「FBIの捜査には圧力がかけられていたのか?」というものだった。番組のスクリプトをインターネット上で見ることができる。
http://news.bbc.co.uk/hi/english/events/newsnight/newsid_1645000/1645527.stm

 それによると、4人のハイジャック容疑者が住んでいたリーズバーク・パイク通り5913番地のすぐ近く、同じ通りの5613番地に「世界イスラム青年会議」(WAMY)の事務所があった。WAMYはサウジアラビアの首都リヤドに本部を置くイスラム教徒の若者のための国際的な親睦団体で、若者向けの文化活動や慈善事業を世界的な規模で行っている。そしてWAMYのトップをつとめていたのは、オサマ・ビンラディンの弟であるアブドラ・ビンラディンという人で、アブドラと別のもう一人の弟(オマル・ビンラディン)も、その近くに住んでいた。
http://www.wamyusa.org/
(アブドラは1994年にハーバード大学の法学大学院を卒業した。9月11日の直後まで、ビンラディン一族の一部はハーバード大学の近くの高級コンドミニアムに住んでおり、一族はハーバードにおけるイスラム法とイスラム建築の研究のために200万ドルを寄付していた。911の後、ハーバード大学がある地元のケンブリッジ市は大学に対し、ビンラディン一族からもらった寄付をそっくりそのまま911の被害者のために寄付せよと要求したが、大学側は断った)
http://www.dadi.org/harvard.htm

 BBCによると、FBIは911事件が起きるずっと前の1996年ごろから、WAMYがテロリストを支援している可能性があるとして、WAMYとアブドラ・ビンラディンについて調べを進めていた。ところが捜査の結果が出る前に、アメリカ政府の上層部からFBIに対して横槍が入り、捜査は途中で打ち切られてしまった。
 その後も911事件の発生を経て現在にいたるまで、このことに関する捜査は再開されていない。WAMYに対しては、すでにパキスタン政府では911の後に活動が禁止されているし、インドの当局はWAMYがカシミールの爆弾テロ事件に関与したイスラム組織に対して資金提供したと指摘している。フィリピンの軍も、WAMYがイスラム反政府勢力に資金援助していると非難している。いずれもテロ戦争の「現場」の国々である。
 ところがアメリカの当局は、WAMYの資産を凍結する措置をとっていない。米当局は、少しでもテロに関与していると思われる他のイスラム組織に対しては、可能性が薄い団体に対しても容赦なく資産凍結をしている。それなのに、このサウジの団体は例外的に寛容な対応がとられている。
 BBCが米当局に対し、なぜWAMYに対して何の措置もとらないのか尋ねたところ、その返事は「彼らは慈善事業の団体だから」ということだった。

 なぜFBIがWAMYに対する捜査を打ち切らされ、アメリカだけがWAMYの活動を制限しないだろうか。その理由についてBBCの番組は、ブッシュ大統領とその父親(元大統領)が、WAMYを運営するビンラディン一族とビジネス上で密接なつながりがあるためではないか、と指摘している。
 ビンラディン一族とブッシュ一族とのつながりとして指摘されているものに「カーライル」がある。カーライルはワシントンDCに本社を置く、アメリカの軍事産業に投資することを主な事業とする金融会社で、1987年に設立された比較的新しい企業であるにもかかわらず、すでに軍事産業を統括する企業としてアメリカで最大級のものになっている。
http://www.thecarlylegroup.com/

 カーライルの会長はブッシュ政権の国防長官だったフランク・カールーチであるほか、上級相談役には同政権の国務長官だったジェームス・ベーカーが就いている。ブッシュ元大統領自身はアジア向け投資の担当相談役をしているほか、レーガン政権からはワインバーガー国防長官、そしてイギリスからはメージャー元首相が同社の上層部に名を連ねている。
http://www.billtotten.com/japanese/ow1/00460.html
 ビンラディン一族は、カーライルのファンドに投資している顧客である。判明している投資額は200万ドル(2億円強)と、世界最大級の金持ち一族にしてはかなり小さい額だが、昨年9月下旬、この問題に対して批判したウォールストリート・ジャーナルの記事は、把握されていない部分でもっと大きな額を投資しているはずだとみている。
http://www.peacenowar.net/Sep%2027%2001--WSJ.htm

 ウォールストリート・ジャーナルはブッシュ、レーガンらを輩出した米共和党寄りの右派系新聞である。そこが「共和党重鎮たちの会社がビンラディン家を国防産業への投資で儲けさせている」という批判記事を出したということは、共和党内でもこの問題への批判がかなり出たのだろう。ブッシュ大統領は「テロリストを支援する者は、テロリストと同罪だ」と言っているが、実はブッシュ一族自身がテロ支援者だったのではないか、という疑惑である。
 そのためか、ビンラディン家は昨年10月、カーライルに投資していた200万ドルを引きあげると発表している。だが、200万ドルが氷山の一角にすぎないのであれば、これは世論を静めるための表向きの動きにすぎない。
 ビンラディン一族は、サウジアラビア最大の建設会社「サウジ・ビンラディングループ」などの企業群を持つ大資産家で、サウジ王室とも密接な関係にある。911テロ事件の「黒幕」とされるオサマ・ビンラディンはこの一族の人間だが、ビンラディン家は1994年にオサマを一族から追放したと発表している。
 しかし、オサマとは違って「良い息子」の一人として扱われてきた弟のアブドラ・ビンラディンがテロ関連組織と疑われているWAMYのトップをつとめ、WAMYのアメリカ事務所のすぐ近くに住んでいたサウジアラビア人の若者たちが911のテロ実行犯の中に入っている。
 BBCの番組や、その後報じられたイギリスのガーディアンの記事などは、オサマ以外のビンラディン一族やサウジ王室のメンバーが国際テロ組織を支援している可能性が高いことを指摘している。
http://www.guardian.co.uk/Archive/Article/0,4273,4293682,00.html

 このガーディアンの記事によると、パキスタンの核兵器もサウジアラビアからの支援を受けて作られた可能性があるが、FBIはそれらの捜査を上からの命令で打ち切らされている。
 またBBCの番組の番組を作ったジャーナリストであるジョージ・パラストによると、クリントン政権時代にサウジアラビアの外交官が14000種類のサウジの機密文書を持ってアメリカに亡命してきたことがあった。
 亡命時にFBIに提出されたその文書には、サウジ王室がテロ組織に資金提供したり、暗殺事件の黒幕をやっていたことが書かれていた。現場のテロ捜査官はその文書をほしがったが、FBIの上層部は文書の受け取りを拒否することを決めてしまった。
 これはクリントン政権時代のことで、FBIにテロ捜査をさせないという方針はブッシュ政権になって始まったものではないことが分かる。
http://www.guerrillanews.com/counter_intelligence/235.html

 BBCは、1996年に打ち切られたアブドラ・ビンラディンに対する捜査に関してFBIが作った機密文書を入手し、それをもとにニュースナイトの暴露番組を作っている。FBIの中には、政治的な理由で捜査が打ち切られたことに対して怒っている人々がおり、それがBBCに情報を提供したと思われる。

 アメリカのマスコミには911後、政治的な圧力がかかっているので情報提供しても報道してもらえないため、イギリスのBBCに情報が持ち込まれたのだろう。

 カーライルの投資手法は、あまり業績の良くない武器メーカーや航空宇宙関係の会社を買収した後、政治力を使ってその会社に大プロジェクトを受注させるようにして、その会社の株価が上昇したところで株を売って儲けるというやり方だった。政治力を金に換えるビジネスである。
 カーライルの会長をつとめるカールーチ元国防長官は、ブッシュ政権で国防長官をしているラムズフェルドとプリンストン大学時代の同級生で、レスリング部で一緒に練習して以来の大親友である。そのためか、カーライルは国防総省がものごとを決める際に強い影響力を持っている、と指摘されている。
http://www.redherring.com/mag/issue108/947.html

 ブッシュ大統領の父親が、カーライルでアジア担当の相談役をしているのは、カーライルが投資した軍事産業などの企業が、韓国などアジア諸国の軍隊に武器を売り込む際などに助力している。フィリピンでは、国軍を掌握し、アロヨ政権に強い影響力を持っている軍出身のラモス元大統領が、カーライルの相談役に就いている。

 カーライルが株式の過半数を保有している武器メーカーの一つにユナイテッド・ディフェンスがある。この会社は「クルセイダー」という、15センチの弾を40キロ先まで飛ばせる移動式大砲を開発・生産している。
 だがこの武器は、重くて速く動かせず、高価な割に展開が速い現代の戦争には向かないため、国防総省内部で「冷戦時代の遺物」だと批判されていた。1998年のコソボ紛争の際は、移動に時間がかかって予定通り配備できず、クリントン政権下では何回も開発中止が検討されていた。
http://www.latimes.com/news/opinion/commentary/la-000012681feb19.column?coll=la-news-comment-opinions
 ところがブッシュ政権になり、ラムズフェルドの時代がくると、国防総省はクルセイダーの開発で今後5年間に41億ドルの予算を投じる決定がくだされた。ユナイテッド・ディフェンスはテロ戦争が開始され、軍事産業株が急騰した直後の2001年10月に株式公開し、カーライルには巨額の株式含み益が転がり込んだ。
http://www.latimes.com/business/la-000006024jan24.story?coll=la-headlines-business

▼FBI幹部、無念の死

 事件の3カ月後にフランスのジャーナリスト2人が出版した本「ビンラディン:禁じられた真実」(Ben Laden: La Verite Interdite)によると、ブッシュ政権は911まで、トルクメニスタンからアフガニスタンを通ってパキスタンに抜ける天然ガスパイプラインを建設することなどを目的として、タリバンと交渉してアフガニスタンに連立政権を作らせようとしていた。
http://www.lemonde.fr/article/0,5987,3230--243578-,00.html

 そのため、アメリカがタリバンと交渉している間は、FBIがオサマ・ビンラディンやイスラム過激派組織「アルカイダ」に対する捜査を進めないようにさせていた。FBIのテロ捜査の最高責任者だったジョン・オニールは、この措置に抗議して、昨年7月にFBIを辞職した。彼は「オサマ・ビンラディンの組織を潰すという問題のカギは、すべてサウジにある」とフランスのジャーナリストに述べていた。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/1123/annex/la_verite_interdite.html
 2000年10月にイエメンで起きた米軍の駆逐艦に対するテロ事件を捜査するため、オニールらFBI捜査官がイエメンに行って調べていたところ、2001年7月に米国務省から「イエメンとの友好関係にひびが入るので、もうイエメンに来るな」と命じられた。オニールはその2カ月後、9月11日に死亡した。FBIを辞めた後、オニールが就いた職が、世界貿易センタービルを守る警備保障会社の幹部ポストだったからである。
http://ist-socrates.berkeley.edu/~pdscott/qf2.html
 オニールはFBIから警備会社に移って給料が3倍の30万ドル(約4000万円)になったと喜んでいたが、その一方で911の数週間前には、アルカイダが貿易センタービルを狙っていることを友人に示唆する発言をしている。9月11日、旅客機がビルに突っ込んだ後、オニールはいったん外に避難したが、中に取り残された人々のことを考え、ビルの中に戻っていった。ビルが崩壊する2分前のことだった。アルカイダについて、FBIで最も詳しかった人、いやもしかするとアメリカで最も詳しかった人が、これで失われたのである。
http://www.nymag.com/page.cfm?page_id=5513

▼実行犯の肖像

 911の実行犯を率いていたののは、ドイツのハンブルグに留学していたエジプト人やレバノン人の青年たちだったと報じられている。
 主犯格と目されるモハマド・アッタは、1968年1月生まれ(当時33歳)のエジプト人で、首都カイロ郊外の住宅地で育った。弁護士だった父親は教育熱心で、アッタの高校時代の友人は「彼は技術者になることを目指していたが、ほとんど遊ばずに勉強ばかりしていた」と証言している。アッタには二人の姉がいたが、いずれも勉強熱心で、一人は医者、もう一人は大学の教官になった。
 末っ子だったアッタはシャイな甘えん坊で、母親もアッタをかわいがった。彼は、大学に入るまで母親の膝に乗ることを止めず、父親にはそれが不満だった、と父親自身がニューヨークタイムスの取材に対して答えている。(私が見るところ、中東の家族の典型は、父親が厳しい半面、母親は子供たちを溺愛する。その結果、中東の男たちはマザコンになり、結婚相手を決めるときも母親と気が合う人を選ぼうとする)
 アッタの家は暮らしに余裕があり、家族旅行にも行ったらしい。エジプト国内のリゾート海岸と思われる砂浜で、アッタと姉が並んで立っている写真がある。姉がアッタの腕をつかみ、自分の肩に回して引き寄せた状態で写っている。アッタのシャイな様子が表れているツーショットだ。彼が高校生か大学生のころの写真と思われる。二人の服装は洋服で、姉はベールなどをしていない。政教分離を原則とするエジプトの、ふつうの中産階級の家族という感じがする。
http://www.nytimes.com/2001/10/10/international/middleeast/10TERR.html

 アッタは名門カイロ大学で建築を学び、卒業後の1992年に、父親の勧めもあってドイツのハンブルグ工科大学の建築学の大学院に留学した。ハンブルグ工科大は全学生の2割が留学生で、特に中東からの学生が多い。
 アッタは2000年6月に渡米するまで、ハンブルグで8年間を過ごしたが、勉強熱心な礼儀正しい青年として知られていた。イスラム教の敬虔な信者で、学内にイスラム教徒学生のための礼拝所を作ってほしいと大学当局に要求する運動を展開したこともある。大学での研究テーマは、シリアの古い町アレッポの都市計画についてだった。アラブ人としてのアイデンティティを強く持っていたことがうかがえる。
http://www.atimes.com/editor/CI21Ba01.html
 アッタは、敬虔なイスラム教徒だったものの、ドイツ国内のイスラム主義団体との交流はなかった。ドイツではマイノリティに対する攻撃が行われたナチス時代の反省から、当局が宗教組織を禁止することができないよう法律で定められていた。米大規模テロ事件以来、この法律が改訂され、いくつかのイスラム主義団体が解散させられ、検挙されが、それらの組織はいずれも米テロ事件には関与していないと、ドイツ当局が認めている。
 とはいえ、アッタが大規模テロ事件の主犯格だったことは、事実と思われるいくつかのことから、ほぼ間違いないと私はみている。その理由の一つは、ハンブルグでアッタと同じアパートに住んでいた2人のアラブ人青年もテロ事件に参加し、彼らは、ハイジャックされた4機のうち3機に、一人ずつ乗っていた。アッタら3人はいずれも、事前に飛行機の操縦を学んでいる。アッタ(享年33歳)と、マルワン・アルシェヒ(享年23歳)は、2000年6月から渡米してフロリダで同じ飛行訓練学校に通っていた。そして3人目のジアド・ジャラヒ(レバノン人、享年26歳)はハンブルグ工科大学で航空機設計を研究していた。
http://specials.ft.com/attackonterrorism/FT3LAJ6UMUC.html

 テロ事件後、アメリカの新聞は大政翼賛になり「○○はテロ組織とつながっているとされる」などと書かれていても、その記事の内容を鵜呑みにすることはできなくなっている。また新聞に情報を流すFBIやCIAといった米当局は「テロ事件の真相を究明する」ことよりも「テロリストとの戦争に勝つこと」が優先しており、少しでも怪しいアラブ人はすべて「アルカイダのメンバー」だと新聞に情報を流すので、これまた信用できない。
 だが、アッタら3人がハンブルグで親しい関係にあったことは、ドイツ当局も認めている。またアメリカの新聞記事でも、漠然とした表記ではなく、納得できる根拠を挙げて「○○と△△はつながっている」と書いてある場合は、信憑性が高いと思われる。
 9月11日の朝、世界貿易センター北棟に衝突したアメリカン航空11便がボストンの空港を離陸する直前、南棟に衝突したユナイテッド航空175便も同じ空港で滑走路に向かう飛行機の列の中にいたのだが、そのとき11便に乗っていたアッタが、携帯電話を使って、175便に乗っていたアルシェヒに1分ほどの電話をかけたことが、電話局に残された記録から分かっている。
http://www.smh.com.au/news/0111/05/world/world9.html

 こうした情報は信憑性が高いと思われるが、それぞれの旅客機には、これから犯行に及ぼうというハイジャック犯が5人ずつ乗っていた中で、アッタがアルシェヒに電話したということは、二人がグループのリーダー格で、電話の内容は、互いの飛行機が予定通り離陸することを確認するものだったと推測できる。
 中東では「4機の旅客機はアラブ人によるハイジャックのように見せかけて、実は米当局が飛行機を遠隔制御して標的のビルに衝突させたのだ」という考え方がある。犯人とされるアラブ人たちは、実はふつうの乗客だったという説である。しかし、だとしたらハンブルグで親しい関係だったアッタら3人が、偶然にも、犯行に巻き込まれた3機に別々に乗っていたということになる。そんなことは、偶然として起こり得るはずがない。
http://www.observer.co.uk/international/story/0,6903,573685,00.html
(とはいえ、墜落したハイジャック機に乗っていた乗客が、携帯電話から自宅の妻に最期の電話をした、という話が報じられた後、この電話の通話記録が電話局の記録にないことが報じられ、当局が発表したこの最期の電話の話は本当だったのかという疑惑を呼んでいる。それを考えると、離陸直前にアッタがアルシェヒに電話をしたという当局の発表も、鵜呑みにできないかもしれない)

 アッタらハンブルグの実行犯グループはアルカイダのメンバーで、オサマ・ビンラディンの指令でテロ事件を実行したと報じられている。しかしこのテロ事件に関する報道や、当局が出した起訴状を見ても、アッタらとアルカイダとの関連を明確に裏づける証拠が何も出ていない。
 両者の関係を表す「証拠」としてよく掲げられるのが「実行犯グループはアラブ首長国連邦(UAE)にいるアルカイダの財政担当者とされるムスタファ・アーマド・アルハウサウィから送金を受けていた」ということである。アッタや他の実行犯の若者たちがUAEから送金を受け取り、その後911の犯行数日前に残ったお金を同じ口座に送り返した送金記録を米当局がおさえているという。
 しかし、このアルハウサウィという人物が、アルカイダの財政担当者であるという根拠は、全く示されていない。アルカイダの活動は数年前からCIAなどにマークされていたはずなのに、アルハウサウィという名前が出てきたのはこの送金をめぐる部分だけで、それより前には一度も出ていない。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A34751-2001Dec12.html

 極端な話、米軍やCIAは911より前から「テロとの戦争」を始めたがっていたことから考えれば、逆にアルハウサウィがCIAのエージェントで、そう気づかれないままテロ実行犯に金を送っていた可能性すら否定し切れない。
 UAE政府はタリバン政権を承認していたため、アルカイダ幹部の出入りに寛容だったと思われるが、その一方でUAEは親米国でもあり、アルカイダと米当局との不透明な接点となっている。昨年7月、ビンラディンがUAEの町ドバイのアメリカン病院に入院し、CIAのエージェントがお見舞いに訪れたという話が、この事件の中でUAEが持つ意味を象徴している。
http://www.tenc.net/misc/lefigaro.htm
 また、アッタが1990年代後半にアフガニスタンを訪れたという報道もあるが、その訪問がいつだったのかということさえ、特定されていない。

 911に至るまでのモハマド・アッタの人生史を調べても、彼が自爆テロに踏み切った動機については、ほとんど明確な答えがわからないままだ。アラブの人々は皆、パレスチナ問題などアメリカの中東政策に対する反感を持っており、それが犯行の動機だとする説明も存在するが、これだと、なぜアッタたちだけが911の自爆テロを決行し、他のアラブ人の若者たちはそういうことをしないのか、という説明がつかない。
 日本では事件後、朝日新聞がアッタについて50回の連載を展開したが、そこでもテロ決行の動機について納得できる答えを出せていない。連載記事からは、ドイツや中東の関係者をかなり熱心に追って取材したことがうかがえるが、内容としてはほとんどすべて、欧米の報道機関がすでに報じた事実を後追いしただけにとどまっている。日本のマスコミ報道は「現場」に行って事実を確認することに精力の多くを費やし、分析や洞察に欠けた記事が多いが、朝日新聞の連載はその典型といえる。
 新聞が半死状態のメディアとなりつつある中、朝日新聞は新雑誌を相次いで出すなど、生き残りをかけて新しい試みを続けているようで、アッタに関する連載も、世界に広がる特派員網を使って広範囲な現場取材を展開するという斬新さは評価できる。だが、日本の新聞は1本あたりの記事が短すぎることも911のような複雑で広範囲な事件をカバーすることを難しくしており、内容的な踏み込みは今ひとつだったと感じられる。
http://www2.asahi.com/international/kougeki/ata/backnumber.html

 アッタらハンブルグのアラブ人青年たちが反米意識からテロを計画して実行したと仮定すると、アルカイダのような国際的な地下組織の協力なしに911の犯行が不可能だと思われる分野は、テロに参加する人員集めに関してである。アッタと友人の計3人のハンブルグ組だけでは、人数が少なくて同時多発テロを起こすことができない。911テロ事件の容疑者は全部で19人なので、ハンブルグ組は16人の同志を得てテロを決行したことになる。
 アッタはテロ決行前の3年ほどの間に、何回かに分けてヨーロッパ各地や中東を旅行している。2000年6月に渡米した後も、2回ヨーロッパに戻り、スペインとチェコを訪れている。あちこち回って支援者を探したのではないか、と思われるが、個人でいくら色々な組織に接触しても、自爆テロに参加して自分と一緒に死んでくれる人を16人も探し出すのは簡単ではないと思われる。
(米当局は、アッタはチェコでイラクのスパイ機関の幹部と接触したという情報をマスコミにリークしていたが、これは後でチェコ政府に「その可能性は低い」と否定されてしまった。米共和党右派は911後の軍事的な勢いに乗ってイラクを攻撃したいと考えているが、うまい根拠を作ることに失敗している)
 ハンブルグでアッタと同じアパートに住んでいたアラブ系の若者の中でさえ、全員が自爆テロに参加したわけではなく、ハンブルグに残り、9月11日の直前に姿をくらました若者が3人いる。

 ハンブルグ組以外の16人のうち15人はサウジアラビア人だったと米当局は発表している。サウジアラビアには、反政府系のイスラム過激派組織の地下ネットワークがあり、世界各地の「聖戦」への参加を希望する若者を、モスクなどでひそかに募集している。サウジアラビアのテレビでは、チェチェンやボスニアなどで敬虔なイスラム教徒たちが異教徒に攻撃されていることを問題視するドキュメンタリー番組が流れることがあり、それを見て義侠心や正義感に突き動かされた若者たちが、聖戦士に応募するケースが多い。
 このような若者の中から、自爆テロに参加する意思がある若者を探すことは可能だろう。この手の組織の協力なしには、サウジアラビアで自爆テロ参加者を集めることはできないのではないかと思われる。組織の関係者の多くはオサマ・ビンラディンを支持しているだろうが、そのネットワークはイスラム教徒という同志意識によってゆるやかにつながっているだけのもので「ビンラディンを頂点とした組織」ではない。米当局は彼ら全員を「アルカイダのメンバー」と呼ぶのだろうが、本人たちは「アルカイダ」を自称してはいない。

▼見事な操縦の謎

 ここまでは「911のテロ事件はアッタらアラブ人青年たちが自発的に計画したもの」という筋書きに基づいて考えたが、その筋書きを根本からくつがえす、別の筋書きも考えられる。それを考えざるを得ないのは、911実行犯をめぐる話でもう一つ引っかかっていることがあるからだ。
 それは、1年ぐらい軽飛行機の操縦訓練を受けた青年たちが、大きな旅客機をどれだけ自由に操縦できるものなのか、という疑問だ。それも、平時の操縦ではない。定めた標的になるべく高速で激突するという、特殊な操縦である。

 たとえば、国防総省に突っ込んだAA77便は、激突の直前まで高度2100メートルの上空を時速600キロ以上の高速で飛んでいたが、国防総省から数キロのところまできた最後の2分半に、ぐるりと一周旋回しつつ地上まで急降下し、平べったい国防総省ビルに突っ込んだことが、レーダーの映像から分かっている。このような見事な操縦は、熟練したパイロットにしかできない技である。
http://www.cbsnews.com/now/story/0,1597,310721-412,00.shtml

 AA77便を操縦していたのは、ハニ・ハンジュルというサウジアラビア人の青年と発表されている。ハンジュルは90年代の初めからアメリカに滞在し、アリゾナ州でビジネスをしていた兄にやっかいになりながら、英語学校や飛行機の操縦学校を転々としていた。
 ところが、ハンジュルは不器用な青年で、当時のことを覚えている操縦学校の教官は「彼は操縦について最低限の知識しか持っていなかった」と証言している。また他の操縦学校では、学期の最初だけ出てきた後、欠席が続いて脱落してしまったという。とてもではないが、2分半で2100メートルを旋回急降下できるような技術を持っていたとは思えない。
 FAAによると、ハンジュルは1999年に商用パイロットの免許を取得した。だがFAAはハンジュルがこの免許をどこで取ったのか、マスコミの取材に答えていない。
http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn?pagename=article&node=&contentId=A59451-2001Oct14

 もしハンジュルでなければ、誰がこの見事な操縦をやってのけたのか。そのヒントになりそうなニュースが、911の直後に報じられている。それは、ハイジャック犯のうちのサウジアラビア出身の3人が米軍基地で操縦の訓練を受けていた可能性がある、というもので、ニューズウィーク、ワシントンポストといった大手マスコミが報じた。
 ニューズウィークが、テロ事件から4日後に軍幹部の話として報じたところによると、ペンシルバニア州に墜落したUA93便の実行犯の2人と、貿易センター南棟に激突したUA75の実行犯の中の1人は、1990年代にフロリダ州のペンサコーラ海軍飛行隊基地で飛行訓練を受けていた外国人リストの中に名前があった。3人は、持っていた免許にも基地内の宿舎の住所が記されていた。この基地では以前から、同盟国の軍関係のパイロットに訓練を施している。
http://www.msnbc.com/news/629529.asp?cp1=1

 このほかサウジ人実行犯のなかには、アラバマ州の軍の教育機関で戦略論を学んでいたのが1人と、テキサス州の空軍基地で語学研修に参加したことがある人物が1人いることがわかった。

 またニューヨークタイムスは9月14日、主犯格のモハマド・アッタがアラバマ州の空軍基地にある国際将校学校に在籍していた可能性があると報じた。ニューヨークタイムスのインターネット上の記事は、その後なぜか別の記事と差し替えられているが、全米のいくつかの新聞社が、このニュースを転電した。
http://www.nytimes.com/2001/09/14/national/14INQU.html

http://seattletimes.nwsource.com/html/nationworld/134342395_probenyt.html

 こうした報道は事件発生から数日間で消え、その後は米当局者が「アラブ人には同姓同名がたくさんいる」という説明を行うようになった。とはいえ、彼らが結局のところ同姓同名の別人だったのかどうか、米当局はその後何も発表していないし、ニューズウィークやニューヨークタイムスもこのテーマについては一切沈黙し、自分たちの報道が事実だったのかどうかも書いていない。

 これまでみてきたように、911テロ事件に対して米当局はFBIの事前・事後の捜査を打ち切らせており、ムサウイの起訴状からは、当局がテロ事件の捜査をする気がないということがうかがえる。
 当局者の当日の行動をめぐる不審な点についても、何も釈明していない。このことから、米当局は911テロ事件に対して、単に「やられる側」ではなく、事件発生前から何らかのかかわりをもっていたと思われるが、それを延長して考えると、実行犯が米軍基地で訓練を受けていたことも、米当局が「話したくないこと」の中に入っている可能性が強い。


【4】アフガニスタンとアメリカ



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