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仕組まれた9・11 【14】三都物語

  田中 宇

 私は2001年11月、911事件から2カ月後のアメリカを旅行した。そのとき気づいたのは、同じアメリカ東海岸でも都市によって911とテロ戦争に対する反応はかなり違っているということだった。

 世界貿易センタービルがあるニューヨークでは、多くの人々が事件から受けた衝撃を忘れることができずに苦闘していた。事件当日のことを話しているうちに涙ぐんだり、「アラブ人は大嫌いだ」と明言する人もいた。
 妻が日本人、夫はアメリカ人というご夫婦と話したときは、旦那さんが「あいつら(中東の人々)は、アメリカの豊かさを妬むあまり、あんなテロ事件をやったんだ」と言うのに対し、奥さんは「そんな風に思うのはアメリカ人の傲慢ですよ」と反論していた。9月11日には、このご夫婦の家の近所で何人もの人が死んでおり、2人は葬式に何回も行ったという。人種差別意識からの発言というより、事件の被害者としての発言である。このときの光景は、私にとって、白人系のアメリカ人と、在米日本人との考え方の違いを象徴しているように思えた。

 ワシントンDCもニューヨークと同様、911テロ事件の攻撃を受けているが、ニューヨークの反応がどちらかというとヒューマンなものだったのに対し、ワシントンで見聞きしたのはもっと政治的な反応だった。
 私が2001年11月にアメリカを訪問した目的のひとつは、本書に書いたようなテロ戦争の裏側にある流れについてアメリカの人々がどう考えているのか確かめたいということがあった。ニューヨークで話した人々の中には「政府が裏で事件に関係していても不思議はない」と考えていた人が何人もいたが、ワシントンの人々から受けたのは「君が考えているような陰謀説は間違っているよ」という反応だった。

 アメリカには昔から「連邦政府と、州や市町村政府との、どちらが権力の主体であるべきか」「政府は大きい方がいいか、小さい方がいいか」といった論争があり、政府は大きくなったり小さくなったりしてきた。911事件後、ブッシュ政権は「戦争」の名のもとに連邦政府を急速に肥大化させており、大きな政府の時代が始まっていた。
 連邦政府が置かれているワシントンDCの人々にとって、政府が大きくなることは、仕事が増え、米国内での自分たちの地位が上がることを意味していた。軍関係など共和党系の人々だけでなく、民主党系のシンクタンクの人々も、冷戦時代に作ったアメリカの世界戦略に関する提案書の「ソ連」という文字を「イスラム原理主義」に変えて仕立て直した新戦略を打ち出したりして、張り切っていた。
 中には「クリントンが8年間かけて黒字にした財政を、ブッシュは4年間で自分の系列の産業界に向けて散財し、大赤字に引き戻すつもりだろう。アメリカは、暴力団に乗っ取られた企業のような運命だ」と批判する人もいたが、全体的にはワシントンは「テロ戦争バブル」に踊っているように見えた。

 一方、北方のボストンは、ニューヨークともワシントンとも違っていた。ひとことで言うと、テロ戦争の展開をしらけて見ていた。「ブッシュにうまいことやられて頭にくる」という感じでもあった。ボストン近郊のハーバード大学の周辺では、星条旗の数も少なかった。ワシントン郊外の住宅街では一軒おきぐらいに星条旗が掲げられていたのとは対照的だった。
 ボストン周辺はリベラルな民主党系の人々が多く、ハーバードにはケネディ元大統領の名前を冠した行政大学院もある。ケネディ行政大学院には、今でこそCIAや軍の職員もたくさん勉強しにきているが、伝統的にはケネディの遺志を継ぎ、CIAや軍、ブッシュ一族など共和党系勢力の権力拡大に反対する土壌が残っているように見える。

 私は2001年夏まで1年間ハーバード大学で聴講などをしていたことがあり、そのときはハーバードのエリート臭が嫌いだった。だが、911事件をめぐる疑惑について考えることがタブー視され、戦争バブルに乗り遅れたくないという側面ばかりが目につくワシントンから、愛国心扇動の嵐がやむまで静かにしているしかないという態度のハーバードに来てみると「アメリカにはまだ正気な人もいるのだ」と感じ、自分がほっとしていることに気づいた。

 考えてみると、アメリカは多様な価値観を持った国である。共和党と民主党、連邦政府の中央集権主義と地方分権主義など、一つの価値観がすべてを支配することがないような仕組みを維持することによって発展してきた。911に対する反応が、ワシントンとボストンでは正反対なのも、こうしたアメリカの特色を反映している。
 アメリカの発展が、複数の価値観が存在する状態を維持することによって可能になっているとしたら、民主主義という体制に欠点があったとしても、それを一党独裁、一族独裁的な帝国主義に置き換えてしまうことは、長期的にはアメリカの発展の源泉が失われてしまうことになる。
 911そのものは、共和党右派によるかなりパワフルな戦略だったようで、民主党側は911とその後の戦争に対してほとんど何の対抗策も打ち出せなかった。だが、その後発覚したエンロン事件では、民主党側はブッシュ政権をかなり譲歩させるまでは引かないという態度をとっており、アメリカの政界ではよくあるパターンの「江戸の敵を長崎で討つ」的な「911の敵をエンロンで討つ」状態になっている。

 こうした多様性が機能している間は、アメリカの理想は生き残っていると考えることができる。911以降のアメリカの動きを見て、アメリカが嫌いになった人は多いはずだ。日本人だけでなく、アメリカ人以外の世界の人々のほとんどが、もはやアメリカのことを好きではなくなっているのではないか、とも思える。
 しかし、アメリカが多様な価値観から成り立っているとしたら「自分の考えに近いアメリカ」というものも存在しているはずだ。戦後の日本人のように、アメリカの傘の下から出ることがほとんど不可能な国に生まれた者にとっては、直情的に正義を求めて「反米」になるより、アメリカの中の自分の考えに近い部分と結束し、アメリカの中の自分の嫌いな部分と戦う、と考えた方が現実的だと思われる。



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