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仕組まれた9・11 【2】テロの進行を防がなかった米軍

  田中 宇

 2001年9月11日の朝、アメリカ軍の司令官であるリチャード・マイヤー将軍は、首都ワシントンDCの国防総省(ペンタゴン)から車で10分ほどのアメリカ連邦議会の上院議員会館にいた。
 マイヤーは統合参謀本部の副議長だったが、近く議長に昇格する予定になっており、その人事を議会が承認するための公聴会について、マックス・クリーランド上院議員との打ち合わせがこの朝に入っていた。この日、統合参謀本部の議長は大西洋上に出ていたため、ワシントンにおける制服組(軍人)としての最高司令官は、副議長のマイヤーが代行していた。
 打ち合わせに入る少し前、マイヤーが控え室にいる間に、その部屋のテレビが、世界貿易センタービルに飛行機が衝突したというニュースを報じ始めた。間もなくやってきたクリーランド議員に、この衝突について尋ねられたマイヤー司令官は「小さな飛行機か何かがビルにぶつかったらしい」と答え、大したことはないという判断で、2人はそのまま予定通り会議に入った。

 彼らが会議をしている間に、2機目の旅客機が貿易センタービルに衝突した。だが、それをマイヤーたちに伝える人はいなかった。打ち合わせが終わってマイヤーが控え室に戻ったとき、テレビは黒煙を上げる高層ビルを映し出していた。「ここにきて、事態の重大さがはっきりした」と、マイヤーは後から回想している。
 そうこうするうちに、誰かが「ペンタゴンにも飛行機が衝突した」と伝えてきた。誰かが携帯電話をマイヤーに手渡した。電話の向こうは、マイヤーの出身母体である空軍の司令官だった。このときになって、はじめて彼は事件に関して部下からの直接の報告を受け、急いで国防総省に引き返すことにした。
http://www.defenselink.mil/news/Oct2001/n10232001_200110236.html

 国防総省に衝突したアメリカン航空(AA)77便は、ワシントンの空港を8時10分に離陸し、45分後の8時55分ごろ、飛行中にハイジャックされた。この飛行機はロサンゼルス行きで、500キロほど西に飛んだところでハイジャックされ、同じコースを逆行してフルスピードでワシントン方向に戻り、ハイジャックされてから45分後の9時40分に国防総省ビルに突っ込んだ。
 国防総省はこのAA77便がハイジャックされてから15分後の9時10分ごろには、連邦航空局(FAA)からの連絡で、この飛行機のハイジャックを知っていた。ニューヨークの世界貿易センタービルには、それより20分ほど前に最初の1機(AA11便)が衝突しており、国防総省はすでに警戒態勢に入っていたはずだ。

 しかしAA77便のハイジャックから30分間、国防総省の司令室では、何をしたらいいか分からない混乱状態が続き、すぐ近くにあるエドワード空軍基地から戦闘機を発進させることもせず、ハイジャック機が自分たちのビルに向かって突進してくるのに、何の手も打たなかった。マイヤー司令官に電話をかけることも、誰もしなかったのである。(司令室は国防総省ビルの東側にあったが、ハイジャック機が激突したのは同じビルの西側だった)
 この朝、マイヤーの上司にあたるラムズフェルド国防長官も外出していたが、彼が連絡を受けたのも、国防総省に飛行機が突っ込んできた後だった。
http://www.nytimes.com/2001/09/15/national/15CONT.html

 AA77便はワシントン市内上空に達するまで、ホワイトハウス(大統領官邸)に向かって飛んでいたが、この危機をホワイトハウスに通報したのは、国防総省ではなく、市内のレーガン国際空港の管制塔にいた民間の管制官だった。
 管制塔のレーダーに、自機の正体を示す認識信号を出さない正体不明のジェット機が高速でホワイトハウスの方向に飛んでいくのが映し出され、あわてて連絡したのだった。国防総省は、このときすでにハイジャック機の接近を知っていたはずなのだが、ホワイトハウスには連絡していなかったのである。
 連絡を受けたホワイトハウスの大統領護衛官は、その時官邸にいたチェイニー副大統領を地下壕に避難させた。邸内には、手持ち式の地対空ミサイル「スティンガー」が配備されており、旅客機が接近してきたら撃ち落すことも準備されていたとみられるが、その後、ハイジャック機は進路を270度変え、国防総省に向かっていった。
http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A12507-2001Sep11

 何ともお粗末な防御体制であるが、米軍はハイジャック機に対する警戒態勢が不十分だったのかといえば、そうではない。日本などより人々が飛行機を使う頻度が高いアメリカでは、ふだんから国内線旅客機のハイジャックに備える十分な態勢がとられ、訓練もよく行われていた。
 旅客機がハイジャックされたり、規定の飛行進路をはずれたまま管制塔からの呼びかけに答えなかったりした場合、連邦航空局は、米軍とNORAD(北米防空司令部。アメリカとカナダの合同防空組織)に連絡し、米軍やカナダ軍の戦闘機に緊急発進してもらう。戦闘機は旅客機の近くまで行き、その操縦室の様子を目視で確かめ、戦闘機の先導に従うよう命じる合図を送る(旅客機の前を横切るのが合図となる)。
 旅客機が先導に従えば、近くの飛行場に強制着陸させる。従わない場合になって初めて、軍の上官が、旅客機を攻撃するかどうかという判断を行う。事件から5日後の9月16日、NBCテレビに出演したチェイニー副大統領は「一般市民が多数乗っている旅客機を撃墜するかどうかという難しい最終判断を、米軍の最高司令官であるブッシュ大統領が下すのに時間がかかり、戦闘機の発進が遅れた」と発言している。
http://stacks.msnbc.com/news/629714.asp?cp1=1

 ところが、この説明は間違っていた。最終的に旅客機を撃ち落すかどうかという判断を下す前に、まず戦闘機が緊急発進し、ハイジャック機の近くまで行って強制着陸に応じるかどうか試してみるのが先であった。
 戦闘機の緊急発進には大統領の判断など必要なく、管制塔(連邦航空局)からの要請を受けた米軍やカナダ軍が日常業務として行うことだ。火事の発生を知らされた消防隊が火事現場に駆けつけるのと似ている。戦闘機の緊急発進は、それほど珍しいことではない。日本でも領空侵犯など重大事件にかかわる緊急発進は大きく報じられるが、重大な結果にならない飛行機の一時的な進路逸脱などに対する緊急発進は、小さなニュースにしかならない。
 チェイニー副大統領は国防長官の経験者で、国防体制には詳しいはずだ。それなのに、戦闘機の緊急発進に大統領の判断が必要だという趣旨の間違った発言には、何か意図があると勘ぐられてもしかたがない。

▼緊急発進してゆっくり飛んだ戦闘機

 9月11日、午前7時59分にボストンの空港を飛び立った1機目(AA11便)のハイジャック機が大きく進路をそれ、ハイジャックされたと管制塔(連邦航空局)が気づいたのは、離陸から約20分後の8時20分ごろのことだった。
 連邦航空局が米軍に緊急発進を要請したのは、それから約20分後の8時38分で、その6分後にボストンの近くのオーティス空軍基地に緊急発進の命令が下り、その8分後(8時52分)に2機のF15戦闘機が発進した。だが、そのときにはすでに1機目のハイジャック機が貿易センタービルに激突しており(8時46分)、戦闘機が追いつく前に2機目も激突した(9時03分)。戦闘機がニューヨーク上空に着いたのは、その数分後だった。
 ここまでの話には「ハイジャックに気づいてから戦闘機が緊急発進するまで34分もかかったのは遅すぎないか」という疑問が湧く程度だが、ここから後の話になると、疑問はどんどんふくらんでいく。

【当日の飛行地図 http://emperors-clothes.com/images/timemap.gif】

 3機目の旅客機がワシントンを飛び立ったのが8時10分、ハイジャックされたのが8時55分で、その後9時10分ごろまでにはハイジャックの連絡が米軍に入った。
 このときには、すでに1機目と2機目を追いかけたF15戦闘機2機がニューヨーク上空を旋回し始めていた。ニューヨークからワシントンDCまでは約300キロで、最高時速2400キロ、巡航速度(経済的に飛べる最高速度)900キロのF15なら10−20分で到着できる。ニューヨーク上空にいる戦闘機をワシントン方面に向かわせれば、9時40分に国防総省に激突した3機目のハイジャック機を捕捉して強制着陸を命じ、応じなければ国防総省に突っ込む寸前に撃墜することもできたはずだ。
 しかし、そうした命令は下されず、戦闘機はその後3時間ほどニューヨーク上空を旋回し続けた。これは「他のハイジャック機があるかもしれないから」という理由だったが、確認されていないハイジャック機に備える前に、ワシントンに向かっている3機目を補足しに行くべきだったというのは、素人でも分かることである。

 ニューヨーク上空の戦闘機をワシントンに向かわせる代わりに、米軍がとった行動は、ワシントンから200キロ離れたラングレー空軍基地から3機のF16戦闘機を緊急発進させることだった。これが実行されたのは9時30分で、米軍が3機目のハイジャックを知ってから20分後だった。
 しかも、戦闘機はワシントン上空に着くまでに30分近くかかった。最高速度2400キロ、巡航速度900キロの戦闘機なのに、なぜか時速400キロしか出さなかった。少なくとも巡航速度で飛んでいれば、直前で激突を止められたはずだ。戦闘機がワシントンに着いたのは10時少し前で、すでにハイジャック機が国防総省に激突してから15分ほどたっていた。(1機目と2機目を追いかけた戦闘機は、ニューヨークまでの約400キロを15−20分で飛んでおり、最高速度に近い速さを出していた)
http://emperors-clothes.com/images/timemap.gif

 もう一つ考えるべきことは、ワシントンDCを守備する担当の空軍基地は、200キロ離れたラングレーではなく、ワシントンから15キロしか離れていないアンドリュー空軍基地だということである。ここは大統領専用機「エアフォース・ワン」の母港になっているエリート基地で、空軍と海兵隊がそれぞれ戦闘機群を配備していた。
 ところが9月11日、国防総省に旅客機が突っ込むまで、この基地からは1機の戦闘機も飛び立っていない。「この日、アンドリュー基地の戦闘機は、緊急発進の準備ができていなかった」と述べた米軍関係者もいたようだが、これは間違いである。アンドリュー基地からは、国防総省に旅客機が突っ込んでから数分後になって、戦闘機やらAWACSなどが次々と飛び立ち、他のハイジャック機の飛来に備え、上空を旋回し始めたからである。
 AWACS(空中早期警戒管制機)は「空飛ぶ作戦司令室」の異名を持つレーダー搭載の飛行機で、地上のレーダーより広い範囲をカバーできる。1機目のハイジャックが分かった時点でこれを飛ばしていれば、ハイジャック機の動きを早くつかむことができ、少なくとも3機目の国防総省への激突は防げた可能性が大きい。なぜこの日の米軍の行動がすべて後手に回ったのか、理解に苦しむところだ。
 事件から2日後の9月13日、ロシアの共産党系の新聞「プラウダ」は、ロシア空軍の司令官のコメントを掲載した。それによると、ロシアでは同様の事態が起こる可能性はないという。ハイジャックが発覚したら数分以内に空軍が動き出し、ハイジャック機がビルに突っ込む前に(撃墜などの)対応がとられることは間違いないからだ、という。
 プラウダは反米傾向の強い新聞だが、これは必ずしも誇張とは思えない。空中での戦闘は1−2分という短い時間が勝敗の分かれ目であり、その前提で日ごろの訓練が積まれていて当然だからだ。アメリカでの911の事態は、米軍の失態というより、ふつうなら機能すべき防空システムの重要な部分、たとえば連邦航空局から国防総省への連絡システムなどが、この日に限って正常に作動しなかった可能性が大きい。
 国家の安全の基盤となる防空システムは、技術的な不調を回避する措置が二重、三重にとられているだろうから、それが全て機能しなかったということは、自然な機能不全ではなく、誰かが故意にシステムをダウンさせた可能性が大きい。だとしたら、それは末端の担当者ではないだろう。

▼大統領の行動

 9月11日、米軍の最高司令官でもあるブッシュ大統領は、フロリダ州にいた。朝9時前、ホテルから出てきたとき、待っていた報道陣から「ニューヨークで起きた事件をご存知ですか」と聞かれ「知っている。そのことについては後でコメントする」という趣旨の返事をした。その日の大統領の最初の日程は、ホテルの近くの小学校で授業参観して教育問題について話すことになっていた。大統領は予定を変更せず、専用車で小学校に向かった。(ABCテレビによる)
http://emperors-clothes.com/9-11backups/abc911.htm#mybust

 大統領が小学校に着き、テレビ局のカメラも入っている教室内で小学2年生の授業を参観をしている間に、補佐官が大統領に耳打ちした。時刻は9時05分で、2機目のハイジャック機が貿易センタービルに激突した2分後だった。そのまま授業参観は続けられ、授業が終わった後、9時30分から大統領が予定通りスピーチを始めたが、その冒頭で「貿易センタービルがテロリストによるとみられる攻撃を受けた」と言い、その発言だけで大統領はスピーチを終え、学校を出て車で大統領専用機(エアフォース・ワン)に向かった。(AP通信による)
http://emperors-clothes.com/9-11backups/ap912.htm#quote

 この日の予定が始まる前に事件の発生を知っていた以上、大統領は小学校での予定をキャンセルし、対策を検討すべきだったはずだ。この日の大統領の日程は、事前に一般向けに発表されており、予定通りの行動をすれば、テロリストに狙われる可能性もあった。それなのに、大統領はそのまま予定通り小学校に行っている。
 小学校に入ってからの大統領の行動は、マイヤー司令官と同様、1機目が突っ込んだときは大した事件ではないと思ってしまい、2機目が突っ込んだのを聞いて問題の重大さに気づいた、という風にも読み取れる。しかしその場合おかしいのは、補佐官が耳打ちしたことだけを聞き「テロリストの犯行」と断言したことである。
 小学校の教室に入った後、事件に関してブッシュ大統領が得た情報は、補佐官からの報告だけである。耳打ちの内容が「貿易センターにもう1機突っ込みました。テロリストの犯行のようです」というものだったとしても、それだけをもとに全米・全世界に中継されているテレビの前で確信をもって「テロリストの犯行と思われる」と言えるものではない。
 ブッシュ大統領の行動からは、テロ事件が起きることを事前に知っていたのではないか、という疑惑を感じざるを得ない。

 9月11日より2カ月前の2001年7月、イタリアのジェノバで先進国首脳会議(G8)が開かれた際、イスラム過激派組織が飛行機で会議場に突っ込み、ブッシュ大統領ら各国首脳を殺害するテロ計画があるという情報を、エジプト当局がイタリア当局に伝え、ジェノアでは空港に対空砲が設置され、市内の上空が飛行禁止なるなど厳戒態勢がとられた。この時点で、飛行機がビルに突っ込む形式の自爆テロがあり得るということは、アメリカ当局にも十分に分かっていたはずだ。
http://www.latimes.com/news/nationworld/nation/la-092701genoa.story

 ニューヨークの貿易センタービルは1993年にもイスラム過激派による爆弾テロに襲われており、その後もFBIは、テロ組織が貿易センターを狙い続けているとみていた。ジェノアの一件と、貿易センターがテロの標的になりうるということを組み合わせて考えれば、9月11日朝に飛行機が貿易センターにぶつかった時点で、国防総省はテロの可能性に気づいたはずだ。ブッシュ大統領やマイヤー司令官が、事件の発生を知った後もその日の日程をこなし続けたのは、異様なことだといえる。
 マイク・ルパートというアメリカのジャーナリストが各種の報道記事を調べたところによると、2001年6月にはドイツの情報機関BNDがアメリカでのテロ計画を察知して米当局に通告し、9月の事件発生直前には、イランとロシアの情報機関などが米当局に対して警告を発している。ケイマン諸島では、ラジオ局のリスナー参加型の生番組アメリカでのテロを予告する電話がかかってきて放送されたりした。
http://www.copvcia.com/stories/nov_2001/lucy.html

 また事件の1ヵ月前には、イスラエルの情報機関モサドの幹部がワシントンを訪れ、CIAとFBIに対し「米国内にはオサマ・ビンラディンと関係する200人規模のテロ組織があり、米国内の有名な建造物を標的にしたテロ攻撃を間もなく起こそうとしている」と報告した。
http://portal.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=%2Fnews%2F2001%2F09%2F16%2Fwcia16.xml

 ところが、これらの警告信号はすべて無視された。CIAは、7月のジェノアサミットにおけるテロ計画の可能性についても、イタリア当局の情報には根拠がないといって軽視していた。なぜこんなことになったのか、次の章ではそれを考える。

【3】実行犯と捜査



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