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「田中宇の国際ニュース解説」2002年の記事一覧


これより後の記事(2003年の記事)

イラク戦争を乗っ取ったパウエル
 【2002年12月26日】 12月18日、ホワイトハウスで行われた国家安全保障会議で、開戦に慎重だったはずのパウエル国務長官がイラクに対する強攻策を唱えた半面、好戦的だったはずのラムズフェルド国防長官は慎重な対応を主張した。これを「パウエルはタカ派に転向した」と解説する新聞もあったが、そうではなくてパウエルの強硬路線はむしろ、強硬路線を乗っ取ることで中道派がタカ派を封じ込めたのだと思える。対イラク外交の主導権を握った中道派は、中東を不安定にせずフセイン政権を終わらせるという難題を抱えつつ動き出した。

北朝鮮ミサイル船拿捕とイラク攻撃
 【2002年12月17日】 アメリカにとって、北朝鮮から送られてきたミサイルを中東沖で押収しても買い手であるイエメンが沈黙するという事態は、ミサイルが「イラクに運ばれる予定だったに違いない」と主張できることになる。何とか理由をつけてイラクに宣戦布告したい米政権内の右派にとって、これは格好のチャンスだった・・・

サウジアラビアとアメリカ(下)
 【2002年12月9日】 サウジアラビアの執政者アブドラ皇太子は、ネオコン=イスラエル側からかなり追い詰められた状態にあるが、実は追い詰められている状態はブッシュ大統領も同じである。もともと石油利権を使って政界のトップまで登りつめたブッシュ家は、サウジと縁を切ると政治資金を失い、トップの座を維持できなくなる可能性が大きくなる。

激化するアメリカ権力中枢の戦い
 【2002年12月2日】 ブッシュ大統領が、敵視していたはずのキッシンジャーを911事件の真相究明委員会のトップに据えた。米政権内のタカ派の関与が疑われる911事件の真相究明に、中道派と目されるキッシンジャーがあたることになったのは、アメリカ中枢の権力闘争で、中道派が有利になっているということではないか。対イラク国連査察団の団長への中傷問題などからも同様の傾向が感じられる一方、再び本土テロが誘発されれば、一転してネオコンが有利になる可能性もある。

サウジアラビアとアメリカ(中)
 【2002年11月26日】 1993年の世界貿易センタービル爆破を計画したFBIの諜報員や、95年のオクラホマ爆破事件に関与した中東系の男たちから、911事件の実行犯やアルカイダまでの一連の人々が、アメリカ本土でテロ活動を行えるようにするには、テロリスト予備軍ともいうべきアラブ系やパキスタン人が、自由にアメリカに入国できる体制を作っておくことが必要で、そのルートとしてサウジアラビアが使われた。

サウジアラビアとアメリカ(上)
 【2002年11月19日】 サウジアラビアは石油危機のときは、石油相場をつり上げて、イスラエルを支援するアメリカなどに圧力をかけたが、その後はアメリカの敵になることを避け、逆に石油価格を安定させることで、アメリカに恩を売るようになった。サウジ王室は国内に新しい軍事基地を作り、アメリカから高価な設備を気前良く買い込み、軍需産業を喜ばせた。後に大統領を2人輩出したブッシュ家と、サウド家やビンラディン家との家族づきあいも深まった。

肥大化する米軍の秘密部隊
 【2002年11月11日】「ブラックワールド」と呼ばれる裏の予算で運営されるアメリカ国防総省内の秘密部隊は、レーガン政権時代から肥大化を続けてきたが、彼らは外部の監督を全く受けないため、アメリカの国家的な国益のためでなく、自分たちの組織の維持拡大のため、作戦を遂行する可能性が大きいことだ。裏予算を拡大するためには、911事件のようなテロを誘発することすらやりかねない。

麻薬戦争からテロ戦争へ
 【2002年11月5日】 米軍が冷戦終結とほぼ同時期に始めた「麻薬戦争」は、冷戦終結によって軍事力を必要とする場が激減し「失業」状態に陥る可能性が増してきていた米軍に、次の「仕事」を与えるという政治的な目的があった。だが911後の「テロ戦争」の開始により、軍事費は急増し、失業対策は必要なくなった・・・

バリ島爆破事件とアメリカの「別働隊」
 【2002年10月24日】 バリ島爆破事件は、テロの首謀者が本当にアラブ人勢力なのか、それともアメリカがアルカイダという名の「別働隊」を使って世界支配の一環として行っている「作戦」なのか、そのあたりに対する疑問が残るだけに、日本人にとっても、以前よりさらに不気味な時代が始まったといえる。

ロシアとアメリカは敵か味方か
 【2002年10月16日】 グルジアのパンキシ渓谷には、アルカイダに支援されたチェチェンゲリラが潜んでいるといわれる。だがパンキシでゲリラ掃討作戦を展開しているはずのグルジア軍と、それを支援している米軍は、ゲリラを本気で退治しようとしていない。これをみたロシアのプーチン大統領は、アメリカのイラク攻撃を黙認する代わりに、ロシアのグルジア攻撃をアメリカが黙認してくれ、と米政府に提案した・・・

イスラエル市民運動のラディカルさ
 【2002年10月7日】 私がイスラエルの左翼系市民運動を取材して感じたラディカルさは、左翼に限らず、イスラエル人(ユダヤ人)全体の民族的な特質かもしれない。そう思うのは、ユダヤ人の歴史を見ると、ラディカル(根本的)に考える歴史的な人物を多く輩出してきたからである。

イスラエルの高等戦略
 【2002年9月30日】 イスラエルは、イランやパレスチナ指導者といった、常識では「敵」だと思われている勢力に対して隠然と支援を行うことで、有利な戦略を展開している。だがそれとは正反対のこととして、イスラエルが最も頼みとする同盟国であるはずのアメリカには、すきあらばイスラエルの影響力を排除したいと考えている政治家も多い。敵は味方かもしれず、味方は敵かもしれない、という複雑な状況となっている。

小泉訪朝の背景を探る
 【2002年9月24日】 「第2朝鮮戦争」を回避したいアメリカの中道派は、極右派がイラクにかかりっきりな今のうちに、北朝鮮や中国を、極右派の「文明の衝突」戦略から切り離そうと考え、そのため小泉首相に北朝鮮訪問を持ちかけ、金正日にも「大幅譲歩すればサダム・フセインのようにならずにすむ」と持ちかけたのではないか、と思われた。

イラク攻撃・イスラエルの大逆転
 【2002年9月16日】 イスラエルは「均衡戦略」の餌食になることを拒み、数年かけて逆にネオコンを通じてアメリカの政権を掌握し、ホワイトハウスの主流だった均衡戦略の人々を脇に追いやる、という大逆転を展開した。そしてパレスチナだけでなく、イラクやサウジアラビアなどイスラエルの脅威になっている国々の政権を破壊してアメリカを中東での長い戦争に引きずり込み、アメリカがイスラエルを捨てられない状況を作るのが、ワシントンの新保守主義派の戦略だとみることができる。

米イラク攻撃の謎を解く
 【2002年9月9日】 イラクをめぐるアメリカの「均衡戦略」(バランス・オブ・パワー)は、もはや限界にきている。そのため、ブッシュ政権中の「新保守主義派」の人々は、言うことを聞かない国はぜんぶ潰す、という「アメリカ一強主義」(ユニラテラリズム)に転換し、その一発目としてイラクを潰すのが良いと考えている。これは言い方を変えれば、第一次大戦以降、世界が続けてきた「外交」というもの自体を否定することである。

中国を混乱させる首脳人事
 【2002年8月28日】 胡錦濤は、トウ(ケ)小平に「次世代の後継者」として選ばれて以来、なるべく目立たないように準備をしていた。胡錦濤に対する外国マスコミの評価は「オーソドックスな発言しかしない」というものが多い。だがその陰で、彼は自分の派閥を全中国に構築していた。いよいよ胡錦濤の時代が近づいた昨年末、各地の党書記や省知事たちは、自分の副官である副書記や副知事が胡錦濤の一派であることに気づき、焦りだした。

パレスチナ(4)アラファト官邸で考える
 【2002年8月26日】・・・その光景を見て、私が感じたのは「アラファトはマスコミに守られている」ということだった。マスコミの向こうには「国際社会の世論」があり、それを背景に、欧米の中でイスラエルを牽制したい政治勢力が、アラファトをイスラエル軍の攻撃から守っているのだと思われた。

誰が自衛隊機を壊したか
 【2002年8月20日】 三菱重工の戦闘機格納庫での奇怪な連続事件を起こしたのが「日本の防衛戦略の転換に反対する勢力」だったとすると、この種の事件は今後、もっと広範囲に起き、日本の防衛上のセキュリティを脅かす可能性がある・・・

パレスチナ(3)外出禁止令の町
 【2002年8月19日】 ・・・問題は、昼間の外出禁止令がいつ発動されるか、その日の朝にならないと分からないことだった。今日外出禁止になったら明日は大丈夫とも言えない。2日続けて外出禁止になるときもある。こういう状態なので、人々は日々の仕事の予定が立てられない。以前はラマラから東エルサレムに通勤していた人が多かったが、その多くが仕事を辞めざるを得なくなった。生活水準は下がり、イスラエルとその背後にいるアメリカに敵視と、同時にイスラム教に対する帰依が強まった。

パレスチナ(2)検問所に並ぶ
 【2002年8月12日】 ・・・パレスチナ人たちの側にブーイングが広がると、イスラエル兵が銃口をこちらに向けて行列に近づき、何か語気荒く言い、行列が静かになるまで威嚇し続けた。近くの男性が英語で「彼は、とても失礼なことを言った」と、うんざりした様子で私に説明してくれた。おそらく「お前たちは、きちんと待つこともできない無能な奴らだ」などと言われたのだろう。

パレスチナ・西岸紀行(1)
 【2002年8月5日】  パレスチナ人たちは厳しい占領下で暮らしているものの、服装や持ち物、物腰などは、カイロやアンマンなどアラブの他地域の市民と同様、高度な文明人である。服装では、カイロより西岸の方がおしゃれかもしれない。昨今の西岸の女性の間では、光沢のある薄いクリーム色のスカーフが流行っているようだった。真珠色のスカーフは、おしとやかな感じがした。

アラブ統一の夢は死んだか
 【2002年7月30日】  詩人タハ氏の話を聞いていて、日本の全共闘世代の心境の変化と似ている、と思った。日本にかつて理想主義の「反米闘争」があったように、エジプトにはナセル主義があり、それから30年以上たった今、理想主義は現実主義に取って代わられているのだった。とはいえ、パレスチナ問題やイラク制裁問題を目の当たりにしている今のエジプトの青年たちにとって、政治的な情熱は昔の話ではなかった・・・

中東問題「最終解決」の深奥
 【2002年7月22日】 アメリカがイラクを攻撃する際、イスラエルも地上軍をイラクに侵攻させる可能性がある。イスラエル軍が侵入してきたら、ヨルダン国内は戦場となって「ハマス」などパレスチナ人の武装組織が力を持ち、やがて矛先がハシミテ王家に向かい、王政が倒される可能性がある。ヨルダンが「パレスチナ人の国」になったら、パレスチナ人をヨルダンに強制移住させるイスラエルの計画が実行しやすくなる。

米イラク攻撃の表裏
 【2002年7月16日】 アメリカはテロ戦争を起こすことで経済悪化に対する国内からの批判を回避することに成功したが、アフガン戦争が一段落した後の今春以降、再び企業スキャンダルや株安など経済関係の難問が持ち上がっている。ブッシュ政権は世界のどこかで戦争を続けない限り、米国民の不満が高まって政治生命を維持できなくなっている・・・

米軍に揺さぶられる中央アジア
 【2002年7月8日】 中央アジアのトルクメニスタンでは、アメリカのアフガン攻撃が始まってしばらくすると、それまでニヤゾフ大統領に忠誠を誓っていたはずの政府高官たちが、少しずつ反旗を翻すようになった。4月ごろからは、米国務省などアメリカ政府の関係者が、この反政府勢力と接触するようになり、反政府勢力を支持する言動を見せ始めた。

マダガスカルと世界支配
 【2002年7月1日】唐突なアメリカの意志表示により、マダガスカルは内戦を回避できた。だがアメリカの意図は「正義」ではなく、マダガスカルに対する旧宗主国フランスの影響力を殺すための一撃を発することにあったと思われる。

アフガニスタンの通貨戦争
 【2002年6月21日】・・・ラバニ政権がカブールを撤退する前に刷った紙幣は、通し番号の冒頭の部分が1から34までだったが、モスクワで印刷を再開した新札には35以上の数字がついていた。やがてタリバンは攪乱作戦に気づき、通し番号の冒頭が35以上の紙幣を無効にした・・・

タリバン残党とインド・パキスタン戦争
 【2002年6月10日】 米軍がパキスタン国内を攻撃し始める前に、不正とはいえ国民投票をやっておいて良かったということは、すぐに明らかになった。イスラム過激派の側からムシャラフに対する反撃が始まったからだ。5月9日にはカラチで爆弾テロ、5月14日にはカシミール地方で武装集団がインド軍の兵士らが住む住宅街に突入して銃を乱射する自爆テロがあった。この後、インドとの関係は極度に悪化した。

揺れるアメリカの北朝鮮外交
 【2002年6月3日】 北朝鮮に対するアメリカの政策が敵対と宥和の間を行ったり来たりするのは、アメリカの支配層の中に、北朝鮮との敵対を望む国防総省や軍需産業など「産軍複合体」の勢力と、東アジアが安定して経済発展につながるので宥和策の方が良いと考えている資本家層という2つの勢力が存在し、ブッシュ政権の方向性をめぐって対立しているからだと思われる。

北朝鮮人亡命事件の背景
 【2002年5月27日】 中国・瀋陽の日本領事館に北朝鮮人が駆け込んで亡命申請した事件について、日本ではあまり報道されていないが、欧米のメディアではこの事件の本質として説明されていることがある。それは、北朝鮮人の駆け込み亡命が、欧米人や韓国人でつくる国際市民グループによって企画されたものだった、という点である。

復権する秘密戦争の司令官たち
 【2002年5月21日】 かつての秘密戦争の司令官たちがブッシュ政権に結集し、ポインデクスターが盗聴機関のトップに就いてから数日後、国防総省に、戦況を有利にするためにマスコミにウソの情報を流すことを任務の一つにした新組織「戦略的影響局」が作られていることがマスコミで暴露された。

ベネズエラとアメリカ
 【2002年5月9日】 チャベスの反米は、自国を含む中南米諸国をアメリカの支配下から解放したいという考えに基づいていた。そのために彼が使った一つの方法は「石油」だった。ベネズエラはOPECの中で、産油国が横並びで石油を減産して価格をつり上げることを提唱する勢力となった。

人類初の世界一周は中国人?
 【2002年5月2日】 歴史の教科書では、人類で初めて世界一周の航海をしたのは1522年、マゼランのスペイン艦隊だったということになっている。しかし最近、マゼランよりも100年ほど前の1423年ごろ、中国人の艦隊が世界一周していたという調査結果をイギリス人の研究者が発表し、論争を巻き起こした。

再び植民地にされるフィリピン
 【2002年4月27日】アメリカは「テロ組織」とは名ばかりの、総勢100人程度しかいないアブ・サヤフとの戦いを、できる限り長引かせようとしている。アメリカが「汚い戦争」を展開してもフィリピンを軍事的に再獲得したいのは、フィリピンが中国をにらむ「不沈空母」として南シナ海上に存在しているからと思われる。

日本の有事法制とアメリカ
 【2002年4月18日】ブッシュ政権は今後、中国や北朝鮮を挑発する行為をやめる可能性が高い。東アジア情勢が沈静化に向かうなら、小泉政権としてはなるべく早く有事法制を国会に通したいと考えたとしても不思議ではないということになる。

変質するパレスチナ問題
 【2002年4月4日】サウジアラビアが急にパレスチナ問題で和平提案を始めたのは、911テロ事件をめぐって米当局とサウジ当局との水面下のつながりがあったことと関係がありそうだ。事件に協力した見返りとして、アメリカはサウジがパレスチナ問題を解決してアラブ世界で指導的な立場につけるように取り計らい、その結果出てきたのがサウジ和平案なのだと推測できる。

「仕組まれた9・11」と中国
 【2002年3月25日】中国共産党はかつて貧農と労働者のための党だったが、いまや国家制度を早く資本主義化して全体を豊かにしようとするあまり、貧しい人々を最も苦しめる結果となっている。党大会前の微妙な人事抗争、失業者の反乱、そしてアメリカによる台湾を使った軍事対立の扇動が重なり、中国共産党は存亡の危機を迎えている。

米中台・解かれたキッシンジャーの呪い
 【2002年3月18日】1971年にキッシンジャーと周恩来の会談以来、アメリカ政府は中国には「台湾を見捨てる」と約束する一方で、ロビー活動などが功を奏してアメリカに「台湾関係法」を作らせた台湾に対しては「見捨てない」と約束するという二枚舌の状態になった。ブッシュ政権は911以降、この関係を塗り替えようとしている。

アメリカの挑発に乗れない中国
 【2002年3月15日】米中間の緊張関係を考えると、中国の国家主席専用機に盗聴器を仕掛けたのはCIAやNSAだというのが最もありそうな筋書きだろう。そして中国側は、自国の軍幹部が横領したという問題はありつつも、アメリカを強く非難して当然と思われる。だが、盗聴器が見つかった後の展開は、それとはまったく違っていた。しかも、アメリカが中国を挑発し、中国がそれを受け流すという米中関係は、すでに何回か繰り返されている。

アメリカで秘密裏に稼動する「影の政府」
 【2002年3月4日】アメリカで911事件の直後に作られた「影の政府」は、議会に全く知らせないまま稼動し、存在そのものはマスコミにすっぱ抜かれても、日々どんな業務を展開しているかは一切明らかにされていない。911事件は大統領府やCIAなどが誘発して起こした可能性が大きいことを考えると「大統領府による独裁政治が可能になる有事体制を作り出すために911が誘発された」という解釈が成り立つ。

オクラホマ爆破事件と911(2)
 【2002年2月25日】・・・9月11日の朝、最初のハイジャック機が世界貿易センターに激突する15分前、デービス記者のところに中東系の訛りがある男の声で電話がかかってきて「テレビをつけてみろ」とだけ言って切れた。またテロ事件が起きた後、かねてから情報源にしていた海軍の諜報担当者からも電話があり「このテロ事件は、オクラホマの事件を起こしたのと同じ連中がやったんだ」と伝えてきた・・・

オクラホマ爆破事件と911(1)
 【2002年2月18日】・・・シッパーズは連邦ビル爆破事件で真実が語られていないことを議員たちに伝えたが、反応は鈍かった。その一方で彼が知ったのは、爆破テロを警告する報告書が事件の2カ月前に議会で作られていたのに、無視されていたことだった・・・

エンロンが示したアメリカ型経済の欠陥
 【2002年2月11日】 今後アメリカの景気が回復した場合、エンロン破綻で暴露されたアメリカ経済のシステム的な欠陥がこれ以上問題にならず、政府批判も下火になるかもしれない。しかし、それはアメリカの政財癒着の構造が温存されることを意味している。今回はごまかせても、いずれ破綻するだろう。

エンロンが仕掛けた「自由化」という名の金権政治
 【2002年2月4日】・・・ブッシュ政権が、これだけエンロンの言うことを聞く態勢にあったということは、地球温暖化防止の京都議定書を破棄したのも、エンロンの要求に応じたものだった可能性がある。

テロの進行を防がなかった米軍
 【2002年1月28日】 アメリカでの911の事態は、米軍の失態というより、ふつうなら機能すべき防空システムの重要な部分、たとえば連邦航空局から国防総省への連絡機能などが、この日に限って正常に作動しなかった可能性が大きい。

テロをわざと防がなかった大統領
 【2002年1月24日】 911以降のアメリカでは調査報道ジャーナリストに対して「陰謀論者」というレッテルが貼られがちである。しかし、ネット上の記事をいろいろ調べていくと「911のテロを阻止するためのFBIの捜査をブッシュ政権の最上層部が妨害していた」ということは、ほぼ事実だと思われる。

アルゼンチンの悲劇(2)
 【2002年1月17日】 支出を切り詰める必要がない国に切り詰めを迫り、その国の経済自体を破壊してしまうIMFのやり方は、1997年に東南アジアに対しても行われ、大混乱を巻き起こしたが、IMFはその後もやり方を変えず、アルゼンチンに対しても同じことを求めた。

アルゼンチンの悲劇
 【2002年1月14日】 2001年初めにトルコが通貨危機に陥ったとき、ブッシュ政権はIMFを通じて緊急融資を行った。トルコはイラクを攻撃する米軍に軍事基地を使わせており、アメリカの中東支配に欠かせない国だったが、トルコ経済が破綻すればイスラム原理主義政権ができる可能性があったから、すぐに緊急支援が行われたのだった。緊急支援をしてもらえないアルゼンチンは、中東から非常に遠いという地理的な自国の運命を恨むしかなかった。

テロリストの肖像
 【2002年1月7日】 911のテロは、ビンラディンの命令に応じて若者たちが実行したというよりも、エジプト人留学生モハマド・アッタを中心とするハンブルグのアラブ系の若者たちが自爆テロを計画し、実行に必要な人員や資金を集めていくうちに、アルカイダからも支援やアドバイスを受けた可能性の方が大きい。


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